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第4章

14 選択

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 飛んだり、跳ねたり。

 弾んだり、蹴ったり。

 マリーは歌った。
 足取りは軽やかで、くるくると回りながら歌った。抑えつけられてきた力が解放されて、巻き戻された時間が元の位置に戻ろうとしていた。体つきも変わり、手足が伸びた。ワンピースの裾から膝小僧が見え隠れして、体に合っていない。爆発していたもじゃもじゃ頭も、指が通るくらいするりと肩まで伸び、ゆるふわな軽やかさが生まれていた。しかし靴は履いてなかった。
 
 「…みっともないわね」
 サリエは嘆いた。いずれ巫女神となり、人々を導いていく立場になろうとしている娘だ。信者達が見たらどう思うか。顔や腕に擦り傷や泥汚れも点々としていて、見るに耐えない。

 「もう少し行ったところに衣類部屋があるから、着替えなさい」

 「はーい」

 「あなたがたも着替えたら?」

 サリエは雪とディルにも声をかけた。
 「ここは服も白を基調としているのよ。今の姿は目立つわ」

 二人共顔を見合わせた。二人とも土色の外套を着ていた。砂漠では保護色だが、白亜の建物に囲まれている場所では、異物混入と騒がれても致し方ない。

 「んじゃ、外套だけ替えるかな」

 ディルはめんどくさそうに頭を掻いた。着替えるなら、水浴びをしたいと背中が言っていた。

 「…私は中はボロボロだけど、上着はこのままでいい。これ借り物だから」

 元はシャドウの外套だ。サイズが大きすぎて腕まくりをしている。でも着ていると温かさだけでなく、守られているような感覚になり大変心地が良いのだ。

 「じゃあせめて肩にショールでも掛けなさいよ」
 さっき私が貸したショールは、マリーの鼻水と涙拭きに変わり果てたから使えないでしょうけどと、サリエはまたブツブツと嘆いた。

 「…ああ、あれね」

 金糸で刺繍が細やかに施されていて、とても上品な物だった。サリエの香水がふわりと鼻をついた。
 今はマリーの首に巻き付けられ、そよ風になびいていた。

 「あれは加護と治癒の祈りを込めて編んだ最高級品なのに」
 手練れの職人が、最高級の上質な生地に一糸一糸針を刺して作り上げた秀品だ。サリエは恨めしそうに雪を睨んだ。

 「…感謝してます」

 いつしか怪我の痛みが治ってきているように感じた。シャドウといい、サリエといい、こちらの人には助けられてばかりだ。
 影付きに興味がないと言いつつ、物陰から刃物でぶすりとかないよね?優しく接して油断させて捕まえるとかないよね?
 油断大敵だ。優しさに凭れて手のひらを返されたことなど何度もある。甘えも禁物。などと考えてしまうのは、私の未熟さが関係している。真実を見抜ける力が欲しい。この人達を信じられる気持ちになりたい。
 大丈夫だと言われつつも、マリーが歌う度に胸が痛い。地面を蹴る度に体が軋む。怪我の痛みではなく、内側から攻撃されているみたいだ。じわじわと毒薬がカプセルから溶け出していくみたいに。髪の毛の生え際から汗が噴き出してくる。流れ出してくるのを指先で押さえた。見られたら心配される。
 横目でディルを見た。こっちの異変には気付かれてない。先を歩くサリエもマリーも気付いてない。
 雪はよかったとホッと胸を撫で下ろした。
 
 「あそこよ」
 サリエの指先はカーブがかかった坂道の奥を指していた。

 「…もう少しって言ってたのに結構遠いね」

 緩急のきいた坂道の先にオレンジ色の花の木が見えた。白壁にオレンジ色が映える。田舎の凌霄花ノウゼンカズラを思い出した。艶やかな花は、真夏の日差しにも負けずに胸を張って咲いていた。今の私とは大違いだ。

 「大した距離じゃないわよ。まさかもう疲れたの?体力ないわねぇ」
 サリエは雪を見て呆れていた。

 「面目ないです」

 体力がないのはバレバレだ。体が怠いのも熱っぽいのも毒薬のせいなのかな。いや、でも。毒を仕込まれた形跡がない。怪我で意識のないうちに飲まされたとか?

