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 からからと車輪の音が響く。
 馬車の中で私たちは隣同士で座り、繋いだ手はかたく握られたままだった。

「セチア、今日はありがとう」
「お礼を言うのは私の方です。たくさんお付き合い頂いて幸せでした」

 話したいことはたくさんあるけれど、何を話せばいいのか分からず言葉を発せなくなる。
 次はいつラーセ殿下に会えるだろう。

「モミ様」
「まだそれ続けるんだ」
 ラーセ殿下は愉快そうに笑う。
「そういえば、セチアはその名前を何処で知ったんだ? 僕の知らない木の名前だ」
「……私が昔読んだ物語に出てくる木ですわ」
「へえ」
「モミの木にも花言葉のように意味があるんですよ」
「女性は何かにつけ、意味を持たせるのが好きだね」
 ラーセ殿下はよく分からないといったふうに首を傾げる。年相応の男性といった反応に思わず笑ってしまう。

「あなたは愛されている」

 彼は動きを止めた。探るような若草色の瞳が私を見つめる。

「ラーセ殿下は、殿下を好きな私のことが好きなのですよね? 私が殿下を好きでなくなったら、私のことを好きではなくなるという意味ですか?」

 ずっと心に燻っていた言葉を口にすると、彼は暫し動きを止めたが、すぐに取り乱した。

「ち、違う!」
「違いますか?」
「違う! 誤解を招く発言をしたことは謝る! でも、違う。そういう意味で言ったのではない!」

 私はほっと胸を撫で下ろし、違うのならどういう意味で告げた言葉なのかと新たな疑問が生じる。

「僕をひたすら想ってくれるセチアのことが好きなのは言葉の通りだ。僕を好きだと言ってくれて、態度で示してくれる君の姿を見ているのが好きなんだ」

 ようするに言葉の通りで、斜に構えた見方をしなくてもいいということのようだ。
 一人で悶々と考えていた時間は一体何だったのだろう。
 
「でももし君の心が移ろってしまったら、僕は君を好きでいるのはつらいから、好きではなくなるよう努力するかもしれない」
「努力の方向性がおかしいですわ」
「それ、セチアが言ったらだめだろう」

 ラーセ殿下は繋いでいた手を強く握った。

「君がずっと何かに悩んでいることは気づいている。それを教えて欲しい」

 真剣な眼差しが真っ直ぐに私を見据えている。そこには懇願の色が浮かぶ。

「……私は長い間、ラーセ殿下には運命の人が現れると思っておりました。私には優れた才能もありませんし、人と関わることも得意ではないので、人望もありません。手にしているものは父の持つ地位だけです。そんな私は殿下には相応しくないと思っております」

 ラーセ殿下は口を開こうとしたが、突然馬車ががたんと揺れた。
 体勢を崩した私を彼の腕が受け止め、そのまま優しく抱きしめられる。
 たくさん歩いたせいで汗の匂いが強い。
 生きている、と当たり前のことを思う。

「……殿下の長所や短所、心の傷を全て受け入れ、癒してくれるような方が現れると思っております」

 私を抱きしめる腕がびくりと震えた。ラーセ殿下の胸板を押し身を離すと、彼の瞳は不安げに揺れる。

「でも私はラーセ殿下のことが大好きで、長い時を経て贅沢になってしまいました。殿下が許してくださる間はずっとお側にいたいです。貴方が幸せになる機会を、私が奪ってしまってもよろしいですか?」

 愛しい人を見つめ告げると、彼は思いもよらなかったのか目を丸くしている。
 不安そうな表情を浮かべてみたり、突然苛立ちをぶつけてきたりするくせに。真っ直ぐに好意を向けると反応に困ってしまうところが愛おしい。

「僕もセチアには相応しくないと思っていた……」
「……?」
「君は兄上に似て、明るくとても優しい。眩しいくらいだ」
「ラーセ殿下。いくらリッド殿下のことが大好きだからと言って、比較対象として兄上を出されるのはどうかと思います」
 彼はみるみる赤面してしまい、誤魔化すように咳払いをする。
「と、とにかく、セチアは僕に相応しくないと思っているようだが、それは僕だって同じなんだ!」

 意気込むように強めに言われて、唖然としてしまったのは私だ。
 じわじわと胸に嬉しさがこみ上げてくる。

「私たち同じことを考えていたのですね」

 喜色を隠せずに笑ってしまうと、ラーセ殿下も目尻を下げて優しく笑む。

「僕は兄上のようにセチアを楽しませてあげられない。趣味や嗜好も違うし、何より僕は君に気遣われてばかりだ」

 ごちんと、ラーセ殿下の頭が私の額にぶつかった。ぐりぐりと押し付けるように擦りつけられて少々痛い。
 
「でも僕は心が狭いから、君のように身を引くなんて出来ないんだ」
「殿下……」
「セチア、僕を信じて求めて欲しい。頼りなくて、期待出来ないかもしれないが……努力するから」

