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第1部
納涼会で、乾杯
しおりを挟む暑気残る夏の夜――
簡易ライトと赤提灯、テント下の屋台に上がる煙と香ばしい匂い、流れるBGMは昭和初期の歌謡曲ヒットメドレー、そこで上機嫌にヘラを振り回すねじり鉢巻きに法被姿の親父たち……
一体ここはどこなんだ、と突っ込みたくなるようなレトロ感、ノスタルジア感たっぷりのシチュエーションである。
八月十六日、まるで半世紀ほど時代を遡ったようなクロカワフーズの納涼会は、例年以上に大勢の出席者が集い、活気とざわめきの中、大いに盛り上がっていた。
「葵ちゃん、朝からご苦労さんねー。大変だったでしょ?」
「あ、牧野さん! お疲れ様です!」
呼ばれて振り返れば、大胆なカットのサマードレスを着こなした牧野女史。いつもは束ねているだけの長い髪を高く結い上げて、実に麗しい。
「さすがに暑かったですけど、すごく楽しかったですよ。国武チーフに仕込みの手伝いさせてもらっちゃいました」
「アハハハ、毎年気合入ってるからねー。今年は葵ちゃん参加だからなおさら熱が入っているのよ。しっかしすごい人ねー、今年は参加者多いわー」
牧野女史につられて、葵も改めて場内を見渡した。
夕方五時開宴から既に一時間ほど経っており、もう会場は人でいっぱいだ。
何を隠そう、ここはクロカワフーズ本社ビルの屋上。そこに屋台よろしくテントを張って出店を作り、中央に野外用テーブルと椅子を大量に配して、どこぞのビアガーデン顔負けの会場が出来上がっている。
この納涼会は毎年恒例のイベントで、クロカワフーズに勤める者なら誰でも参加可能、しかも参加費はなんと無料、食べ飲み放題である。
出される料理は、クロカワフーズの料理人たちが本店厨房を使って調理した絶品の数々に加え、屋上の一角で即興に作られる屋台メニュー。ドリンクも豊富に生ビール、カクテル、ヴィンテージワインや高級ウイスキーまで大盤振る舞いされるとあっては、毎年楽しみにしている人も少なくはないのだ。
とはいえ、この時期は如何せんお盆明け。一時はなかなか参加者が集まらず、寂しい納涼会になった年もあったらしい。けれど、数年前からアルバイトや社員の家族も参加OKにし、社の大御所軍団が先頭に立って盛り上げるようになったおかげもあってか、徐々に参加者は増えているということで、特に今年は例年にないほどの大盛況なのだそうだ。
会場準備と後片付けは、各店舗が毎年交代で担当している。今年は葵率いる『アーコレード』慧徳学園前店と、『櫻華亭』麻布店のメンバーが合同で準備担当である。朝十時に集合し、それからずっと会場作りに追われた。
日中暑くてどうなることかと思ったが、ドリンク付きの休憩はこまめに与えられ、美味豪華な昼食の差し入れはあり、そのうえ何と、夕方には本社ビル内にあるシャワー室を貸してもらえたりもして、準備担当のメンバー全員、文句なしの待遇であった。
葵は牧野女史に連れられて、既に盛り上がっている一角に腰を落ち着けた。
言わずと知れたいつものメンバー……諸岡、小野寺兄弟に大久保恵梨、今日は渋谷店や恵比寿店の各チーフや若手コックも多く加わって、それは大変なにぎわいだ。
少し離れたテーブルには『アーコレード』各店舗の学生アルバイトたちが集まっていて、池谷や篠崎、吉田、そして亜美もそこにいる。
以前、この納涼会出席に関してひと悶着起こした亜美である。今回、参加キャンセルもあり得るかな、と葵は密かに心配していたのだが、彼女は池谷たちとともに、今朝から張り切って設営を手伝ってくれた。今見ても、若い仲間に囲まれてずいぶんと楽しそうだ。
「なぁーんかあっち、合コンちっくじゃーん?」
「オレらも交ぜてもらっちゃうー?」
――と、小野寺兄弟が揃って指をくわえるほどの若々しい盛り上がり。その中で明るく花咲く亜美の笑顔に、葵はホッと胸をなでおろした。
