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青行燈【後編】

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 04

 ほとんど廃墟のようなこのビル、実は三階建てになっている。
 二階には三つの部屋。事務所、どこかの会社の物置、それから空き部屋。三階は行ったことがないし、前にちょっと触れたらシャーロットから止められた。ろくなもんじゃないさ、の一言で済ませられたけど、何となくそれ以来足を運ぶ気が失せている。
 そして、ここ一階には、気まぐれな店主が経営するカフェがある。初めて看板を見た僕と彼の会話は以下である:
 「あの、これって何て読むんですか?」
 「カフェって書いてあるの。タミル語で」
 「……はい?」
 以上。
 ちなみに、発音は「カーフィー」だと教えられた。でも、その通りに言うのが馬鹿らしいので、「一階のカフェ」あるいは「一階」とだけ呼んでいる。店主本人は不満そうだが。
 わずか数行で変人っぷりが察せられそうな彼だけれど、カフェを経営する上でのセンスは抜群だ。内装は小洒落ているけど落ち着けて、椅子やソファなどの調度品も雰囲気に合っている。出される料理はどれも美味しく、料理の腕も確か。事務所の壁に掛ける絵を選ぶとき、シャーロットが不本意そうな顔で購入に付き合わせたぐらいには、彼のセンスは彼女のお眼鏡に叶っていた。
 「あ、悠太くんだ。やっと来てくれたぁ、女の子の恋バナに割り込むのも悪くて、どうしようかと思ってたとこ」
 カフェのシンプルな制服は、今日もその長身に似合っている。一つにまとめられた茶髪の下には、飛び抜けて整った甘い顔立ち。人懐っこくて、自分の見た目をどう生かすのが正解か、十二分にわかっている人。
 彼――萩原はぎわらさんは、僕の方を見るなり明るい顔になった。
 当然のように偽名。つまりはまあ、そういうこと。
 下の名前は朔太郎さくたろうというらしく、かの有名な詩人から取ったそうだ。僕も朔太郎の詩は読んだことがあるけど、萩原さんが好むようなタイプには思えなくて少し意外だった。何だかこう、陰鬱で、自身の虚《うろ》を見つめるような作品が多いから。
 「なぁにが、割り込むのも悪くて、だ。随分と参加したそうだったじゃないか」
 「悠太くーん、シャーロットちゃんがひどいよぉ」
 「年下に頼って情けなくないのかい。あとユータはあたいの味方だよ」
 長丁場ってことは、今夜中に決着をつけるつもりなのかな。早いに越したことはないし、さっきも早いうちに祓うって言ってたような。
 「急に店を開けろって言われて急いで準備したんだから、少しぐらい良いじゃん。僕、きみが恋バナしてるの初めて見たよ?」
 「自分の色恋については一言も言ってないよ、こいつのを聞いておちょくってただけさ」
 「なんだ、ちょっと聞こえてたけどやっぱそうだったんだ。由佳ちゃんって黒谷くろたに女子でしょ、あそこだったら知り合いの子が結構いるから手伝ってあげようか」
 「馬に蹴られて犬に食われて、まむしに当たって死んじまいな」
 腹ごしらえ。さて何にしよう、今日の昼食は、大学の食堂でのヒレカツ定食だったから洋風の気分だ。ナポリタンは定番で美味しいけど、明太パスタも捨てがたいな。
 「うわ~、呪っちゃった呪っちゃった、よりにもよって一番人を呪っちゃいけない職業のシャーロットちゃんが呪っちゃったぁ」
 「へその緒と一緒にデリカシーも置いてきたのか、どうせならその減らず口を忘れてきたらマシだったろうに」
 「由佳ちゃん助けて、この人めっちゃ怖い」
 テーブルの上を見ると、お冷のグラスがあるだけで料理の皿は並んでいない。二人とも、注文はまだなんだろうか。
 「え、その、わたし……」
 「由佳に絡むんじゃないよ朔、こいつは人一倍気弱なんだから。もっと丁寧に接してあげな」
 「それならきみもだよ、いつもの態度じゃ高圧的だってば。僕の方がよっぽどフレンドリーで優しいでしょ、ねぇ由佳ちゃん?」
 「はい、いや違、や、違わないんですけど、別にシャーロットさんが」
 「萩原さん」
 ぱたん、とメニュー表を広げて、僕はにこりと微笑んだ。
 「注文いいですか」
 「……はいよぉ。あーあ、悠太くんつまんないな」
 肩を竦めて、萩原さんはメモを取り出した。まだあたふたしている西寺さんへメニュー表を渡し、
