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2年生編

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 発情期も一段落し、少しして2学期が始まった。9月とはいえまだまだ残暑が厳しい。真夏並みの暑さが続いていた。

 今日は土曜日であるが、合同実践で鍛えた簿記のテスト、というか検定試験があった。まずは様子見の三級である。事務方は簿記の試験、営業は経済系の試験と、オメガクラスとアルファクラスと分けられて希望者だけだが教室に集められて一斉に行った。

 試験後、昼食には少し早かったが継直とパンと飲み物をもって中庭のベンチでお昼を食べることにした。この暑い中で何を考えているのだという話だが、初めての試験に無駄に緊張をし、妙な開放感から鉄格子の部屋には戻りたくなかったのだ。
 外はまだ蝉も泣き喚き、しかしベンチはブナの木の下にあるため影の中は日向より快適だった。

 とは言うものの、じっとしていても茹だる様な暑さが全身を纏う。2人とも自販で買ったばかりの冷たい炭酸で喉を癒す。弾ける冷たさが心地よかった。
 継直とパンを齧りながらテストの話をしていると、ベンチの向かいにある廊下から窓越しに永匡くんが手を振っていた。俺も手を振り返すが、あれから永匡くんは友人(多分1年アルファ)といるとき、俺に近寄ってこなくなった。
 入学からしばらくして友人も沢山出来たようで永匡くんは1人でいることも少なくなったし、きっと気を使ってくれているのだろう。俺の頭に手を乗せた1年とは一緒にいることがなくなっていたが、面倒ごとは俺もお断りなので、俺も不必要に永匡くんには近寄らなくなった。さすがに永匡くん1人のときには話しかけはするけれども。

 2個目のパンの袋を開けたとき、継直が「そう言えば」と何か閃いたかのような声を上げた。
 チーズロールにかぶりつき、視線だけ継直に向けた。

「北原って、もてるわー。昨日購買前で1年オメガに話しかけられてた。1年顔真っ赤だったけど北原は困ってて笑えたわー」
「ぶえー」
「大変だな、お前。1年オメガは積極的だわ」

 そのセリフは俺をからかうようであって、継直は楽しそうにケラケラと笑った。
 恨めしそうに睨んでやると、継直は何かに気が付いたように視線も笑みもピタリと止まった。

「……いや、北原も大変だわ」

 なんだと思って継直の視線を追えば、こちらに向かってくる一人の生徒がいた。というか、視線ががっちり俺に向けられているあたりなんだか怖い。
 とりあえずパンを飲み込んで炭酸を口にした。そして自然とそちらからは顔を背けてみたが、「先輩」と俺を見下ろすように近寄られては、無視もできにくい。俺の右側に座る継直は左肘でいつかのように俺をつつく。

「ちょっとだけ、話ししてもいいですか?」

 ちらっと見上げれば、やはり1年。緊張しているのか、ぎゅっと手を強く握っていて拳が白くなっていた。視線は俺から外れないが、それでも不安そうなものが伝わってきた。

 ココ最近、永匡くんが俺に気を使ってくれているのとは逆に、1年アルファにこうやって話しかけることが時々ある。面倒ごとは嫌いだが、しかしこう正面きってこられてはどうしようもなかった。これで4人目か。
 それは必ず朝永がいないときであるため、とりあえず継直とだけは絶対にいよう、独りでは行動しないでおこうと決めていた。朝永にも重々言われていたことでもある。
 古渓や、昔の3年のような不遜で不敵なものもないからつい返事をしてしまう。

「うーん、えーと。はあ……」

 俺の曖昧な返事にすらぱあっと顔を輝かせた1年。短髪で昔はスポーツでもしていたのか、とても肩幅ががっしりとしていた。身長はそれほどでもなさそうだが手がでかいからそのうち伸びるのか。
 笑顔に薄気味悪さもなく、わりかし純情そうに見えるのは、俺の目がすでに古渓をはじめとした毒に犯されているからだろう。