 いや、でも、、

 自問自答を繰り返しては、はぁはぁと息が上がった。

 「ねーさん、先に行っててくれよ。ぼくはこいつを見てるから」
 ディルは一人先を行くマリーに視線を飛ばした。

 「…わかったわ。あなた達の服は適当に見つけておくわ」

 「頼みます」

 ディルは、いつになく丁寧にサリエに頭を下げた。雪を横目で見遣る。気を張っているつもりでいても体調の変化ぐらい見ればわかる。ディルの心を読み取る能力のことさえ忘れているのだ。
 ディルはサリエに近付き、そっと耳打ちをした。

 「怪我の痛みが消えても、だいぶ体力は落ちてるから、少し休ませる」

 「…耳が痛いわね」

 「あっ、そういう意味じゃ…」

 「わかってるわ」

 サリエはふふふと微笑を浮かべてディルの頭を撫でた。いい子ねとあやすような手つきだった。

 「子ども扱いしないでくれよ」

 ディルは苦虫を噛み潰したような顔をして、唇をへの字に曲げた。サリエはディルの苦情は無視をしてマリーの後を歩いて行った。

 「おい、大丈夫か?」
 ディルは、道の真ん中でへたり込む雪を背負うように腕を脇の下から通した。木の下にちょうど木陰があり、雪をそこに寄りかかるように座らせた。

 「…ディルさん。ありがとう…」
 青ざめた表情で声を振り絞って出した。喉からヒューヒューと息が漏れる。

 「また不細工になってるぞ」
 考え事するとおかしくなるよな。とディルは腰に巻き付けてあったバッグから小さな缶を出した。
 
 「口開けろ」
 雪の返事を待たずに、缶から出したものを口の中にねじ込んだ。

 「…ふぁ?なにほれっ…」
 いきなり口の中に放り込まれた異物に、朦朧としていた意識が目を覚ました。
 舌と歯で感じたそれは、ざらっとした砂糖をまぶした半凝固したグミのようなものだった。それなりに弾力がある歯ごたえだ。味は、
 
 「…あま……酢っぱ!!いや、苦い?なにこれ変な味!」
 吐き出すわけにもいかずに、雪は口の中のグミに苦戦しながらも何とか飲み込んだ。

 「何すんの!ディルさん!」

 「ハハハ!変な顔!」
 ディルは雪の両頬をぐにっと掴んだ。

 「おまえの好きなシャンシュールの果汁を絞って固めた菓子だよ。そのままだと酸っぱすぎて食べづらいから砂糖をまぶした。苦く感じるのは熱があるからじゃないか?隠してたってバレバレなんだよ」
 ぼくの能力を忘れたか?
 ディルは雪の額に手を当てた。汗が滲む額は、熱く煮えたぎっているようだった。

 「忘れてた…」
 とろんとした目つきで雪は答えた。好物を口にしても一瞬の回復だけでは意味がない。

 「シャドウのことしか信用できないのか?」
 ディルは、シャドウの外套を大事そうに抱える雪を恨めしく思った。離れていても二人は繋がっているように感じ、自分だけ蚊帳の外にいる気がした。

 「そんなことない!…けど、言ったら、心配かけちゃうでしょ?やっとの思いで外に出たマリーに、歌うのをやめてとは言えない。…私は我慢できると思ったから。黙っていようと思ったの」
 雪は、ボソボソと力なく答えた。

 「マリーの歌がおまえの体調を悪くさせてるのか?何で?」
 ディルは雪の体を支えるように抱き抱えた。

 「……花が、咲くから」
 
 もう無関係とは思えなかった。
 マリーの歌声で、国花のリュリュトゥルテの開花を後押ししている。開花はすなわち、影付きの処刑を表している。

 「だけど、それはきっと、」
 花が咲けば、マリーにかけられた禁呪が解ける。

 自分が死ぬことは恐ろしいけれど、マリーの成長を見届けたい気持ちでもある。両天秤だ。揺れる度に胸が苦しくなる。

 「そんな馬鹿な話があるかよ!」
 ディルは坂道の奥を見つめた。今も気持ち良く歌を歌うマリーの姿が見えた。隣にはサリエ。仲違いしていたと聞いていたが、二人並ぶ姿は微笑ましく、本当の親子にも見えた。

 「やめろ、マリー!」
と、叫ぼうとディルは立ち上がる。やめるのはおまえだと言わんばかりに雪はディルの腕を引いた。

 「馬鹿か?おまえが我慢するのはおかしいだろう!」
 ディルは雪の腕を引き離そうとするが、なかなかかわせなかった。

 「成長を…」
 止めさせたくないと雪は消え入りそうな声で訴えた。この選択は正しいかどうかはわからない。だけど!
 
 正常か異常か。
 幸か不幸か。
 決めるのは私ではないかもしれない。
 だけど!

 体中が震え出した。寒気が猛烈なスピードで巻き起こってきた。軋む骨の音が胸を突き刺していく。

 「そろそろ頃合いじゃの」

 木立ちの中から降って湧いた声は、雪の鼓膜に直に語りかけてきた。ビリリと鈍い痛みを響かせて、静止させていたディルの腕の束縛を解いた。パタリと力なく離された腕の先には、雪の姿はなかった。
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