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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
第15話 一輪の花
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【前回のあらすじ】
主の背をみやりながら、過ぎ去りし日々を思うマテアス。ジークヴァルトの辿った過酷な子供時代は、その胸に失うことへの恐怖を刻みつけて。
祖父ジークベルトの導きで、強くなることを決意するジークヴァルト。マテアスもまた主を支え、共に歩むことを改めて誓うのでした。
「お手に触れてもかまいませんか?」
遠慮がちに声をかけると、ジークヴァルトは無言で両手を差し出してきた。隣り合わせに座った執務室のソファで、リーゼロッテはいつものように手を重ねる。
いまだによそよそしい態度をとってしまうものの、この『手当』だけは変わらず続けていた。だが以前は指を絡めて握っていたものが、上から添えるだけのものとなっている。触れるか触れないかのぎりぎりの距離を保ったまま、リーゼロッテは手のひらに力を流そうとした。
「――……っ!」
いきなり下から手を掴まれて、リーゼロッテは心臓を跳ねさせた。思わず伏せていた顔を上げてしまう。
握られた手が熱い。
青い瞳と目が合って、すぐさま不自然に視線を逸らした。
(わたしばっかり意識して馬鹿みたい……)
唇を小さく噛みしめ目をつぶる。心を落ち着かせるために長く細く息を吐いてから、ゆっくりと力を集めていった。
螺旋を描きながら腕を下り、緑の力は流れ出る。重ねた手に吸い込まれるように、そのまま消えて視えなくなった。
リーゼロッテはこの瞬間が好きだ。
その先でゆっくりと混ざり合って、緑と青はやがてひとつに溶けていく。まるで自分の一部がジークヴァルトになるようで、言い知れぬよろこびを感じてしまう。それと同時に、例えようのない虚しさがこの胸を占拠した。
こうして繰り返すごとに、力を制御するのが上達してきたと自分でも感じる。集まる力は無駄がなく、眠くなるぎりぎりの加減もわかってきた。今ならジークヴァルトを困らせることもそうないだろう。そんなふうに思える程度には力を扱えている。
(あ……力の流れが……)
ジークヴァルトの体の中で滞ったような場所を感じて、リーゼロッテは薄く瞳を開いた。左肩の付け根、あの日短剣を刺された場所だ。
傷を負ってから二か月近くは経つ。今ではジークヴァルトは以前と変わらない毎日を送っていた。
領地の執務に日々明け暮れて、週に数回は登城する。時折傷のあたりを気にするそぶりを見かけるというのに、早朝にはマテアスと激しい手合わせをしているらしかった。無理はしないでほしいとそれとなくエラから伝えてもらったが、委縮した筋肉を戻すためだと言われては、それ以上口を挿めるはずもない。
(ジークヴァルト様は絶えず異形に狙われているから……)
先日の騒ぎのように、取り憑かれた人間が襲ってくることもある。身を守るために鍛錬をおろそかにはできないのだと思うと、無力な自分がただひたすら歯がゆかった。
「あの、ジークヴァルト様」
「なんだ?」
伺うように顔を上げると、ずっと自分の顔を見ていたかのように青い瞳とぶつかった。思わずさっと目をそらしてしまう。いまだ両手を握られたまま、リーゼロッテは俯きながら口を開いた。
「肩に触れてもよろしいですか?」
「ああ」
即答されて、ジークヴァルトの座るソファの後ろへと回った。背後に立ち、傷のある場所にそっと両手を添える。座ったままでもやれることだが、真正面からこれ以上近づくなど、今のリーゼロッテにはできなかった。とてもではないが平静を保てそうにない。
(集中しないとうまくできないもの)
言い訳のようにそんなことを思い、瞳を閉じて手の内に意識を傾ける。
この傷が早く癒えるように。残る痛みが和らぐように。できるだけあたたかい光を。もっと、もっと、明るい光を――
「おい」
突然手を掴まれ制される。気づけば一心不乱に力を注ぎ込んでいた。体がふらつきソファの背に腕を伸ばす。触れる前に向こう側からすくい上げられ、抵抗する間もなく膝の上に乗せられてしまった。
「あまり無理はするな」
「申し訳ございません、わたくし……」
「いい、随分楽になった」