 唐突に、僕を信じていないと何度も言っていた姿が思い出された。
 私がよかれと思い行動してきたことは、彼を不安にさせ、ただ卑屈にさせていただけだった。
 
「ラーセ殿下。あの日、凄く怖くて、痛かったです」
「……っ!」
 彼の瞳をまっすぐに見つめながら、私は思いのたけを述べていく。
「あれから暫くは動くたびに痛くて用を足す時は沁みました。最低です」
「ごめん……」
「熱も出ました。休日に読もうと思っていた本が読めませんでした。最低です」
「ごめん……」
「二度と酷いことをしないとお約束してください」
「約束する」
「また同じことをなさったら、去勢してください」
「きょ!?」
 ラーセ殿下の肩が面白いくらい跳ねた。
「お嫌ですか?」
「い、嫌というか……、二度としないと誓えるから、ええと、約束するのは構わない、けど、あの」
 心無しかラーセ殿下の顔が青ざめている。どうやら、してはいけない想像をしたようだ。

「殿下、私も謝らなければなりません」
「え……?」
「誤解を招く行動をとってしまい反省しております。言い訳にしかなりませんが、そんなつもりはありませんでした」
 ラーセ殿下は小さく笑んで頷く。
「私にとってリッド殿下は悪友のようなものです」
「…………ん?」
「覚えておられないと思いますが、幼い頃、リッド殿下と取っ組み合いの喧嘩をして揃ってお父様に怒られました。私たちは凄く不愉快になり、お父様へ仕返しを企てました」
「うん……?」
「お父様の執務室と寝室に忍び込み、蛇の抜け殻を置いて回ったのです。痛快でしたわ」

 ラーセ殿下は言葉を失くしている。

「そういう気安い友人は他にはいないので、リッド殿下と話していると楽しくて、つい浮かれてしまいました」

「それは……どう、受け止めたらいいのかな」

 笑うのが正解なのか、呆れるのが正解なのか、ラーセ殿下の表情は複雑そうだ。 
 私は小さく息を吐いた。次第に気持ちが落ち着き、感じていた焦燥が霧散していく。
 こんなふうに必死に接せられたら、誰だって勘違いする。勘違いではないと期待する。
 私を愛してくれている、と。

「セチア?」
 また不安げに名を呼ぶから、私はつい笑ってしまった。
「私はラーセ殿下のことが大好きです」
「また、そうやって不意をつく……」
 彼は頬を朱に染めて私から顔を背けてしまう。その耳は真っ赤だ。

「一つ、確認をしたいんだ」
「はい」
「……婚約破棄の話だけれど、その、セチアは了承していると聞いた」
「ああああ!」
 私は最も先に伝えるべきことを思い出し、絶叫した。

「う、セチア、声が大きすぎる……」

 さすがのラーセ殿下も眉を寄せて、身をのけぞらせる。

「も、申し訳ありません! あ、あの、先にお伝えするべきでした! 私は了承していないです。婚約破棄したくないです! あの、父が勝手にそう伝えてしまって……」

 ラーセ殿下は深い溜息をつき、頭を抱えて項垂れてしまった。

「で、殿下?」
「おかしいと思ったんだ……」
「はい?」
「セチアと街を散策しながら、君があまりにも普段通りだったから、僕と接するのはこれを最後にしたいのかと思ったんだ。でも話をしていて、どうも様子が違う気がして……その」

「も、申し訳ありません! 私、どうしても嫌な話題から逃げる癖がついておりまして……」

「はは、そうだね」

 ラーセ殿下は乾いた笑いを漏らしながら、顔を両手で覆ってしまう。

「ラ、ラーセ殿下?」

 指の隙間から緑の瞳が覗き、少々すねたような声で彼は言った。

「本当はもっと話したいことがあるんだ。これからも僕の側でたくさん話をしてくれる?」
「はい! もちろんですわ!」 

 ラーセ殿下は私の手を取り指先に唇を寄せた。劣情を孕む視線を寄越し、私の反応を確認してから頬に口付ける。

「君の求めている愛情が、どんなものか僕には分からないけれど……僕は、僕なりに君を愛してる」

 思いもよらない台詞に言葉を詰まらせてしまう。
 そんなもの私だって分からない。

「私も、私なりにラーセ殿下を愛しております」

 心臓が止まりそうなくらい緊張しながら伝えたのに、何故か彼はくすくすと笑い始める。

「殿下?」
「そういえば、僕は刷り込まれているんだっけ」
「……そこは愉快そうに笑うところではありません」

 むっとして口をへの字に曲げると、ラーセ殿下の顔が鼻先に寄り、触れるだけの口づけがおちる。
 唇が離れ目が合うと、何だかおかしくて、二人で意味もなく笑う。
 穏やかで甘い雰囲気が、くすぐったい。


 夢心地のまま侯爵邸に到着したが、私たちは両親の落雷を受け、一気に現実に引き戻された。
 両親の勢いは凄まじく、ひたすら謝り続ける事しか出来なかった。
 弟のイオは痴者を見る目で私を見つめ、母は頭痛がすると言って途中退場した。

 父と私の言い合いは過熱し、その間に挟まれたラーセ殿下はいつの間にか宥める側になっていた。
 おろおろとするラーセ殿下に同情した弟が仲裁に入るという混沌を極めたが、最終的に父は渋々という形で折れた。
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