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第2章 氷の王子と消えた託宣

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「そんなことより、リーゼロッテ嬢が手なづけた異形って、もしかして不動のカークの事?」
「カイ様はカークをご存じなのですか?」
「不動のカークのことは昔の調書に乗ってるからね。実際に見たことはないんだけど」
「カークなら、今、そこの廊下で待たせていますわ」
「じゃあ見せてよ。一応、視察らしいことはしとかないとね」

 ぱちりとウィンクすると、カイは扉へと向かった。先回りしていたマテアスが、すかさず扉を開く。

「ふうん? これが不動のカーク?」

 廊下に出るとカイは顎下あごしたにこぶしを当てて、壁際かべぎわ直立不動ちょくりつふどうで立っているカークを、上から下までしげしげとながめた。

「これって、何百年かずっと動かせないでいたんだよね。一体、リーゼロッテ嬢は何をしたの?」
「何をとおっしゃられましても……わたくしはただカークに、そこから動いてみないか話をしただけですわ」
「……うん? ごめん、ちょっと意味がわからない」
「カークは意地を張ってあそこから動けないでいたようなのです。ですから、もうふてくされるのはやめてみないかと声をかけたのですわ」

 カイはポカンと口を開け、その後、腹を抱えて爆笑し始めた。

 こうなったら、しばらくカイの笑いはおさまらない。王城で散々さんざん笑われてきたリーゼロッテは、むうっと唇をとがらせた。

「ははっ、ふ、ふてくされた異形を、せ、説得……やばっ、リーゼロッテ嬢、マジでやば……はははははっ」

(王子殿下がいらっしゃれば、笑うカイ様を止められるのに)

 王太子の応接室で王子がしていたように、後ろからカイの頭をはたき落としたい。そんな衝動しょうどうにかられながら、はたとリーゼロッテは大事なことを思い出した。

(そうだわ! アンネマリーの小箱!)

「デルプフェルト様……その辺りで笑いを収めてくださいませんか? リーゼロッテ様がお困りですわ」
 不意に後ろからエマニュエルの声がした。視察が終わるまで廊下で控えていたようだ。

「これは、ブシュケッター子爵夫人。たいへん失礼しました」

 カイはエマニュエルの姿を認めると、途端とたんに笑うのをやめた。人懐ひとなつっこそうな笑顔を向けて、エマニュエルの白い手を取ったかと思うと、迷いのない動きでその指先に口づける。

「相変わらずのお美しさですね。次の夜会でお会いした折には、一曲踊っていただけますか?」
「まあ、デルプフェルト様にお誘い頂けるなんて、光栄ですわ。ですが、あいにくと主人が嫉妬しっと深くて……どうか、他のご夫人をお誘いなさって? デルプフェルト様でしたら、お相手にお困りになることはないでしょう?」

 エマニュエルも妖艶ようえんな笑みを浮かべたまま、慣れた感じで切り返している。その様子を目の当たりにしていたリーゼロッテは、ぱちくりと緑の瞳をまたたかせた。

(か、カイ様って、こんなキャラだった!?)

 カイは社交界では、夫人キラーで有名なのだが、デビュー前のリーゼロッテは知るよしもないことだ。
 侯爵家五男ごなんのカイは継ぐ爵位もないため、結婚相手としては若い令嬢たちには見向きもされていない。それをいいことに、カイは既婚者や未亡人相手に気ままによろしくやっているのである。

 そんなこととはつゆとも知らないリーゼロッテは、アンネマリーのためにこの機会を逃してはならないと、気を取りなおして口を開いた。

「……あの、カイ様。視察が終わってからで構わないので、できれば後程のちほどお時間をくださいませんか?」
「何? もうだいだい終わったから、いつでもいいよ?」

 エマニュエルの手を取ったままの状態で すかさず笑顔で返され、リーゼロッテはめんらった。

「え……? もうよろしいのですか?」
「うん、カークのくだりで調書が埋まりそうだし。もう充分でしょ」

 ようやくエマニュエルの手を解放したカイに、満面の笑顔でそう言われ、リーゼロッテはうぐっと言葉を詰まらせた。

(異形の浄化を完璧にして、カイ様を見返す計画が……)

 涙目になったリーゼロッテをカイはおもしろそうに見やった。

「それに、このあと王城に戻って、ハインリヒ様の護衛に加わらないといけないからね。今日は神殿で王家の祭事さいじがあって、騎士団総出そうでにんに当たるんだ」
「それでジークヴァルト様も、最近お忙しくされていたのですね。でしたら、あまりお時間をとらせてはいけませんわね……」
「まあ、今日のハインリヒ様の護衛のメインはジークヴァルト様だから、そんなに慌てなくても平気だよ。今回の式典は人の出入りが多くて、オレの護衛じゃ心もとないんだって。こんなに誠心誠意仕えてるのにさ、ハインリヒ様もひどいこと言うよねー」

 ちっともこたえていない様子で、カイはほがらかに笑った。

「で、何? デビューのダンスのお相手ならよろこんでするけど?」
 ジークヴァルト様が許せばの話だけどね、といたずらっぽく付け加える。

「ダンスはぜひに……ですが今日はそのようなことではなくて……カイ様にお渡ししたいものがあるのです」

 神妙しんみょうな様子のリーゼロッテに、カイは「ん?」という顔をした。

「渡したいもの? ……何それ、ジークヴァルト様が静かににらんでくる展開が見えるんだけど」
「……? ヴァルト様は何も関係ありませんわ」

 カイがリーゼロッテから何かをもらったとなると、ジークヴァルトが嫉妬しっとするのは目に見えている。それなのに、不思議そうにこちらを見ているリーゼロッテは相変わらずのようだ。

(リーゼロッテ嬢って、どうしてこんなに鈍いんだろう)
 あのジークヴァルト相手なら、仕方ないのかもしれないが。

(うん……でもまあ、このままの方が絶対におもしろい)
 そう結論づけると、カイはひとりうんうんと頷いた。

「今、部屋まで取りに行ってまいりますので、カイ様はこちらでお待ちいただけますか?」
「なら、オレも一緒に行くよ。公爵家の中も少し見ておきたいし」
「それでは、わたしが部屋までご案内いたしますわ」

 エマニュエルが先導せんどうするように歩き出した。

「あ、従者くん、今日はおいしい紅茶をありがとう。次は、ジークヴァルト様がいるときに来るよ」
 マテアスに向かってひらひらと手を振ると、カイはエマニュエルの後を追った。

「……カイ・デルプフェルト……相変わらず、食えないお方ですねぇ……」

 マテアスはその背中を腰を折って見送ったあと、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。
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