* * * * *
「あれ、葵ちゃん、どこ行くの?」
「ちょっとトイレ行ってきまーす」
「あー、私も行こっかなー」
「すごく混んでましたよ。特に女子トイレ」
「げー、じゃあやめるー」
「……やめられるんすか」
立ち上がった葵に大久保も立ち上がりかけたが、先ほどトイレから戻って来たらしい松濤店アテンド坪井の言葉にその気は失せたようだった。
葵も混んでいるトイレは遠慮したいが、生理的欲求には抗えない。
ボディバッグを肩に通して屋上出入り口に向かった。
「ま、間に合った……」
結局、葵は本社ビル一階の正面玄関側にあるトイレまで足を延ばした。
屋上出入り口脇にある女子トイレは坪井の言う通り混んでいて、小さな子供たちやその母親らしき女性らでごった返していたのだ。
しかし、今日は防犯のためか、屋上に通じる第二エレベーターは二階から五階まで止まらず、階段にある非常ドアにも開宴前にすべて鍵がかかったらしくビル内に入れない。つまり、第二のトイレは一階にしかない。
よって仕方なく、葵は一階までエレベーターで降りたのだが、降りたすぐ脇にある通用口側のトイレにも数人並んでおり、少々切羽詰まった葵は、正面玄関側のトイレまで走ったというわけだ。
さすがにここまで来る者はいないようで穴場である。
トイレを出て、葵の足は何となくエントランスロビーに向いた。外はようやく日が落ち宵闇に包まれつつあったが、ロビーには照明がしっかり点いている。
納涼会の出席者は、本店と繋がる通用口側から出入りすることになっているため、正面玄関側は人気がない。
静かなロビーの一角にあるソファベンチに、葵は一人腰を下ろした。
「……黒河さん……来ないな……」
小さな声で、誰にともなく呟く。
そこにいないとわかっていても、葵は朝からずっとその存在を無意識に探していた。
夕方開宴してからもつい目線をあちこち泳がせてしまったが、彼が来ている様子はない。
そもそも、お盆休みとは言っても、『櫻華亭』のホテル店舗だけは年中無休だ。ホテル店舗スタッフの休みを回し、納涼会に一人でも多く出席させるため、彼がヘルプに入るのは当然の成り行きと言える。さっきも葵たちのテーブルでその話題が出たばかりだ。
――黒河マネージャーはお盆休み返上で、ホテル店舗へ出勤しているらしいよ。
――そう言えばあの人が納涼会に参加しているのって、見たことないな。
――夏休みもいつ取っているか、わかんないくらいだし。
……等々。
何故自分は、彼に会えると思ってしまったんだろう。思い返してみれば、彼自身の参加については一言も聞いていない。
はぁ、と大きく息を吐けば、空気が抜かれたように上半身がクタリとなって、葵はそのままソファベンチに横たわった。
少々お行儀は悪いが、ひんやりとしたベンチシートが頬に心地よい。先ほど水のように飲み干したジョッキビール三杯の効果が、じわじわと身体を気だるくさせている。
汗を流した後のビールは最高に美味しく、つい空きっ腹に立て続けて流し込んでしまった。
いくらアルコールに強い体質とはいえ、朝からの肉体労働による体力消耗のせいもあってか、いつになく身体がふわりとする。
――と、その時、グーンという自動ドアの低い開閉音とともに生温かい風がふわりと葵の顔を撫でた。
ん?と首だけ動かして正面玄関に目を向けると、驚いたようにこちらを見ている長身の人物。
「く、くろかわ、さん……っ!」
慌てて起き上がれば、侑司は怪訝な顔で足早にやってくる。
ワイシャツにスラックス姿、ネクタイはせず襟元が少し開いている。ビジネスバッグと背広を手に持っているのは、やはり仕事だったのだろうか。
「……何をしている、こんなところで」
「あ……いや、その、トイレに……」
「具合が悪いのか?」
荷物をベンチに置いて屈みこみ、顔を覗き込んでくる侑司に葵はドキッとした。
「ち、違います! 悪くないです! ちょっと休憩というか……屋上、人がすごく多くて、戻る前に少し一息入れようかなー、なんて……えっと、黒河さん、お仕事だったんですか?」
