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第2部 第1章

2 何者か/一線

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 ナユタに背中を押されはしたものの、村人たちからの好奇な視線には慣れることはなかった。
 朝食の席で毎日顔を合わせていても、だ。その態度は変わることはなかった。信用ならないと疑いをかける異質な視線。
 私は朝食の片付けが済むと水汲みの仕事を任されていた。キハラの森の湧き水を一軒一軒に配るのだ。食事には欠かせないその水さえも、受け取りを拒否されている。
 聞けばナユタさんの宿屋に来る客は今まで碌な者がいなかったという。料金を踏み倒したり、物を壊したり。馬を盗まれたり、街道から遠すぎるだの部屋が寒いだのといちゃもんを付ける客がたくさんいた。村人たちは辟易していたが、ナユタはどんな客にも声を荒げることなどなく丁寧に接客した。とにかく人を疑わない優しい奴だとナユタは絶賛されていた。そこに素性の知れない記憶喪失な人間などが現れた日には、胡散臭く思えてしまうのは仕方がないことなのだ。ナユタの人当たりが良すぎる分、村人たちがピリピリしていた。
 針のむしろにいる私に、「気にするな。じきに慣れるさ」と笑顔で言い切られてしまっては、これ以上は何も言えなかった。私は耐えきれずキハラの元へ逃げ込んでしまっていた。
 「何を焦る必要があるのか。俺にはお前が何者であるかは重要ではない。俺と波長が合ったからお前を番にしたのだ」
 キハラはいつもと変わらず不遜な態度で私をあしらった。
 「私が誰だか私自身がわからないのに?」
 「構わない。俺の目の前にいるお前がすべてだ。余計なことばかり気にかけてないで役を励め」
 「余計なことかな?」
 「お前がどう思うかは知らんが、俺にはさほど重要なことではない。お前が非道の限りを尽くした極悪人で、どこぞの国から逃げ出して来たとしても、俺はお前を選んだだろう」
 「…例えが酷いよ」
 笑えないよと私は空笑いをした。
 ヌッと長い首が伸びて私の顔の近くまで来た。白い肌理の細かい肌質だ。黒い瞳が私をじいっと奥深くまで見つめて来た。
 手を伸ばせば届く距離だ。近い。お互い触れないのは一定の距離を保っているのか。それとも警戒か。
 越えてはならない一線がある。それがこの距離なのだろうか。人と神との一線。
 でも。触れたい。
 こんな私でも受け入れてくれているのが堪らなく嬉しい。感謝の意を示したい。そもそもキハラは、警戒などはなかった。初めて出会った時からずっとキハラは私を必要としていてくれた。
 贄か番か、と。
 「…そうやすやすと目を閉じるな。食われても知らんぞ」
 考え事をしていた私に対し、キハラは大きな口を開けて来た。威嚇のつもりなのかどうかわからないけれど、大きな牙を見ても顔色ひとつ変えずにいた。ただ、じっとして、だじろぎもしない私を見て不思議そうな顔をしていた。
 「贄とはそういう意味でしょう?」 
 「…言葉通りだとそうなるな。生き延びることに執着がないのか」
 「それは…ある」
 まだ知りたいことがたくさんある。
 「なら、なおのこと。俺には触れるな」
 一線は越えるな。
 瞳がそんな風に言っている気がした。
 触れたら食べる?
 伸ばしかけた手が行く先を捉えられずに空を泳いだ。
 「…なら、番はどんなことをすれば良いの?」
 言葉通りなら、結婚?番ってそういう意味だよね。繁殖のためのペア。異類婚姻譚ということかな?
 神様と結婚だなんて神話か昔話みたい。でもキハラは、私を必要としてくれている。
 宙ぶらりんな私でも構わないと言ってくれたのには、本当は嬉しかった。このままがいいわけではないけれど、安住の地を欲してしまう。ここなら宿屋からでも通えるし、ナユタさんやナノハさんにも会える。
 キアはキハラを見つめた。意は決したようだ。
 「敵の排除と安寧な生活を送れれば良い。争い事は御免だ」
 「て、敵?」
 意外な返事に肩透かしにあった。一人で先読みしてバカみたいだ。私は恥ずかしさの余り、顔の体温が上がっていくのを両手で押さえ込んだ。
 「ここは国の境だ。色々な国から得体の知れない輩が入り込んで来る。警備の人間どもだけでは全てを排除はできない。だが、この森を通過していく人間を見定めていくくらいは出来るだろう」
 「見定めって…そんな。それこそ大変だと思うけど」
 見た目だけではその人の内面までは測れない。
 「簡単なことだ。ただ黙って森を通過して外に出る。それが難しいか?お前達宿屋の人間が迎えに行って招き入れる。そんな他愛ない約束ごとも守れない奴らを泊めたいと思うか?まあ、お前のところの宿屋は閑古鳥が鳴いてる状態だからどんな不届者でも欲しいだろうがな」
