殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

文字の大きさ
上 下
19 / 86

19 仕組まれた邂逅

しおりを挟む
 インターフォンが鳴らされたのは、その日の昼過ぎのことだった。

 夫婦は昼食後の重だるい体を起こし、使用人を呼びつけた。決して年若いとは言えない使用人は主人たちの要求に応え、画面越しに立つ男を目に留めた。
「どちら様でしょうか?」
 滑舌の良い、聞き取りやすい声が投げかけられた。男は一泊ほど置き、顔色を変えることなく、己が名を口にした。
「氷上蒼一です。
 突然の訪問、失礼いたします。火宮夫妻は、ご在宅ですか?」


 柱時計の振り子が、やけに遅く感じられた。夫妻は鋭く、しかし戸惑いを多く宿した視線を蒼一に向け、殺人犯と対峙するかのような緊張した面持ちを浮かべている。対する蒼一は、いつも通り感情の読み取れぬ表情だった。
「・・・・なぜここが分かったの。10年間、分家の人間や報道陣にも知られていなかったのですよ。どうやって突き止めたの」
 沈黙を破り、妻が尋ねた。蒼一は愛想笑いを浮かべるだけで応えない。彼は、改めて火宮夫妻の姿を目に写した。
 夫妻は、50代前半にしては老けていた。夫は真っ白と言えるほど髪色が消え、落ち窪んだ両の瞳は病人を通り越して、まるで死人である。皺もシミも顔中にあり、異性に好意を伝えられ続けた昔とは比べ物にならなかった。
 妻は夫よりも黒髪が残っているものの、派手な化粧が落ちぶれた表情とアンバランスだった。ソファーの背もたれに体を預け、たるんだ首元の肉が目立っている。肥えているわけではないのだが、歩行すらろくにしていないと思われるほど、体が動かしにくいようだった。

 蒼一は加害者家族という逃れられぬ罪の結果と思いつつ、口を開いた。
「細かい話はよしましょう。私は、お二方に尋ねしたいことがあったので来ただけです。満足のいく答えが得られれば、すぐ出ていきますのでご心配なく」
 澱みない口調だった。夫がようやく口を開く。
「尋ねたいこととは何だ」
「シンプルな話です。
 10年間、考えても答えに辿り着けなかったことであり、お二方ならば、ご存知かもしれないと思ったことーーーーすなわち、司と火宮翔二郎が、親友と言えるほど仲睦まじくなった理由です。
 ご存知の通り、水守家と火宮家は対立して来た。元財閥でもあり資産家でもあり、数々の会社を所有し、政治にまで手を伸ばしていた水守家と、医者の一族でありながら上流階級の人間と手を組んで資産を増やし力を拡大した火宮家。どちらも自家の絶対的な強さを示したいがために、互いを潰し合ったことも多々あります。
 しかし、司と火宮翔二郎は親友になった。なぜです?」
 夫妻は「そんなことを聞きに来たのか?」と言わんばかりの呆れた表情を見せた。だが、答えない限り蒼一は出ていかないと感じたのか、少し姿勢を正し、おもむろに口を開く。

 まずは夫。
「翔一郎が家から出て、火宮家は力を失った。翔二郎が後を引き継ぐ形で続きはしたが、全く同じというわけにはいかず医師会からも文句が来た。
 何より、これは翔二郎自身が言ったことだが、火宮の名前が付き纏って、普段の生活に支障が出ていた。しかし近親しかいない以上、苗字を変えることは意味をなさない。だから私は、同じような立場の友人を作れと、当時中学生だった翔二郎に助言をした。それが水守司だ」
 溜息混じりの口調から、不可解な行動だと言っていた。蒼一は相槌を打ちながら話を聞き、なるほど、と呟く。

 次に妻。
「中学1年生の6月くらいに、翔二郎は自分の友人が水守司だと明かした。私たちは意味が分からず反対して、なぜなのかを問い詰めた。でも、あの子はただ一言、こう言った。“なりたいから、なっただけだよ”、と。
 意味が分からなかった。理由になっていないと言ったけれど、あの子はそれ以上を語らなかったわ。付き合いを止めるよう伝えたけど、結局辞めずに続いて、10年前、あの不可思議な結末に行き着いたというわけよ」
 投げやりな口調だった。知るはずもない上、知ってどうするのか、とでも言うような。

「・・・・つまり、根本的な理由はご存知ないということですね? 本人たちにしか分からないと」
 蒼一は夫妻の本音を無視して発言を総括し、尋ねた。夫妻は頷く。
「ああ」 「ええ」
 わずかな間だけ、蒼一は思案した。そして、そのわずかな思案を終えた彼は、素早く椅子から立ち上がった。
「ありがとうございます。よく分かりました。
 突然の訪問、大変失礼いたしました。お暇させていただきます」
 嘘くさい笑みを浮かべ、蒼一は言った。夫は軽く手を振り、使用人を呼びつけ、玄関まで送るよう伝える。蒼一は仰々しく礼を述べ、使用人と連れ立って玄関へ行った。
「人は訪ねて来るのか?」
 玄関へ向かう最中、蒼一は使用人に尋ねた。使用人は丁寧な口調で答える。
「いいえ、滅多にありません。宅配くらいでございます。常駐の使用人も、わたくししかおりませんので・・・・」
「・・・・そうか。随分と変わったものだな」
「ええ、本当に。しかし、これも運命だったやもしれません。10年前より以前から、火宮家は発展など望めませんでしたから」
                   