「アルファの1年2組、渡瀬です」
「2-14……です」
「あの、北原と時々話しをしているのを見かけて気になっていました」

 北原と呼び捨てするあたり、永匡くんのことか。しかしそれにどうやって反応を返せばいいのか分からなくて苦笑して見せた。

「北原のお兄さんとお付き合いされているようですが、本当ですか?」
「うん」
「そうですか。北原のお兄さんと……。弱みを握られているとかではなく?」
「弱み……? 普通のお付き合いだと思うけど」
「あー、俺も1年早く編入していたらなー」

 いや、1年前に出会っていてもキミは選ばないよ、俺。とは口に出さずに炭酸と一緒に飲み込んだ。アルファのこの自信はある意味羨ましくなる。でもここまでのものは欲しいとは思えないけど。
 継直は楽しそうに俺たちを肴にパンを食べている。心なしか、眼がキラキラしていた。
 1年生のアルファは昔の3年生並に積極的な気が。そして爽やかに見えるこのアルファですら、やはりそうなのかと思わざるを得ない言葉が発せられた。

「先輩って発情期きているんですよね」
「え」
「隔離部屋、あれってアルファが申請を出したらオメガから開けてもらえるの知っています? 今度、開けてくれませんか? 絶対満足させますから。後悔もさせませんから。先輩のこと、すごくタイプなんです、俺。見た瞬間雷に打たれたってこんな感じかなって思いました。だから、絶対先輩のこと誰よりも気持ちよくさせる自信もあるし、俺で気持ちよくなって欲しいです」

 ニコニコと人の良さそうな顔をして何を言っているのだとドン引くが、1年は俺の様子などお構いなしだった。まだそれほどすれていないだろうが、この思考は去年の3年と似たものだ。今までの1年は積極的であったがそれほど下品ではなかった。しかし、やはりと言うべきか、どの年代にもこういった考えを持つアルファが一定数いるのだろう。

「悪いけど、それはムリ……」
「まだ番契約もしてないようですし、俺ならきっと」
「いや何言ってるかちょっと分かんない」
「先輩」

 左肩を掴まれ、そこから生まれる妙な違和感に眉を顰めた。1年は興奮したように眼を見開き、俺を見下ろしていて。手を外そうとするが、力強く掴まれて両手で1年の腕を掴んだ。

「わっ、先輩の手やばっ」
「やめっ」
「おいっやめろって」

 両肩を掴まれたところで継直が止めに入ってくれた。しかし所詮オメガの2人の力などアルファには子供を相手にするようなものだろう。

「絶対後悔させないし、俺を好きになりますから」

 かくなる上は股間を狙うしかない、と思っていると上から急に押しつぶされるような圧力を感じた。暑さのせいで体調でも急に崩れてしまったのかと思うが、体全体がだるくなっただけで頭は正常だった。
 急に、一体どうしたのだと思えば、目の前の1年生はあっさりと俺から離れていた。そして俺の足元でガクッと膝と手をつき四つん這いになっていた。地面についた腕はガクガクと震えている。

「すごい自信だけど、お前頭大丈夫?」

 このうだる様な夏の暑さにいて、体に響く底冷えするような声。蝉の声すら一瞬消え去ってしまっていた。この恐ろしい圧力とともに上から降りてきた、しかし馴染みのある声。
 上を見なくても分かる。朝永の声だ。確かにオメガ校舎とアルファ校舎を挟んだ中庭の、ここはアルファ校舎側。2年生は2階を使用しているから、そこから声を掛けているのだろう。
 圧迫される気配は消えず、でも目の前のアルファのようにゼィゼィと息をするほどでもないソレだったが、少しだけ腹の辺りも気持ち悪くなって体を丸めると、すぐ後ろで「ザッ」と物音がした。
 途端、体がどっと重くなった。

