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第5章

29 分岐点

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 サリエは右手に剃刀を握りしめていた。長い髪をひとつにまとめて肩の上に置いた。ひと束を掴み、毛先にあてがった。
 「何をしている!?やめろ!」
 聞き覚えのある声がした。だいぶ懐かしい気がする。部屋の中によく通る声だった。
 「はっ?…シャドウ?」
 サリエは声のする方向に顔を上げた。距離があるかと思っていたのにすぐ前に顔があり、近いと本能的に感じたのか、ほんの少しだけ後ずさってしまった。
 「あんたもそばにいるなら止めに入れ…」
 体ごとサリエの前に立ちはだかったシャドウに対し、グドゥーは虚をつかれたようにフリーズしてしまっていた。
 突然現れた男に躊躇い、護衛の意味をなしていないと不甲斐なさを反省した。無理もない。グドゥーは体こそ屈強だが、本業はデスクワークが基本だ。護衛とはいえ、力任せに何かできるとは思ってもいなかった。
 「…あ、あなた一体何を…」
 グドゥーは我に返り、サリエが自害するかと思い焦って飛んできたというシャドウをじろじろと見回した。
 「ふっふふ。そんなことしないわよ。髪が重くなってきたから梳こうかと思っただけよ」
 サリエは朗らかに笑い、刃の出た剃刀をケースの中にしまった。
 「シャドウ。気がついたのね。もう動けるの?」
 久しぶりね。大きくなって。とサリエは親戚のおばちゃんさながら笑顔でシャドウと再会を果たした。
 「…ああ。心配かけたな」
 「いいのよ。あんたのことはすべてソインに任せていたから。お礼を言うならソインに言いなさい」
 「ああ」
 シャドウはまじまじとサリエを見た。十数年前ぶりに会った。相変わらずな美しさに変わりはないが、目元の窪みは隠せない。
 「…あんた老けたな」
 十数年も経てば、人は変わる。美しくも陰りはある。
 シャドウは悪びれもなくサリエに言い放った。二、三歩離れたところでグドゥーがハラハラした表情を浮かべていた。妙齢な女性になんて事を!慇懃無礼なシャドウを見ては気が気じゃなかった。
 「…久々に会った女の皺を数える前に、まずは挨拶でしょ!挨拶!」
 シャドウの態度に、出会ったばかりの頃のディルの言動が思い出された。歳とか皺とか、重なっていくものはどうしたって仕方がないのだ。膝を上げて置石を踏みつけた。
 ローヒールながら、カツンと高い音が鳴った。
 「…悪い」
 相変わらず礼儀にはうるさい。老いても綺麗なのは変わらないのに、何を怒ることがあるのか。シャドウは怒られた理由が全くわかっていなかったが、右手を左胸に当て軽く会釈をした。一応これが目上の者に対する挨拶だ。
 「あんたこそ、よくもニーナを泣かせたわね。仕事に支障が出て大変よ!これで何度目よ!!」
 サリエはシャドウの胸ぐらをグイッと掴み上げた。
 シャドウは更に何のことだ?と首を傾げた。
 「はぁ…。わかるわけないか。あんたはマリーの後ばかり追いかけていたから、昔から女っ気なかったものね。いくら言い寄られても、女心の繊細さは理解し難いか。いい歳して情けないわね」
 「…む」
 思い当たる節はないことも無いと自覚はあるようだ。シャドウは気まずそうにサリエから視線を逸らした。
 「図星?…ったく、今まで何してたのよ」
 「…うるさい。構うな」
 シャドウは女性と親密な付き合いというのは、ほぼ無いに等しかった。女心などと問われてもどう解していいのかなんてわかるわけがない。
 「そんなあんたが、初めて好きになった人が影付きだったってわけか」
 サリエはどこか嬉しそうにシャドウを見つめた。揶揄いの途中でも外しはしない。
 「…」
 シャドウは微かに目元を動かすが、絡む気はなく、静かに頷くのみだった。
 「どうするの。これから?」
 サリエもシャドウの変化に気がついた。あまり触れていいものなのかもわからなかったから、多くは聞くまいと口を噤んだ。
 「…影付きの在り方とはなんだろうかと考えていた。こちらの世界に連れて来られて、大事な記憶を捨てていけば幸せになれる、楽になれると唆される。そんな簡単に手放していいものなどないだろうに」
 雪は頑なに拒否していた。
 「捉え方は人それぞれでしょ。自分の価値観を押し付けるんじゃないわよ」
 サリエはシャドウを睨んだ。
 「記憶を捨てて新たなスタートを切りたい人なんていくらでもいるわよ。できるなら私だって…」
 …自分のせいだとわかっていても、取りこぼしたものが多すぎた。
 「それはチドリのことか?それともマリーのことか?」
 「全部私が悪いのよ。欲張りすぎたのよ。色々と…ね」