            ※

 月に1度の外出は一段と気を使う。ウィッグを被り、眼鏡をかけ、必要に応じてマスクをつける。服装は普段着とかけ離れたものをーーーー人が目にしても気にも留めないような地味で古びた服装をーーーー選ぶ。顔や手足に特徴がないことで、変わりやすいのは安心だった。でも、張り詰めた緊張は中々解けない。
「準備できた? 拓司」
「おう。行こうぜ」
 洋館の裏手から大通りへ出て、徒歩で20分ほど歩く。人通りも車通りも多い東京で、個人が目につくことはないと分かっていても、拓司は、死人である自分の正体を見抜かれないよう、常に周囲を警戒しなければならなかった。
 緊張も注意も無くなるのは、目的地に着いてからである。花屋で購入した花束と、水の入った桶と柄杓を持って、石段を上がる。幸い人がいないものの、足早に間を抜け、2人は一段と大きく、立派な墓石の前で足を止めた。
「・・・・来たぜ、兄貴」
 墓石の裏には、歴代水守家の当主の名前が連ねられていた。司は当主にこそならなかったものの、大学卒業後に母から当主の座を譲り受けることが決定していたため、名前が彫られている。拓司は司の名前をなぞり、しばし瞑目した。
「付き合ってくれて、ありがとうな。悠」
「何言ってるの。ボクが来たいから、来てるんだよ。ほら、綺麗にして新しいお花生けよう」
 拓司は頷き、柄杓で水を掬って墓石にかけた。陽光が反射して輝き、小さな虹が姿を表す。彼は消すのが惜しいと思いながら、濡らした墓石を優しく拭いた。悠も手伝って終わらせると、以前来た時に生けた花を取り出し、先ほど購入したばかりの白い菊を生けた。
 一息ついた2人は、改めて墓石の正面に立ち、両手を合わせて瞑目した。真実が解明することを祈り、拓司にとっては兄、悠にとっては恩人である司を偲びながら。


「叔父さん何してんのかな」
「話を聞きに行くだけじゃないことは確かだね。そもそも、あそこは火宮家が昔住んでいた土地だ。色々とヒントはあるはず。火宮兄弟も、幼い頃はよく行っていたらしいし・・・・」
 祈りを終えた後、2人は出来る限りの小声で話をした。変わらず人はいなかったが、立ち話も何だと思い、自然と帰路につくことになった。
 その時、
「水守・・君?」
 現れたのは翔一郎だった。花束こそ持っていないものの、鞄から数珠が覗いている。拓司はわずかに眼鏡をずらし、両目を晒した。
「よく俺だって分かったな」
「ああ・・・立ち方とか、体格でね。風口君が隣にいたことが、大きいけれど」
 そう言いながら、翔一郎は歩みを進め、水守家の墓石の前で足を止めた。2人の視線を気にすることなく数珠を取り出し、静かに両手を合わせる。長い瞑目だった。
 翔一郎が目を開けた後、拓司は尋ねる。
「10年間ずっと来てたのか?」
「緊急の用事がない限りはね。弟の方には、さっき行って来たところだよ。
 お墓参りが罪滅ぼしになるなんて思ってないけれど、出来ることはこれくらいだと思って。でも、タイミング悪かったかな。邪魔しちゃった」
「別に、そんなこと思いやしないさ。お前が来てたことが分かって、少し安心してるくらいだ」
「そう? それなら良いんだけど」
 翔一郎が薄く笑うと同時に、拓司のお腹が鳴った。昼時なので、やむを得ないことである。拓司が恥ずかしそうに視線を逸らすと、悠が笑う。
「ご飯でも食べに行こうか。ついでだから、付き合ってよ、火宮。仕事休んで来てるんでしょ?」
「もちろん構わないけれど、どこに行くの? 水守君は・・・・」
「行きつけの場所があるから。
 あと、外でボクらの名前を呼ぶのは控えて。下手に聞かれでもしたら面倒なことになる。特に水守の名前は、今でも強い影響力を持っているから」
 悠は早口に告げ、踵を返した。拓司がついてくるよう促したので、翔一郎は不思議に思いながらも2人の後を歩く。墓場は閑散としており、秋の風が吹き抜けるだけだった。

