214 / 519
第2章 氷の王子と消えた託宣
5
しおりを挟む
「そんなことより、リーゼロッテ嬢が手なづけた異形って、もしかして不動のカークの事?」
「カイ様はカークをご存じなのですか?」
「不動のカークのことは昔の調書に乗ってるからね。実際に見たことはないんだけど」
「カークなら、今、そこの廊下で待たせていますわ」
「じゃあ見せてよ。一応、視察らしいことはしとかないとね」
ぱちりとウィンクすると、カイは扉へと向かった。先回りしていたマテアスが、すかさず扉を開く。
「ふうん? これが不動のカーク?」
廊下に出るとカイは顎下にこぶしを当てて、壁際に直立不動で立っているカークを、上から下までしげしげと眺めた。
「これって、何百年かずっと動かせないでいたんだよね。一体、リーゼロッテ嬢は何をしたの?」
「何をとおっしゃられましても……わたくしはただカークに、そこから動いてみないか話をしただけですわ」
「……うん? ごめん、ちょっと意味がわからない」
「カークは意地を張ってあそこから動けないでいたようなのです。ですから、もうふてくされるのはやめてみないかと声をかけたのですわ」
カイはポカンと口を開け、その後、腹を抱えて爆笑し始めた。
こうなったら、しばらくカイの笑いは収まらない。王城で散々笑われてきたリーゼロッテは、むうっと唇をとがらせた。
「ははっ、ふ、ふてくされた異形を、せ、説得……やばっ、リーゼロッテ嬢、マジでやば……はははははっ」
(王子殿下がいらっしゃれば、笑うカイ様を止められるのに)
王太子の応接室で王子がしていたように、後ろからカイの頭をはたき落としたい。そんな衝動にかられながら、はたとリーゼロッテは大事なことを思い出した。
(そうだわ! アンネマリーの小箱!)
「デルプフェルト様……その辺りで笑いを収めてくださいませんか? リーゼロッテ様がお困りですわ」
不意に後ろからエマニュエルの声がした。視察が終わるまで廊下で控えていたようだ。
「これは、ブシュケッター子爵夫人。たいへん失礼しました」
カイはエマニュエルの姿を認めると、途端に笑うのをやめた。人懐っこそうな笑顔を向けて、エマニュエルの白い手を取ったかと思うと、迷いのない動きでその指先に口づける。
「相変わらずのお美しさですね。次の夜会でお会いした折には、一曲踊っていただけますか?」
「まあ、デルプフェルト様にお誘い頂けるなんて、光栄ですわ。ですが、あいにくと主人が嫉妬深くて……どうか、他のご夫人をお誘いなさって? デルプフェルト様でしたら、お相手にお困りになることはないでしょう?」
エマニュエルも妖艶な笑みを浮かべたまま、慣れた感じで切り返している。その様子を目の当たりにしていたリーゼロッテは、ぱちくりと緑の瞳を瞬かせた。
(か、カイ様って、こんなキャラだった!?)
カイは社交界では、夫人キラーで有名なのだが、デビュー前のリーゼロッテは知る由もないことだ。
侯爵家五男のカイは継ぐ爵位もないため、結婚相手としては若い令嬢たちには見向きもされていない。それをいいことに、カイは既婚者や未亡人相手に気ままによろしくやっているのである。
そんなこととは露とも知らないリーゼロッテは、アンネマリーのためにこの機会を逃してはならないと、気を取りなおして口を開いた。
「……あの、カイ様。視察が終わってからで構わないので、できれば後程お時間をくださいませんか?」
「何? もうだいだい終わったから、いつでもいいよ?」
エマニュエルの手を取ったままの状態で すかさず笑顔で返され、リーゼロッテは面食らった。
「え……? もうよろしいのですか?」
「うん、カークのくだりで調書が埋まりそうだし。もう充分でしょ」
ようやくエマニュエルの手を解放したカイに、満面の笑顔でそう言われ、リーゼロッテはうぐっと言葉を詰まらせた。
(異形の浄化を完璧にして、カイ様を見返す計画が……)
涙目になったリーゼロッテをカイはおもしろそうに見やった。
「それに、このあと王城に戻って、ハインリヒ様の護衛に加わらないといけないからね。今日は神殿で王家の祭事があって、騎士団総出で任に当たるんだ」
「それでジークヴァルト様も、最近お忙しくされていたのですね。でしたら、あまりお時間をとらせてはいけませんわね……」
「まあ、今日のハインリヒ様の護衛のメインはジークヴァルト様だから、そんなに慌てなくても平気だよ。今回の式典は人の出入りが多くて、オレの護衛じゃ心もとないんだって。こんなに誠心誠意仕えてるのにさ、ハインリヒ様もひどいこと言うよねー」
