上 下
14 / 28

14

しおりを挟む

 翌朝、アーファ様は朝食の席に現れなかった。酒が残っていて頭痛がひどいらしい。
 律儀にも侍従を介して丁寧に謝罪を伝えられた。
 アーファ様の乳母だった年長の侍女が「まったく、ぼっちゃんは後先を考えずに!」と憤りながら、二日酔いに効く薬水を煎じて運んでいる。

(何歳になっても子供扱いになってしまうのよね……)

 実家にいる私の乳母もあんな感じだった。私の結婚式で人一倍泣いていた姿が、深く印象に残っている。
 両親や兄、血の繋がらない乳母も、私の幸せな結婚生活を望んでいるだろう。逆にアーファ様にもそう望む人たちがいるはずだ。

(私から求めた結婚なのに好きだった理由も分からなくなるなんて、不誠実だと責められてもおかしくないわ……)

 きちんと彼に向き合えば、恋した理由が思い出せるだろうか。

 ◇

 昨日の朝に考えていた作業へ出かけるため、私は準備を整えることにした。
 朝食を終えてから、共に出かける護衛に馬の支度を頼み、厨房へと赴く。
 ヒュドル邸内は厨房を含め、あらゆる場所が清潔に保たれている。備品もきちんと磨かれていて古さを感じさせない。
 貴族の女主人は屋敷の管理を担うものだが、アーファ様のお母様が亡くなってからも、仕事のレベルを落とさないでいてくれるのはさすがだ。

(アーファ様の管理がいいのかしら……それとも、人柄?)

 彼はまだ屋敷内の仕事を私には伝えてこない。
 信用がないのか、気遣われているのか、環境に慣れてからと考えているのか。

(離縁を迫る嫁にあれこれ任せられないわよね)

 自問しながら心の中で笑う。
 厨房に着き、護衛の分も合わせた二人分の昼食を頼むと、料理人たちは張り切った様子で動き始めた。
 それからは自室に戻り着替えを済ませ、地図や資料をまとめたメモ書きを鞄に詰め込んでいく。
 手伝いの侍女と共に、必要な道具を屋敷内を歩き回って集め、その途中でアーファ様の自室に寄った。
 目的地へ立ち入るための許可を得るためだ。
 部屋の扉を数回叩いてみたが応答はない。扉には鍵がかかっていた。

「どこに行ったのかしら……」

 二日酔いで寝込んでいると思ったが、もう働いているのだろうか。
 執務室に向かう途中、前方からアーファ様の乳母だった侍女が歩いてきた。

「アーファ様の体調はどう?」
「少しずつ頭痛も落ち着いてきたようです」
「そう、それはよかったわ。昨夜もたくさんお酒をお召しになっていたのよ。アーファ様はお酒がお好きなのね」 

 そう伝えると、彼女は驚いたように目を見張り、そして目尻に皺を刻んで微笑んだ。

「普段、旦那様はあまり飲酒をなさいません。こんなにも美しい方を妻に迎えられたのですから、きっと緊張なさっているのでしょう」

 どうやら夜の関わりに緊張し、晩酌が進んでいると思っているようだ。
 何となく気まずくて言葉に詰まる。

「旦那様は幼い頃から内向的な方なので、気の利いたことを言えないかもしれませんが、とても優しくて頑張り屋さんなのですよ」
「それは――、何となく伝わっているわ」

 彼女も私たちの仲が良くないことは知っているだろう。
 今がいい機会だと言わんばかりに、アーファ様の良い点を教えようとしている気がする。

「アーファ様を探しているのだけど、どこにいるのか知っているかしら? お部屋にはいないみたいなの」
「それでしたら、おそらく犬舎にいらっしゃいます」
「犬舎?」
「はい。ぜひ行ってあげてくださいませ」

 含みを持たせるような言い方をしながら、屈託のない笑みを向けられる。
 私は苦笑を返しつつ彼女と別れ、言葉の通り犬舎へ向かった。

 ◇

 犬舎に着くと、なぜか使用人たちが遠巻きにしていることに気がついた。

「……? アーファ様がいらっしゃるから、距離を置いているのかしら?」

 よく分からないけれど、共に付いている侍女に外で待つように伝え、私は犬舎の扉を小さく叩いた。

「アーファ様、いらっしゃいますか?」

 しばらく待つが応答はない。
 もたもたしている時間が勿体ないので、構わずに扉を開けて、わずかな隙間から中へ入った。
 前回の記憶が確かなら犬たちが犬舎内を走っているかもしれない。扉を後ろ手で閉め、足下に犬がいないことを確認してから顔を上げる。
 そして、絶句した。
 アーファ様が犬舎の壁際で子犬を抱えて座り込んでいる。その周りを子犬が縦横無尽に走り回り、毛布の上には母犬が疲れたように寝そべっていた。