 望んだ道には進めなかった。
 欲望に感情移入しすぎたせいだ。
 時に、愛情も愛憎も紙一重になる。

 「マリーはこれからどうなるんだ?」
 「天冠の巫女としてのお役目を果たすことになるわね。砂漠をなくすなんて一生かかるわ」
 途方もない話よとサリエは呟いた。
 「…そんな」
 シャドウは声を震わせた。
 「あんたが頑張ったもの全部無駄になったわね」
 選択を間違えたわね。あんたも私も。
 サリエはシャドウの隣に腰を下ろした。
 「所詮は相手の望むことなんてわかるわけないのよ。相手にとって良いことだと思っていても、それは自分の理想を押し付けているだけなんだわ。誰も相手の望む通りには事を運べない」

 相手を想うばかり、自分の気持ちが押さえきれなくなる。これが最善の策だと視野を広げていたつもりが、いつの間にか、これだけだと道を狭めていた。
 もっと可能性を広げてあげたかった。

 「この国の発展のために、影付きの記憶を使っているという話は本当なのか?」
 過ぎた話を悔やんでも仕方がない。今必要なのは、この先を示すものだ。
 シャドウは影付きのその後を思い返していた。チドリに言われてもピンと来なかったのだ。
 「ああ、あの子もそんなことを言っていたけど、そんな話は聞いたことがないわ」
 「雪は誰から聞いたんだ…」
 「…チドリからと言っていたわ。かわいそうに。あの時のあの子はひどく怯えていた。でも私はそんな話は知らない。そもそも影付きだなんて一生に一度現れるかどうかの確率でしょう?夢物語のようなものよ!!」

 だが、夢は現実になった。
 俺たちが出会ったことは幸か不幸かはわからない。

 「…チドリはヴァリウスに聞いたのか?」
 ヴァリウスがチドリに吹き込んだとしたら元凶はやはりヴァリウスになる。
 何を考えているんだあの男は!!
 一国の王が口にして良い話ではない。
 ただ、前王の時代から同じことが繰り返されて来たという話が本当ならば、この国は一体何人の影付きを犠牲にして成り立たせているというのか!!
 シャドウは嫌悪の気が収まらなかった。その残酷な行為の一端に自分も加担していたことが、知らぬとはいえ我慢がならなかった。

 「…明日には発つ。手がかりは何もないがこのままにしておくことはできない。雪を探しに行く。あいつの意には反する事になるが、こちらの世界で生きていく道を薦めたい」
 シャドウは固く拳を握りしめた。思うことは山ほどあるが、この悪意に満ち溢れた世界に留めておきたいと思うのは酷かもしれない。

 だが、

 「相手を想うのは大事だけど、たまには自分の気持ちを押し通してみなさいよ。あんたは遠慮ばかり。影付きだからって遠慮することはないわよ」
 「影付きだからではない。俺にとっては一人の女だ。一人の女の人生を背負う覚悟でいる」

 迷うな。
 もう二度と。
 
 「あらやだぁ、シャドウからそんな言葉が出てくるなんて。ちょっとドキッとしちゃったじゃないの!」
 サリエは両手で自分の頬を抑え込んだ。
 「…茶化すな 」
 シャドウの頬もだんだんと色づいて来ていたが、サリエから見えないように顔を背けた。
 「ふふ。あの子に直接言ってあげなさいね。それまでここに帰ってきてはダメよ」
 「帰って?」
 「何よ。用が済んだら用無し?ここはあんたの家よ。いつでも帰ってきていいのよ」
 「…いいのか?」
 「当たり前でしょ!あんた達が子どもの頃に傷を付けた柱の修理がまだ終わってないのよ。天窓の掃除も大変だしね!」
 「…俺は梯子代わりか」
 こき使う気か。先が見える。シャドウはげんなり気味だ。
 「そうよ!人手も足りないのよ。祭事の時は手伝いに来なさいよ!マリーも喜ぶわ。マリーだって、巫女に即位したと言ったってまだまだ不安定なところもあるから、勉強もしなきゃだわ。ソインもね。ソインはここに残ってくれることになったの。奥様と子どもを迎えに行って、一緒に楽園を再生したいと自らが申し出てくれた。…感謝しなきゃ」
 サリエは柔らかく微笑んだ。
 「そうか。ソインは花の知識が長けているからな。大事にしてやれ」
 「ええ」
 「マリーを頼む」
 「…私は」
 役を下りたのよと首を振った。
 「マリーにはサリエが必要なんだ。側にいてやってくれ。置いてかれたと泣いてたぞ」
 「…痛いとこつくわね」

 離れることが最善の策だってある。悲しむこととなっても例外ではない。あの時はああするしか方法がなかった。

 「…はぁ。これも、相手を想ってした事だけど裏目に出だということかしら」
 サリエは自分の行動と言葉に打ちのめされた。そう上手くことは運べないらしい。
 「だな」
 シャドウは微笑んだ。柔らかな風が光と共に舞い降りた。目を細めて陽の当たる方向を見上げた。



 
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