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第3章
8 ロストコントロール
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呪いは解かないと消えない。何度も繰り返すフラッシュバックに悩まされるくらいなら、根源を断つしかない。
チカラが無限にあるわけじゃない。想いが永遠に続くわけじゃない。でも一生、付きまとわれるくらいならこれはいい選択なのかもしれない。
消してしまえばいい。私を苦しめたこの男を滅してしまえばいい…
「…ぐっ…ぶっ」
悪鬼を全身に纏ったまま、雪はチドリに馬乗りになり首に両手をかけていた。親指の腹がみしみしと喉仏を圧迫していく。爪が刺さり、赤い筋が走る。
「は、離せ…」
チドリはもがきながら雪の手を払おうとするがびくともしない。焦点の合わない瞳には自分の切羽詰まった顔だけが写っていた。
この力は何だ?この悪鬼はどこから来た?影付きの力なのか?それとも別の侵略か?
チドリは必死に頭をひねって考えるが理由も原因もわからなかった。雪の力は強く、どんなに爪を立てても足で蹴っ飛ばしても微動だにしなかった。抵抗をすればするほど圧力はかかり、悪鬼の威嚇が増すばかりだ。
「あ、悪鬼め!チドリ様から離れろ!」
弓を構えた信者が扉の影から現れた。蔓をいっぱいに引き、矢じりは雪に向けられた。その後ろにはサリエの姿もあった。息を切らし、髪を振り乱してサリエは入るや否やチドリを見て慌てふためいた。
「これはどういうこと!お前は何者なの!!」
何者と問われても矢を向けられても、悪鬼の勢いは止まらなかった。霧は雪の腕に絡みつき蔦のように這い、両手に力を加えるようにチドリの首にも巻き付いた。手は首を絞るように捻り上げる。
「ぐぎ…ぎ」
チドリの意識が途切れる際に、矢が放たれた。鋭い一閃が雪を目がけて飛んで来た。
しかし雪に届く前に矢の動きは止まった。何かに遮られてポキッと半分に折れ、床に落ちた。
信者は目を瞬かせる。おかしいと思いもう2、3本打ち込むが結果は同じだった。
「たわけ。お前の腕では何本打っても当たりゃあせんわ」
突然湧いて来た声に信者はサリエと共に辺りを見渡した。
「何者!?」
事情がわからないサリエは何を問うかもわからずにオロオロするばかりだ。
「人に名前を問う前に自分から名乗れ馬鹿者共が」
「なんですって!」
馬鹿者と罵られてサリエは怒りを爆発させた。言われっぱなしは我慢できない。
「…何やら仲間と似た匂いがするかと思えば、お前か。影付きの娘よ」
鬼とは別の靄が天窓から現れた。種類の違う気配にチドリはギョッとした。なぜ、こんな易々と神殿の結界を解いて進入して来れたのか?
霧はニヤニヤと怪しく笑む。輪郭は無くとも人型に形成され、今にも「人間」になりそうだった。
「久しいのぅ。気配がわからのうて探しておったが、まさかこんなところにいるとは」
霧はナイトメアだ。いつだったか雪を囚えようとしていた。本来は人の夢の中に侵入し、内容を操作したり、悪戯を仕掛けたりするがこいつは例外だった。現の世界を自由に行き来する。
「…ほれ。そのへんにしとかんと本当に死ぬぞ。神官殺しは重罪だ」
儂は構わぬがなと言うも、ナイトメアは杖で雪の背中を叩いた。雪の体に纏わり付いていた悪鬼共がギャアギャア奇声を上げて弾けた。全てが弾け飛んだ訳ではなく、残りは部屋の隅で徒党を組んでいた。その隙を見計らい、チドリは雪を振り払った。ひどく狭まれた気道が大きく開き、空気が流れ込んで来た。
「ゲホッゲホッゲホッ!!」
チドリは喉を押さえながら床を転がった。呼吸を整えるにも時間がかかる。立ち上がるのも容易ではない。酸素が欠乏し目眩と頭痛に襲われていた。サリエはかけ寄り、チドリの体を支えた。
雪もまた虚ろな瞳をしていた。チドリに突き飛ばされたままの姿勢で横たわっていた。意識が飛んでいるようだ。霧はまだ雪の周りに浮遊していた。
「…慣れないものを呼んだりするから体がついてこんのだ。お前にはちぃと荷が重すぎたんじゃないか」
ナイトメアは雪の体の上を杖で、頭からつま先までひと撫でした。その動きに沿って雪からチドリへと視線をスライドさせた。