 
 大通りに接続する路地を、2人は突然曲がった。翔一郎は何も言わずについて歩き、自身も空腹になり始めていると感じた。路地に入って5分ほど経った時、2人は足を止めた。翔一郎は顔を上げ、目の前に立つ建物を見つめる。
 小さなレストランだった。建物自体は古いらしく、年季を感じる汚れがある。茶色に塗られた扉には、Openの札とベルがかけられ、扉から一段下にある地面に、小さな黒板が立てられて、メニューが貼られていた。壁は白く、カーテンも開いていたが、店の照明が暗めなのか、店内はよく見えない。橙色の屋根のペンキは、少し剥がれていた。
 先頭に立っていた悠は、迷うことなく段差を上り、レストランの扉を開けた。ベルが心地よい音を立てる中で、拓司と翔一郎は続いて入店する。
「いらっしゃい」
 店内にはまばらに客がいた。木のテーブルにかけられた赤と青のチェック柄のテーブルクロス、手作業で編まれたかと見える椅子の座席に置かれた薄いクッション。壁にかけられたいくつかの絵は、誰の物か、上手いか下手かも分からないが、東京の風景を描いていることは確かだった。夜の東京タワーや渋谷は、レストランの雰囲気と合っているとは言い難かったが。
 出迎えたのは壮年の男で、白いシャツに緑のエプロンという出立ちだった。威厳があるので、店主のように見える。他の客は変わった3人組だと言わんばかりの訝しげな視線を向けたが、すぐに興味を無くし、食事を再開していた。悠は黙って出迎えた男に近づき、肩にかけた鞄から取り出した何かを見せる。すると、男はゆったりと体の向きを変え、無言で着いてくるように伝えた。男の髭は無精髭ではなく、髪も整えられていたが、への字に曲がった口元とぼんやりとした瞳に、隠しきれない陰鬱いんうつさがあった。


 男は店の奥へと歩を進め、突き当たりにある扉を開けた。そこは大人ならば5、6人が入れる空間で、訳が分からないまま、翔一郎は最後に入った。男が扉を閉めると、途端に床が降下する。エレベーターと知り、翔一郎は目を丸くした。
 大体一階分を降りると、エレベーターは止まり、男が手動で眼前の扉を開けた。そこにも廊下があり、左右と突き当たりには扉があった。男は何かを確認するように拓司たちを一瞥いちべつし、1番右奥の部屋の扉を開けた。部屋には白い大きな正方形のテーブルとコの字型の茶色いソファー、天井からぶら下がっている丸型の照明だけがあった。上階のレストランと比べると、酷く地味な空間に思えた。
「ご注文は、いつもので?」
 部屋に入るなり男が尋ねた。拓司と悠は頷き、揃って翔一郎を見る。
「お前はどうすんだ? 洋食か和食か、肉か魚か」
「あ・・・和食で、魚を・・・・」
 男は頷くと、無言で部屋の扉を閉めた。聞こえていた足跡はやがて消えた。
「あの、ここは一体?」
 ようやく翔一郎は尋ねた。悠が答える。
「裏社会の人間のためのレストランだよ。食事中にマスクしてるわけにはいかないし、拓司のことを知っている人間に合わない確信もないでしょ? だから月一の外出、司さんのお墓参りの時は、いつもここに来てる」
「裏社会の・・・さっきの男も?」
「色々やらかして生活できなくなったから、裏の人生を与えたんだよ。元料理人だから丁度良かった」
 翔一郎は悠の言葉に驚くと同時に、彼が見せていた物は何だったのだろうと思う。だが、答えてくれないことは分かっていたので、詮索はしなかった。


 数分の後に、それぞれの料理が運ばれて来た。
 拓司はコロッケやエビフライなど多数の揚げ物とサラダ、白米、味噌汁がついた洋風の定食。
 悠は巨大なチョコレートパフェとアイスコーヒー。
 翔一郎は焼き鮭とひじき、おひたし、白米、漬物、味噌汁がついた和風の定食。
 全ての料理がテーブルに置かれると、悠は財布から1枚の硬貨を取り出して男に手渡した。男は「ごゆっくり」と呟き、また部屋を出て行った。

 拓司は箸を手に持ち、翔一郎を見ながら笑う。
「取り敢えず食おうぜ。話はそれからだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小説探偵

夕凪ヨウ
ミステリー
 20XX年。日本に名を響かせている、1人の小説家がいた。  男の名は江本海里。素晴らしい作品を生み出す彼には、一部の人間しか知らない、“裏の顔”が存在した。  そして、彼の“裏の顔”を知っている者たちは、尊敬と畏怖を込めて、彼をこう呼んだ。  小説探偵、と。

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

学園ミステリ~桐木純架

よなぷー
ミステリー
・絶世の美貌で探偵を自称する高校生、桐木純架。しかし彼は重度の奇行癖の持ち主だった! 相棒・朱雀楼路は彼に振り回されつつ毎日を過ごす。 そんな二人の前に立ち塞がる数々の謎。 血の涙を流す肖像画、何者かに折られるチョーク、喫茶店で奇怪な行動を示す老人……。 新感覚学園ミステリ風コメディ、ここに開幕。 『小説家になろう』でも公開されています――が、検索除外設定です。

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...