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第3章
19 無限ループ
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他人より優位に立つことはそんなに悪いことだろうか。
育った環境が違えば境遇も違う。獣人が迫害されていた時代でもほぼ無傷でいられたことが今になって重荷に感じる。
「…それはディルさんに悪いと思うから?」
自分が不幸だとは思わない。他の獣人に比べたらかなりマシな方だ。
でも、幸せだったとは言えない。…とは口にしてはいけない。
母親と暮らしていた。生まれてきた息子に、尻尾が付いていて、さぞ驚いたことだろう。
父親の姿はなかった。死んだのか別れたのかは定かではない。兄弟はいない。
母はオレをみんなから隠していた。人の目に晒されないよう家の中でも一番奥の部屋に閉じこもっていた。隠れるように暮らしていた。少しでも他人の視線や噂を感じたら引越した。何ヵ所も転々とした。だから故郷という場所はない。
育てられたというよりは、監視下に置かれていた。噂が立ったら周囲にバレて捕まってしまう。だから何も喋るなと、声を出すなときつく言われていた。
母が仕事の時は外に出られないように扉には鍵がかけられていた。
食事は用意されていたが、いつも質素なものばかりだった。ボソボソのパンに具のないスープ。洋服はいつも同じ。薄地の長袖と長ズボン。裾が擦り切れ、ほつれたり、穴が空いたりした。尻尾の穴を空けたら嫌な顔をされた。
隠れて暮すにはお金がかかるという。だから母は毎日働きに出ていた。今思えば、金のためというよりは、オレと一緒にいたくなかったのかもしれない。
何故隠れて暮らさなければならないのか。この時はまだ理解ができなかった。
母以外の人間を見たことがなかった。
そのせいなのか、自分が他者とは違うのだと気がつくのが遅れた。獣人は隠れて暮らさなければならない理由も、だいぶ遅れて知ることになる。
「ロイはいい子だから、お母さんの気持ちがわかるよね」
これは母の口癖だ。
オレの口を塞ぎに来る言葉だ。これを聞くと何も言い出せなくなってしまう。
何かを知るための情報も、何かを得ようとする手立ても、すべて母の一言でかき消される。
外の様子も、世間の常識も、世界の情勢もすべてシャットアウトされ、母を軸に物事が展開していった。
母がオレを必死に隠す理由はなんだと問い詰めたことがある。
「獣人」だからよとやんわり告げられた。その意味を知らずに、外に出たいと我儘を言った日には、烈火の如く怒り散らされた。
「獣人」を隠したい気持ちなら、今なら痛いほどわかる。
ただ、幼かったあの頃は、窮屈で仕方がなかった。二人だけの仲を引き裂かれないよう守られていると勘違いしていた時期もあった。
そうではないと知ったのはいつだったか。母の愛情はどこまでが本心で、どこからが偽心なのかわからなかった。
母の気持ちに気付くのには、だいぶ時間がかかった。「獣人」など、手放してしまえばいいのに。実際に子どもを捨てる親もたくさんいた。
にもかかわらず、母はオレが成人するまで一緒に暮らしていた。
「獣人」の子どもでも育てなければならないと母なりの矜持があったのだろうか。今となっては確かめる術はないが。
母の気持ちには、本当は知っていたのに気付かないフリをした。オレに向けた優しさ、慈しむ心が、すべて嘘ではないと信じたいからだ。
母から離れた後は、どうしていいかわからなかった。野良として生きていくにはとうがたっていたし、今さら、王城に捕まるのだって御免だ。城がどんな場所かは噂で聞いていた。一度入ったら二度と出られないと言われている。他の獣人が酷い目に遭っているのに、オレは知らないフリをしてやり過ごした。
処分されるのを知って、自ら赴くヤツがどこにいるというんだ。
なのに、
「…自分が情けなくて腹が立つよ」
身の上話を語る気などさらさらなかったが、誰かに聞いてもらいたくなった。
子ども達が昼寝をしている間に、交代に来たキアに話してしまった。自分が如何に狡猾で心の狭いヤツだと。
自分より酷い目に遭った人を前にすると焦燥感が滲み出てくる。自分が如何に安寧の場所にいたか思い知らされる。
「…悪いことをしてるとは思わないよ。ディルさんの怪我はロイさんのせいじゃないでしょう」
「ひとくちに違うとは言い切れない。責任の一端は感じる」
「そんなことはないよ」
キアは困り顔をしていた。事情が事情だけに、どこまで聞いていていいかわからなかったのだ。
「それに、ロイさんを狡猾だなんて思ったことないよ。悪い言葉で自分自身を追い込まないで…」
自分を貶めて弱者に成り代わろうとしている。
ああ、馬鹿だな。口を告げば告ぐだけボロが出る。
「最低だ」
ロイは頭を抱えた。
「ロイさん…」
「悪かったな。変な話を聞かせて。忘れてくれ。子ども達のこと頼むな」
ロイはムジにも用事を頼まれていた。子ども達の昼寝のタイミングでキアと交代をするつもりでいた。
ロイはちらりとディルが寝ている方を見た。声をかける素振りを見せたが、何も言わずに出て行ってしまった。
「…ロイさん」
キアも居た堪れず、何と声をかけてあげればいいかわからず黙ってしまった。
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