「こんな面倒なことをさせたのはお前か?」
ニヤついた顔が一新し、冷めた目つきでチドリのを見下ろす。
「…お前は誰だ?肉体のない姿で何故ここに来れた?」
チドリは未だ膝をついたままでいた。力が入らないのだ。
「何故だと?おかしなことを言う。ここにはもう神の加護などあってないような物だろう。今はルオーゴ神殿には大神官は不在と聞いたぞ。儂の獲物にいらんちょっかいを出す前に、己れの態度を見直せ。悪鬼まで呼び出させておいて殺られずに済んだのは運のいい奴だ。大神官になりそこなったクズめが」
ナイトメアは嘲笑いながらチドリを見下ろした。
目を閉じているのに瞼の裏で、何やら動いているのが見えた。ネズミかな?黒くてモヤモヤしている。
雪はゆっくり目を開けるとボヤっとした世界が広がっていた。眠りから覚めた後の目の前に薄い膜が貼られているみたいな感じだった。おぼろげなモザイクみたいな歪んだ世界。
「気がついたか?」
「…はぁ?ナイトメア?どうしてここに…いるの?」
斜め上あたりに浮遊する霧は以前に一度出会っていた。口の悪い夢魔だ。
「負の陰気がここら一帯にはびこっておっての。憎悪は悪鬼に変わり、儂みたいなのが呼び寄せられるのじゃ」
「悪鬼?」
「ほれ、お前の周りにもおるぞ」
黒く蠢く無数の影に、雪は慌てふためいた。ついさっきまで全身に纏っていたのに。今は初めて見るかのように怯えた。
「ひっ!」
雪は悲鳴を上げてナイトメアの後ろに隠れた。その反対側にはチドリがサリエに支えられながら座り込んでいた。
雪の表情はみるみる歪み、こぶしを握りしめ、怯えるような目つきでチドリを睨んだ。
「神殿の中にまで入り込める程の強いエネルギーだ。ま、ここの結界なんざザルだから大したことはないが、お前のような奴がこんなのを生み出すとはな。なんぞあったか?」
ナイトメアは雪とチドリを交互に見比べた。
「…やめて、言いたくない。思い出させないで!」
雪はかぶりを振り、自分自身を抱き締めた。意識をしなくとも嫌でも記憶は蘇る。無理やり押さえつけられた体を。塞がれた唇を。
「…ふん。こんな場所に若い娘を閉じ込めておくようなやつにまともな思考があるとは到底思えんな」
ナイトメアは鼻で笑った。
「こんな場所?」
雪は怪訝な顔でナイトメアを睨む。
「知らんのか?ここは天上により近い塔のてっぺんで隣は祭壇だ。大方、巫女との結婚式と称しているが実のところ、お前を嫁に娶ろうと考えているのではないか?」
「はあ?なんでそうなるの」
「お前はおもしろいからな。儂とて手に入れたくなるくらいだ」
「…ふざけたこと言わないで。そんなこと聞いていられる余裕なんてない」
寒気がする。思考が追いつかない。
「ふん、若い娘にそんな歪んだ顔をさせることなど大抵想像できるわ。その痣も関係しているのだろう?」
雪の手首にこびりついた指の痕。忌々しく、未だ消えない。今も拘束されているかのようだ。
「…やめてよ」
恨み嫉みの負の感情は悪鬼になりやすい。残っていた悪鬼共がわらわらと雪にしがみついてきた。
「いい図だ。どうれ、儂がとどめを刺してやろう」
ナイトメアは雪の背中側から、雪の中に入り込んできた。意識は雪のままだが、体をコントロールする主導権はナイトメアだ。
ヌッと伸ばした腕でチドリの首をもう一度締めにきた。チドリの首には無数の指の跡が付いていた。
「グエッ!!」
ナイトメアに体を乗っ取られた。だが意識は雪のままだ。目の前で起きている事実を目の当たりにし、体の奥から吐き出すように叫んだ。
「やめて!こんなこと望んでなんかいない!」
自分の手で人の息の根を止めようとしている。
「なに綺麗ごとを言ってる。こいつはお前の女としての尊厳を踏みにじった奴だぞ。そんな奴を生かしておいていいのか?お前も願っただろう。こいつの死を。今のお前なら、儂の力でこのままこの首を捻り潰すのもわけないぞ」
ナイトメアは雪の為だと笑うが、決してYESと答えられるわけがない。
「でも違う!憎いのは変わらないけど、殺していいとかじゃない!やめてナイトメア!お願い!手を離して!!」
自分の手が人を殺そうとしている。
誰か私の手を止めて!!