 「じゃれあいみたいなものだから、気にしないで。なに食べたい? 奢るよ」
 と言えば、彼女は恐縮しながらオムライスを頼んだ。続いて注文しようと口を開く前に、横から手が伸びて文字を指差す。
 「ナポリタンと明太パスタ。シェアするから皿を二枚追加で」
 「了解」
 厨房へ向かう後姿を見送りながら、「どうしてわかったの」と尋ねた。
 「サトリ?」
 「馬鹿言うんじゃねぇや。お前さんが食いたいもんぐらいわかる」
 鼻を鳴らして、シャーロットは西寺さんに向き直る。
 「さて。そんじゃ話を始めるけど、怪異退治の前に確認しておかなきゃならんことがある。あたいとしては、そっちの方が重要だね。……察しはついてるかい?」
 「はい、何となく。真衣が帰る直前に……こちら側に引き込む、みたいなことを」
 「そう怖がらなくて大丈夫さ。全部ユータが説明してくれるから」
 「結局僕任せか」
 たまには彼女の方から説明してもらいたいけど、……そうだな、西寺さん相手には僕の方がいいかもしれない。必要以上に相手に萎縮してしまう性格のようだから、シャーロットみたいなタイプと長時間話すのは大変だろう。
 なおのこと、二人の恋バナが気になってきたな……。
 水を飲んで口を湿らせ、小さく咳払い。順序立てて物事を説明するのは得意な方だけど、怪異絡みの話はどうしたって緊張する。
 「んー……そうだね。西寺さん、一昨年の事件を覚えてるかな。ちょうどこれぐらいの時期に、都内の何箇所かで勃発した不可解な事件。一時期騒然として、テレビでも連日取り上げられたりして。年が明ける頃には風化しちゃってほとんど忘れられてるけど、探せば当時の記事がいくつか見つかる感じのやつ」
 「……すいません、わからないです」
 「まあそうだろうね。物騒な現代社会じゃ、毎日人が死んで、メディアが飯のタネにしてるんだから」
 「シャーロット、きみは不謹慎が服を着て歩いてるような人だと常日頃思ってるけど、今ばかりは黙っててくれないかな」
 横槍どころか、入れているのはグングニルだよ。
 「二年前の、年の暮れ。まだ僕が高校生だった頃だ。都内で、不可解な事件が多数報告された。原因不明の大規模停電、局所的なスリ、水道管の一斉破裂、マンホールの盗難、挙げ句の果てには殺人まで。人為的と思われる事件に関しては、警察が総動員して捜査にかかっても、何故か犯人が見つからない。そんな消化不良の事件が、報告されていないものも含めれば……きっと、百はあるだろうね」
 「……ひゃく」
 「うん。そしてこの原因を知る者は、少ないけれど存在している。シャーロットはもちろんだし、僕はその被害者だ」
 思い出す。一昨年の、寒い冬の日を。指先が凍るように冷たくて、ううん、実際に凍っていたかも。
 あの状況下では、十分にありえてしまう。
 「一連の事件の正体は、――百鬼夜行。夥しい数の怪異たちが、三日かけて東京を練り歩いたんだ」
 百鬼夜行。人ならざる者たちの、忌むべき大行進パレード
 「彼らが衝動的に行った破壊行動が、不可解な事件として人間側で処理されたってこと。もしかしたら死体のうちの一つは鎌鼬が切り裂いたのかもしれないし、行方不明のマンホールは河童の頭の上にあるかもしれない。でも、そういうのは防犯カメラに映らないでしょ?」
 映らない、と僕らが思っている――って言い方の方が、正解に近いけど。
 「百鬼夜行が遂行されて、甚大な被害が観測されて……でも、その時点でおかしいと思わない? 参加した怪異たちは、じゃあ一体どこから来たのか」
 「……!」
 「今までどこかに隠れていた? 息を潜めながら、人間たちを脅かしていた? 違う。彼らは本来、『怪異蒐集局かいいしゅうしゅうきょく』ってところで、厳重に管理されていたはずだったんだ」
 怪異蒐集局。
 シャーロットが、正式に所属する組織だ。本部はどこにあるのか末端の人間には知らされておらず、噂によれば数ヶ月ごとにその拠点を移すほど、情報管理に非常に厳しい組織である。
 組織を構成している人数はそれほど多くなく、というより、所属できる人間の数があまりにも少ない。
 所属可能な人材の条件。それは、
 「怪異を視認できて、かつ討伐できること。……討伐って言葉だと、ちょっと大袈裟に聞こえちゃうかな。要するにまあ、妖怪退治みたいな感じ。局の人間は、全員が怪異を祓う術を身につけているんだ」
 「……なんだか、そう言われるとファンタジーですね」