「ああ……赤坂と日比谷に寄ったが客足も落ち着いていて、ほとんどすることがなかったな。それで、こっちに来いと言われた」
「そうですか」
ホッとしたように離れた侑司を見て、葵も何だかホッと息を吐いた。
「……今年は参加者が多いらしいな」
「みたいですね。みんなものすごく盛り上がってますよ。あ、さっきまで国武チーフと佐々木チーフと綿貫チーフが競ってました。えーと、たこ焼きVSお好み焼きVS焼きそば、で、一番多く出るのはどれだ!……って。何人かが無理矢理呼び込みさせられたりして……そういえば、杉浦さんも捕まってました」
「……毎年毎年、よくやるな」
「ふふ。黒河さんも捕まらないように気をつけて下さい」
「……帰るか」
「えぇ! そんな……っ」
葵は思わず声を上げてしまい、慌てて口を覆う。この人は淡々と、本当に帰ってしまいそうな気がする。……せっかくようやく、会えたのに。
侑司はそんな葵をじっと見ていたが、ふっと視線を外し、そのまま葵の隣に腰を下ろした。
車に乗って来たからだろうか、ごく近くにいるその身体から、ほんのりとあのミントの香りがする。
疲れているのかな……上司の横顔をチラリと窺って、葵もちゃんと座り直した。
「……ゆっくり、休めたか?」
低く少し掠れたような声音で、侑司が言う。
「あ、はいっ、あの、ありがとうございました。お店、任せてしまって……すみません」
「俺は何もしていない。池谷や篠崎……斎藤もずいぶん頑張ってくれていた。厨房も、矢沢がだいぶ仕切れるようになったみたいだな。佐々木チーフも心強いだろう」
「そうですか……よかった」
ふふ、と小さく笑みが漏れて、……しん、と静まり返る。
どうしてこんなに緊張するのか、心臓がキュウと鳴る音まで聞こえそうだ。
――でも、ちゃんと、謝らなきゃ。
「黒河さん」「水奈瀬」
ほぼ同時に発したお互いの呼び名に、二人は顔を見合わせる。
「何?」とすぐに侑司が聞いてくれて、葵は熱くなった頬を隠すように頭を下げた。
「こないだは、すみませんでした。お店の中でご迷惑をかけてしまって……あの、兄も弟も反省してて……あ、いえ、元はと言えば私のせい、なんですけれど……」
「……水奈瀬」
「言い訳は、しません。……たぶん黒河さんは、全部聞いたと思いますけど……あれは事実です。私は……、前に、にんし――」
「――水奈瀬」
静かに、少し強く遮った侑司を、葵は見上げた。
黒く深い色の瞳……どんな時でも強く鋭く確実に物事を捉えるその眸が、どこか不安定に揺れている。揺れながら、きちんと受け止めてくれる彼の瞳を、葵も真っ直ぐ見つめ返した。
「兄や弟は……私が被害者だと、強く思っています。……でも、それは違います。私は、その……、ちゃんと合意、でした……」
――そう、あの時、結果的に葵は、彼を受け入れたのだ。ならば、自分にも責任はある。
「……結局、彼とはダメになってしまって……宿った命も消えてしまいました。周りは……病院の先生や兄は、あなたのせいじゃない、お前が悪いんじゃない、って言ってくれましたけど……どうなんでしょうか」
一番の被害者は……消えてしまった、小さな命。
許しを請い、懺悔しなければならないのは……新しい命を排除しようとした、自分。
不覚にも鼻の奥がつんとした。噛んだ唇の痛みでそれを押しやる。すると、微かな衣擦れの音とともに、侑司の身体が葵に向いた。
「……今でも、苦しいか?」
「……え?」
「お前の兄貴から聞いた。……あの後、心因性の疾患にかかった、と。病院行きを強く拒んだのも、そのトラウマが原因だったんだろう? 今更だが……俺はずいぶん無理強いをしたんだな、と気づいた。……悪かったな」
「い、いいえ、全然、そんなこと、気にしないでください! 黒河さんと一緒に行ったあの病院は、本当に大丈夫だったんです。……正直言うと、かなり怖かったんですけど、ちゃんと手当してもらうことできました。黒河さんのおかげです」