ちっとも堪えていない様子で、カイは朗らかに笑った。
「で、何? デビューのダンスのお相手ならよろこんでするけど?」
ジークヴァルト様が許せばの話だけどね、といたずらっぽく付け加える。
「ダンスはぜひに……ですが今日はそのようなことではなくて……カイ様にお渡ししたいものがあるのです」
神妙な様子のリーゼロッテに、カイは「ん?」という顔をした。
「渡したいもの? ……何それ、ジークヴァルト様が静かに睨んでくる展開が見えるんだけど」
「……? ヴァルト様は何も関係ありませんわ」
カイがリーゼロッテから何かをもらったとなると、ジークヴァルトが嫉妬するのは目に見えている。それなのに、不思議そうにこちらを見ているリーゼロッテは相変わらずのようだ。
(リーゼロッテ嬢って、どうしてこんなに鈍いんだろう)
あのジークヴァルト相手なら、仕方ないのかもしれないが。
(うん……でもまあ、このままの方が絶対におもしろい)
そう結論づけると、カイはひとりうんうんと頷いた。
「今、部屋まで取りに行ってまいりますので、カイ様はこちらでお待ちいただけますか?」
「なら、オレも一緒に行くよ。公爵家の中も少し見ておきたいし」
「それでは、わたしが部屋までご案内いたしますわ」
エマニュエルが先導するように歩き出した。
「あ、従者くん、今日はおいしい紅茶をありがとう。次は、ジークヴァルト様がいるときに来るよ」
マテアスに向かってひらひらと手を振ると、カイはエマニュエルの後を追った。
「……カイ・デルプフェルト……相変わらず、食えないお方ですねぇ……」
マテアスはその背中を腰を折って見送ったあと、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。
「カイ様はカークをご存じなのですか?」
「不動のカークのことは昔の調書に乗ってるからね。実際に見たことはないんだけど」
「カークなら、今、そこの廊下で待たせていますわ」
「じゃあ見せてよ。一応、視察らしいことはしとかないとね」
ぱちりとウィンクすると、カイは扉へと向かった。先回りしていたマテアスが、すかさず扉を開く。
「ふうん? これが不動のカーク?」
廊下に出るとカイは顎下にこぶしを当てて、壁際に直立不動で立っているカークを、上から下までしげしげと眺めた。
「これって、何百年かずっと動かせないでいたんだよね。一体、リーゼロッテ嬢は何をしたの?」
「何をとおっしゃられましても……わたくしはただカークに、そこから動いてみないか話をしただけですわ」
「……うん? ごめん、ちょっと意味がわからない」
「カークは意地を張ってあそこから動けないでいたようなのです。ですから、もうふてくされるのはやめてみないかと声をかけたのですわ」
カイはポカンと口を開け、その後、腹を抱えて爆笑し始めた。
こうなったら、しばらくカイの笑いは収まらない。王城で散々笑われてきたリーゼロッテは、むうっと唇をとがらせた。
「ははっ、ふ、ふてくされた異形を、せ、説得……やばっ、リーゼロッテ嬢、マジでやば……はははははっ」
(王子殿下がいらっしゃれば、笑うカイ様を止められるのに)
王太子の応接室で王子がしていたように、後ろからカイの頭をはたき落としたい。そんな衝動にかられながら、はたとリーゼロッテは大事なことを思い出した。
(そうだわ! アンネマリーの小箱!)
「デルプフェルト様……その辺りで笑いを収めてくださいませんか? リーゼロッテ様がお困りですわ」
不意に後ろからエマニュエルの声がした。視察が終わるまで廊下で控えていたようだ。
「これは、ブシュケッター子爵夫人。たいへん失礼しました」
カイはエマニュエルの姿を認めると、途端に笑うのをやめた。人懐っこそうな笑顔を向けて、エマニュエルの白い手を取ったかと思うと、迷いのない動きでその指先に口づける。
「相変わらずのお美しさですね。次の夜会でお会いした折には、一曲踊っていただけますか?」
「まあ、デルプフェルト様にお誘い頂けるなんて、光栄ですわ。ですが、あいにくと主人が嫉妬深くて……どうか、他のご夫人をお誘いなさって? デルプフェルト様でしたら、お相手にお困りになることはないでしょう?」
エマニュエルも妖艶な笑みを浮かべたまま、慣れた感じで切り返している。その様子を目の当たりにしていたリーゼロッテは、ぱちくりと緑の瞳を瞬かせた。
(か、カイ様って、こんなキャラだった!?)
