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57 招いた大罪
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罵倒。
何を言っているのかは分からない。きっと相手もそうだろう。ただ、罵りたいという気持ちだけが伝わってくる。
嗚咽。
声が潰れるのほどの慟哭より、苦しげだった。身体中の水分が涙に変わっているのではないか、とまで思う。
また罵倒。
やはり何を言っているのか分からない。でも、先程よりも声に鋭さがある。少しずつだけれど、言っていることが分かってきた。同時に、私の頭が言葉を受け入れていなかっただけだと、分かった。
続く嗚咽。
まるで山びこのようだった。いつまでも響いて、耐えることがない。普通なら気がおかしくなりそうなのに、そうはならなかった。私の心は、どこまでも冷え切っていた。人とは思えないほどに。
永遠と繰り返されていた罵倒と嗚咽が、突然止んだ。不思議に思って視線を動かすと、カーテンの隙間から朝日が燦々と差し込んでいるのが見えた。
「・・・・夢・・・」
消え入るような声で呟き、体を起こした。パジャマになって、ベッドに入って眠ったようだった。でも、昨夜どうやって風口君の家から戻り、入浴と食事を済ませて眠ったのか、記憶がない。今私の記憶にあるのは、罪を犯した瞬間と、その後のことだけ。夢と現実が混同して、頭が働いていなかった。
けたたましくアラームが鳴り、軽い舌打ちをして止めた。日付と時間を確認し、眉間を揉んで、ようやく現実だと理解する。随分時間がかかった。
「仕事か」
深い溜息が漏れた。梅雨の時期のように頭痛がして、汗ばんでいる。気持ちが悪いのでシャワーを浴び、空腹を感じていない腹に朝食を詰め込んだ。身支度をして車に乗り、警視庁へ向かう。そんないつも通りの行動が、酷く現実離れしているように感じた。
理由は分かりきっていた。罪を犯した瞬間とその後が、ずっと纏わりついていたからだ。でも同時に、ずっと忘れていたのだと理解して、つくづく自分に嫌気がさした。今日の日付を思い出し、病院に行く日が近いことに気がついた。
ーーーー門前払いを食らうだけなのに、物好きだね。
以前、風口君に言われた言葉が蘇る。全くもってその通りだ。この10年、病室に辿り着いたことはない。病室の番号は知っているけれど、1人で訪ねる勇気はないし、流石に失礼だ。これもまた、逃げだろうか。
ーーーー透けて見えるんだよ。
言葉に棘があるけれど、全て正しい。きっと彼は、私の浅ましい心を見抜いた。だから怒った。同じ失敗を繰り返すと気がついたから、彼は止めた。それは彼自身のためだけれど、止めてくれたことは、ありがたい。そうでなければ、私は同じ失敗を繰り返すところだった。
ーーーー兄貴さ、それ、やめたほうがいいぜ。俺は別にいいけど、他の人は違うと思う。
翔二郎にも、そんなことを言われたな。でも、結局ダメだった。だから私は・・・・
「火宮さん」
名前を呼ばれ、翔一郎は我に帰った。眼前には、申し訳なさそうに眉を下げる受付の女性が立っている。彼は意味を理解し、「そうですか」と呟いた。
「申し訳ございません。事情はお話ししているのですが・・・・」
「いえ、わざわざありがとうございました。失礼します」
翔一郎は花束を袋に入れ、踵を返した。溜息は出なかったが、再び頭痛がした。彼は鬱陶しい頭痛から意識を逸らすため、頭を動かして右手にある廊下を見た。瞬間、見覚えのある青年の姿が映る。
悠だった。彼は医師と何かを話しながら廊下を歩き、時折悲しげな表情を見せた。話している内容は聞こえないが、いい話でないことは表情から読み取れた。
「分かりました。もう少し頻繁に足を運ぶようにします」
それだけが、やけにはっきりと聞こえた。悠は医師と別れると、ようやく翔一郎に気がついたらしく、周囲に悟られない程度に、顔を歪めた。早足でロビーを通り過ぎて入口を潜り、しかし足を止め、前見た時と同じように、視線を上に動かし、どこかを見つめていた。
翔一郎は躊躇いがちに歩き出して入口を潜り、悠の傍を通り過ぎた。
「赦されたいの?」
悠が尋ねた。周囲には聞こえないほど小さな声だった。翔一郎は眉を顰めて答える。
「そうだろうね。これも無意識だ」
「そんなんだから、同僚に恨まれるんだよ。弟に忠告されたくせに、直せなかったなんてね。結局、無意識のうちにやることが、キミの中では正しいことなんだろ? 言い換えるなら、必要なことだ。キミのそういうところ、蒼一さんとよく似てるよ。
誰よりも人の気持ちが分かるのに、分からなくて、無意識のうちに、稀に、自分本位な考えになるところ。キミにとっては、罪を犯した理由だ」
どこまでも正直で正しい発言に、翔一郎は苦笑した。それしかできなかった。
「土壁警部補と話して、可能な限り情報を渡すよ」
話題を変えて告げた。悠は苛立ちを示すことなく、平淡な声で応じる。
「そうしてくれると助かる。拓司もボクも、自由は限られているから」