そう言いながらジークヴァルトは、リーゼロッテの顔にかかる横髪を耳にかけてきた。耳朶をなぞられ、一瞬で頬が朱に染まる。突っぱねるように距離をとろうとするも、背中を取られて逆に引き寄せられてしまった。
耳障りなほど心臓が打つ。その早鐘の音が伝わってしまいそうで、リーゼロッテは胸を庇うように身を縮こまらせた。
「つらいのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
こんなふうに触れられて、今までどうして平気でいられたのだろうか。自分で自分が信じられない。動揺したように目を泳がせると、ジークヴァルトの眉間のしわが深くなった。
「部屋まで送る」
「いえ、直にエラが迎えに参ります。それまでに菓子をいただきますから、すぐに落ち着きますわ」
無理やりに膝から降りる。仏頂面のまま菓子に手を伸ばそうとしたジークヴァルトに、リーゼロッテは慌てて首を振った。
「自分で! きちんと自分で食べますから、ジークヴァルト様は気にせずお仕事をなさってくださいませ」
淑女らしからぬ素早い動作で菓子を口に放り込む。何かを言いたげにしつつも、ジークヴァルトは執務机に戻っていった。ほっと息をつき黙々と菓子を頬張った。
そんなリーゼロッテにマテアスが紅茶をサーブしてくる。やはりもの言いたげなその様子に、リーゼロッテは気づかないふりをした。
◇
定期で開かれる刺繍教室を終えて、エラは公爵の執務室へと向かっていた。リーゼロッテがまたつらい思いをしているのだと思うと、その足取りも自ずと速くなる。
マテアスには今は待ってほしいと言うに止めた。このままではリーゼロッテをさらに追い詰めかねない。それがうまく伝わったのか、公爵の自室にリーゼロッテが呼ばれることもなくなった。
あれ以来リーゼロッテは淡々と日々を過ごしている。心からの笑顔を見せることもなく、エラの胸は痛む一方だ。
「エラ様!」
廊下の途中でふいに若い男に呼び止められる。振り向くと、幾度か話をしたことがある厨房で働く使用人だった。
「何か?」
小首をかしげると、男はしばらくもじもじとした後、後ろ手に隠していた一輪の花を差し出してきた。
「あ、あのっ、エラ様は貴族籍を抜けると聞きました! もしよかったら、結婚を前提にオレとお付き合いしてくださいっ」
がばりと頭を下げて、男は手に持った花をさらにずいと差し出してくる。突然のことに言葉を失っていると、数人の男たちがものすごい勢いで駆けよってきた。
「「「ちょおっと待ったぁぁぁあっ!」」」
エラの目の前に男たちがずらりと並ぶ。
「オレもエラ様に求婚します!」
「ぼ、ボクにもチャンスをくださいっ」
「エラ様への愛なら誰にも負けません!!」
あとから来た男たちも各々違う花を手にしている。
「「「「よろしくお願いしますっっっ」」」」
膝に届く勢いで頭を下げ、エラに向けて一斉に花を掲げ持つ。絶句してエラは思わず一歩後ずさった。付近にいた使用人たちが興味深げにこちらをみやっていて、一向に顔を上げない男たちを前に、エラも慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい! みなさんの気持ちにはお応えできません!」
その返事に男たちは拍子抜けするほどすぐに頭を上げた。
「お顔を上げてください。オレたち、エラ様を困らせたいわけじゃないので」
「そうです。こんなオレたちにも真摯に答えてくださって、エラ様本当にありがとうございます」
「うっう、ボク今日の事、一生の思い出にします」
「残念だけど、エラ様のしあわせをずっと祈ってます!」
はじめから断られるのがわかっていたような口ぶりで、みなは満足そうに頷いた。そして、エラに向かってもう一度頭を下げ、そのままあっさりと背を向ける。
「あ~あ、やっぱりだめだったかぁ」
「そりゃエラ様だからなぁ」
「ううう、もうこれだけで生きていける」
「いい記念になったなぁ。さらば、オレの青春」
口々に言うと、手にしていた花を後ろ手にぽいと放り投げた。ぽとりと落ちた花を残して、男たちは遠ざかっていく。エラはその背をただぽかんと見送った。
周囲の人間が相変わらず自分の動向を見守っているのに気づき、エラは背筋を伸ばして再び歩き出した。早くリーゼロッテを迎えに行かなくては。寄せられる好意はうれしくもあるが、リーゼロッテをそばで一生支えようと改めて決意したばかりだ。
(今は恋にうつつを抜かしている場合ではないわ)
ひとり頷いて、リーゼロッテの待つ執務室へとエラは急ぎ目指した。