呪いは解かないと消えない。何度も繰り返すフラッシュバックに悩まされるくらいなら、根源を断つしかない。
チカラが無限にあるわけじゃない。想いが永遠に続くわけじゃない。でも一生、付きまとわれるくらいならこれはいい選択なのかもしれない。
消してしまえばいい。私を苦しめたこの男を滅してしまえばいい…
「…ぐっ…ぶっ」
悪鬼を全身に纏ったまま、雪はチドリに馬乗りになり首に両手をかけていた。親指の腹がみしみしと喉仏を圧迫していく。爪が刺さり、赤い筋が走る。
「は、離せ…」
チドリはもがきながら雪の手を払おうとするがびくともしない。焦点の合わない瞳には自分の切羽詰まった顔だけが写っていた。
この力は何だ?この悪鬼はどこから来た?影付きの力なのか?それとも別の侵略か?
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「あ、悪鬼め!チドリ様から離れろ!」
弓を構えた信者が扉の影から現れた。蔓をいっぱいに引き、矢じりは雪に向けられた。その後ろにはサリエの姿もあった。息を切らし、髪を振り乱してサリエは入るや否やチドリを見て慌てふためいた。
「これはどういうこと!お前は何者なの!!」
何者と問われても矢を向けられても、悪鬼の勢いは止まらなかった。霧は雪の腕に絡みつき蔦のように這い、両手に力を加えるようにチドリの首にも巻き付いた。手は首を絞るように捻り上げる。
「ぐぎ…ぎ」
チドリの意識が途切れる際に、矢が放たれた。鋭い一閃が雪を目がけて飛んで来た。
しかし雪に届く前に矢の動きは止まった。何かに遮られてポキッと半分に折れ、床に落ちた。
信者は目を瞬かせる。おかしいと思いもう2、3本打ち込むが結果は同じだった。
「たわけ。お前の腕では何本打っても当たりゃあせんわ」
突然湧いて来た声に信者はサリエと共に辺りを見渡した。
「何者!?」
事情がわからないサリエは何を問うかもわからずにオロオロするばかりだ。
「人に名前を問う前に自分から名乗れ馬鹿者共が」
「なんですって!」
馬鹿者と罵られてサリエは怒りを爆発させた。言われっぱなしは我慢できない。
「…何やら仲間と似た匂いがするかと思えば、お前か。影付きの娘よ」
鬼とは別の靄が天窓から現れた。種類の違う気配にチドリはギョッとした。なぜ、こんな易々と神殿の結界を解いて進入して来れたのか?
霧はニヤニヤと怪しく笑む。輪郭は無くとも人型に形成され、今にも「人間」になりそうだった。
「久しいのぅ。気配がわからのうて探しておったが、まさかこんなところにいるとは」
霧はナイトメアだ。いつだったか雪を囚えようとしていた。本来は人の夢の中に侵入し、内容を操作したり、悪戯を仕掛けたりするがこいつは例外だった。現の世界を自由に行き来する。
「…ほれ。そのへんにしとかんと本当に死ぬぞ。神官殺しは重罪だ」
儂は構わぬがなと言うも、ナイトメアは杖で雪の背中を叩いた。雪の体に纏わり付いていた悪鬼共がギャアギャア奇声を上げて弾けた。全てが弾け飛んだ訳ではなく、残りは部屋の隅で徒党を組んでいた。その隙を見計らい、チドリは雪を振り払った。ひどく狭まれた気道が大きく開き、空気が流れ込んで来た。
「ゲホッゲホッゲホッ!!」
チドリは喉を押さえながら床を転がった。呼吸を整えるにも時間がかかる。立ち上がるのも容易ではない。酸素が欠乏し目眩と頭痛に襲われていた。サリエはかけ寄り、チドリの体を支えた。
雪もまた虚ろな瞳をしていた。チドリに突き飛ばされたままの姿勢で横たわっていた。意識が飛んでいるようだ。霧はまだ雪の周りに浮遊していた。
「…慣れないものを呼んだりするから体がついてこんのだ。お前にはちぃと荷が重すぎたんじゃないか」
ナイトメアは雪の体の上を杖で、頭からつま先までひと撫でした。その動きに沿って雪からチドリへと視線をスライドさせた。
「こんな面倒なことをさせたのはお前か?」
ニヤついた顔が一新し、冷めた目つきでチドリのを見下ろす。
「…お前は誰だ?肉体のない姿で何故ここに来れた?」