カイは社交界では、夫人キラーで有名なのだが、デビュー前のリーゼロッテは知る由もないことだ。
侯爵家五男のカイは継ぐ爵位もないため、結婚相手としては若い令嬢たちには見向きもされていない。それをいいことに、カイは既婚者や未亡人相手に気ままによろしくやっているのである。
そんなこととは露とも知らないリーゼロッテは、アンネマリーのためにこの機会を逃してはならないと、気を取りなおして口を開いた。
「……あの、カイ様。視察が終わってからで構わないので、できれば後程お時間をくださいませんか?」
「何? もうだいだい終わったから、いつでもいいよ?」
エマニュエルの手を取ったままの状態で すかさず笑顔で返され、リーゼロッテは面食らった。
「え……? もうよろしいのですか?」
「うん、カークのくだりで調書が埋まりそうだし。もう充分でしょ」
ようやくエマニュエルの手を解放したカイに、満面の笑顔でそう言われ、リーゼロッテはうぐっと言葉を詰まらせた。
(異形の浄化を完璧にして、カイ様を見返す計画が……)
涙目になったリーゼロッテをカイはおもしろそうに見やった。
「それに、このあと王城に戻って、ハインリヒ様の護衛に加わらないといけないからね。今日は神殿で王家の祭事があって、騎士団総出で任に当たるんだ」
「それでジークヴァルト様も、最近お忙しくされていたのですね。でしたら、あまりお時間をとらせてはいけませんわね……」
「まあ、今日のハインリヒ様の護衛のメインはジークヴァルト様だから、そんなに慌てなくても平気だよ。今回の式典は人の出入りが多くて、オレの護衛じゃ心もとないんだって。こんなに誠心誠意仕えてるのにさ、ハインリヒ様もひどいこと言うよねー」
ちっとも堪えていない様子で、カイは朗らかに笑った。
「で、何? デビューのダンスのお相手ならよろこんでするけど?」
ジークヴァルト様が許せばの話だけどね、といたずらっぽく付け加える。
「ダンスはぜひに……ですが今日はそのようなことではなくて……カイ様にお渡ししたいものがあるのです」
神妙な様子のリーゼロッテに、カイは「ん?」という顔をした。
「渡したいもの? ……何それ、ジークヴァルト様が静かに睨んでくる展開が見えるんだけど」
「……? ヴァルト様は何も関係ありませんわ」
カイがリーゼロッテから何かをもらったとなると、ジークヴァルトが嫉妬するのは目に見えている。それなのに、不思議そうにこちらを見ているリーゼロッテは相変わらずのようだ。
(リーゼロッテ嬢って、どうしてこんなに鈍いんだろう)
あのジークヴァルト相手なら、仕方ないのかもしれないが。
(うん……でもまあ、このままの方が絶対におもしろい)
そう結論づけると、カイはひとりうんうんと頷いた。
「今、部屋まで取りに行ってまいりますので、カイ様はこちらでお待ちいただけますか?」
「なら、オレも一緒に行くよ。公爵家の中も少し見ておきたいし」
「それでは、わたしが部屋までご案内いたしますわ」
エマニュエルが先導するように歩き出した。
「あ、従者くん、今日はおいしい紅茶をありがとう。次は、ジークヴァルト様がいるときに来るよ」
マテアスに向かってひらひらと手を振ると、カイはエマニュエルの後を追った。
「……カイ・デルプフェルト……相変わらず、食えないお方ですねぇ……」
マテアスはその背中を腰を折って見送ったあと、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。
0
お気に入りに追加
269
あなたにおすすめの小説
(完結)私の夫は死にました(全3話)
青空一夏
恋愛
夫が新しく始める事業の資金を借りに出かけた直後に行方不明となり、市井の治安が悪い裏通りで夫が乗っていた馬車が発見される。おびただしい血痕があり、盗賊に襲われたのだろうと判断された。1年後に失踪宣告がなされ死んだものと見なされたが、多数の債権者が押し寄せる。
私は莫大な借金を背負い、給料が高いガラス工房の仕事についた。それでも返し切れず夜中は定食屋で調理補助の仕事まで始める。半年後過労で倒れた私に従兄弟が手を差し伸べてくれた。
ところがある日、夫とそっくりな男を見かけてしまい・・・・・・
R15ざまぁ。因果応報。ゆるふわ設定ご都合主義です。全3話。お話しの長さに偏りがあるかもしれません。
ギャルゲー主人公に狙われてます
白兪
BL
前世の記憶がある秋人は、ここが前世に遊んでいたギャルゲームの世界だと気づく。
自分の役割は主人公の親友ポジ
ゲームファンの自分には特等席だと大喜びするが、、、
【完結】今更告白されても困ります!