必死に訴えると、侑司はどこか難しい表情のまま、葵の手元をじっと見つめた。
「……いつかの……店で客が破水した時、ずいぶんと指先が震えていた。こないだの病院でも。……それが、心因性疾患の症状なのか?」
……気づいていたのか。
葵もそっと、自分の指先に視線を落とす。
「はい……最近はだいぶ少なくなったんですけど……四年前はお箸やペンが持てなくなるくらい震えちゃって、どうしようもなかった時もありました。でも症状自体は、数十分程度で治まるんです」
「そうか……PTSDと言っても、出る症状は人によって大きく違うものだな。……出るきっかけは? 何か決まった要因があるのか?」
「……決まった、要因ですか。……あるにはあるんですけど……」
葵は何と説明すればいいか迷って口ごもる。
「ああ……悪い、無理に言わなくていい」
「いえ、言うのは構わないんですけれど……その、信じてもらえるかどうか……」
躊躇う葵の視線を受けて、侑司はほんの少し首を傾けた。
よかったら話してみろ、と促された気がした。
心底の奥深くにある開かずの扉がふわりと開く感覚――そして葵の口から、今まで誰にも話したことのない秘密の重石が、ポロリと滑り落ちた。
「……聞こえてくるんです。赤ちゃんの “泣き声” が」
信じてはもらえないだろうと、蓮や萩にさえ話したことはない。けれど、本当に悩まされたのである……幻聴に。
四年前の流産処置の後、一泊だけ入院した葵は、そこで一晩中、 “泣き声” を聞いた。
一睡もできず震える身体を抱えて次の日を迎え、逃げるように病院から自宅に戻った葵は、その夜、再び、 “泣き声” に襲われた。……その次の夜も、その次も。
実際に本当に聞こえた音なのか、罪悪と恐怖が聞かせた幻聴なのか、それは今でもよくわからない。
そんなオカルトでホラーな話があるわけない、と何度も自分を嘲笑ってはみたが、夜眠りに就こうとする覚醒と微睡みの狭間で、決まってその声は聞こえてくるのだ。
明らかに、精神を病んでいたと思う。
慢性的な睡眠不足のせいで身体は常に怠く食欲は減退し、体重は見る見るうちに減っていく。
ついには、実際の赤ん坊の姿に恐怖を覚えるようになり、テレビのCMなどでほんの一瞬目にしただけでも手先が瘧のように震えた。
異変に気づいた蓮が、これはまずいと葵を病院へ連れだしたのだが、受診どころか、病院の正面玄関から中へ入ることさえできなかった。玄関口で過呼吸を起こし、その場に倒れたのだ。
一晩中病室で聞き続けた “泣き声” の記憶、そして、また聞こえるかもしれないという恐怖が最大限まで膨れ上がり、ついに弾けたのだろうと思う。
結局、病院の玄関口で過呼吸の処置を行うのみに止められ、そのまま受診は諦めざるを得なかった。
兄や弟は、葵の異変の原因が “赤ん坊” にあるらしいことは気づいていたようだが、まさか “幻聴” に悩まされていることは想像もしなかっただろう。少なくとも葵は、打ち明けることができなかった。
「でも、クロカワフーズに就職した後は、仕事を覚えるのに必死で……いつの間にか、幻聴が聞こえてくることもほとんどなくなりました。……たまに、ちょこっとヤバいな、って時もあったりするんですけど、『大丈夫大丈夫……』って心の中で呪文みたいに唱えて……そうすると、しばらくすれば落ち着くんです。これでもだいぶ、回復したと思います」
いつかの破水事件や、あの夜間の病院行きは、葵にしてみれば、ここ近年でも稀に見る大事件だった。そこで過呼吸を起こさず卒倒しなかっただけでも、昔の自分よりはるかにまともだ。
思えばあの病院――侑司と一緒に訪れた町中の病院は、よりによって小児科だった。
絶対に聞こえそうな気がした……いや微かに、その片鱗は葵のすぐ傍まで忍び寄っていた。
でもあの時、侑司が「大丈夫か?」と言って、冷たく強張った手を優しく解してくれた。
あの瞬間、空気が変わった……そんな気がした。