「あ、あのう……アーファ様?」

 もう一度名前を呼ぶと、暴れる子犬に顔を埋めていた夫がぴくりと身体を揺らした。しかし顔を上げようとはしない。

「…………ペレーネですか?」
「はい。ペレーネです」

 やりとりに既視感を覚えたが、昨夜のことを思い出して納得する。

「アーファ様。体調はいかがですか?」

 何気なく訊ねたつもりなのに、アーファ様は返事をしない。それどころか、彼の耳は赤く染まっていく。
 どうやら深酒をしても記憶は残る人らしい。昨夜のことを思い出して恥ずかしくなったのだろう。

「お元気ならよかったです」
(どのような方でも酒による醜態を見られるのは恥ずかしいわよね。でも、醜態というほどでもなかったけど……)

 きょろきょろと辺りを見回すと、以前いた使用人の姿がない。ここにいるのは元気いっぱいの子犬たちと母犬。

 ――そして、子犬を抱えて座る夫。

「アーファ様は何をしていらっしゃるのですか?」
「……」

 またしても返事がない。
 彼の顔を背中で受けとめている子犬は、遊んでもらっていると思っているのか、四肢をばたつかせて尻尾はぴょこぴょこ振れている。
 アーファ様の上着の裾は床につき、その先端を別の子犬が戯れて噛んでいる。子犬は必死に噛んでいるようで、形相は獣そのものだ。

「アーファ様、上着を噛まれています。穴が空いてしまうかもしれません」
「……気になりません」
「そうですか」

 よく分からないが、犬に頬ずりしたい気分なのかもしれない。邪魔をする気はないので私は本題を口にした。

「今から先日ご案内していただいた坑道へ出かけたいのですが、許可をいただけますか?」
「好きに出かけてください」
「承知いたしました。ありがとうございます」

 想像していたよりも、あっさり許してくれた。もっと理由などを細かく聞いてくると思ったのに。

「それでは失礼いたします」

 私は犬舎を出て、待機していた侍女と共に門扉へと向かう。
 これからの予定を頭の中で反芻しながら、忘れている物がないか考えていると、後方から焦った声が名を呼んだ。

「ペレーネ! 待ってください!」

 振り返ると、アーファ様が慌てて犬舎から飛び出してきた。同時に彼の足下を子犬たちが駆けていく。

「ああ!? で、出ては駄目だ!」

 嬉々とした子犬たちが、私とは逆方向へ駆けていく。

「……大変そうね。忘れ物はなさそうだから、私はこのまま出発するわ」

 隣にいた侍女にそう話しかけると、彼女は頷いた。
 仕事の速い護衛は、渡しておいた荷物をそれぞれの馬に積み終え、すぐに出かけられるように門も開けてくれている。

「奥様。昼食が届いたので積んでおきました。そろそろ、出発なさいますか?」
「ええ。待たせてしまってごめんなさい」

 護衛に謝り、用意されていた馬に跨がる。
 空を見上げると雲一つ無い快晴だ。
 足の側面で軽く馬の腹を叩くと、馬はゆったりとした動きで歩き始める。
 門の外に出て目的の方角を見据えてから、再び足を動かして合図を送る。馬はそれに応え、勢いよく走り出した。
 頬で風を切る感触。草や土の匂いを感じたくて、私は大きく息を吸った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

〈短編版〉騎士団長との淫らな秘め事~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~

二階堂まや
恋愛
王国の第三王女ルイーセは、女きょうだいばかりの環境で育ったせいで男が苦手であった。そんな彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、逞しく威風堂々とした風貌の彼ともどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。 そんなある日、ルイーセは森に散歩に行き、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。そしてそれは、彼女にとって性の目覚めのきっかけとなってしまったのだった。 +性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が全面協力して最終的にらぶえっちするというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

【R18】国王陛下に婚活を命じられたら、宰相閣下の様子がおかしくなった

ほづみ
恋愛
国王から「平和になったので婚活しておいで」と言われた月の女神シアに仕える女神官ロイシュネリア。彼女の持つ未来を視る力は、処女喪失とともに失われる。先視の力をほかの人間に利用されることを恐れた国王からの命令だった。好きな人がいるけどその人には好かれていないし、命令だからしかたがないね、と婚活を始めるロイシュネリアと、彼女のことをひそかに想っていた宰相リフェウスとのあれこれ。両片思いがこじらせています。 あいかわらずゆるふわです。雰囲気重視。 細かいことは気にしないでください! 他サイトにも掲載しています。 注意 ヒロインが腕を切る描写が出てきます。苦手な方はご自衛をお願いします。

【R18】殿下!そこは舐めてイイところじゃありません! 〜悪役令嬢に転生したけど元潔癖症の王子に溺愛されてます〜

茅野ガク
恋愛
予想外に起きたイベントでなんとか王太子を救おうとしたら、彼に執着されることになった悪役令嬢の話。 ☆他サイトにも投稿しています

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

処理中です...