「北原っ!」

 継直が名前を呼んだことで、朝永だということが確定した。
 安心から、腹をかばい、眼を閉じてベンチに座ったまま額を膝に乗せた。

「ごめん。少しだけ、我慢していて」

 後頭部をさらりと撫でられ、そこからふわっと圧力が開放される。しかし手が離れるとまた体のだるさは襲っていた。「うー」とうめきながら顔を上げてみると、朝永は土下座状態で震える1年の頭のところにだらしなくしゃがんでいた。それはとても見たことがないもので、以前夜のコンビニでどこかの悪そうな奴らがしていた姿と同じものだった。ただ似合わなかった。
 朝永の顔は見えなかったけど、ぼそぼそと1年に何をいい、1年は必死で頷いていた。ごりごりと地面に額をつけながら。
 何を言っているか聞きたかったけど、何一つ聞き取れなかった。
 そうして耐えていると、いきなりそれは体から消え去った。気持ち悪さも、圧迫される気配も。ただ少しだけ体がだるいだけ。

 1年も脱兎の如くこの場から離れた。途中で何度も何度も躓きながら。

 体を起こしたが、頭を上げるのは億劫で項垂れていると、俺の前に立った朝永に頭をぎゅっと抱かれた。朝永の匂いと汗の匂いが混じっていて、でも落ち着くものだった。

「ごめん。苦しかった? 大丈夫? 巻き込んでごめん」
「……うん」
「すげーねあの1年、産まれたての小鹿みたいになってたし。こわっ。いや、助かったのか。北原がやったの?」
「13番は何ともない?」
「何にもー」

 どういうわけか、継直の声は興奮そのものだった。そして継直はこの気持ち悪さやだるさを感じなかったらしい。すごい能力だと思う。
 朝永にゆっくりと髪を撫でられると少しずつ気持ちも落ち着いてきた。

「ありがとう。大丈夫になってきた」
「うん。もう少しだけ」
「あー。いーなー、お前ら」

 羨むような継直の声に、少しだけ笑ってしまった。

 古渓もそうだが、朝永もきっとあの変な圧力を使いこなせるのだろう。そして、その2人までとは言わなくてもあの1年も。3人ともすべて感じるものは違っていたけど、決して気分のいいものではなかった。
 でも朝永のものはアルファに対して圧力をかけていて、俺へは余波か何かだろうか。地面に蹲るほどのものでもなかったし。継直にいたっては何も感じなかったらしいし。
 もしかして継直は始業式の、首輪が降ってきたときも何も感じなかったのだろうか。

 朝永に「ありがとう」と伝えて体を離し、継直を見た。顔色もよく、ただ暑さでうっすらと汗をかいていた。

「もしかして、1年一学期にここで首輪が降ってきたときも何も感じなかった?」
「ん? 何それ」
「古渓達2年が、ってか今の3年ね。2階から俺たちに向かって首輪を投げてたやつ、覚えてない? 何人か具合悪くなってたけど」
「あー、あー、あれか。別に、何も」
「すごい特殊能力……」

 もしかしたら発情期が遅いことも関係しているかもしれないが、継直のこれは特殊能力だ。一種の憧れすら感じる。

「13番がいてくれたら、俺も安心だ。14番をよろしくね」
「まあね、こいつ、俺がいないとダメみたいだし」

 照れながらもふんぞり返る継直に、みんなで笑った。
 ただ、継直の「北原も1年オメガに言い寄られるし、コイツも1年アルファに言い寄られまくるし、お前ら大変だなー」と軽い口調で語られたあとは俺と朝永の2人だけシーンと静まり返ってしまった。

 何でも知りたくて聞きたい朝永に、その話しはしてなかった。大切にはしたいけど、言わなくてもいいこともあるかなって考えちゃうのは仕方ないと思うんだ。と、自己弁護を脳内でしていると、暑い季節なのに指先がスッと冷え始めた。

 ああ、やはり余計な一言だったと思います、継直さん。
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