殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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22 知らぬが仏

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「春海姉ちゃんなんだろ? あのご飯を作ってくれてるの」
 旅先から戻って来た蒼一が訪ねてくるなり、拓司は己の推測を突きつけた。確信に近かったが、あくまで推測の体を取った。
「・・・・何でそう思うんだ。あいつは雪坂家の令嬢だぞ。料理している所なんて見たことないだろ」
 蒼一はあくまではぐらかした。苛立った拓司は椅子から身を乗り出し、顔を近づける。
「もう嘘はつかなくていいよ、叔父さん、俺はもう、何も知らなかった子供じゃない。叔父さんが嘘をついてる時くらい分かる。春海姉ちゃんが協力者だって分かる。嘘がバレることだって、分かってるはずだ。それなのに、どうして隠し続けるんだよ」
「本人の希望だ。春海が自分の存在をお前の記憶から消し去るように、俺に頼んだ。俺は、その希望に従って行動していたに過ぎない」
 もはや嘘を認め、春海が協力者と告げたも同じだった。しかし、拓司の関心はそこにはない。
「消し去る? 何で?」
 拓司が尋ねた瞬間、蒼一は大袈裟なほどあからさまに、視線を逸らした。悠は驚き、翔一郎は目を細める。
「お前の邪魔にならないためだ。お前の記憶にいる大切な存在を、10年前当時は限定させる方が良いと、春海自身が判断した」
「それだけか?」
「それだけだ」
 視線を戻さず蒼一は告げた。明らかに嘘だった。拓司は歯軋りをする。
「叔父さん!」
「水守君!」
 叫んだのは翔一郎だった。彼は壁に預けていた体を起こし、拓司の体を引いて距離を取らせる。苛立ちながら腕を振り解こうとする拓司だが、彼は力強く肩を掴んでおり、生半可な力では振り解けなかった。
「やめるんだ。誰しも個人の事情があって、秘密にしたいこともある。本人が口にしない限り、無理に暴くことは許されない。君がやろうとしていることは、君が大切だと思う人を傷つけることだ。それでもいいの?」
 拓司は強引に腕を振り解き、翔一郎を睨みつけた。
「いいかどうかじゃねえ。俺はただ知りたいんだ。
 つーか、お前には関係ねえだろ?」
「関係あるよ。私は君たちの協力者だ。事件について情報は欲しいし真実を知りたいと思うけれど、取捨選択は必要だ。警察官の仕事も同じ」
「そこから逸脱したくせに?」
「だから忠告してる」
 その時、蒼一が深い溜息をついた。一連のやり取り全てに呆れているような、気怠さすら感じさせる溜息だった。彼はおもむろに立ち上がり、隣の椅子に投げ出していたコートを羽織り、鞄を持つ。
「報告は後日にする。ここにいても時間の無駄だ。
 拓司、今一度言っておくが、俺は春海の希望通りに動いただけだ。あいつが協力者で、だが俺たちより表の世界の住人である以上、線引きが必要だった。その線引きが、お前の記憶からあいつを消すこと・・・・。記憶がいつか戻ることは分かっていたが、それでもそうして欲しいと望んだ。それがどういうことなのか、少し考えろ」
 拓司の方を振り向くことなく、蒼一は告げた。彼の声音には、珍しく怒気がにじんでいた。

            ※

 穏やかな夜が訪れないと知ったあの日から、私は一握りの愛と多分な依存をぶつけることに決めた。
 それが残酷なことで、正しくはないと分かっていても、そうしたかった。そうしていたら、幼い頃の幸福が浮かんで来るから。戻らない日々を振り返って、浸っていられるから。全てを忘れたフリをするには、1番効果的だったから。


「話す気はないわ。そんなこと、掘り返して何になるの? 誤魔化していても、私は拓司が大切。私は今のままで、隠したままで構わない」
「あいつは構わない。全てを知りたいと願う、子供のままだ」
 心なしか沈んだ蒼一の声を聞くのは久々。でも、私の声も沈んでいる。今更、全てを隠すと誓った10年前を悔いるなんて。
「全てを話すことが過去を蒸し返すことだと、拓司は理解していない。自分の心のままに、全てを知りたいと叫んでいるだけだ。子供じゃない、嘘をついていることくらい分かると言ったって、根本的に子供なんだ。説得力も気遣いもない」
 吐き出すような言葉に、春海は思わず苦笑する。
「辛辣ね。悠が甘やかし過ぎたのかしら」
 無理に浮かべた笑いをやめさせるように、厳しい声で蒼一は応じる。
「冗談はよせ。時間が止まっているだけだ。司が死んだ、あの日から」
「どうやったら動くと思うの? 真実を知ったら?」
「さあな。結果なんて分からないって言うだろう。拓司はそういうやつだ。無鉄砲で、無茶苦茶で、筋なんて通っていない」
「でも真っ直ぐで眩しい。私たちが失ったものを、あの子は持っている」
 蒼一は口を噤んだ。思いのままに行動することなど、彼はとうの昔にやめてしまったからだ。思いのままに行動することは、自分に損しかもたらさず、周囲を良い気にさせるだけだったからだ。


 やがて、軽い溜息をつき、蒼一が椅子から立ち上がる。
「邪魔したな。今日は帰る。明日仕事だろ」
「あなたもね」
 春海は玄関まで蒼一を見送った。彼が門扉をくぐると、春江が丁度帰って来たところであった。黒地の着物に羽ばたく金の蝶は、闇夜に光る星月に思えた。
 春江は蒼一の微妙な心情を察しつつ、いつも通りの声音を響かせる。
「顔色が優れませんね」
「面倒ごとが増えたからな。また来る」
「お待ちしています」
 短い会話を交わし、2人は分かれた。春江はただいま、と言って開きっぱなしの玄関扉をくぐり、鍵をかける。
「拓司君には話すべきじゃないわ」
 下駄を脱ぎながら、春江はすかさず告げた。夕食の準備にかかろうとした春海は思わず手を止め、か細い声で尋ねる。
「・・・・分かるの?」
「生まれた時から一緒ですもの」
 春江は笑い、「ああ、疲れた」と呟いてソファーに身を投げた。真っ白な天井を見つめながら、笑みを消した彼女は半ば独り言のように続ける。
「あなたは何も悪くない。あなたが責任を感じることは何もない。愚鈍な人間が愚鈍な心を露わにしただけ。卑しく穢れた愚かな話。それが10年前の全て。
 だからこそ、あなたの心に残る癒えない傷を、弟のように可愛がっている子に話すことは正しくない。あなたの傷を深くして、あなたとあの子に新しい傷を作るだけ」
 春江は断言した。普段はおっとりしている彼女だが、このような時だけは、彼女は“姉”の顔をした。
「10年前の事件、私は赦しはしない。
 だってそうでしょう? 私たちの人生を狂わせた人間を、赦す必要がどこにあるの? 私たちは私たちの思うまま生きようとした。それを邪魔した人間・・・死んでいようと関係ない。私が死んでも同じこと」
「春江」
 最後の言葉を掻き消すように、春海は思わず名前を呼んだ。その途端、春江は柔らかい笑みを浮かべる。謝意なのか憎悪の続きなのか、判断はつかなかった。
「とにかく話す必要なんてないわ。あなたがそう決めているのなら」



 知らぬが仏と言うものね、と春海は心中で言葉を継いだ。
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