殺意の扉が開くまで

夕凪ヨウ

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12 混濁

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 ボイスレコーダーのスイッチが切られると同時に、悠は思わず拓司を見た。彼は驚いたような、悲しげなような、名前の分からない表情を浮かべていた。
 しかし視線だけは強く、鋭く、机に置かれたボイスレコーダーに注がれていた。
「・・・・叔父さん。火宮の話は、全部本当なのか?」
 視線を動かさずに、拓司は蒼一に尋ねた。蒼一は1度だけ瞬きをし、溜息に似た息を吐く。
「正直に話していいなら、答えてやれる」
「・・・・教えてくれ」
 わずかな沈黙を経て、拓司は言った。絞り出すような声だった。
 蒼一は薄らと頷き、正直に告げる。
「弟が悩んでいた内容に関しては、何一つ嘘はない。火宮が嘘をついたのは、自分が医者になる道を放棄した時、両親が自分の代わりに弟へ乗りかえることを考えなかったーーーーこの一点だ。
 元部下という贔屓目ひいきめ抜きに見ても、火宮は優秀な警察官だ。に、気が付かない男じゃない。あいつは無意識のうちに、弟を両親の生贄として差し出していた。自分の背負っていた全てを、弟に押し付けた。そしてそれが、兄として恥ずべきことだという自覚があった。だからこそ、“考えが及ばなかった”と取り繕うことで、罪の意識から目を逸らした。そうすれば、SOS
 無意識のうちの責任転嫁。それが、翔一郎のついた嘘だった。彼が弟の悩みを話さなかったのは、家の恥を晒すだけでなく、己の罪をも晒すことを恐れたからだと、蒼一は続けた。
「火宮翔一郎が責任逃れをした理由は?」
 尋ねたのは悠だった。蒼一はすぐに答える。
「長男である火宮自身が背負っている責任やプレッシャーを、背負っていない弟への憤りだ。それすら、無意識だろうがな」
 再び沈黙が流れた。
 しばらくして、拓司が口を開く。
「・・・・兄貴も、俺に同じこと、思ってたのかな。俺だけ気楽に生きてること、本当は怒ってたのかな」
「拓司! 司さんはそんなこと・・・!」
「思ってたかもしれねえだろ‼︎」
 耐え切れなくなった拓司は、悠の言葉を遮って叫んだ。両手の拳を握り、歯軋りをし、体を震わせる。
「俺は兄貴だけが、大切だった・・・味方だった・・・今でも大好きな兄ちゃんだ。でも、兄ちゃんが俺をどう思っていたのかは、分からない。当たり前のように、俺を大切に思ってくれてるって、ずっと・・・・でも、本当は・・・もしかしたら・・・・」 
 悠は拓司の前に躍り出て、自分の頭と同じほど位置にある彼の両肩を掴んだ。勢いよく顔を上げ、叫ぶ。
「悪い方向に考えたらダメだ! 司さんはキミを大切に思っていた・・・ボクにだって分かる!」
「そうだとしても! 心の奥底では・・・‼︎」
「拓司‼︎」
 鈍い音が響いた。驚いた拓司が悠を見ると、苦しげな表情で彼の左頬を叩いた、悠の姿があった。
 その姿を見て、拓司は自分が言ってはならないことを口にしたと、ようやく理解した。今にも泣き出しそうな表情で、悠は口を開く。
「やめてよ・・・。ボクにとっては、拓司も、司さんも、同じくらい大切だ。ずっと昔から大切だ。貶めるようなこと、言わないでよ・・・・」
「・・・・・・ごめん」
 拓司もまた、泣きそうな表情でそう言った。悠は叩いたことを謝罪し、しかし拓司の気持ちも分かるのか、何も言えなくなる。
「気持ちの整理がついたら連絡しろ」
 沈黙を破ったのは蒼一だった。彼はボイスレコーダーを鞄に入れ、腕時計で時間を確認する。2人は訳が分からず固まっていたが、やがて、悠が混乱した様子で告げる。
「え・・・ちょ、ちょっと待ってよ。蒼一さん。こんな時に、行っちゃうの? それは、違うでしょ。拓司の傍にいてあげてよ。今は、いてあげないと・・・・」
「1人になった方が考えやすいだろう。それに、お前たちはもう子供じゃない。俺の助けなんて不要だろう?」


