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訳もなく、怖い。
目の前ですっかり寛いでいる人はよく知っている元婚約者のはずなのに、私はその存在を本能的に恐れている。

「あ、あの、お茶のおかわりを……」

震えそうになる声を耐えてどうにか絞り出した逃げる口実は、途中で喉につかえて出て来なくなった。

「少し落ち着けよ。お前にはこれから、大事な話をするんだからな」

立ち上がりかけた私の右手首をぐっと強く掴まれたからだ。

「大事な話、ですか?」

掴まれた右手を見つめながら尋ねる声は、必死に取り繕っても少し震えてしまう。それでも視線を合わせていないだけ、まだマシだ。だってさっき見てしまったアディール様の顔にはとても恐ろしい笑顔が浮かんでいたから。
さっきまでの私を嘲笑う顔ではなく、底が知れない恐ろしさを感じる顔。こんな顔をする人だったんだろうか?もしそうなら、私も人のことは言えない。ちっとも彼自身をきちんと見ていなかったんだもの。

自己嫌悪がよぎり始めた思考が急に止まる。掴まれた右手をアディール様が親指でゆっくりとさすりはじめた。

「ひぃ……あ、あの、離してくだ、さい」

悲鳴を飲み込んでどうにか拒否の意思表示をしたけれど、アディール様はちっとも聴こえていない風で指の動きを大きくする。

「こんな滑らかな肌だったとは惜しいことをしたな。楽しむだけ楽しんでおけば良かった」

「あ、あ、あのっ!」

「興が削がれるぞ、騒ぐな。触られるくらいどうと言うことはないだろう」

「で、でも!ーーー嫌、なのです」

触られる場所からゾクゾクと不快なものが這い出してくるような感覚がたまらなく嫌で、礼を失するのは分かっていてはっきりと言った。
こんな事を言われたらプライドの高いアディール様はきっと怒ってしまうだろうと身体を硬くしていたけれど、聞こえてきたのは意表をつく笑い声だった。

「はぁっはははっ!嫌だと!?婚約者に触れられるのが嫌とは、驚きだな。王子に求婚されたら急に尊大な物言いとは、笑えるな」

「こ、婚約者ではないです!だってアディール様が破棄を……」

「だがまだ正式に破棄の書面を交わしてはいないだろう?それにーーーこれまでも俺が触れることを許していた・・・・・・・・・・・・・・・・・・のに、今更そんな態度はないだろう?」

アディール様が急何を言いだしたのか分からない。夜会へのエスコートさえもろくにしてくれなかったのに、私を蔑む時しか私を見なかったのに。いつ触れ合ったと言うのだろう。数回エスコートされた時に腕に手を掛けた事を言っているの?

「おいおい、そんな不思議そうな顔をするなよ。俺たちは六年も婚約していたんだ、それなりの触れ合いがあっても非難されることもない。あぁ、でもコンラート殿下は俺のお古と結婚するのか。それはとても申し訳ないなぁ」

ニヤニヤと笑う目の前の人は、一体誰だろう。
こんな邪悪に瞳をぎらつかせて人を罠に嵌めようとする人が本当に誇り高い公爵家の嗣子なのか。
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