殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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68 人の心は

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「全て日野下家が起こしたことです」
 日野下の唐突な報告に、翔一郎は食器を下げる手を止めた。日野下は無言で翔一郎が使った食器を取り、水につけて洗い始める。その間、2人とも口を聞かなかった。
「どういうことなの? 日野下さん」
 やっとのことで翔一郎が尋ねたのは、洗い物が終わった時だった。日野下は目を細め、翔一郎の前に座り直し、彼を見据える。
「翔一郎様もご存知の通り、日野下家が使用人となったのは、水守家と関わったためです。しかし、実を申しますと、それ以前に両家が不仲だったわけではございません。持ちつ持たれつ、やっていたのです」
「えっ? ずっと仲が悪くて、今に至ってるんじゃないの?」
 日野下は静かに否定を示した。彼は年相応の皺が現れている両手を組み、続ける。
「考えてみてくださいませ。
 水守家は、初代から政治に関わって来た家です。対して、火宮家は医療。少しでも政治的声明を保たせるためには、実力はもちろんですが、健康である必要があります。そのためには、腕のいい医者が必要となる。そう考えた時、水守家にとって火宮家は欠かせない存在であり、火宮家にとって水守家は家名を高めるための存在となる。加えて、氷上家と雪坂家は司法を席巻しています。
 ここまで来れば、お分かりでしょう。両家は敵対するより、持ちつ持たれつの関係である方が互いに徳をするのです。にも関わらず、対立している。妙だと思いませんか?」
 日野下の言う通りだった。いくら家名を高める目的があるとはいえ、治療には腕のいい医者である方が良いに決まっている。対して、水守家の恩恵を受けることは、家を重視する火宮家にとって、この上なく都合が良いのだ。対立は悪手だった。
「確かに・・・おかしい。でも、一体何があって不仲になったの? 何代も続くほど大きなこと?」
 その瞬間、日野下の顔が歪んだ。正確には、どこか小馬鹿にするような笑みを浮かべた。彼のそんな表情は見たことがなかったので、翔一郎はわずかに驚く。
「大きなことです。少なくとも、医者を生業にする日野下家としては」
 翔一郎はその発言を反芻はんすうし、ハッとした。結論に至るなり、彼は青ざめ、先を口にすることを躊躇う。日野下はそんな様子の彼を気遣ってか、ゆったりとした口調で言った。
「医療ミスです。当時の日野下家の当主が、水守家の跡取りの手術をしていた際、誤って血管を切ってしまった。出血多量で助からず、事態を知った水守家は当然裁判を起こしました。当然のことです」
 それは、医者としてあってはならないことだった。しかし、日野下は「ですが」と続ける。なぜか語気が強まっていた。
「裁判では情状酌量の余地があるとされました。理由は、過労死手前の勤務状況。
 当時、火宮家は大きくなり始めた頃で、分家も小さなものだった。そんな中、水守家に気に入られて開けた出世の道を逃す手はありませんでした。そこで、火宮家は分家に出来うる限り高度の医療技術を有する医師を勤務させることを求め、必然的に分家の当主や跡取りの負担が増えていきました。火宮家以外の医師との確執は深まりしたが、そんなことを気にしている時間はなかった。本家の、火宮家の願いに応えることが、分家に求められた生き方だったからです」
 その考えは、今も生きていた。本家たる火宮家の人間は、分家というだけで見下し、顎で使い、しかし医術は高度かつ繊細を求め、負担を押し付ける暗黒の歴史。権力を求める心が、家を壊していったと日野下は告げた。
「連続勤務日数が数えられなくなるほどで、仮眠をとる時間も家に帰る時間もなく、治療をこなしていた日野下家当主の現状は、世に広く知られました。もちろん、医療ミスから逃れるための言い訳と捉える人々もおりましたが、大多数が職場の勤務形態改善をするべきだと訴えた。医療現場に限らず、同じような想いを抱く人々が多かったのでしょうね。
