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第二章
侵食される日常 7
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「わぁ、凄いですね。カフェのみたいで。家でこんなに豪華なランチが食べられるなんて嬉しいです」
ダイニングテーブルに運ぶのを手伝ってくれた晃は並んだ料理に目を丸くしている。
オムライスの他にはサラダとスープを作ったのだが、簡単なものだ。こんなにも喜ぶとは思っていなかった紗菜は彼が満足してくれるのかどうか不安で仕方がなかった。家族以外の異性に食べてもらうことも初めてである。
しかし、何よりも彼の希望であったケチャップのハートを上手に描くことはできなかったのだ。
「ハート、失敗しちゃって……」
「先輩が俺のために頑張ってくれただけで嬉しいですけど、きっと何回も描けば上手になりますよ」
料理を撮影しながら言う晃はフォローしているつもりなのだろう。本当の恋人に言われたならば嬉しかったかもしれないが、何度もこんなことがあるのだと思えば紗菜の気はどこまでも重くなる。これっきりであってほしかった。
そんな紗菜の心情を知ってか知らずか晃は続ける。
「次はパスタ、ハンバーグ……いや、和食も捨て難いですね」
今日このまま帰ることができるのかさえもわからないというのに、次のことなど紗菜には考えられなかった。晃の口に合うのかもわからない。
「そんなことを考えてると目の前の愛情たっぷりオムライスが冷めちゃいますね」
そこに愛情がないことは彼が一番よく知っているのではないか。何も言えないまま紗菜はこれから判決を言い渡されるような気持ちだった。
「いただきます」
きちんと挨拶をしてスプーンを握る晃に紗菜はゴクリと息を呑む。
たった一切れの卵焼きとはわけが違うのだ。紗菜にとってはこの結果で今日の自分の処遇が決まるような妙な緊張感があった。既に見た目で減点されているつもりになっているからこそ尚更である。
「あぁ……美味しいです」
パクリと一口食べた晃の表情はすぐに綻んだ。まずは第一段階を突破したようでほっとしながらも紗菜はまだ落ち着けずにいた。
「先輩も食べてくださいよ、温かい内に」
そう言われてしまっては食べないわけにもいかなかった。紗菜は晃の物より小さく作ったオムライスを見つめる。食欲が全くないわけではない。オムライスに罪はないのだ。
小さく「いただきます」と呟いてスプーンを握って紗菜は確かにオムライスへと伸ばしたはずだった。
「こんなに美味しい物を作れるなんて紗菜先輩はいいお嫁さんになれますね」
にこにこと笑みを浮かべる晃に悪意はなかったのだろう。
しかし、そう言い放たれた瞬間、紗菜の手からスプーンが滑り落ちていた。カシャンと音を立てて床に転がったスプーンを紗菜は慌てて拾おうとしたが、晃が立ち上がる方が早かった。彼はすぐにキッチンに代わりを取りに行く。
「ご、ごめんなさい……」
「動揺しちゃって可愛いですね」
新しいスプーンを受け取りながらも紗菜は居たたまれなかった。彼の言葉を素直に喜べるはずがない。
この関係がいつまで続くのかもわからない。終わった後で普通の恋愛ができるのかもわからない。紗菜には不安しかないのだ。当たり前に思い描いていた淡い未来は彼のせいで黒く塗り潰されてしまった。
「そうだ、次の休みは一緒に食器買いに行きましょう? ペアの食器がほしくなっちゃいました。調理器具も先輩が使いやすい物を買っていいですから」
「えっ……」
突然の提案に戸惑いを隠すことなど紗菜にはできるはずもなかった。
それではまるで本当の恋人のようではないか。彼はこの関係をいつまで続けようと言うのか。食器や道具とは不要になれば簡単に捨てられるものだろうか。それとも違う誰かと使うつもりなのだろうか。
「って言うか、一緒に住みません? 毎日紗菜先輩の手料理が食べられたら、きっと幸せだと思うんです」
「そ、そんなことできるわけないでしょ……!」
更なるとんでもない提案に紗菜は思わず声を上げていた。彼は何を言っているのだろうか。
学生という身分で同棲などできるはずがない。こうなると、先日、監禁などと言っていたのも強ち冗談でもないのかもしれない。彼と住むことは紗菜にとっては軟禁としか思えない。そこから自由がなくなれば監禁だ。
「じゃあ、先輩が卒業したら俺と一緒に暮らしましょう? 進学ですか? 近いところですか?先輩が通いやすいところに引っ越してもいいですよ。もちろん、家賃は全額俺持ちでいいので」
矢継ぎ早の質問に紗菜は答えることができずに俯いた。
彼もまた学生であり、年下だというのにその金は一体どこから出てくるというのか。湧いてくるものだとでも思っているのか。こんなマンションで一人暮らしをしているのだから彼の家は裕福なのかもしれない。
そもそも、大学生になってもまだこんな関係を続けるつもりなのか。卒業するまでというのならまだ耐えられたかもしれない。それでも一年以上ある。否、紗菜はそこまで続くとも考えてもいなかったのだ。
結局、晃が嬉しそうに食べる料理の味が紗菜にはまたわからなくなってしまった。