 「実際に武器を持つ人もいるけど、祓い方は人それぞれだよ。祓われた怪異は、局で管理・分析されて二度と外部に持ち出されないようにされている。だけど……ん、質問かな?」
 「はい。……あの、怪異って……死なないんですか」
 「あいつらに、死の概念はないよ」
 お冷の氷が音を立てる。
 「怪異は、人間の想像力と恐怖心の産物だからね。物語を読み、話を伝え聞き、僕らは心の中に空想上の怪異を思い描く。それらの寄せ集め、集合体が怪異だ。怪異が死ぬときは、そいつを知る人間が一人残らずこの世から消えたときなんだよ」
 「じゃあ、どうやって生まれるんですか」
 「さあ。生まれた瞬間に立ち会いでもしない限り、わからないんじゃないかな」
 またお冷の氷が鳴った。
 カラン、と耳触りのいい音。
 「話を戻すね。どこまで話したっけ……そう、百鬼夜行だ。三日に渡る大行進を実現させるため、蒐集局にて保管されていた怪異たちは、ほとんどが現世へ解き放たれてしまった。逃亡ルートはまだ解明されてないけど、誰かが内側から手引きしたとか、していないとか……考えたくもないや。それで、自由になった彼らは行進を終えて国中へ飛び散った。北は北海道、南は沖縄まで。どうにか百鬼夜行の騒動を捌いた局は、急いで再討伐を命じたんだ。逃してしまった怪異が、また現代社会に甚大な被害を及ぼす前に、どうにかして連れ戻してこいって」
 「それをしているのが、草間さんとシャーロットさん達……なんですね」
 「そういうこと。僕は助手みたいなものだから、実際はシャーロットの働きが大きいかな」
 「わたし、わたしはそんなことできません。怪異を退治なんて、絶対に無理です」
 「ああ、大丈夫、落ち着いて。きみに頼みたいことは、それとはちょっと違うんだ。随分と遠回りしちゃったけど、本題はここから」
 遠くでタイマーが鳴った。パスタかな。
 「西寺さん。きみのお父さんは狒々に遭って、きみ自身もまた怪異を呼んでしまった。……この先の人生でずっと、怪異との縁が約束されているようなものだよ」
 え、と掠れた声。
 隣のシャーロットが、小さく身じろぎした。
 「……わたし、これからも死ぬまでずっと、こんな思いをしなくちゃダメなんですか」
 「ううん、違う。それは違うよ。よく聞いてね、……西寺さんが局に協力してくれるなら、きみを怪異から救ってあげられるんだ」
 「協力?」
 「そう。さっきも言った通り、局は慢性的な人数不足だ。だから、僕たちは人手が欲しい。できれば怪異発見に役立ってくれるような、そんな逸材を求めているのさ」
 「ユータ、そんなんじゃ伝わらんぞ。いいかい由佳、あたい達はね、お前さんを大事な大事な餌にしたいんだよ」
 横から着物の腕が伸びて来て、震えていた西寺さんの手を掴む。
 微笑んで、シャーロットは続きを口にする。
 「なぁに、別に敵さんに向かって特攻かけろなんて言わないさ。ただ、それっぽいのを見かけたら報告してくれればいい。この業界じゃ、情報は金塊より貴重だからね。その代わり、お前さんの安全はあたいの全てを賭けて保証しよう。どこにいようが駆けつけて、すぐに祓ってやるよ」
 「……」
 「縁ができても、怪異を視認できる存在ってのは稀なんだ。憑かれた張本人でさえ、見えたり見えなかったりするからねえ。だから上乗せしよう、ひとつ頷いたらお前さんの父親も守ってやろう。さすがにまた狒々に襲われることはないだろうけど」
 「……本当ですか」
 「もちろん。あたいは嘘なんかついたことないよ、ねえユータ?」
 「絶対に肯定できない言葉が今出て来たけど、でも彼女が言ってることは本当だよ。僕らを信じて、西寺さん」
 「……」
 おどおどと迷う視線。それを見て、シャーロットが追撃をかけた。
 「悪い話じゃないだろう、お前さんをほっぽっといても怪異は寄ってくる。なら、ここで局に協力して守ってもらう方が、遥かに安全だと思わないかい」
 それとね、と言いつつ、にたぁっと笑う彼女。
 ……覚えがある笑みだなぁ、これ。
 「頷いたら、今回の怪異退治にかかる費用はチャラにしてあげてもいいよ」
 掴んでいた手を離して、前に突き出す。片方は丸を、もう片方はパーの形。
 芝居がかった口調で、シャーロットは告げた。
 「お客様に憑いておりまするは、かの有名な青行燈あおあんどん。祓った暁には、ざっと五十万ほど、頂戴したく思いますゆえに」

 05

 「手口が詐欺師なんだよ」
 「偏向報道」