2人は別れの挨拶を交わすことなく、それぞれの帰路についた。各々の過去の罪に、心を馳せながら。
何を言っているのかは分からない。きっと相手もそうだろう。ただ、罵りたいという気持ちだけが伝わってくる。
嗚咽。
声が潰れるのほどの慟哭より、苦しげだった。身体中の水分が涙に変わっているのではないか、とまで思う。
また罵倒。
やはり何を言っているのか分からない。でも、先程よりも声に鋭さがある。少しずつだけれど、言っていることが分かってきた。同時に、私の頭が言葉を受け入れていなかっただけだと、分かった。
続く嗚咽。
まるで山びこのようだった。いつまでも響いて、耐えることがない。普通なら気がおかしくなりそうなのに、そうはならなかった。私の心は、どこまでも冷え切っていた。人とは思えないほどに。
永遠と繰り返されていた罵倒と嗚咽が、突然止んだ。不思議に思って視線を動かすと、カーテンの隙間から朝日が燦々と差し込んでいるのが見えた。
「・・・・夢・・・」
消え入るような声で呟き、体を起こした。パジャマになって、ベッドに入って眠ったようだった。でも、昨夜どうやって風口君の家から戻り、入浴と食事を済ませて眠ったのか、記憶がない。今私の記憶にあるのは、罪を犯した瞬間と、その後のことだけ。夢と現実が混同して、頭が働いていなかった。
けたたましくアラームが鳴り、軽い舌打ちをして止めた。日付と時間を確認し、眉間を揉んで、ようやく現実だと理解する。随分時間がかかった。
「仕事か」
深い溜息が漏れた。梅雨の時期のように頭痛がして、汗ばんでいる。気持ちが悪いのでシャワーを浴び、空腹を感じていない腹に朝食を詰め込んだ。身支度をして車に乗り、警視庁へ向かう。そんないつも通りの行動が、酷く現実離れしているように感じた。
理由は分かりきっていた。罪を犯した瞬間とその後が、ずっと纏わりついていたからだ。でも同時に、ずっと忘れていたのだと理解して、つくづく自分に嫌気がさした。今日の日付を思い出し、病院に行く日が近いことに気がついた。
ーーーー門前払いを食らうだけなのに、物好きだね。
以前、風口君に言われた言葉が蘇る。全くもってその通りだ。この10年、病室に辿り着いたことはない。病室の番号は知っているけれど、1人で訪ねる勇気はないし、流石に失礼だ。これもまた、逃げだろうか。
ーーーー透けて見えるんだよ。
言葉に棘があるけれど、全て正しい。きっと彼は、私の浅ましい心を見抜いた。だから怒った。同じ失敗を繰り返すと気がついたから、彼は止めた。それは彼自身のためだけれど、止めてくれたことは、ありがたい。そうでなければ、私は同じ失敗を繰り返すところだった。
ーーーー兄貴さ、それ、やめたほうがいいぜ。俺は別にいいけど、他の人は違うと思う。
翔二郎にも、そんなことを言われたな。でも、結局ダメだった。だから私は・・・・
「火宮さん」
名前を呼ばれ、翔一郎は我に帰った。眼前には、申し訳なさそうに眉を下げる受付の女性が立っている。彼は意味を理解し、「そうですか」と呟いた。
「申し訳ございません。事情はお話ししているのですが・・・・」
「いえ、わざわざありがとうございました。失礼します」
翔一郎は花束を袋に入れ、踵を返した。溜息は出なかったが、再び頭痛がした。彼は鬱陶しい頭痛から意識を逸らすため、頭を動かして右手にある廊下を見た。瞬間、見覚えのある青年の姿が映る。
悠だった。彼は医師と何かを話しながら廊下を歩き、時折悲しげな表情を見せた。話している内容は聞こえないが、いい話でないことは表情から読み取れた。
「分かりました。もう少し頻繁に足を運ぶようにします」
それだけが、やけにはっきりと聞こえた。悠は医師と別れると、ようやく翔一郎に気がついたらしく、周囲に悟られない程度に、顔を歪めた。早足でロビーを通り過ぎて入口を潜り、しかし足を止め、前見た時と同じように、視線を上に動かし、どこかを見つめていた。
翔一郎は躊躇いがちに歩き出して入口を潜り、悠の傍を通り過ぎた。
「赦されたいの?」
悠が尋ねた。周囲には聞こえないほど小さな声だった。翔一郎は眉を顰めて答える。
「そうだろうね。これも無意識だ」
「そんなんだから、同僚に恨まれるんだよ。弟に忠告されたくせに、直せなかったなんてね。結局、無意識のうちにやることが、キミの中では正しいことなんだろ? 言い換えるなら、必要なことだ。キミのそういうところ、蒼一さんとよく似てるよ。
誰よりも人の気持ちが分かるのに、分からなくて、無意識のうちに、稀に、自分本位な考えになるところ。キミにとっては、罪を犯した理由だ」
どこまでも正直で正しい発言に、翔一郎は苦笑した。それしかできなかった。
「土壁警部補と話して、可能な限り情報を渡すよ」
話題を変えて告げた。悠は苛立ちを示すことなく、平淡な声で応じる。
「そうしてくれると助かる。拓司もボクも、自由は限られているから」
2人は別れの挨拶を交わすことなく、それぞれの帰路についた。各々の過去の罪に、心を馳せながら。
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