◇
「え? 新しい侍女?」
「はい、なんでもデビューを来年に控えたご令嬢が、行儀見習いでいらっしゃるそうで。お嬢様に淑女としてのお手本を見せてほしいとのことらしいです」
「そう。でもそれなら侍女でなくてもよいのではないかしら?」
ある日エラからそんな話をされて、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。
「子爵家のご令嬢と伺っておりますので、公爵家に客人として迎えることができないのかもしれませんね」
「貴族階級って本当に難しいわね」
難しいというより面倒くさいというのが本音だ。だが自分が言ったところで何が変わるわけでもない。そう思ってただ眉を下げた。そんなリーゼロッテにエラは少し困った顔になる。
「そのご令嬢はつい最近子爵家に養子に迎え入れられたとのことで、どうやら今まで市井でお育ちになった方らしいのです」
「まあ、市井で」
いわゆる庶子というやつだろう。いきなり貴族に籍を置き、デビューまであと一年。そうなると相当な努力を要求されることは想像に難くない。何しろ貴族の令息令嬢は、子供のころから礼儀作法を叩き込まれて育つ。付け焼刃で飛び込めるほど、社交界はやさしい世界ではなかった。
「それに……養子に迎え入れたのは、ブルーメ子爵家とのことでして」
「それでわたくしに白羽の矢が立ったのかしら……?」
ブルーメ子爵家は実父であるイグナーツの生家と聞いている。だがイグナーツはラウエンシュタイン公爵家に婿入りし、その娘であるリーゼロッテはダーミッシュ伯爵家の養子となった。親戚ではあるものの、ブルーメ家の人間とは面識すら持っていない。
「お嬢様のご負担が増えるのかと思うと、エラは心配です」
「ありがとう、エラ。でもその方もきっと、わからないことだらけで困ってらっしゃると思うの。できる限りお力になって差し上げたいわ」
「お嬢様がそうおっしゃるのなら、わたしも力を尽くさせていただきます」
その返事にリーゼロッテはうれしそうにほほ笑んだ。久しぶりの自然な笑みに、エラは少しだけほっとする。しかし礼儀作法もなっていない人間など、できるだけリーゼロッテに近づけたくはなかった。
(どうか面倒な令嬢でありませんように)
リーゼロッテのために、ただ祈るしかないエラであった。
主の背をみやりながら、過ぎ去りし日々を思うマテアス。ジークヴァルトの辿った過酷な子供時代は、その胸に失うことへの恐怖を刻みつけて。
祖父ジークベルトの導きで、強くなることを決意するジークヴァルト。マテアスもまた主を支え、共に歩むことを改めて誓うのでした。
「お手に触れてもかまいませんか?」
遠慮がちに声をかけると、ジークヴァルトは無言で両手を差し出してきた。隣り合わせに座った執務室のソファで、リーゼロッテはいつものように手を重ねる。
いまだによそよそしい態度をとってしまうものの、この『手当』だけは変わらず続けていた。だが以前は指を絡めて握っていたものが、上から添えるだけのものとなっている。触れるか触れないかのぎりぎりの距離を保ったまま、リーゼロッテは手のひらに力を流そうとした。
「――……っ!」
いきなり下から手を掴まれて、リーゼロッテは心臓を跳ねさせた。思わず伏せていた顔を上げてしまう。
握られた手が熱い。
青い瞳と目が合って、すぐさま不自然に視線を逸らした。
(わたしばっかり意識して馬鹿みたい……)
唇を小さく噛みしめ目をつぶる。心を落ち着かせるために長く細く息を吐いてから、ゆっくりと力を集めていった。
螺旋を描きながら腕を下り、緑の力は流れ出る。重ねた手に吸い込まれるように、そのまま消えて視えなくなった。
リーゼロッテはこの瞬間が好きだ。
その先でゆっくりと混ざり合って、緑と青はやがてひとつに溶けていく。まるで自分の一部がジークヴァルトになるようで、言い知れぬよろこびを感じてしまう。それと同時に、例えようのない虚しさがこの胸を占拠した。
こうして繰り返すごとに、力を制御するのが上達してきたと自分でも感じる。集まる力は無駄がなく、眠くなるぎりぎりの加減もわかってきた。今ならジークヴァルトを困らせることもそうないだろう。そんなふうに思える程度には力を扱えている。
(あ……力の流れが……)
ジークヴァルトの体の中で滞ったような場所を感じて、リーゼロッテは薄く瞳を開いた。左肩の付け根、あの日短剣を刺された場所だ。