 「あんなんじゃ協力せざるを得ないじゃん、あーあ由佳ちゃんったら可哀想」
 「最善選択」
 「言い方ってもんがあるよね、少しは悠太くんの言うことを聞いて矯正した方がいいよ」
 「断固拒否」
 料理を運んできた流れで、ボックス席に腰掛けて萩原さんが会話に混ざって来た。なぜか四字熟語しか話さないシャーロットは、パスタに夢中だ。返事すら面倒なんだろうな……。
 「あの、草間さん。結局わたしはどうすれば……」
 「怪異蒐集局に関する件は、あとで書類を持ってくるよ。サイン貰えれば大丈夫だから、気負わなくて大丈夫」
 「……見えたら連絡するだけで、いいんですよね」
 「うん。見える見えないも人によってバラバラだから、そのあたりも心配しすぎる必要はないよ」
 「草間さんも、その……見える人なんですよね。局に協力してるわけですから……」
 「そうだね。でも、僕の場合はちょっと見えすぎちゃうんだ」
 フォークを止めて、指の先で眼鏡をつついてみせた。少し曇ったレンズ越しに、西寺さんがきょとんとした顔でこちらを見つめている。
 「さっきも言ったけど、僕は百鬼夜行に遭遇した人間の一人だ。そのとき色々あって、結果的に体質が変わってね……今まで全然見えなかった怪異が、視界にうじゃうじゃ湧き出るようになっちゃって」
 「それは……大変でしたね」
 「うん、大変だった。あいつらは視線に敏感で、見られているとわかった瞬間に襲ってくるのが多い。だから、シャーロットが特注の眼鏡を発注してくれたんだ。……ここで外せば、三つ四つ見つけられたりして」
 「うえぇ!?」
 「怖がらせちゃダメでしょ、悠太くん」
 向かいの席の萩原さんが、呆れた顔で足を軽く蹴ってきた。
 「事実を言っただけですよ、上に事務所あるからここらへんは溜まりやすいですし」
 「だとしてもさ。僕は見えないから、何言われても気にしないけど」
 追加でもう一回蹴られた。
 「……お前さんたち、食事のときぐらい静かにできないのかい」
 「まさかの方向から注意が来たなぁ」
 「朔は仕事しな」
 「きみたちしかお客さんいないんだからいいでしょ」
 「視界がうるさい」
 「シンプル暴言」
 それでも席を立たない萩原さんを見て、シャーロットがなかなか本気の嫌そうな顔をしたけど、彼は素知らぬ振りでお冷を飲んでいた。ちゃっかり自分のも持って来たのか。
 「はぁ……ま、食べながらでいいから聞いておくれ。青行燈が現れた理由と、退治の方法を説明するからね」
 「は、はい!」
 「うん、返事がいい子は好きだよ」
 残ったパスタが僕のお皿に移動してきた。お腹いっぱいらしい。
 「青行燈。百物語が終わる頃に現れるとされる、日本の妖怪だね。長い黒髪に頭から生えた角、白い着物とお歯黒。由佳が言っていた特徴と綺麗に合致するから、まず間違いない。じゃあなんでこの青行燈が、由佳の元へ現れたのか。あの場には他の生徒だって大勢いたし、季節外れとはいえ他の学校でも同時刻に百物語をやっていたかもしれない。ではどうして? ……何でか、自分で想像つくかい?」
 「……真衣が、本格的だって言ってました」
 「その通り。あんたたち全員、お遊びにしては本気すぎたんだ。新月の夜、三つの部屋の配置、青い服、挙げ句の果てには鏡まで。参加人数の四十二も、忌み数だね。加えて、蝋燭を青い紙で囲ったってんなら、むしろ来ない方がおかしいだろうよ」
 青行燈。火の周りを、青紙で覆いしは。
 「百物語の形式に、学生が再現できる範囲で則った。そこまでお膳立てされて、青行燈は意気揚々と現れた。そんでもって、由佳、百物語の最後の語り部を務めたお前さんに取り憑いたってわけだ」
 しかも、彼女が語ったのは狒々のこと。作り物の怪談話ではなく、実際に誰かの身の上に降りかかった、本物の怪異の話だった。
 「退治の方法って、ある……んですよね」
 「もちろん。だからこうして話してるのさ」
 退治というよりは蒐集なんだけど、同じようなものと言われればそうだ。回収して、局へ送って。そこで何が行われているかは、詳しく知らない方がきっと身のためだ。
 「決着は今晩つけるよ。舞台は黒谷女子高校、由佳たちが使ったのと同じ教室。そこで今度は、あたいたちが百物語をする」
 「またですか!?」
 「ああ。ユータも含めて三人だ。話のタネについては安心しておくれよ、一晩じゃ語り尽くせないほどあるからね」
 「いや、その、そうじゃなくて、だってもしかしたら」
