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第五章

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 リゼットは人混みをかき分けて走った。おそらく今までの人生で、一番走ったのではないだろうか。
 人混みから出て、湖のそばにたどり着く。後ろを振り返るが、誰も追ってきていなかった。

 息が上がっている。
 しゃがみ込み、深呼吸して息を整える。するとだんだんと感情が込み上げて、視界が波のように揺れた。
 涙だと、気がついたときには、嗚咽をあげていた。

「どうしたの?」

 顔を上げると、誰かが立っていた。
 涙で良く見えない。袖で涙を拭う。
 見覚えのある少年に、驚いて、息を呑む。

(どうしてここにいるの?だって貴方は灰になったはずよ)

 リゼットの思考を読んだように、少年は話を続けながら、近づく。

「僕は貴女の心の隙に、何度でも現れる」

 その眼が怪しく光る。
 少年 ――ヴィルデは、10歳くらいの見た目だが、リゼットを見る眼は強く鋭く、幼さを消していた。
 リゼットと目が合い、体がすくみ動けない。
 ヴィルデは立ったままリゼットの頬に触れる。その手は氷のように冷たい。

「僕は闇の配下。貴女の命が欲しい」
「わたくしが竜の力の継承者だから……?」

 頬に触れた手が、首筋を伝う。つーっと人差し指が伝うと、ぞわぞわとした不愉快感が広がる。
 リゼットを睨みながら、ヴィルデは両手でリゼットの首を掴む。

「どうして貴女は大切にされているの」

 指先がリゼットの喉に食い込む。
 圧迫され咳き込むが、喉から手が離れない。じわじわと力が加わる。
 声など出るはずがないのに、ヴィルデの問いかけは続く。

「僕たちを助ける人なんて、誰もいなかった」

「暗い中に閉じ込められ、力を抑え込まれ、自由なんてない」

「1年に1度だけ、青空を見られたんだ。そんな思い、貴女にはわからないだろう?」

 リゼットに問いかけるヴィルデは、涙声になっていた。
 指先が白く、リゼットの肌に爪が食い込み血が滲む。

(ヴィルデ……、あなたも苦しかったのね……)

 リゼットは、視界がぼやける中、手を必死に上げて、ヴィルデの顔に触れた。
 その顔をそっと両手で包み込むと、ヴィルデが怯んだ。リゼットの首から手を離し、払いのけようとする。

「待って……!」

 リゼットがヴィルデの腕を掴み、その顔を胸に抱いて頭を撫でた。

「何をする!?」
「ヴィルデ、あなたはわたくしと同じ、竜の力の継承者でしょう?」
「うるさい!!」
「気がつかなくてごめんなさい。ずっと苦しかったのでしょう?」
「……黙れっ!!」

 ヴィルデはリゼットを突き飛ばす。
 尻餅をついて地面に倒れるリゼットに、ヴィルデは怒りをあらわにした。

「何だよ、その目は。僕たちを可哀想だと思っているのか?」
「違うわ」
「じゃあ、僕を見るな!!!」
「嫌よ」

 リゼットが即答すると、もう一度、ヴィルデに近づいた。
 ヴィルデが手をかざし、氷状の剣を手に取る。その剣をリゼットに向けるが、リゼットは気にせずにヴィルデの前に立つ。

「大丈夫。もう、ヴィルデが思うような怖いことは起こらないわ。全部、終わったのよ」
「嘘をつくな」
「嘘じゃないわ。祠を見て。あの場所にある宝石が、竜の力を納めてくれている。もう、わたくしたちのような人は生まれないわ」
「嘘だ、どうせ貴女も騙されている!!僕たちは ――」
「……わたくしを信じて。あなたと同じ、竜の力の継承者でしょう?」

 リゼットはヴィルデの持つ、剣を握る。鋭利な切っ先は、リゼットをひとつも傷つけず、春の雪のようにゆっくりと溶けていった。
 リゼットの脳裏に、言葉が浮かぶ。この言葉がきっと、ヴィルデたちを解放してくれると直感した。

「あなたは ――あなたたちはずっと、悲しみや憎しみに包まれていたのね。今、開放するから、待っていて」

 リゼットはヴィルデの頭を撫で、子どもをあやすように背中をトントンとさする。
 そうして、剣がすべて溶けると同時に、ヴィルデを癒す言葉を紡いだ。

 その言葉は、リゼットが幼い頃に聞いた、母の子守唄だった。
 雪が溶けて、春の木漏れ日を歓び、夏に木々が色鮮やかになり、冬には人々が春を待ち焦がれる。
 子どもの成長と、四季の移り変わりを楽しみにする歌だった。

 ヴィルデは抵抗もせず、リゼットの肩に額をつけていた。力が抜けて、リゼットに身を任せていた。
 リゼットが歌い終わると、ヴィルデは寝息を立てていた。

「ヴィルデ?」

 リゼットにもたれかかっていた、ヴィルデの重さがなくなる。
 抱きしめている体も、霞のように半透明からだんだんと色を無くしていった。
 ふと、ヴィルデが顔を上げて、リゼットを見た。その顔は幸せそうに笑っていた。

「リゼット、ありがとう。僕たちを助けてくれて……ありがとう」

 リゼットの額に口付けをして、ヴィルデは光に包まれて、やがて消えた。
 リゼットは、その光景を見守った。そうして、手に残る、ヴィルデの温もりが消えるまで立ち尽くした。

 日が湖の向こう側に沈みかけていた。
 もうとっくに儀式の片付けは終わっているだろう。遠くから人が歩いてくるのが見えた。

「……レオン」

 リゼットが名を呼ぶと、ほっとしたように駆け寄ってきた。

「リゼット、ひとりでこんなところにいて、大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫です」
「もう?」

 馬車が待っているという場所まで、リゼットは歩きながら先程の話をした。
 レオンは黙って聞いてくれた。

「闇の配下は、今までの竜の力の継承者の負の感情だったのでしょう。ヴィルデは……その感情が姿になったもの。多分。でも何故男の子の姿なのかしら」

 レオンは1度もヴィルデを見たことがなかったが、ミヨゾティースの地下の部屋でひっそりと産まれた子どもがいたことを、報告の書類で知った。
 母が竜の力の継承者で、一緒に生涯を地下で過ごした。
 その子どもはおそらく、竜の力の継承者として、リゼットが大切にされていたことを羨んだ。そして、自分たちと同じようになって欲しいと、望んでいたのかもしれない。

「ヴィルデは……最期は笑っていました。もう、誰も不幸にならないとわかって、笑っていました」
「……そうか」

 リゼットは立ち止まり、レオンの名を呼んだ。
 レオンの手を引いて、爪先立ちになる。唇を重ねて、顔を真っ赤にしながら、目を見つめた。

「レオン、ずっとわたくしを愛してくださってありがとうございます。きっと、レオンがいなかったら、わたくしはヴィルデと同じ姿になっていました」

 そう言って、レオンの胸に飛び込んだ。レオンは驚きながらも、リゼットを抱きしめる。
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