チドリは未だ膝をついたままでいた。力が入らないのだ。
「何故だと?おかしなことを言う。ここにはもう神の加護などあってないような物だろう。今はルオーゴ神殿には大神官は不在と聞いたぞ。儂の獲物にいらんちょっかいを出す前に、己れの態度を見直せ。悪鬼まで呼び出させておいて殺られずに済んだのは運のいい奴だ。大神官になりそこなったクズめが」
ナイトメアは嘲笑いながらチドリを見下ろした。
目を閉じているのに瞼の裏で、何やら動いているのが見えた。ネズミかな?黒くてモヤモヤしている。
雪はゆっくり目を開けるとボヤっとした世界が広がっていた。眠りから覚めた後の目の前に薄い膜が貼られているみたいな感じだった。おぼろげなモザイクみたいな歪んだ世界。
「気がついたか?」
「…はぁ?ナイトメア?どうしてここに…いるの?」
斜め上あたりに浮遊する霧は以前に一度出会っていた。口の悪い夢魔だ。
「負の陰気がここら一帯にはびこっておっての。憎悪は悪鬼に変わり、儂みたいなのが呼び寄せられるのじゃ」
「悪鬼?」
「ほれ、お前の周りにもおるぞ」
黒く蠢く無数の影に、雪は慌てふためいた。ついさっきまで全身に纏っていたのに。今は初めて見るかのように怯えた。
「ひっ!」
雪は悲鳴を上げてナイトメアの後ろに隠れた。その反対側にはチドリがサリエに支えられながら座り込んでいた。
雪の表情はみるみる歪み、こぶしを握りしめ、怯えるような目つきでチドリを睨んだ。
「神殿の中にまで入り込める程の強いエネルギーだ。ま、ここの結界なんざザルだから大したことはないが、お前のような奴がこんなのを生み出すとはな。なんぞあったか?」
ナイトメアは雪とチドリを交互に見比べた。
「…やめて、言いたくない。思い出させないで!」
雪はかぶりを振り、自分自身を抱き締めた。意識をしなくとも嫌でも記憶は蘇る。無理やり押さえつけられた体を。塞がれた唇を。
「…ふん。こんな場所に若い娘を閉じ込めておくようなやつにまともな思考があるとは到底思えんな」
ナイトメアは鼻で笑った。
「こんな場所?」
雪は怪訝な顔でナイトメアを睨む。
「知らんのか?ここは天上により近い塔のてっぺんで隣は祭壇だ。大方、巫女との結婚式と称しているが実のところ、お前を嫁に娶ろうと考えているのではないか?」
「はあ?なんでそうなるの」
「お前はおもしろいからな。儂とて手に入れたくなるくらいだ」
「…ふざけたこと言わないで。そんなこと聞いていられる余裕なんてない」
寒気がする。思考が追いつかない。
「ふん、若い娘にそんな歪んだ顔をさせることなど大抵想像できるわ。その痣も関係しているのだろう?」
雪の手首にこびりついた指の痕。忌々しく、未だ消えない。今も拘束されているかのようだ。
「…やめてよ」
恨み嫉みの負の感情は悪鬼になりやすい。残っていた悪鬼共がわらわらと雪にしがみついてきた。
「いい図だ。どうれ、儂がとどめを刺してやろう」
ナイトメアは雪の背中側から、雪の中に入り込んできた。意識は雪のままだが、体をコントロールする主導権はナイトメアだ。
ヌッと伸ばした腕でチドリの首をもう一度締めにきた。チドリの首には無数の指の跡が付いていた。
「グエッ!!」
ナイトメアに体を乗っ取られた。だが意識は雪のままだ。目の前で起きている事実を目の当たりにし、体の奥から吐き出すように叫んだ。
「やめて!こんなこと望んでなんかいない!」
自分の手で人の息の根を止めようとしている。
「なに綺麗ごとを言ってる。こいつはお前の女としての尊厳を踏みにじった奴だぞ。そんな奴を生かしておいていいのか?お前も願っただろう。こいつの死を。今のお前なら、儂の力でこのままこの首を捻り潰すのもわけないぞ」
ナイトメアは雪の為だと笑うが、決してYESと答えられるわけがない。
「でも違う!憎いのは変わらないけど、殺していいとかじゃない!やめてナイトメア!お願い!手を離して!!」
自分の手が人を殺そうとしている。
誰か私の手を止めて!!
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