 「青行燈が現れるかも、って? むしろそれを狙ってるんだ、大歓迎だとも」
 それじゃあまずは蝋燭を買いに行こうか、とシャーロットは笑顔で立ち上がった。思い立ったら即行動は彼女の基本方針だけれど、百本もの蝋燭をどこで調達するつもりなのか、僕としてはそこから問い詰めたい。
 時間、時間。
 やってないよ? お店。
 「蝋燭どうするの」
 「でかいのをあるだけ買って、使い回せばいい」
 「それで成り立つの、百物語」
 「まあ、極上の怪談話を百も贈るんだからね、青行燈もそれぐらい目をつぶってくれるだろうよ」
 そういうものか。
 そういうものさ。

 06

 机の上に置かれたのは、太い蝋燭が十本と手鏡、青い折り紙。それから、三人ともお揃いの青い靴下を履いている。
 ……だいぶスケールダウンしたな。
 正直予算の問題もあったし、百貨店が並ぶ通りに滑り込んだのも閉店ギリギリの時間だった。そこから校舎に移動し、シャーロットが手際よく侵入経路を確保した頃には――西寺さんには別の方向を見ていてもらった。小柄な美少女が鮮やかに南京錠をこじ開ける場面は、教育上よろしくない気がしたので――、思ったより疲労感がすごかった。
 カフェで腹ごしらえしておかなければ、きっと空腹でしんどかっただろうな。……ちなみに萩原さんは、付いてこようとしたけどシャーロットに電光石火で止められていた。
 「ちゃんと現れますか、……青行燈」
 「そこは安心してもらっていいよ。ソシャゲで例えりゃ虹演出さ」
 「は、はあ……」
 今更ここでゲーマーの設定を持ち出すな。ただでさえ重量オーバーなキャラ設定がそろそろ崩壊するぞ。
 なんて突っ込みつつ、ライターで蝋燭に火を付ける。百物語は、僕もシャーロットの仕事を手伝ううちに何度か経験したことがあるけど、三人でやるのは初めてだ。西寺さんはそこまで話のタネがないだろうし、僕だって話すのは得意じゃない。ほとんど独壇場になるけど大丈夫だろうか、と後ろを振り向けば、
 「どんなのを話してやろうかねぇ……。いっそのこと青行燈の話も途中で混ぜてやろうか? 自分について話されちゃあ、恥ずかしがって出てくるかも」
 よし。
 何も心配いらなかった。
 度胸があるどころの話じゃない。そんなにウキウキで百物語に挑めるのは、シャーロットと……あと彼女の同僚ぐらいだろう。彼も満面の笑顔で参加しそうだ。
 「ほれユータ、こっちに座りな。今回の蒐集はお前さんに頼むんだから」
 促されるまま、隣に座る。彼女が怪異を蒐集する際の手順は少々特殊で、本人曰く「かかるコストがえげつないのさ。相手のHPを10とすれば、あたいは15ぐらいの力を出さなきゃいけない。だけどね、お前さんの場合は3ぐらいで済むんだよ」とのこと。
 さっぱりわからないけど、そういうことらしい。
 その手順や方法は追い追い説明していくとして、教室の電気を消した西寺さんが着席したのを確認する。さすがお嬢様学校と言うべきなのか、なんとこの椅子、クッション付きである。座ってもお尻が痛くならないし、なんなら背もたれにも付いている。もしかして今時の高校は、このタイプの椅子で統一されているんだろうか。何時間も座りっぱなしの生徒の健康を気遣っているんだとしたら、僕は何時間も立ちっぱなしの教師の方をこそ気遣うべきだと思うけれど。
 「今は教育について議論する場じゃないよ」
 ごもっとも。
 閑話休題。
 「さて、じゃあ始めるとしようか」
 との掛け声を合図に、僕らの百物語は開始した。順番はバラバラで、思いついたら挙手して話していくスタイル。ほとんどシャーロットが喋り続けていて、お茶のペットボトルでも持ってきてあげれば良かったと後悔したけど、彼女は楽しそうに語ることをやめなかった。
 ここは語り部として、僕が語った怪談話を記しておくべきだろう。だが、まあお察しの方もいると思う、僕はそこまで喋りが上手い方ではない。どちらかといえば聞く側だし。だからここは、怪異のプロフェッショナルである彼女の語りを、一つ紹介しよう。これから青行燈に挑むにおいて、そして今後西寺さんが怪異に関わり生きていくことにおいて、やはりシャーロットが積み上げて来た経験談に勝るものなどないのだから――
 「うん、これで八十七個目か。意外とつもんだねぇ、この蝋燭も。前に依頼で百物語をやったときは、手持ちの蝋燭が五本ちょっとしかなくてね。冷凍庫に入れておけば冷えて長持ちするだとか、色々必死になって頑張ったもんさ。