「あの夜も、黒河さんがいてくれたから、パニックを起こさずに済んだんです。本当にありがとうございました」
「いや……俺は……」
小さく唸るように呟いて、侑司は首を振る。葵はちょっと首を傾げて覗き込んだ。
「……おかしなことを言うヤツだって、思いませんか?」
「何でそう思う」
「私自身、変なこと言ってるなー、って思いますから。聞こえるはずのない声が聞こえる、だなんて。ホラー映画じゃあるまいし」
「こういったことは、他人には理解できない」
「黒河さん……?」
妙な含みを感じ取り、葵がさらにその顔を覗き込めば、侑司はふっと目元を和らげた。そして少し考え込むように視線を宙に彷徨わせる。
「俺も……一時期、トラウマと思われる症状を発症したことがある」
「え……黒河さんが、……ですか?」
目を見開いた葵に、侑司は小さく笑った。
「……と言っても、今はほぼ完全になくなってまったく問題ないんだけどな」
「そう、なんですか……」
一体どんな……とは聞けなかった。
――コツ、と。
小さくともはっきりと耳に届いた硬質な音に、葵と侑司は同時にパッと振り向く。
そこに――、ロビーとエレベーターホールの境にある柱の傍に、ビックリしたような面持ちで佇む人。
「あ、あのっ……すみません……黒河マネージャー、上で皆さんが探していて……」
「木戸さん……」
『櫻華亭』グランド・シングラー赤坂店の、木戸穂菜美だった。
さっきまで、上の会場では彼女の姿を見かけなかった。もしかしたら、後から遅れて到着したホテル店舗のスタッフ何人かと一緒に来たのかもしれない。
「す、杉浦マネージャーが、絶対来ているはずだって、仰っていて……日比谷はもう出たって連絡があった、って……それで、ちょっと心配になってしまって……」
オドオドと小さくなっていく木戸の声。
と同時に、葵の耳元で微かな音が聞こえて、思わず侑司を振り仰ぐ。
――今、舌打ちした……?
「……わかった。すぐ行く」
機械的で無機質な声音が返された。返されたものの、そこで奇妙な沈黙が走る。
……侑司も、木戸も、何故か動かず。
えーと……と、葵はちょっとお尻の位置をずらしてみたりする。この気まずい状況はどうしたものか。
「――あ、あの、黒河さん……もう行って下さい。……杉浦さん、拗ねると面倒くさいので」
ごく控えめな声でコソッと告げれば、侑司の口が何か言いたげに開きかけた。が、葵は遮るようにして、もう一度告げる。
「……行って下さい。私もすぐ、上に戻ります」
すっかり忘れていたが、自分はトイレのために席を外したのだった。いい加減戻らなければ、そんなに長い時間どんだけ踏ん張っていたんだ、と笑われる。
けれど、一緒にではなく侑司を先に行かせて、自分は後から上へ上がろうと思った。
――木戸が、その場で侑司を待っているから。
たぶん彼女は、侑司に用があるのだ。心細げな縋るような表情からして、何か相談事でもあるのかもしれない。
「……わかった」
吐き出す息とともにそう言って、侑司は立ち上がり荷物を持った。
そのまま、第二エレベーターがある左手の通路の方へ、立ち尽くす木戸穂菜美には目もくれず、侑司は颯爽と早足に向かう。
木戸は慌てて、小走りで彼を追いかけていった。
彼女の身を包むワンピースの、可憐な花柄がふわっと揺れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※ PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)
心的外傷後ストレス障害。強いショック体験や精神的ストレスが心の傷(ダメージ)となり、時間が経過した後も何らかの精神的機能障害や身体的運動障害などが引き起こされる症状。
※ 参考サイト……厚生労働省『みんなのメンタルヘルス』
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