殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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59 よくある話

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「珍しいな」
 煙草の煙を吐く悠を見て、蒼一は呟いた。悠は苦笑いを浮かべ、「吸わないとやってられないよ」と溢す。
「普段は酒も煙草も嗜んでないだろ。味は好きじゃないって、成人した時に言ってた」
「よく覚えてるね。ま、それに加えて、拓司の健康にも悪いからさ。酔っ払って帰るのも煙草の匂いつけて帰るのも、未成年には見られたくないじゃん?」
「年上の意地か」
「正解。でも、今日くらいはいいかなって」
 悠はカウンター席の背もたれに体を預けた。一路は笑い、作り終えたフルーツ酒を置く。お礼を言って受け取ると、悠は少しだけ飲んだ。
「美味しい」
「そりゃ何より。アルコールそこまで強くないやつはフルーツ酒飲むからな。覚えるに越したことはないさ」
 3人はしばらく談笑していた。すると、少し酔いが回ったのか、悠はほんのりと頬を赤く染めながら、口を開いた。
「身内の死には涙を流すべきなのかな。ボクはあの時、泣けなかったよ」
 独り言のようだったが、明らかに2人へ尋ねていた。その証拠に、視線は交互に2人へ注がれていた。
「育ててくれてありがとう、とか、産んでくれてありがとう、とか、よく聞くじゃん。それで、親は喜んで、みたいな話。ボクは、そんなことを言うべきだったのかな。そうしたら、何か・・・・」
「変わったと?」
 蒼一が言葉を引き継いだ。悠は曖昧に頷く。その曖昧さが、何も変わらなかったことを理解して肯定していた。蒼一は続ける。
「子供が無条件で親を愛するーーーーそんな馬鹿な話はない。愛情を与えない親を愛して何になる? 愛していない人間の死に、人は涙なんて流せない。本物に見えたら大した役者だ。
 お前が涙を流せなかったことは、決して悪いことなんかじゃない。俺だって涙なんて流さなかった。何も与えなかった両親の死に、何も感じられなかったからな。生きていようが死んでいようが、俺には何の関係もなかった。
 お前もそうだったんじゃないのか?」
「・・・・うん。そうだったよ。でも、今回は涙が出たんだ。余命の2文字を告げられて、どうしようもなく悲しかった」
「いいことじゃねえか」
 一路が明るく応じた。しかし、悠は表情を曇らせる。
「でもボクはお父さんの息子じゃない。身内じゃないよ」
「身内だろ。お前とお前の親父さんは、間違いなく親子だし、親子に見えた」
「それは・・・嬉しいけど・・・・でも、お父さんは前に、“君の父親じゃない”って、言ったよ。だから・・・・」
「“父親じゃない”と“息子じゃない”は違うんじゃねえか? もし親父さんが“君は息子じゃない”って言ったら、お前を息子として拒絶していると考えられる。だが“君の父親じゃない”って言うのは、父親である自分自身を否定しているように聞こえるけどな。 
 言い換えるなら、後者はお前を1人の人間として見た上で、父親である自分を切り離しているって感じか。何にせよ、お前を嫌っているとは思えないな」
 一路の言葉に蒼一は同意した。悠は目を瞬かせ、やがて「そうなのかな」と呟く。彼は静かに目を瞑り、気持ちを落ち着かせるように息を吐いた。目を開けると、目尻に少し、涙が溜まっていた。
「そうあって欲しいから、そう思っていようかな」
 微笑を浮かべた悠は気持ちの整理がついたようだった。カウンターに肘をつき、残ったフルーツ酒を飲み干す。彼は笑みを浮かべたまま続けた。
「よく考えたら、不思議な話じゃないよね。なんて、よくある話だ」
「見えないだけでそこいらに転がってるな。
 悠は目を見開いて一路を見た。彼は以前、一路のことを調べたが、情報屋の経験を持ってしても、なぜか情報が得られず、しかし信頼はできると考えて調査を止めていた。隠す理由があると思っていたので、ギョッとしたのだ。
「そう、なんだ。一路さんは、どう思ったの? 不倫を知った時」
「何か思った記憶はないな。世間から何言われたって、生まれたものは仕方ないだろ? 子供は親がいて生まれるんだ。生まれたことを責められたって、子供に責任なんてねえよ。文句は親に言えって話だ」
 その発言は悠の後ろめたさを振り払った。また、誰かに同じ言葉を言ったことがあるのだろうと悠は思った。しかし、それ以上は分からなかった。一路は時に、蒼一よりも本心の読めないことがあり、今がそうだった。


 それから、再び3人は談笑していたが、悠は疲労からか、酔いが完全に回ったからか、自分の両腕に顔をうずめて眠ってしまった。蒼一が呼びかけて体を揺さぶったが目を覚まさず、深い眠りについているようだった。
「帰りに送ってやれるか、一路」
「ああ。しっかし、そんなに強くねえのに飲んじまって。やけ酒は体に悪いってのによ。まだまだ、子供だな」
 一路は1度奥へ引っ込むと、毛布を持って戻って来た。蒼一は受け取って悠の肩にかけ、空になったグラスをカウンターに置いた。
 その時、足音が聞こえた。随分遅い時間だったので、2人は眉をひそめて顔を見合わせる。しかし、足音が近づいてくるに連れ、2人はハッとした。同時に、バーの扉が開く。
「拓司」
 帽子にマスク、マフラーをつけていたが、2人はすぐに分かり、揃って名前を呼んだ。拓司は勢いよく自分の首から上を覆っているものを外し、白い息を吐く。
「危険なことしてごめん。悠、ここだと思って。遅くなるって聞いてたんだけど、心配になって思わず」
 マフラーを畳みながら拓司は悠の隣に腰掛けた。彼の前にある灰皿と吸い終えた煙草、カウンターに置かれたグラスを見て、拓司は目を瞬かせる。煙草も酒も、嗜まないと思っていた故の驚きだった。しかし、すぐに全てを理解したのか、真顔になる。
「・・・・叔父さん。悠のこと、教えて欲しい。断片的にしか知らないから」
 普段であれば本人の許可なく話さない蒼一だったが、2人の間柄なら構わないだろうと思い至り、頷いた。



 そうして、蒼一は静かに語り始めた。父親への思慕を抱き続ける、1人の青年の半生を。
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