 「これだけ語っていれば、話のタネは尽きねども前口上が飽きてきちゃうね。歌舞伎風のはやり尽くしたし、ありきたりなのも繰り返して行けば興ざめさ。なんかいいの考えといてくれユータ、次はそれを使うから。
 「そんじゃ始めるよ、……これは、九州の方に出た妖怪の話さ。
 「……ん? ああそう、妖怪。
 「厳密に言えば、怪異ってのは二種類に分けられるんだ。一つは、日本の土着の伝承や言い伝え、あるいは古い本から生まれたもの。もう一つは、少人数か個人によって生み出された、完全にオリジナルなもの。前者を妖怪、後者を怪異と呼んで、便宜上区別してるってわけだ。青行燈なんかは妖怪に分類される。まあ、呼び分けるのも面倒だから一緒くたに怪異って呼んでるけどね。
 「そう。一個人でも、怪異は生み出せるよ。
 「相当な執着と怨念と、何より強靭な想像力が求められるけれど。不可能ってわけじゃないし、実際に対処に当たったこともある。そりゃあ厄介だった、知名度なんて全然足りてないだろうに、捕縛するのに数日を要したね。怪異蒐集局は、百鬼夜行で散らばったやつらの回収だけじゃなくて、もともとはそういったモノを管理する仕事がメインだったから、当然あたいも駆り出されたよ。
 「なにが悪かったって、その怪異は生みの親によって立派な名前を付けられたんだ。
 「亡くなった弟のね。
 「挙げ句の果てに、人を喰った騒ぎになって……すまねぇ、ちょいと話が逸れたや。
 「戻そう。
 「これは、九州の地方で目撃された妖怪の話さ。
 「実際に現地に行ったけど、いいところだったよ。川と田んぼが綺麗で、何だったっけねぇ、日本で最も美しい村なんて呼ばれてたかな。
 「それにあっさり頷けるぐらい、綺麗な場所だった。
 「じゃあそこに何が出たかってぇと、イデモチって名前の妖怪さ。
 「さかま淵、って淵の奥深くに棲み着いている妖怪でね。ちょうど季節が夏だったもんだから、泳いで会いに行ってやったわけだ。
 「いや、さすがに単身乗り込んで行ってはいないよ。ちゃんと一部隊引き連れて、万全の態勢で挑んだとも。
 「なにせイデモチは、人を捕まえて命を奪うって話だから。慎重にもなる。
 「まずあたいは、水の中に立っている障子を探した。……由佳は水泳って好きかい? あたいは苦手でね、カナヅチじゃあないが水の中で目を開けるのが嫌いなんだ。だから、わざわざ近場で水泳用の安っぽいゴーグルを買って、それを付けて捜索した。
 「なんで障子か、って言われても、そういうものなのさ。
 「イデモチは、淵の中に立てられた障子の中に棲んでいる、って。現地の爺さんに言われたよ。
 「その説がどこから来たのかって? 考えるだけ無駄だよ、今後はお前さんも怪異に遭うことが増えるだろうから言っておくけどね、起源やら理由やらは深く考える必要がない。
 「そんなの全部適当さ。
 「人が勝手に作って勝手に生み出して、また別の人間が新しい要素をくっつけて。そうやって広まっていくもんだからね、怪異ってのは。
 「障子の中に棲んでいると誰かが想像したから、が正答かねぇ。強いて言えば。
 「で、だ。
 「しばらく探していくうちに、仲間が発見したと報告を持ってきた。その場所に急行ならぬ急泳してみれば、確かに障子がある。奇妙な光景だったよ、水中にぷかぷか浮かんでいる何枚もの障子は。ああいう紙はふやけないもんだね、丈夫で感心したよ。
 「障子の奥に、何かが蠢いている。あたいが泳げる範囲より、ちょっとばかし深かったから、仲間をせっついて近くまで潜らせた。
 「……誰だい、今『囮か』なんて言ったやつは。お前さんたちのどっちだい。
 「お互いを指差すな。
 「……深くまで泳いでいった仲間が、突然上へ上がって来た。そりゃもう必死の形相で、『来るぞ!』って叫ぶもんだから、一斉に身構えてね。
 「ざばあっ、と盛大に水しぶきを上げて、そいつはあたいの目の前に現れた。
 「てらてらした皮膚、ぎょろりと大きな四つの目玉。口は耳元まで大きく裂けて、頭部はびっしり鱗で覆われている。蛙みたいな、河童みたいな体をしていたけれど、あちこちに立派な水かきが生えていた。
 「そいつの突き出た腹部には、聞いた通り、巨大な吸盤があってね。ああこれで人を捕まえるのかい、と思いながら、ぱんっと。
 「せいやっと、こう、祓ったって次第さね。
 「……あーもう、うるさいうるさい。
 「どんな方法で祓ったって、物語の大筋にゃ大して関係ないだろ。そんなに言わなくてもいいじゃねぇか、二人揃って。