 しかし、水守家にとってそれらは、全て火宮家の都合です。跡取りの命が奪われたことに変わりはなく、医療ミスであることは事実です。血の繋がりで全てを支配する水守家にとって、血縁が不用意に欠けることは避けたかった。だからこそ、腕のいい医者を選んだのです。それが失敗に終わったと、水守家は捉えたことでしょう」
「・・・・裁判はどうなったの?」
「水守家が勝ちました。火宮家を介して莫大な賠償金を支払うことで決着を。幸か不幸か、逮捕には至らなかったと聞いています。
 しかし、火宮家にとっては大失敗であり大恥です。だからこそ日野下家から医者の職を取り上げ、使用人として尽くすことを誓わせた。2度と同じ失敗を繰り返さないために、失敗をする人間を許さなくなった。失敗をした瞬間、医者でいられなくなることを知らしめたのです」
 水守家の言い分は通っていた。どんな理由であれ、身内の命が奪われたことは変わらない。多少の譲歩はしても、不起訴にさせはしない、との決意が見えてくるようだった。司法を分家に席巻させていたのだから、やりやすいだろう、とも感じた。
「10年前の事件が起こった時、私は奇妙な因果を感じました。火宮家の人間が、水守家の跡取りを殺す。過去と、まるで同じことが起こったのですから。不謹慎とは思いましたが、そう思わざるを得ませんでした」
 翔一郎は俯いた。彼の頭には、10年前の裁判で泣き叫ぶ拓司の姿があり、当時の水守家の人々も同じ気持ちだったのかと思うと、取り返しのつかないことを2度やっているという事実に、首を絞められているような心地がした。
「それ以来、水守家と火宮家は対立の一途をたどりました。しかし10年前、水守家の後継が続けて亡くなり、火宮家も混乱のため一時地の底に落ち、目に見えて対立することは無くなりました。
 ですが、心の奥では続いている。言い伝えられている。だからこそ昔より落ちぶれた今も、対立は終わらないのです。しかし同時に、両家は復活しました。水守家は氷上家に地位を譲ることで、火宮家は当主の弟の血筋に当主の座を譲ることで」
 そこまでまで言うと、日野下は再び小馬鹿にするような笑みを浮かべた。肩をすくめ、どこか悲しげな、しかし呆れたように言う。
「その成り行きを見て、人の心とは、何と残酷なものなのかと思いました。どれだけ過去の傷が大きく、それを知っていても、その場にいなかった以上、それは過去以上のものにならない。やがて忘れ去られ、言い伝えられた曖昧な情報だけが残り、対立という形だけを繰り返す。
 翔二郎様も司殿も、そのような両家の現状に振り回されたと言えるのかもしれません。親友でありながら直接顔を合わすことが難しく、兄弟揃って会うだけのことも禁止された背景から伺えます。
 時を経て、過去の過ちが未来ある若者2人の命を奪った。10年前も今も、私はそう思い続けていますよ」
 重たい沈黙が流れた。日野下家の起こしたことは、当事者である水守家からすれば許し難いことである。しかし、日野下家が医療ミスを起こした背景には、火宮家からの重圧と支配があった。そこは同情すべき点なのだが、水守家には関係がない。そんな思いから、対立は終わらなかった。
 そんな現状を変えようとしたのが、司と翔二郎。しかし、2人は死んだ。皮肉にも、翔二郎が司を殺害するーーーー日野下家の時と、似たような形によって。その皮肉さが、2度と両家が元に戻らないと示しているようでもあった。
 やがて、日野下は弱々しい笑みを浮かべて口を開く。
「この話を伝えられた結果、どう判断されるかは自由です。憎悪があるなら受けましょう。いずれにせよ、これが全ての始まりなのです」
 翔一郎の現状に気がつきつつも、日野下は深入りしなかった。彼の様子は、ただの気遣い以上に、家が関わることへ関わりたくないーーーーそのような切実さが透けていた。
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