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家族とは。

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「なんだよこれ……」

 俺は思わず足を止めてしまった。
 目の前に広がるのは、おそらく二十畳近くはあるであろう広々としたリビングダイニングに、その向こうには一面ガラス張りの窓と大阪の絶景が広がっている。

 けれども、俺が驚いて立ち止まったのはそんな豪勢な部屋の大きさと景色にではない。

 無いのだ、何もかも。

 俺は驚いた表情を浮かべたまま辺りをぐるりと見渡す。
 この家には食事をするためのテーブルも椅子もなければ、リビングでくつろぐためのソファもない。そしてテレビボードもなければ、何ならテレビ自体さえも。

 あるのは壁際に少し積み上げられている段ボール箱と、カウンターキッチンの後ろに見えるカップボードと冷蔵庫だけで、他には人が住む上で必要な家具もなければ雑貨の類もまったく見当たらなかった。

「どういうことだ?」と俺は思わず首を捻る。すると俺の困惑に答えるかのように、白峰が言う。

「引っ越してきたばかりだから何もないのよ」

「引っ越したばかりって……」

 無表情のままそんなことを呟く白峰に、俺はますます混乱してしまう。
 たしかに白峰は転校してきたばかりではあるが、それでもすでに数日は経っている。それに大阪に越してきてからはおそらく一週間以上は経っているはずだろう。

 なのにこの家には生活感どころか、人が住んでいる気配さえもまるで感じない。
 言うなれば物置か、あるいはタワーマンションの中にある廃墟部屋だ。

「それで、私の家にはどんなテーブルが合うのかしら?」

「……」

 呆然としたままの俺に、白峰が平然とした口調で尋ねてきた。
 その声でやっと我に戻った俺は、まず真っ先に疑問をぶつける。

「いやそれよりもお前、こんな部屋でどうやってご飯食べてるんだよ」

「どうやってって、ここで食べてるけど」

 そう言って白峰がすっと指差したのは、キッチン前から突き出ているカウンターだった。

「いやいや、そんな狭いところじゃ家族みんなでご飯なんて食べられないだろ」

「家族も何も、私一人しかいないけど」

「……ハイ?」

 思わず口調がカタコトになってしまった。
 あれおかしいな、疑問を解決するために質問しているのに何故か疑問が肥大化していくんですけど?
 まったく状況が理解できずに再び呆然としていると、白峰が呆れた口調で言う。

「だからこの家には私しか住んでいないの。見ればわかるでしょ」

「……」

 いや見ればわかるって言われても……。

 そもそも何故これだけの豪邸に白峰一人しか住んでいないのかという根本的な疑問があるのだが、もはや何から聞けばいいのかわからず俺は無言のまま今度はキッチンの方へと視線を移す。

 そこに見えるのはフライパンなどの調理器具が一切見当たらないコンロに、そして水滴一つ付いてないシンクだ。
 これが他の人だったら「とても綺麗好きなんですね」と笑顔で褒めることができるのだが、この状況の白峰相手だと褒めることよりもやはり生活そのものを疑うことしかできない。

「あのさ、白峰ってほんとにこの家で飯食ってるのか?  というよりちゃんと生活できてるの?」

「失礼ね。ちゃんと食べてるし生活してるわよ」

 そんなに疑うなら冷蔵庫の中でも見てみれば? と強気な口調で言葉を返してくる白峰。

 人様の家にきて真っ先に冷蔵庫を開けるのはいかがなものかと思うのだが、たしかに冷蔵庫の中を見ればコイツがちゃんと飯を食べてるのか、そして本当に一人で暮らしているのかどうかもわかる。

 俺は「ほんとに見るぞ?」と脅しのつもりで尋ね返したのだが、白峰はその強気な態度を崩さなかったので仕方なくキッチンの中へと移動する。
そして恐る恐る冷蔵庫の扉を開けてみると――。

「嘘だろ……」

 覚悟はしていたが、俺は目の前に現れた光景に再び愕然とすることしかできなかった。

 無駄にデカい冷蔵庫に入っていたのは数本の水のペットボトルと、だだっ広い空間の中にぽつんと置かれたコンビニのパスタだった。しかも何故か五つも。

 コイツどれだけパスタ好きなんだよ、と驚きつつもツッコむべきところはそこではないとすぐに気付いて我に戻る。

「お前、自分で料理作ってないのか?」

「だって自炊って時間の無駄でしょ。買ってすぐに食べられるなら、そっちのほうが遥かに楽じゃない」

「……」

 だそうである。

 白峰の自論を聞いて、俺は思わず開いた口が塞がらなかった。

 どうしよう。この目の前にいる強気な白峰の姿を最後に『タワマンの一室から栄養失調が原因で息を引き取った女子高生の遺体が見つかりました』とかそんなニュースがテレビで流れてしまったら。
 最後の目撃者はクラスメイトの萩原翔太くんで彼があの時野菜を差し出していたら……なんて頭の中で勝手にニュースの続きを想像してゾッとしていると、そんな思考を断ち切るかのようにブッブッブッと突然スマホのバイブ音が響く。

「おい、電話がかかってきてるぞ」

 自分のものではないバイブ音に気づいてそんな言葉を口にすると、白峰がスカートのポケットからスマホを取り出した。
 そして彼女は画面を見た直後、何故かうんざりとした様子でため息を吐き出すと、そのままスマホを再びポケットへと戻してしまったではないか。

「出なくて良かったのか?」

「いいの。母親からだもの」

「いや良くないだろ。ちゃんと出ろよ」

 俺は白峰の言葉にすかさず反論した。もしも彼女が言う通り母親からの電話だったとしたら、きっと一人で暮らす娘を心配して電話をかけてきたに違いない。……というより白峰ママ、この子の生活を心配してあげて下さい。

 そんなことを考えながら俺は相手のことを睨みつけるも、それでも白峰はスマホを取り出そうとしない。
 それどころか彼女はまたも小さくため息を吐き出した後、今度はどこか投げやりな口調で言った。

「どうせ本当の母親じゃないからお構いなく」

「……」

 予想もしていなかった言葉が返ってきてしまい、俺は思わず口を噤んでしまう。
 どうやら赤の他人がそう簡単に踏み込んでいいような家族環境ではないらいし。

 これ以上何かを尋ねることは無粋だろうと思った俺は、仕方なくズボンのポケットからメジャーを取り出すとそれを持ってカウンターの前へと移動する。
 そして白峰から頼まれている通りこの部屋にどんなテーブルが合うのか調べるために床の長さを測り始めた。

 ただ、余計なお節介だとはわかりつつも一言だけ伝えておくことにした。

「事情は深く聞かないけど、でも親にはちゃんと連絡しておいた方がいいぞ」

「……」

 俺の言葉を聞いて、視界の隅に映る白峰の表情が僅かに険しくなったのがわかった。
 そして彼女は呆れたように小さくため息をつくとその唇を静かに開く。

「そんなことあなたには関係ないでしょ。それに……」

――母親なんて居てもいなくても同じだから。

 虚しいぐらい広い部屋に、白峰の乾いた声だけが響いた。

 その言葉を聞いた瞬間、俺の手が反射的にピタリと止まる。

「……どういう意味だよ?」

 つい声音を強めて尋ね返すも、見上げた視線の先では白峰はただ黙ったまま窓の外を見つめているだけだ。

 俺はそんな彼女の姿を見て再び問いかけようとしたのだが、結局それ以上何も言わずにため息だけを吐き出すと、自分の仕事に専念することにしたのだった。
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