 「ユータは知ってるし、由佳、お前さんも近いうちにどうせ見るよ。あたいの妖怪退治の方法を。
 「見ていて気持ちのいいもんじゃないから、省いただけだよ。
 「そうしてイデモチは祓われて、数時間後には帰りの新幹線の中さ。あれが美味かったよ、鮎の甘露煮が丸ごと一匹乗ってる弁当。炊き込みご飯にも鮎の出汁が染みててね、普段はもっぱら洋食しか食べないけれど、これなら頻繁に食べてもいいと思ったよ。
 「はい、これでおしまい。
 「一つだけ蛇足を添えるなら、淵の王と言われたイデモチに取られた人の命は、取り戻してやることが出来なかったって後味の悪さかな」
 ――と。
 こんな具合だ。前世が漫談家だと言われても信じられるような、そんな舌の滑り具合を、彼女は維持し続けていた。
 僕も西寺さんも少ししか話せなかったから、百のうち八十以上はシャーロットによって語られていたと思う。生き生きと百物語を楽しむ和装の美少女は、なんだかそれ自体が怪異じみていたけれども。
 彼女の強みは、これだ。
 無尽蔵の、怪異の知識。
 百鬼夜行が遂行された直後、混乱の渦に叩き落とされた社会をどうにか戻ったように錯覚させるため、怪異蒐集局が死に物狂いで動いたそうだ。そのとき、一番貢献したのは間違いなくシャーロットちゃんだよ、と萩原さんが教えてくれた。
 誇張でも何でもなく、彼女は日本に生まれた全ての妖怪をその頭に記憶している。
 気が遠くなるほど膨大な量の化け物を、一匹残らず。名前も出没場所も好物も弱点も。生ける妖怪図鑑みたいなものだ。局から通達される情報に毎朝目を通し、脳内の知識をアップデートして、少しでも多くの怪異を蒐集するべく動いている。
 細い両肩に背負うにはあまりに重すぎる責務を、軽々と乗せているのだ。
 その知識量を局に見込まれて、渋谷支部を任される立場になったものの、彼女自身には怪異を祓う技術がなかった。見えはするものの、触れはしなかった。
 だから、無理やり退治の術を身につけたらしい。少々特殊な手順を踏んで、かかるコストは高いけれど、どうにか怪異蒐集をこなしていたそうだ。
 シャーロットの手には負えないレベルの場合、同僚を呼んでよくツーマンセルで行動していたとか。それなら仲が良いだろうと思うけど、なぜだか二人は犬猿の仲である。
 何があったのか、いずれ聞き出したいところだ。
 ――さて、そんなこんなで、今語られているのは百個目の怪談だ。
 真っ暗闇の中に、シャーロットの饒舌な語りが響いている。そろそろ外す頃合いか、とかけていた眼鏡を取って胸ポケットに差し込む。
 ……冗談かと思っていたけど、本当に青行燈について話すとは思ってなかったぞ。
 話し終わる前に出て来たらどうするんだよ。西寺さん、明らかに怖がってるって。
 ってことさ、とシャーロットが話を締めくくった。立ち上がるためだろう、衣擦れの音が響く。……どうしたんだろう、やけに座り直しているな。着物の音は特徴的だから聞き分けしやすい、ここは声をかけるべきかと横を向いて。
 ――いた。
 白い着物に長い黒髪、長い角、そして何よりこの暗闇でもこんなにはっきり見える!
 「シャーロット!」
 「早く斬れ、由佳が危ない!」
 怒鳴るような声を遮って、青行燈が天井近くまで跳び上がった。ぐわあっと大きく口が開いて、真っ黒に塗った歯が剥き出しになる。
 「恨めしや、恨めしや、恨めしや、恨めしや」
 乾いた呟きが、ぐるぐると僕らの耳に落ちてくる。
 「まだ蝋燭を消してないんだがなぁ、そんなにこの娘が恨めしいか、青行燈!」
 「恨めしや、恨めしや、恋する乙女は恨めしやぁ」
 啖呵に乗せられて、白い着物がくるりと反転、僕に背中を向けた。大丈夫、落ち着け自分。そう言い聞かせつつ、懐から一枚のお札を取り出した。表面にびっしりと術式が描かれたこのお札は、怪異蒐集局謹製の道具だ。触れた怪異は、問答無用で本部に強制転移させられる。それを二本の指で挟んで、女の元へ走る。
 青行燈は、人の姿を取っている。ならば、狙うべきは首!
 暗闇の中に、着物の白がぼぅっと浮かんでいる。もう少し明るければ、と思った瞬間、眩しい光が女に突き刺さった。
 「草間さん!」
 西寺さんだ。持っているのは、スマホ? ライトで照らしているのか。
 悲鳴のような声に押されて、僕はお札を振りかざした。事前にシャーロットに言われたよう、裁縫鋏を強く意識して、首に――
 ――斬!