夜船 紡
恋愛
少女は生まれてまもなく王子の婚約者として選ばれた。
いつかはこの国の王妃として生きるはずだった。
しかし、王子はとある伯爵令嬢に一目惚れ。
婚約を白紙に戻したいと申し出る。
少女は「わかりました」と受け入れた。
しかし、家に帰ると父は激怒して彼女を殺してしまったのだ。
そんな中で彼女は願う。
ーーもし、生まれ変われるのならば、柵のない平民に生まれたい。もし叶うのならば、今度は自由に・・・
その願いは聞き届けられ、少女は平民の娘ジェンヌとなった。
しかし、貴族に生まれ変わった王子に見つかり求愛される。
「君を失って、ようやく自分の本当の気持ちがわかった。それで、追いかけてきたんだ」
会えないままな軍神夫からの約束された溺愛
待鳥園子
恋愛
ーーお前ごとこの国を、死に物狂いで守って来たーー
数年前に母が亡くなり、後妻と連れ子に虐げられていた伯爵令嬢ブランシュ。有名な将軍アーロン・キーブルグからの縁談を受け実家に売られるように結婚することになったが、会えないままに彼は出征してしまった!
それからすぐに訃報が届きいきなり未亡人になったブランシュは、懸命に家を守ろうとするものの、夫の弟から再婚を迫られ妊娠中の夫の愛人を名乗る女に押しかけられ、喪明けすぐに家を出るため再婚しようと決意。
夫の喪が明け「今度こそ素敵な男性と再婚して幸せになるわ!」と、出会いを求め夜会に出れば、なんと一年前に亡くなったはずの夫が帰って来て?!
努力家なのに何をしても報われない薄幸未亡人が、死ぬ気で国ごと妻を守り切る頼れる軍神夫に溺愛されて幸せになる話。
※完結まで毎日投稿です。
聖痕の聖騎士〜溺愛?狂愛?私に結婚以外の選択肢はありますか?〜
白雲八鈴
恋愛
『結婚をしよう』
彼は突然そんなことを言い出した。何を言っているのだろう?
彼は身分がある人。私は親に売られてきたので身分なんてない。 愛人っていうこと?
いや、その前に大きな問題がある。
彼は14歳。まだ、成人の年齢に達してはいない。 そして、私は4歳。年齢差以前に私、幼女だから!!
今、思えば私の運命はこのときに決められてしまったのかもしれない。
聖痕が発現すれば聖騎士となり、国のために戦わなくてはならない。私には絶対に人にはバレてはいけない聖痕をもっている。絶対にだ。
しかし運命は必然的に彼との再会を引き起こす。更に闇を抱えた彼。異形との戦い。聖女という人物の出現。世界は貪欲に何かを求めていた。
『うっ。……10年後に再会した彼の愛が重すぎて逃げられない』
*表現に不快感を持たれました読者様はそのまま閉じることをお勧めします。タグの乙女ゲームに関してですが、世界観という意味です。
一話の中に別視点が入りますが、一応本編内容になります。
*誤字脱字は見直していますが、いつもどおりです。すみません。
*他のサイトでも投稿しております。
【完結】人形と皇子
かずえ
BL
ずっと戦争状態にあった帝国と皇国の最後の戦いの日、帝国の戦闘人形が一体、重症を負って皇国の皇子に拾われた。
戦うことしか教えられていなかった戦闘人形が、人としての名前を貰い、人として扱われて、皇子と幸せに暮らすお話。
性表現がある話には * マークを付けています。苦手な方は飛ばしてください。
第11回BL小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
追放された貴族の子息はダンジョンマスターとなりハーレムライフを満喫中
佐原
ファンタジー
追放された貴族が力を蓄えて好き放題に生きる。
ある時は馬鹿な貴族をやっつけたり、ある時は隠れて生きる魔族を救ったり、ある時は悪魔と婚約したりと何かと問題は降りかかるがいつも前向きに楽しくやってます。追放した父?そんなの知らんよ、母さん達から疎まれているし、今頃、俺が夜中に討伐していた魔物に殺されているかもね。
俺は沢山の可愛くて美人な婚約者達と仲良くしてるから邪魔しないでくれ
「私が愛するのは王妃のみだ、君を愛することはない」私だって会ったばかりの人を愛したりしませんけど。
下菊みこと
恋愛
このヒロイン、実は…結構逞しい性格を持ち合わせている。
レティシアは貧乏な男爵家の長女。実家の男爵家に少しでも貢献するために、国王陛下の側妃となる。しかし国王陛下は王妃殿下を溺愛しており、レティシアに失礼な態度をとってきた!レティシアはそれに対して、一言言い返す。それに対する国王陛下の反応は?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる