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61 あなたのためなら
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「幼い頃から、悠は父親と同じく頭が良く、インターネット技術に優れていた。だからこそ、とでも言うべきか。あいつは1人で父親の起訴内容である“妻への家庭内暴力”の件を調べて事実無根と突き止め、母親と間男のでっち上げだと確信した。それが7歳でできたんだ。父親から教えられたことが一因だったとしても、父親を凌ぐ優秀さを秘めていたのは確かだな」
蒼一は言葉を止め、ウイスキーを飲んだ。拓司は目を瞬かせ、気にかかることを口にする。
「悠って名前は、ただの偽名だと思ってた。でも、違うんだな。お父さんの名前の漢字を、一文字もらったんだな」
「間違ってはいないが、正しいとも言えないな。その話は、悠が父親は無実だと突き止めた後のことになる」
※
出所した悠月は、小さいがIT企業に再び就職して働いていた。友人からの紹介だった。友人たちは皆、彼が暴力を振るった話を信じておらず、できる限り和馬の近況を伝えるなどして彼に協力していた。しかし、出所の数ヶ月前に突如藤崎一家が引っ越したため、居場所が分からなくなり、和馬の現在は不鮮明だった。
虚しい日々が2年ほど続いた。悠月の人生に希望が現れたのは、その年の誕生日のことだった。仕事から帰宅すると、小学生くらいの少年が玄関前に佇んでいたのである。その少年を見た瞬間、悠月は夢を見ているのかと錯覚した。
「和馬・・・?」
待っていたのは和馬だった。左手には何かの紙袋を持ち、右手でスマートフォンを弄っている。彼は父親に気がつくなり、今にも泣き出しそうな顔で「お父さん!」と叫び、数年ぶりの抱擁を交わした。
「信じられない・・・また会えるなんて」
悠月は既に泣いていた。和馬もまた、涙が堪えきれないようだった。悠月は「寒かっただろう」と言って家に入れ、ホットココアを渡した。好物は覚えていた。
「どうやってここが分かったんだ? 2年くらい前に、藤崎家は引っ越して、居場所が分からなくなっていたのに」
「自分で突き止めたんだよ。すごいでしょ? 将来、お父さんと同じ仕事がしたくて、勉強してるんだ。その成果かな」
「ああ、すごい。でも和馬・・・こんな時間に大丈夫なのか? 今、どこに住んでるんだ? 温まったら車で送るから・・・・」
「今日は帰らない。泊まるよ。そうじゃなきゃ意味ないもん」
そう言いながら、和馬は机に置いた紙袋から小さな箱を取り出した。まさか、と思って箱を開けると、中には小さめのホールケーキが入っていた。
「誕生日おめでとう、お父さん。間に合って良かった」
「・・・・このために、私の居場所を?」
「それもあるけど、会いたかったんだよ。あんな風に別れるなんて、思ってもみなかったから。ほら、一緒に食べよう?」
再び涙を流しつつ、悠月は頷いて夕食とケーキを食べた。数年ぶりの息子との食事だった。
食事を終えてどちらも満腹になった時、悠が言った。
「DV、冤罪でしょ。あの2人が、お父さんを追い出すためにでっち上げた。お父さんが、ボクを犯罪者の息子にしないために、離婚するって分かってたから」
「ああ。でも、過ぎたことだ。もう1度和馬に会えたんだから、私は・・・」
「ううん、ボクは許さないし、許せない。だから、報復したんだよ」
不穏な言葉選びに、悠月は顔を曇らせた。和馬はしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げ、告げる。
「でっち上げだと世間にバラした。会社の不正を見つけて世間に突きつけた。会社は倒産して、借金に追われた。夜逃げ同然で引越しをした。
全部全部、ボクが仕掛けた。出来事は事実だから、嘘はついてない。崩れるべきものが崩れて、報いを受けるべき人間が報いを受けただけだ」
鈍い音がした。和馬は驚くことなく、平手打ちが当たった頬を押さえることもせず、真っ直ぐに父親を見つめた。彼は、許されないことをした自覚がありつつ、そうすることしでか自分を救えなかったと理解していた。
悠月もまた、聡明な息子が理解していることを理解していた。だからこそ、平手打ちに意味はなく、それでもそうしなければならないと思った。
「ボクはお父さんと一緒にいたい。でも、許せないならあの家に戻る。どちらでもいいんだ。お父さんに会えただけでも、ボクは嬉しいから」
和馬は微笑んだ。そんな笑みを見せられて、放っておける悠月ではなかった。和馬は母親と同じことをしている自分に虫唾が走ったが、それ以外で父親を繋ぎ止める手段が分からなかった。
数秒の後、悠月は強く息子を抱きしめた。
「“悠”。2人だけの時は、そう呼んでもいいかい? 和馬という名前は、柚の恋人の名前だと、事件の後に知ったんだ。もちろん知っているだろう。だからこそ、2人だけの時は変えよう。これからは、2人一緒に生きていくから」
悠は涙ながらに頷いた。名前の由来を知った時、彼は自分の存在を許さなくなっていた。だが今やっと、新しい存在となって生まれ変わった。父親が生まれ変わらせてくれたことが、彼は何よりも嬉しかった。
「ただし悠、1つ約束しなさい。今回やったようなことは、もう2度とやったらダメだ。私もめいいっぱい働いて、不自由させないようにする。だから、もうやめなさい」
ゆびきりげんまんをした。それは心からの約束だった。
その約束が長く続くことはなかった。なぜなら、10年前の事件が起きた時、正確に言えば司が死んだ時、悠月は病床に伏したからである。
※
「そこから先はお前が知る通りだ。司との出会いの詳細は、俺も聞いていない。司からは『もう1人の弟のような子ができた』、悠からは『恩人だから』、としか」
沈黙が流れた。拓司は差し出されたホットミルクを飲み、息を吐く。
「悠兄にとってのお父さんは、悠月さんだけ。だからこそ、戸籍が藤崎和馬でも、“風口悠”と名乗った。悠兄にとっては、それこそが自分の名前だったから」
蒼一は頷いた。無意識のうちに“悠兄”と呼んだのは、拓司もまた、幼い頃に思いを馳せていたためだった。
「父親のために犯罪をした息子と、息子が犯罪者になったと知りながら変わらず愛を注ぐ父親。世間一般に見れば間違っているのかもしれないが、2人にとっては正しかった。現にその後、悠が藤崎の家に姿を見せたのは母親の葬儀の時だけだ。そして、遺産として譲られた家の1つに、今俺たちが集まっているあの家に、変わらず父親と暮らした。10年前の事件が起こるまでは」
拓司は目を細めた。子のために、親のために、人生を懸け続ける2人は、どうしようもなく眩しかった。自然と涙が落ちるほどに。
鼻を啜りながら、拓司は言った。
「分岐点だったんだな。10年前の事件は、大勢の人間の、人生の分岐点だった。分岐点を経て、予想もしなかった道に放り出されて、俺たちはここにいるんだ。10年前の事件の時から、ずっと」
涙を流す拓司の言葉に、蒼一は無言で頷いた。
掛け時計の針だけが進み続け、時の経過を知らせていた。
蒼一は言葉を止め、ウイスキーを飲んだ。拓司は目を瞬かせ、気にかかることを口にする。
「悠って名前は、ただの偽名だと思ってた。でも、違うんだな。お父さんの名前の漢字を、一文字もらったんだな」
「間違ってはいないが、正しいとも言えないな。その話は、悠が父親は無実だと突き止めた後のことになる」
※
出所した悠月は、小さいがIT企業に再び就職して働いていた。友人からの紹介だった。友人たちは皆、彼が暴力を振るった話を信じておらず、できる限り和馬の近況を伝えるなどして彼に協力していた。しかし、出所の数ヶ月前に突如藤崎一家が引っ越したため、居場所が分からなくなり、和馬の現在は不鮮明だった。
虚しい日々が2年ほど続いた。悠月の人生に希望が現れたのは、その年の誕生日のことだった。仕事から帰宅すると、小学生くらいの少年が玄関前に佇んでいたのである。その少年を見た瞬間、悠月は夢を見ているのかと錯覚した。
「和馬・・・?」
待っていたのは和馬だった。左手には何かの紙袋を持ち、右手でスマートフォンを弄っている。彼は父親に気がつくなり、今にも泣き出しそうな顔で「お父さん!」と叫び、数年ぶりの抱擁を交わした。
「信じられない・・・また会えるなんて」
悠月は既に泣いていた。和馬もまた、涙が堪えきれないようだった。悠月は「寒かっただろう」と言って家に入れ、ホットココアを渡した。好物は覚えていた。
「どうやってここが分かったんだ? 2年くらい前に、藤崎家は引っ越して、居場所が分からなくなっていたのに」
「自分で突き止めたんだよ。すごいでしょ? 将来、お父さんと同じ仕事がしたくて、勉強してるんだ。その成果かな」
「ああ、すごい。でも和馬・・・こんな時間に大丈夫なのか? 今、どこに住んでるんだ? 温まったら車で送るから・・・・」
「今日は帰らない。泊まるよ。そうじゃなきゃ意味ないもん」
