殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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56 潰えぬ火種

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 蒼一の報告に春海は失笑した。ワイングラスをテーブルに置き、正面に座る蒼一を見つめる。
「あなたにしては適当な嘘をついたわね。バレないなんて運のいいこと。口が滑ったの?」
「いや、火宮の反応を見たかっただけだ。別段、怪しんでいる様子はなかったな。
 何にせよ、10年前の事件の不審な点は、あらかた“家”の一言で解決できる。土壁の話を聞いての結論はこれだ」
「分かっていたけど腐ってるわね。でも、おかげで整理はできたわ。司の方だと、スクランブル交差点という人混みで会う約束をした理由。火宮翔二郎の方だと、誕生日の外出先で起こったことと、司からのメッセージを見た上で殺害に至った理由。
 この3つをどうにかしないと、動機に辿り着かない。だけど、火宮兄弟の両親は死んで、司と拓司の両親は正気じゃない。誰に聞いたら分かるのかしら」
「問題はそこだな。取り敢えず、火宮に使用人の日野下へ話を聞くよう頼んだ。外出したことは知っているから、もしかしたら火宮翔二郎から何か聞いているかもしれないしな。望みは薄いが、今あいつにやってもらえることはそれくらいだ」
 蒼一は溜息混じりに告げ、とんかつの最後の一切れを口に入れた。春海は頷き、再びワインを飲んだ後、残っていたサラダを片付けて食事を終える。手早く洗い物を済ませた2人は、食卓からリビングのソファーに移動した。
 先に蒼一が腰掛けると、春海は彼の正面ではなく左隣に座った。そしてすぐさま、彼にもたれかかる。しばしの沈黙の後、春海は小馬鹿にするような笑みを浮かべ、呟いた。
「10年も経つのに、何も変わらないわ」
 謎めいた言葉に、蒼一は静かに返した。
「まだ10年だ。そんな簡単に変わらない。悲観的になるな」
「珍しく優しいわね。10年前は拒否したのに。罪悪感、じゃないでしょう? あなた自身も、落ち着かない気持ちがあるから?」
 春海の問いに蒼一は答えなかったが、肯定であることが彼女には理解できた。
「ねえ、もし拓司が知ったら、どんな気持ちにさせると思う?」
 悲しげな声音で、春海は尋ねた。蒼一は彼女を一瞥いちべつした後、ゆったりとした口調で答える。
「まずは怒る。次に、悲しむ。そして・・・後悔を口にする。
 “どうして気づけなかったんだ”、“どうしたら昔のままでいられたんだ”・・・・と言うだろう。拓司に何一つ非はないが、きっとそう言う」
「そうね。あの子はそういう子だわ。司もそうだったけど、感情豊かで、感受性が高いから、人の笑顔にも涙にも共感できる子。だからこそ、傷つけたくはない」
「・・・・人を気遣う前に、自分のことを気遣ったらどうだ。お前は昔からそうだ。春江のために何でもやっていると思ったら、そこに司と拓司が加わった。誰かと背負えばいいだろう」
 心配しつつも、他人事のような口調に春海は微笑んだ。「あなたを選んだつもりだけど?」と彼女は呟き、顔を上げて蒼一と唇を重ねる。
「だから我儘に付き合って」 
 微かに震えている語尾が、蒼一の頭でこだました。

            ※

「風口君は、どうして水守君たちに協力してるの? 親戚、ではないよね?」
 報告を終えた翔一郎の問いに、悠はいい顔をしなかった。眉をひそめ、氷のような冷ややかな視線を向ける。
「何、急に」
「いや、ずっと気になってたんだよ。情報屋は、多分だけど、裏社会の中じゃどこにも属さず情報を収集しては提供する立場のはずでしょ? それなのに、特定の事件の当事者に協力して、住む場所とかも提供して、って・・・。情報屋としては、普通じゃないよね? どうしてそこまでやるのか、不思議に思ったんだ」
 正直に答えたっていいけど、話が長くなるから面倒くさいなあ。第一、こいつボクのこと調べて、風口悠という人間が戸籍上存在しないことも分かった上で、情報を渡し終えた後に、聞いてるよね? 警察のやり口が何だか知らないけど、こういうところが気に入らないんだよな。
「司さんは恩人なんだよ。だから拓司のことも知ってて、蒼一さんから事情を聞いて協力してる」
「恩人?」
「何だっていいでしょ。どうせ、真相が分かればボクたちとキミは全く関わりがなくなるんだ。そんな人間のことを知ったって意味ないよ」
 悠は立ち上がってパソコンに向かおうとした。しかし翔一郎は止まらず、もう1つ、気になっていたことを尋ねた。
「誰のお見舞いで病院に?」
 動きが止まった。翔一郎は続ける。
「母親からの遺産で家を所有しているなら、母君は亡くなってる。兄弟姉妹がいるとしたら、以前案内してくれたもう1つの家を所有していた方がしっくり来るから、一人っ子だと思ってる。そう考えると、お見舞いの相手はーーーー」
「違う」
 翔一郎の発言を遮り、悠は呟いた。呟きのはずだが、力強さが感じられた。
「父親じゃない。そんなんじゃない。ボクは誰の子供でもない」
 早口で悠は告げた。それは不思議な言葉だった。
「誰の子供でもないってことはないでしょ? 親がいるから子供が生まれるんだよ? 
 それに、私は探りを入れてるとかじゃなくて、ただ協力者として知っておいた方がいいのかなと思って聞いただけだ。話したくないなら無理に聞く気は無いよ」
 途端に悠が鼻で笑った。振り向いた彼は、侮蔑さえ含む視線を翔一郎に向けた。
「聞く気がない? よく言うよ。遠回しに聞いて懐柔して、ボクの情報を得ようとしてるんでしょ? 一路さんとボクだけ、よく分からない人間だもんね。一路さんが手強いから、ボクから始めるってわけ?」
「そんなつもりは・・・・」
「あるだろ。嘘つくなよ。透けて見える。
 ボクは情報屋だ。人が求める情報くらい、表情や態度で大体分かる。低級な犯罪者相手なら通じるかもしれないけど、ボクには通じない」
 悠は捲し立てるように言い切ると、大きな溜息をついて続けた。
「分かったら、拓司に報告してとっとと帰って。今は、これ以上キミと話したくない」



 秘密を抱える協力者たち。全てを知るは、ただ1人。
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