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第2部 第1章

8 不穏なピクニック (2)

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 目を閉じる。心を閉じる。周りの音を遮断する。無音にする。
 靴を脱ぐ。裸足になる。足元を濡らす。水はキハラの湖に流れ込んでいる湧き水だ。

 「旅人が踏み荒らした跡をつがいが歩いて消していく。入口から出口まで真っ直ぐだ」
 「真っ直ぐ…」
 キアは、ムジが指を指す方向を見つめた。キハラの湖から先にはまだ行ったことがなかった。キハラの加護があるとされる森の中でも、光が差さない所は昼間でも暗く、鳥や虫の声も聞こえなかった。
 真っ直ぐと言って前を見るが、出口が見えない。出口まではだいぶかかりそうだ。案内板も矢印もない。道だけが奥へ奥へといざなう。
 木々が鬱蒼として生い茂り、前後の感覚を奪われてしまいそうだった。真っ直ぐな道のはずが、蛇のようにくねくねとしているようにも見えた。右も左も、前も後ろも、真緑で木だらけの同じ景色だ。目印になるようなものがない。空も見えない。
 ナユタ、アドル、アーシャ、アンジェ、シダルばあさんはすでに遥か遠くに行ってしまった。五人の背中が木々の間からかろうじて見えた。目を逸らしたらきっとわからなくなる。キアは焦り出した。今日着ていた服は何色だったか?
 「きょろきょろするな。前後がわからなくなるぞ。森に慣れてる俺たちだって油断は禁物なんだ」
 「…そんな」
 キアは急に不安になり、胸元を掻きむしり、泣きべそをかいた。今ならまだ大声で叫べば声が届くかもしれない。
 「落ち着け。俺がいるから大丈夫だっつーの」
 (ったく、こんなので番なんかやれるのか…)
 ムジは、慌てふためくキアを見てボヤいた。
 その声に反応したのか、バシャバシャと水面をかく音が聞こえた。ムジは咄嗟に口元を押さえるが遅かったようだ。ムジのボヤきはキハラに届いたようだ。
 「ぬ、主様の番は、主様の体を第一に考えなきゃならねえ。主様は森の一部だ。本来ならやたらめったらと会いに行くなんざご法度なのに、あんたときたら毎日毎日主様につきまといやがって。ベタベタベタベタベタと」
 ムジはゴホゴホとわざとらしく咳払いをした。自慢の息子を取られた姑みたいにネチネチとキアをなじる。いや舅か。
 「…すみません。名前を呼ばれると、つい。嬉しくて」
 足が向いてしまうのだ。
 ドクドクと高鳴っている胸の鼓動に手を当てて深呼吸をした。キハラの名を聞いて少しばかり動悸が落ち着いてきた。
 まだキアと呼ばれると何とも言えないものは感じる。
 だけど嬉しくもある。キハラの声は優しくて、特に用がなくても出向いてしまうのだ。姿が見えなくても声が聞けなくてもいいのだ。葉や花を浮かべると湖面をゆらしたり、私に気がつきポコポコと泡を出してきたりする。湖面を覗き込むと使い魔だという生物を紹介してくれた。山椒魚のような、長い胴体に短い手足が付いていた。手の甲に手形のスタンプをぺたんと押された。短い指先に吸盤が付いていた。キュ、キュ、と挨拶もしてくれた。「主様をよろしくね」と聞こえた気がした。
 付かず離れず。でも深く干渉しない。絶妙な距離感が私に安心感をもたらしてくれている。隣で寝入ってしまうほど安らかな気分になるのだ。
 「ふん。ナユタと同じことを言ってやがる。俺なんかは恐れ多くて馴れ馴れしい態度などとれんわ」
 「…私は、自分が何者かわからないまま出会ったのがキハラでした。何者でも構わないと言ってもらえて、すごく安心しました」
 はやる気持ちはあるものの、ここにいていいよと許可を貰えた気がした。
 「…ふん。シダルばあさんの態度は悪いが、言っていることはそのまんまあんたに当てはまる。異質者コトナルモノとは聞こえが悪いかもしれんが、何者かわからん者を長くこの村に置いておくのも皆不安で仕方がないのだ」
 「…異なるもの」
 違和感の正体はシダルばあさんのような人からの視線だ。異物を見るような嫌悪と憎悪にも近い視線には慣れることはない。むしろ慣れてはならない。自分が異質だと認めてしまうことになる。
 キアは胸元をぎゅっと抑えた。また動悸が始まりそうだった。
 「俺は宿屋長としてあんたを見届ける義務がある。あんたに害がないことを証明させるためには、この儀式は何としてでも成功させなきゃならねえ」
 「儀式…ですか」
 「新月の夜に、主様が湖から出て森の穢れを一掃する。あんたはその手伝いだ」
 「キハラが言ってました。他所から来る旅人の中には悪意を持っている人もいる。森中に悪意が広まったら収拾がつかなくなる。悪意は感染しやすいから抑えきれなくなるって…」
 見定めろ。
 そうも言われた。
 でもどうやって?
 毎日、国境を越えて多種族の人間が行き交う。人種も性別も違う。家族でも仲間でもない。今日出会った者同士。なんでもない関係性。男女の比率も違う。年代の幅も広い。持ち物も様々だ。武器やら家具やら。旅の一座にでもなれば、衣装やら道具やらで何台も馬車を引き連れる。
 旅人は国境を越えて、次の町に行く。この村に立ち寄るのは夜を過ごす為だけだ。
 疲れた体を癒す為だけの場所。ここは通過するための村。
 「その通りだ。俺の宿にもそんな奴は山程いる。だが下手に干渉しないで、うまくもてなして翌日には送り出す。それが俺たちの仕事だ。あんたはあんたの仕事をしろ。主様の穢れを落としてやってくれ」

 
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