殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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70 定まらぬ心

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 蒼一からのメールを読み終え、悠は苦笑いを浮かべた。一路の正体と、水守家・火宮家対立の原因。前者は予想していたものの、後者は想像よりも入り組んでおり、情報無しで解くことは難しかっただろうと思った。
 悠は手早く報告のお礼を返信し、スマートフォンを胸ポケットに入れる。すぐさま視線を動かし、病室のベッドに横たわって穏やかな寝息を立てる父・悠月を見つめた。
「立派な家ほど、面倒なものはないよね。ボクも父さんも、あの女の身勝手に振り回されただけな気がする」
 起こさないように小声で、悠は父に話しかけた。答えなど求めているわけではなく、自分の心の内を、ただ吐き出したかった。
「愚痴はやめようか。きっとお父さんは、お母さんにそんな事を言ってはダメだ、って言うもんね。代わりにと言っては何だけど、迷いを漏らしてもいいかな」
 やはり返事はない。しかし、悠は気にせず続ける。
「お父さんの傍にいたいことは間違いない。育ててくれた恩も、血の繋がりがないのに息子だと言ってくれた恩も、まだ返し切れていないから。日に日に悪くなっていくお父さんを見ているのは辛いけど、もう時間がない以上、離れたくない。少しでも一緒にいたいんだ」
 でも、と悠は呟いた。語尾が自然と震えた。
「やりたいこともあるんだ。決して明るい話じゃない。寧ろ暗い話。一寸先が見えない、きっと人の醜悪さに満ちた中にある、真相を突き止めること。できるかどうかは分からない。だけど、やりたいんだ。ボクが知りたいのはもちろんだけど、知りたいと泣いた子がいるんだよ。
 その子は、世界で1番大切な人を失って、真相を知らなければ、きっと前に進めない。その子の力になるためにーーーー自分のためかもしれないけどーーーーボクは、お父さんがダメだと言ったことをやり続けている。そして、きっとこれからもやり続ける。
 ボクはもう、生き方を変えられない所まで来てしまったから」
 後悔はしていなかった。抑圧された生活から解放され、父と再会して築いた幸福が破壊され、そこに生きる意味を与えた2人の人間。彼らのためなら、あるいは彼のためなら、悠はどれだけ手を汚したって構わなかった。例え父が悲しむとしても、彼のために己の力を使いたかった。
「約束を破ってごめんなさい。でも、ボクにはそれしかできなかった。それでしか、その子の力になれなかったんだ。ボクは、その子の世界で1番大切な人の代わりにはなれない。いくら悠兄って呼ばれても、その子の世界で1番大切な人は、永遠に変わらないから。だからこそ、力になりたい。ボクにできる精一杯を、その子に全て使いたいんだ。
 だけど、先が短いかもしれないお父さんの傍を離れたくない。また離れ離れになって、取り返しがつかなくなったら、ボクは一生後悔する。あんな思いは、2度としたくない。それでも、ボクは・・・・」
 言葉が途切れた。たった1人の家族と、家族ではなくとも家族と同等に大切な存在。2人を天秤にかけ続け、悠はついぞ、計り切れなかった。常に同じ位置にいた。今、この瞬間も。
「・・・・色々、悩ませるようなこと言ってごめん。一度、家に戻るよ。明日また来るから」
 変わらず返事のない父に告げ、悠は椅子から立ち上がった。ベッドを通り過ぎ、病室の扉に手をかける。
 その時、
「悠」
 懐かしい声で名前を呼ばれた。悠は足を止めて、扉から手を放し、勢いよく振り返る。視線の先には、手を覚まし、真っ直ぐに自分を見つめる父の姿があった。父の両の瞳には、以前までの闇がない。10年前の事件以前と同じ、優しくも芯の強い光が宿っていた。
「お父・・さん・・・・?」
 夢か幻か、と思い固まっていた悠だったが、すぐに先生を呼んでくると言って出て行った。すぐに医師と看護師が駆けつけ、悠月の容体を見つつ彼の言葉を交わす。
「驚きました。ここまで意識が明瞭に回復するとは・・・」
「そうですね。私も自分で驚いています」
 穏やかな物腰で医師と言葉を交わす悠月は、霞が晴れたように微笑んでいた。悠は涙を堪えながらその様子を見つめ、2人の会話を聞いている。
「先生。駆けつけてくださったばかりの時に申し訳ないのですが、息子と2人で話をさせてくれませんか?」
「ええ、ええ、もちろんです。いくらでもお話しなさってください」
 医師もまた、涙ぐみながら言った。看護師の瞳にもわずかに溜まった涙が見える。2人が退室すると、悠月は改めて息子を見た。
「そんなに遠くにいないで、さっきみたいにここへ座りなさい」
 悠月は微笑んだまま、まだ温かみが残る椅子を叩いた。悠は目を丸くする。
「起きてたの?」
「それも含めて、話をしよう。さ、おいで」
 丁度良い角度に調節されたベッドに、悠月は上半身を預けていた。悠は頷き、ぎこちない足取りで椅子に腰掛ける。


 それは、実に10年ぶりの、父と息子の対面だった。しばし沈黙が流れていたが、先に口を開いたのは悠月だった。
「今度ここへ来るのは、私が死んだ時にしなさい」
「・・・・えっ?」
 わずかな間を開け、悠は驚きを漏らした。しかし、悠月は全く動じず、言葉を続ける。
「私のことなど気にせず、やりたいことをやりなさい。
 その話をするために、きっと私は目覚めたのだから」
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