 「失礼ね」
 ナユタさんの悩みどころを突かれて私の頬は膨れ上がった。赤みもまだ引いてない。
 「本当のことだろう。立地の悪さは致し方ない。だが、あそこはこの森の中の静けさと水の流れが同じだ。俺にとっても懐かしさを感じる。余計な人間がいなくてのびのびしていて心地がいい」
 むしろ客は取るなと言わんばかりだ。
 森の広大な広さはキハラの体長と比例しているとも言われている。
 「キハラのおかげで宿屋の人達は商売ができるって感謝しているよ。村の人達も幸せそうだった」
 豊かな自然に囲まれて野菜や植物は良く育ち、水や空気に至ってまで申し分ない。村人たちの健康状態も抜群だ。病に臥せっている人はいないらしい。
 「当然だ」
 キリッとした目つきで視線をぐるりと森の中を巡らせた。精悍な横顔が頼もしく感じた。
 「だからこそ不穏な気を森の中に入り込ませたくないのだ。悪意が強ければそれだけ森の中に充満する。一度放たれた気を抑え込むのは容易ではない。不穏な気は悪鬼を呼び寄せやすい。下手に絡まれば手出しもしにくくなる。ましてやお前達の命も危ない。荒くれ者なら案内人を斬りつけて逃走なんてこともあるかもしれないしな」 
 「そんなのやだなぁ」
 (ん…というか、なんだか聞いたことがあるような話だ。不穏な気は悪鬼を呼ぶ…)
 胸の奥で黒い靄のようなものが動いた気がした。
 「…おい。何を考えている」
 「えっ!あ、えーっと!…なんだっけ?」
 キハラに視線を向けられて、黒いものがスッと消えた。
 「余計なことは考えるな。お前は俺だけを見ていろ」
 ストレートに投げかけられた言葉に体温がまた上昇した。
 「…そんな言い方されたら…恥ずかしい。プロポーズみたいだね」
 番になると了承したのは私なのだから責任はらとらないと。責任逃れは絶対にダメだ。
 「なんだそれ」
 「恋人同士の、永遠を契る約束みたいなことかな」
 「…永遠など(人間の一生などたかがしれている。共に生きていけるものではない)」
 キハラは溜息のように吐き捨て、キアから視線を逸らした。叶わない望みなど持つべきではない。
 「…ま、簡単には決められないよね。そんな先のことまで約束できないよ。私がどんな人間かわからないものね」
 責任取るとか簡単に口に出してはダメだ。浮かれすぎだ。未だ何もわかってはいないのだから。私という人物が。
 キハラの溜息と同じくらい深い溜息と共に両の肩を下げた。嬉しかったけれど欲しい言葉ではない。キハラとて同じだ。意味はないのだ。あの深い溜息がその証拠だ。素直に頷けたらどんなに幸せか。
 地面に座り込んだ。土の冷たさが体の中に入ってくる。冷静になれと促してくる。
 「まだそんなことにこだわっているのか。構わないと言っただろう」
 先ほどとは違う溜息。キハラはまたかと頭を回した。
 「私は知りたいよ。どんな生き方をしていたのか。どんな家族がいたのか、友達とか、恋人とか。私自身がどんな人間だったのか」
 私にはまだわからない。
 「…人間は細かいことにくよくよするんだな」
 「めんどくさい生き物なんだよ。キハラは違うの?」
 「俺が何者であるかは俺が決める。俺自身がわかっていればそれでいい」
 「私はちゃんと答えが知りたい。何者であるかきちんと証明されたい。でないといつまでたってもキアになれない気がして、悪い気になる。
せっかくナユタさんが付けてくれたのに、キハラのもうひとつの名前からもらったのに、」
 ご利益を自ら打ち消していく。馬鹿な行いだ。
 「…何を泣く必要があるというのか」
 本当にめんどくさい生き物だな。
 やや呆れたような物言いだが、キハラの目元は優しかった。仕方ないなとキハラはキアの体を包むように体をくねらせた。
 「すぐ泣くのは赤子のようだ。お前がよく連れてるチビと大差ないぞ」
 キアが面倒見ているアーシャのことだ。いたずらっ子で泣き虫で毎日せわしない。
 「大人だって泣くよ。不安なことは誰だってあるんだから!」
 赤子扱いされたことに対しての立腹か。不安を汲みしてくれない苛立ちか。感情が定まらなかった。キハラに怒っても仕方がないことなのに。
 「…俺はお前が何者でも構わない。それだけでは不安は取り除けないか?」
 水面から長く出てきた体でくるりくるりと円を作り、キアを囲った。
 「お前と同じ人間ならお前が欲しい言葉をやれるのだろうが、俺にはこうするしか術がない」
 顔を近づけてキアの頬に当てた。
 体を覆う透明なゼラチンのような質感だ。冷たくて滑らかで、プルプルしていた。

 「…触ったらダメだって」
 「お前だけだ」

 人と神と。番と主と。越えてはならない一線。
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