傷を負ってから二か月近くは経つ。今ではジークヴァルトは以前と変わらない毎日を送っていた。
領地の執務に日々明け暮れて、週に数回は登城する。時折傷のあたりを気にするそぶりを見かけるというのに、早朝にはマテアスと激しい手合わせをしているらしかった。無理はしないでほしいとそれとなくエラから伝えてもらったが、委縮した筋肉を戻すためだと言われては、それ以上口を挿めるはずもない。
(ジークヴァルト様は絶えず異形に狙われているから……)
先日の騒ぎのように、取り憑かれた人間が襲ってくることもある。身を守るために鍛錬をおろそかにはできないのだと思うと、無力な自分がただひたすら歯がゆかった。
「あの、ジークヴァルト様」
「なんだ?」
伺うように顔を上げると、ずっと自分の顔を見ていたかのように青い瞳とぶつかった。思わずさっと目をそらしてしまう。いまだ両手を握られたまま、リーゼロッテは俯きながら口を開いた。
「肩に触れてもよろしいですか?」
「ああ」
即答されて、ジークヴァルトの座るソファの後ろへと回った。背後に立ち、傷のある場所にそっと両手を添える。座ったままでもやれることだが、真正面からこれ以上近づくなど、今のリーゼロッテにはできなかった。とてもではないが平静を保てそうにない。
(集中しないとうまくできないもの)
言い訳のようにそんなことを思い、瞳を閉じて手の内に意識を傾ける。
この傷が早く癒えるように。残る痛みが和らぐように。できるだけあたたかい光を。もっと、もっと、明るい光を――
「おい」
突然手を掴まれ制される。気づけば一心不乱に力を注ぎ込んでいた。体がふらつきソファの背に腕を伸ばす。触れる前に向こう側からすくい上げられ、抵抗する間もなく膝の上に乗せられてしまった。
「あまり無理はするな」
「申し訳ございません、わたくし……」
「いい、随分楽になった」
そう言いながらジークヴァルトは、リーゼロッテの顔にかかる横髪を耳にかけてきた。耳朶をなぞられ、一瞬で頬が朱に染まる。突っぱねるように距離をとろうとするも、背中を取られて逆に引き寄せられてしまった。
耳障りなほど心臓が打つ。その早鐘の音が伝わってしまいそうで、リーゼロッテは胸を庇うように身を縮こまらせた。
「つらいのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
こんなふうに触れられて、今までどうして平気でいられたのだろうか。自分で自分が信じられない。動揺したように目を泳がせると、ジークヴァルトの眉間のしわが深くなった。
「部屋まで送る」
「いえ、直にエラが迎えに参ります。それまでに菓子をいただきますから、すぐに落ち着きますわ」
無理やりに膝から降りる。仏頂面のまま菓子に手を伸ばそうとしたジークヴァルトに、リーゼロッテは慌てて首を振った。
「自分で! きちんと自分で食べますから、ジークヴァルト様は気にせずお仕事をなさってくださいませ」
淑女らしからぬ素早い動作で菓子を口に放り込む。何かを言いたげにしつつも、ジークヴァルトは執務机に戻っていった。ほっと息をつき黙々と菓子を頬張った。
そんなリーゼロッテにマテアスが紅茶をサーブしてくる。やはりもの言いたげなその様子に、リーゼロッテは気づかないふりをした。
◇
定期で開かれる刺繍教室を終えて、エラは公爵の執務室へと向かっていた。リーゼロッテがまたつらい思いをしているのだと思うと、その足取りも自ずと速くなる。
マテアスには今は待ってほしいと言うに止めた。このままではリーゼロッテをさらに追い詰めかねない。それがうまく伝わったのか、公爵の自室にリーゼロッテが呼ばれることもなくなった。
あれ以来リーゼロッテは淡々と日々を過ごしている。心からの笑顔を見せることもなく、エラの胸は痛む一方だ。
「エラ様!」
廊下の途中でふいに若い男に呼び止められる。振り向くと、幾度か話をしたことがある厨房で働く使用人だった。
「何か?」
小首をかしげると、男はしばらくもじもじとした後、後ろ手に隠していた一輪の花を差し出してきた。
「あ、あのっ、エラ様は貴族籍を抜けると聞きました! もしよかったら、結婚を前提にオレとお付き合いしてくださいっ」
がばりと頭を下げて、男は手に持った花をさらにずいと差し出してくる。突然のことに言葉を失っていると、数人の男たちがものすごい勢いで駆けよってきた。
「「「ちょおっと待ったぁぁぁあっ!」」」
エラの目の前に男たちがずらりと並ぶ。
「オレもエラ様に求婚します!」