 お札が熱を持つと同時に、ぎゃあぁっと醜い絶叫がすぐ横で迸った。
 「ぎゃああああぁ、恨めしや恨めしや恨めしや恋する乙女は恨めしや恨めしや恨めしや!」
 白い着物に、鮮血が飛び散る。身をよじって苦しむ青行燈の体を、どす黒い泥が覆っていく。また西寺さんが悲鳴を上げて、反射的に駆け寄ろうとすると、「どきな!」と厳しい声が淀んだ空気を切り裂いた。
 「目ぇ逸らすんじゃないよ、由佳! ちゃんと見届けな、こいつが苦しみながら退治される末路を。お前さんが百物語で呼び寄せちまった怪異なんだ、最期を見ないでどうする!」
 ぐ、と悲鳴が止まった。その間も青行燈は泥に呑まれ、もうほとんど消えかかっていながらも、「恨めしや恨めしや恨めしや」と呪詛の言葉を吐いていた。
 西寺さんが、前に進み出る。
 直視するのも辛いだろう。けれど、彼女は恐怖で顔をぐちゃぐちゃにしてもなお、そこに立った。
 「ご、ごめんなさいっ」
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
 「辛いよね、ごめんね、だけど……ごめんなさい。ここで、祓われてください。わたしは、あなたに殺されたくありません……」
 「……」
 「それと、……あなたが人を殺したら……いや殺してるよね、でもこれ以上殺したらね、その……旦那さんが、きっと悲しむと思うの」
 「……」
 びちゃん。
 黒い泥が落ちて、それさえも溶け消えた。床に崩れ落ちて、西寺さんは声を上げて泣いていた。
 おしまいおしまい、とシャーロットの声が闇の中に響いた。

 07

 「やっぱり、あたいの部下ってチートじゃね?」
 「ラノベのタイトルみたいに言わないで」
 「お札一枚で祓えたら、もうあたいたちの仕事はなくなっちまうよ」
 「この話は何度もしてるけど、僕は怪異退治のプロじゃないんだから」
 「うるさいねぇ、いちいち……それにしても、このミルフィーユは天才だね。毎日食べたい」
 「それは良かった」
 「んふふ、ケーキで必須栄養素をバランス良く摂取できる世界線に生まれたかった」
 「独特な価値観……」
 「ところでユータ」
 「なんだいシャーロット」
 「一昨日からえらく気にしているけれど、そんなに由佳との恋バナが気になるかい」
 「いや、まあ……気になるっていうか、珍しいっていうか」
 「じゃあ逆に聞くがね、あたいが恋バナするような可愛らしい乙女に見えるかい?」
 「見えない」
 「あたいの手にフォークが握られていることを忘れてもらっちゃ困るねぇ」
 「シンプルに脅し」
 「ふん。……青行燈が描かれた古い絵にはね、行燈の前に裁縫道具と櫛と手紙が転がっているんだ。どこぞの誰かが、『この行燈の下で、他の女が夫に寄せた恋文を読んだ妻が、嫉妬に狂った姿が青行燈だ』みたいな解釈を立てた。だからあたいもちょいと聞いてみたのさ、お前さんに好いてる男はいるかいって」
 「ああ、なるほど」
 「そう。案の定由佳には恋人がいて、多分それが理由で夢に出て来たんだろうね。幸せそうに恋をする乙女が許せなかったんだろうよ、とばっちりもいいところさ」
 「……ねえ、シャーロット」
 「ふぁんふぁ?」
 「食べながら喋らないで、お行儀悪いよ。……最後、青行燈は黙っただろ。西寺さんに言われて、恨みの言葉を飲み込んだ。もしかしてなんだけど、少しでも彼女の言葉に心打たれた……みたいな、そんな展開を期待してもいいのかな」
 「はぁ? んなわけねぇや、あれは口が泥の中に呑まれたから、単に何も言えなくなっただけさ」
 「……」
 「由佳にも思ったけどね、なんでもかんでも美談っぽく締めるのは人間の悪癖だよ。とっとと直した方が身のためだ。青行燈は何を言われようが、最後までずっと由佳のことを、幸せな恋をする女を呪い続けていたに違いない」
 「……それこそ、きみの決めつけなんじゃないの」
 「その可能性だって十分あるさ。お前さんが言うように心打たれた展開だったかもしれないね、だけど青行燈は怪異だ。人間じゃあない。だったら、最後の最後まで自身の生みの親である人間を憎み続けるべきだろうよ、どうして自分は苦しみながら人を呪わねばならぬのだろうって」
 「……」
 「ま、この話はこれで終わりさ。次に移っていいかい」
 「……次? そんなに依頼が立て込んでいたっけ」
 「依頼だとするなら、その依頼主はあたいだね」
 ねえユータ、と。
 今日も着物を上品に着こなした、見目麗しい我が上司は、紅茶を片手に微笑んだ。
 「宿題やばいから手伝って」
 「……きみさあ」
 「さすがにやばい、数学がこの世から消えてくれるなら何だってするよ」
 「前も教えたでしょ、僕だって数学苦手だよ? 文学部だし」
 「これぐらいは解けないとやばいぞ」
 「明日からおやつ抜きにするけど」
 シャーロット。
 怪異蒐集局、渋谷支部の責任者にして、――齢十四の中学生である。
 「じゃあ朔に聞いてくる」
 「あの人は適当ばかり教えるからダメ」
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