そう言いながら、和馬は机に置いた紙袋から小さな箱を取り出した。まさか、と思って箱を開けると、中には小さめのホールケーキが入っていた。
「誕生日おめでとう、お父さん。間に合って良かった」
「・・・・このために、私の居場所を?」
「それもあるけど、会いたかったんだよ。あんな風に別れるなんて、思ってもみなかったから。ほら、一緒に食べよう?」
再び涙を流しつつ、悠月は頷いて夕食とケーキを食べた。数年ぶりの息子との食事だった。
食事を終えてどちらも満腹になった時、悠が言った。
「DV、冤罪でしょ。あの2人が、お父さんを追い出すためにでっち上げた。お父さんが、ボクを犯罪者の息子にしないために、離婚するって分かってたから」
「ああ。でも、過ぎたことだ。もう1度和馬に会えたんだから、私は・・・」
「ううん、ボクは許さないし、許せない。だから、報復したんだよ」
不穏な言葉選びに、悠月は顔を曇らせた。和馬はしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げ、告げる。
「でっち上げだと世間にバラした。会社の不正を見つけて世間に突きつけた。会社は倒産して、借金に追われた。夜逃げ同然で引越しをした。
全部全部、ボクが仕掛けた。出来事は事実だから、嘘はついてない。崩れるべきものが崩れて、報いを受けるべき人間が報いを受けただけだ」
鈍い音がした。和馬は驚くことなく、平手打ちが当たった頬を押さえることもせず、真っ直ぐに父親を見つめた。彼は、許されないことをした自覚がありつつ、そうすることしでか自分を救えなかったと理解していた。
悠月もまた、聡明な息子が理解していることを理解していた。だからこそ、平手打ちに意味はなく、それでもそうしなければならないと思った。
「ボクはお父さんと一緒にいたい。でも、許せないならあの家に戻る。どちらでもいいんだ。お父さんに会えただけでも、ボクは嬉しいから」
和馬は微笑んだ。そんな笑みを見せられて、放っておける悠月ではなかった。和馬は母親と同じことをしている自分に虫唾が走ったが、それ以外で父親を繋ぎ止める手段が分からなかった。
数秒の後、悠月は強く息子を抱きしめた。
「“悠”。2人だけの時は、そう呼んでもいいかい? 和馬という名前は、柚の恋人の名前だと、事件の後に知ったんだ。もちろん知っているだろう。だからこそ、2人だけの時は変えよう。これからは、2人一緒に生きていくから」
悠は涙ながらに頷いた。名前の由来を知った時、彼は自分の存在を許さなくなっていた。だが今やっと、新しい存在となって生まれ変わった。父親が生まれ変わらせてくれたことが、彼は何よりも嬉しかった。
「ただし悠、1つ約束しなさい。今回やったようなことは、もう2度とやったらダメだ。私もめいいっぱい働いて、不自由させないようにする。だから、もうやめなさい」
ゆびきりげんまんをした。それは心からの約束だった。
その約束が長く続くことはなかった。なぜなら、10年前の事件が起きた時、正確に言えば司が死んだ時、悠月は病床に伏したからである。
※
「そこから先はお前が知る通りだ。司との出会いの詳細は、俺も聞いていない。司からは『もう1人の弟のような子ができた』、悠からは『恩人だから』、としか」
沈黙が流れた。拓司は差し出されたホットミルクを飲み、息を吐く。
「悠兄にとってのお父さんは、悠月さんだけ。だからこそ、戸籍が藤崎和馬でも、“風口悠”と名乗った。悠兄にとっては、それこそが自分の名前だったから」
蒼一は頷いた。無意識のうちに“悠兄”と呼んだのは、拓司もまた、幼い頃に思いを馳せていたためだった。
「父親のために犯罪をした息子と、息子が犯罪者になったと知りながら変わらず愛を注ぐ父親。世間一般に見れば間違っているのかもしれないが、2人にとっては正しかった。現にその後、悠が藤崎の家に姿を見せたのは母親の葬儀の時だけだ。そして、遺産として譲られた家の1つに、今俺たちが集まっているあの家に、変わらず父親と暮らした。10年前の事件が起こるまでは」
拓司は目を細めた。子のために、親のために、人生を懸け続ける2人は、どうしようもなく眩しかった。自然と涙が落ちるほどに。
鼻を啜りながら、拓司は言った。
「分岐点だったんだな。10年前の事件は、大勢の人間の、人生の分岐点だった。分岐点を経て、予想もしなかった道に放り出されて、俺たちはここにいるんだ。10年前の事件の時から、ずっと」
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