「ぼ、ボクにもチャンスをくださいっ」
「エラ様への愛なら誰にも負けません!!」
あとから来た男たちも各々違う花を手にしている。
「「「「よろしくお願いしますっっっ」」」」
膝に届く勢いで頭を下げ、エラに向けて一斉に花を掲げ持つ。絶句してエラは思わず一歩後ずさった。付近にいた使用人たちが興味深げにこちらをみやっていて、一向に顔を上げない男たちを前に、エラも慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい! みなさんの気持ちにはお応えできません!」
その返事に男たちは拍子抜けするほどすぐに頭を上げた。
「お顔を上げてください。オレたち、エラ様を困らせたいわけじゃないので」
「そうです。こんなオレたちにも真摯に答えてくださって、エラ様本当にありがとうございます」
「うっう、ボク今日の事、一生の思い出にします」
「残念だけど、エラ様のしあわせをずっと祈ってます!」
はじめから断られるのがわかっていたような口ぶりで、みなは満足そうに頷いた。そして、エラに向かってもう一度頭を下げ、そのままあっさりと背を向ける。
「あ~あ、やっぱりだめだったかぁ」
「そりゃエラ様だからなぁ」
「ううう、もうこれだけで生きていける」
「いい記念になったなぁ。さらば、オレの青春」
口々に言うと、手にしていた花を後ろ手にぽいと放り投げた。ぽとりと落ちた花を残して、男たちは遠ざかっていく。エラはその背をただぽかんと見送った。
周囲の人間が相変わらず自分の動向を見守っているのに気づき、エラは背筋を伸ばして再び歩き出した。早くリーゼロッテを迎えに行かなくては。寄せられる好意はうれしくもあるが、リーゼロッテをそばで一生支えようと改めて決意したばかりだ。
(今は恋にうつつを抜かしている場合ではないわ)
ひとり頷いて、リーゼロッテの待つ執務室へとエラは急ぎ目指した。
◇
「え? 新しい侍女?」
「はい、なんでもデビューを来年に控えたご令嬢が、行儀見習いでいらっしゃるそうで。お嬢様に淑女としてのお手本を見せてほしいとのことらしいです」
「そう。でもそれなら侍女でなくてもよいのではないかしら?」
ある日エラからそんな話をされて、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。
「子爵家のご令嬢と伺っておりますので、公爵家に客人として迎えることができないのかもしれませんね」
「貴族階級って本当に難しいわね」
難しいというより面倒くさいというのが本音だ。だが自分が言ったところで何が変わるわけでもない。そう思ってただ眉を下げた。そんなリーゼロッテにエラは少し困った顔になる。
「そのご令嬢はつい最近子爵家に養子に迎え入れられたとのことで、どうやら今まで市井でお育ちになった方らしいのです」
「まあ、市井で」
いわゆる庶子というやつだろう。いきなり貴族に籍を置き、デビューまであと一年。そうなると相当な努力を要求されることは想像に難くない。何しろ貴族の令息令嬢は、子供のころから礼儀作法を叩き込まれて育つ。付け焼刃で飛び込めるほど、社交界はやさしい世界ではなかった。
「それに……養子に迎え入れたのは、ブルーメ子爵家とのことでして」
「それでわたくしに白羽の矢が立ったのかしら……?」
ブルーメ子爵家は実父であるイグナーツの生家と聞いている。だがイグナーツはラウエンシュタイン公爵家に婿入りし、その娘であるリーゼロッテはダーミッシュ伯爵家の養子となった。親戚ではあるものの、ブルーメ家の人間とは面識すら持っていない。
「お嬢様のご負担が増えるのかと思うと、エラは心配です」
「ありがとう、エラ。でもその方もきっと、わからないことだらけで困ってらっしゃると思うの。できる限りお力になって差し上げたいわ」
「お嬢様がそうおっしゃるのなら、わたしも力を尽くさせていただきます」
その返事にリーゼロッテはうれしそうにほほ笑んだ。久しぶりの自然な笑みに、エラは少しだけほっとする。しかし礼儀作法もなっていない人間など、できるだけリーゼロッテに近づけたくはなかった。
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リーゼロッテのために、ただ祈るしかないエラであった。
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