綺麗なハートを描ける日はきっと来ない。そう思っていたかった。いつか来るはずの終わりだけが紗菜にとって救いなのだから。
* * *
ダイニングテーブルに運ぶのを手伝ってくれた晃は並んだ料理に目を丸くしている。
オムライスの他にはサラダとスープを作ったのだが、簡単なものだ。こんなにも喜ぶとは思っていなかった紗菜は彼が満足してくれるのかどうか不安で仕方がなかった。家族以外の異性に食べてもらうことも初めてである。
しかし、何よりも彼の希望であったケチャップのハートを上手に描くことはできなかったのだ。
「ハート、失敗しちゃって……」
「先輩が俺のために頑張ってくれただけで嬉しいですけど、きっと何回も描けば上手になりますよ」
料理を撮影しながら言う晃はフォローしているつもりなのだろう。本当の恋人に言われたならば嬉しかったかもしれないが、何度もこんなことがあるのだと思えば紗菜の気はどこまでも重くなる。これっきりであってほしかった。
そんな紗菜の心情を知ってか知らずか晃は続ける。
「次はパスタ、ハンバーグ……いや、和食も捨て難いですね」
今日このまま帰ることができるのかさえもわからないというのに、次のことなど紗菜には考えられなかった。晃の口に合うのかもわからない。
「そんなことを考えてると目の前の愛情たっぷりオムライスが冷めちゃいますね」
そこに愛情がないことは彼が一番よく知っているのではないか。何も言えないまま紗菜はこれから判決を言い渡されるような気持ちだった。
「いただきます」
きちんと挨拶をしてスプーンを握る晃に紗菜はゴクリと息を呑む。
たった一切れの卵焼きとはわけが違うのだ。紗菜にとってはこの結果で今日の自分の処遇が決まるような妙な緊張感があった。既に見た目で減点されているつもりになっているからこそ尚更である。
「あぁ……美味しいです」
パクリと一口食べた晃の表情はすぐに綻んだ。まずは第一段階を突破したようでほっとしながらも紗菜はまだ落ち着けずにいた。
「先輩も食べてくださいよ、温かい内に」
そう言われてしまっては食べないわけにもいかなかった。紗菜は晃の物より小さく作ったオムライスを見つめる。食欲が全くないわけではない。オムライスに罪はないのだ。
小さく「いただきます」と呟いてスプーンを握って紗菜は確かにオムライスへと伸ばしたはずだった。
「こんなに美味しい物を作れるなんて紗菜先輩はいいお嫁さんになれますね」
にこにこと笑みを浮かべる晃に悪意はなかったのだろう。
しかし、そう言い放たれた瞬間、紗菜の手からスプーンが滑り落ちていた。カシャンと音を立てて床に転がったスプーンを紗菜は慌てて拾おうとしたが、晃が立ち上がる方が早かった。彼はすぐにキッチンに代わりを取りに行く。
「ご、ごめんなさい……」
「動揺しちゃって可愛いですね」
新しいスプーンを受け取りながらも紗菜は居たたまれなかった。彼の言葉を素直に喜べるはずがない。
この関係がいつまで続くのかもわからない。終わった後で普通の恋愛ができるのかもわからない。紗菜には不安しかないのだ。当たり前に思い描いていた淡い未来は彼のせいで黒く塗り潰されてしまった。
「そうだ、次の休みは一緒に食器買いに行きましょう? ペアの食器がほしくなっちゃいました。調理器具も先輩が使いやすい物を買っていいですから」
「えっ……」
突然の提案に戸惑いを隠すことなど紗菜にはできるはずもなかった。
それではまるで本当の恋人のようではないか。彼はこの関係をいつまで続けようと言うのか。食器や道具とは不要になれば簡単に捨てられるものだろうか。それとも違う誰かと使うつもりなのだろうか。
「って言うか、一緒に住みません? 毎日紗菜先輩の手料理が食べられたら、きっと幸せだと思うんです」
「そ、そんなことできるわけないでしょ……!」
更なるとんでもない提案に紗菜は思わず声を上げていた。彼は何を言っているのだろうか。
学生という身分で同棲などできるはずがない。こうなると、先日、監禁などと言っていたのも強ち冗談でもないのかもしれない。彼と住むことは紗菜にとっては軟禁としか思えない。そこから自由がなくなれば監禁だ。
「じゃあ、先輩が卒業したら俺と一緒に暮らしましょう? 進学ですか? 近いところですか?先輩が通いやすいところに引っ越してもいいですよ。もちろん、家賃は全額俺持ちでいいので」
矢継ぎ早の質問に紗菜は答えることができずに俯いた。
彼もまた学生であり、年下だというのにその金は一体どこから出てくるというのか。湧いてくるものだとでも思っているのか。こんなマンションで一人暮らしをしているのだから彼の家は裕福なのかもしれない。
そもそも、大学生になってもまだこんな関係を続けるつもりなのか。卒業するまでというのならまだ耐えられたかもしれない。それでも一年以上ある。否、紗菜はそこまで続くとも考えてもいなかったのだ。
結局、晃が嬉しそうに食べる料理の味が紗菜にはまたわからなくなってしまった。
綺麗なハートを描ける日はきっと来ない。そう思っていたかった。いつか来るはずの終わりだけが紗菜にとって救いなのだから。
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