 その瞬間、なぜ2人が傷ついたような顔をするのか、俺には全く分からなかった。いつまでも子供扱いをするのはどうかと思ったから、そう言っただけだ。それなのに、何を驚いているのか。
 普段、理解も納得もできる2人の心情が、何一つ分からなかった。分からない理由も、また、分からなかった。
「あなたって、そういうところ本当に馬鹿よね」
 事の顛末てんまつを聞いた春海は、開口一番にそう告げた。蒼一は2人の心情を理解できぬまま、しかし聞きたいことがあり、雪坂姉妹の家を訪れていた。春江は留守と言われたが、だから来たのだと、彼は言った。
 春海は溜息をついて苦笑いを浮かべ、正面に座る蒼一を見る。
「あなたの言う通り、拓司君と悠は、成人していて、子供じゃないわ。
 でも、心はずっと過去にある。子供のままなの。10年前、司が死んだ時から、心の時間が止まっているの。分からないわけじゃないでしょう?」
「それは理解できる。だが、だからと言って、何もかも俺が傍にいる必要があるのか? 自分の気持ちの整理くらい、自分でつけられるようになるべきだろう。
 何より、火宮の無意識のうちでの責任転嫁は、そこまで動揺することか? 兄弟だろうが友人だろうが、負の感情が微塵もないなんてこと、普通はない。誰かと関わる中で、当たり前のことじゃないか。動揺する理由がどこにある?」
 春海は、再び溜息をついた。何かを考えるように両目を伏せ、思案の後、口を開く。
「あなたの言いたいことは分かるわ。私はあなたと似た思考をするから、余計にね。
 でもあの子たちは、全てを見通して、理解して、素通りするには、あまりに愛情深すぎるの。司に対してはもちろん、人間らしい矛盾を抱えた火宮翔一郎に対してもね。
 だからこそ、割り切ることができないのよ。そこまで残酷になれないの」
 蒼一は眉をひそめた。怒りではなく、困惑ゆえに。
「・・・・10年前、俺は拓司と悠の覚悟を確認して、裏の世界に引き入れた。その覚悟は間違いなかったはずだ。現に10年間、2人は真相を追い続けてきた」
 今度は、春海が眉を顰めた。苦しげに。
「そういうことじゃないのよ」
「じゃあどういうことなんだ?」
「分からないの?」
「だからここに来た」
 蒼一が答えた瞬間、春海は顔を上げた。何かを言おうと口を開いている。しかし、何を思ったのか、彼女は急に悲しげな表情をし、口を閉じた。
「・・・・心を言葉で表すのは、難しいのよ」
 やっとのことで、春海が口にできたのは、それだけだった。蒼一は意味が分からない、とばかりに表情を変えておらず、それが余計に、彼女の心を締め付けた。
「春海?」
「呼ばないで」
「は?」
「呼ばないで・・・・」
 春海は項垂うなだれた。どうにか言葉を紡ぎたかったが、出て来なかった。不思議に思った蒼一は立ち上がり、彼女の前へ移動する。両膝を折り、少し屈んだ。
 次の瞬間、春海は勢いよく顔を上げ、蒼一の唇に自分の唇を重ねた。短いキスだった。そっと唇を離すと、蒼一はいつも通りのトーンで、言った。
「・・・・急に何だ。まだ時期じゃないだろ」
 その言葉に、春海は苦笑いを浮かべた。溢れそうになった涙を、そっとこらえた。
「分からないからダメなのよ」
 立ちあがろうとした春海だったが、何を思ったのか、蒼一は優しく彼女の腕を掴んだ。そして、長いキスをした。いつのまにか、逞しい右腕が、細い彼女の首に回されていた。
「・・・・春江は、しばらく帰らないわ」
「知ってる」
 春海はまた笑った。呆れたような笑みだった。
「本当、女泣かせな男ね」


 黄昏の太陽が、薄暗い部屋に篭もる2人を、朧げに照らした。
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