立つ風に誘われて

真川紅美

文字の大きさ
上 下
26 / 30
終、歩き出したのは

しおりを挟む
 入院生活となって、もう二か月が経った。
 その間に政変に近い動乱が王都であったという。
 まず、表向きには療養中で行方をくらましていたヴルト名誉大将の愛娘、クロエが襲撃された一報。そして、それを阻止したのは、ヴルト隊のただ一人の生き残りであるのに行方知れずだったレオン。クロエが無事だったことは軍上層部の胸をなで下ろす結果になったのだが、当然、軍人であるのに今までどこにいたのだという声も上がった。すぐさま事情聴取という名の処分検討会を、とはやし立てる権力の犬たちにレイスは革の袋を提示して黙らせた。
 襲撃の首謀は、クロエの持つヴルトの血、名声を狙った不届きもので、その中の一人に、王国防衛軍の総帥、レオンの母の副官が含まれていた事がわかり、軍舎に激震が走ったという。
 そしてその総帥の目論見を告発したのは、レオンの兄たち、そして、彼女の実の息子という肩書を持ったレイスとディール。
 息子たちの手によって数々の悪行が暴露され、そして、政変を起こし、軍事国家を作り上げようとしていたたくらみが明るみに出た彼女は、瞬く間に立場を追われ、そして、一級の謀反犯として、独房に入れられることになった。
 そして、数日前、極刑に処されることが決定したという情報を、レオンは病院の共有スペースにある新聞で知った。そして、兄たちが全く姿を見せないのはそのせいか、と一人かやの外に置かれているような気分を味わっていた。
 一時は悪くなりかけた足の骨も、順調にくっつき、今では杖をついてなら歩き回ってもいいという診断をレオンは受けていた。そのため、暇さえあれば病室を抜け出し、いろいろなところに顔を出し、知らせを聞いて見舞いに来る上官や軍学校の頃からの知己に挨拶をしていた。
 だが、けがは足だけではない。
 脱臼していた右肩も日常生活には支障がない程度の機能を回復させおそらく脱臼癖もついていないだろう、その他指など細かい骨が折れていたが、そのどれもが正常な位置でくっついている。しかし、軍務に耐えきれるほどになるかは疑問が残るという。
 こんなケガをしていながら、こんなにすぐ普通に立って歩いて生活できる程度に回復したのは偏にレイス隊に所属する軍医の腕が良かったのだと、軍病院でレオンを診ている医者は耳に胼胝ができるほどそう言っていた。
 本来ならば傷によるショックで死んでいてもおかしくなかった。と顔をしかめる医者は、レオンの父であるリカルドと軍学校が同期だったそうだ。
 軍学校の同期というものは、共にたくさんの経験をするからか、兄弟のような独特な結びつきがある。
 まるでうるさい叔父のようにレオンを叱る医者を、レオンは少し苦手だった。
「……はあ」
 少し前に叱られてきた、そんなつまらない日常を過ごす彼の日課は、相も変わらず病院にある慰霊の石碑のある内庭の片隅に足を運ぶことだった。
 もともと病院であるからか、そんな陰気な場所に足しげく通う人はなく忘れ去られたように石は野ざらしになっていた。
「……っ」
 ディールが時たま持ってくる食べられるらしい花から一輪抜いて毎日手向け、しばらく立ち尽くしては踵を返し何事もなかったように部屋に帰る。なぜ、食べられる花を持ってくるのかは謎だ。
 昼食後の散歩とも言える墓参りだが、今日は少しだけ違うものになった。
 踵を返した先にいたのは赤い日傘を差した少女。
 息を呑むレオンに少女は二、三歩近づいて手を差し伸べてきた。
 雪の気配が漂い始める澄んだ空気。冷たい空気を深く吸って吐いて。
 レオンは杖を捨ててまっすぐ歩きだした。
「クロエ」
「遅いから来ちゃいました」
 拗ねたようにそう言うクロエにレオンはふっと笑っていつものように結わえられていない髪をわしわしと撫でてそのまま肩を抱いた。
「杖、大丈夫ですか?」
「ああ。走らなければ痛みはないからね」
 腰を痛めた退役爺ばっか来る軍病院だから杖も爺むさい。と文句を付けたレオンは久しぶりの手の平のぬくもりにかみしめるように笑みを深めて目を閉じる。
「レオンさん?」
「ん?」
 歩き出さないレオンを不思議に思ったクロエが見上げるのにレオンは首を横に振って覗き込むクロエの瞳を見返す。
「話したいことが、あるんだ」
 存外穏やかな声にクロエはぱしぱしと瞬きをしてレオンを見上げたまま首を傾げた。
「今までのこと、これからのこと。いろんなこと」
 一歩踏み出したレオンの腕を取り寄り添うように歩き出すクロエのぬくもりを感じながらレオンは胸が詰まるような気分を味わって、思わず深く息を吸い込んでいた。
「レオンさん?」
「いや、何でもない。すっかり冬になってしまったな。もうそんなに経ったのか」
 葉を落とした木々を見てうっすらと新雪が積もっているのを見てどうりで寒いわけだと苦笑する。まだ早いと思っていたが、雪の頼りはもう届いていた。
「あ……」
 声を漏らしたクロエがどの話に飛ぶか見当ついたことを感じ取って一度レオンは足を止めた。
「部屋に戻ってからな」
 しゅんとした雰囲気を漂わせるクロエの頭を軽くなでてその手を引いてゆっくりと、クロエに会えなかった二か月であった軍内部の動き、兄から聞いたこととして、ことの顛末を説明していた。
「……それじゃあ、総帥は?」
「ああ。処刑が決行されることが確定した。かなり即決に近い形だったが、そうできるぐらいの埃が出るわ出るわでな。どこも異論なしということになったらしい」
「……」
 うつむいたクロエにレオンは深くため息をついた。いつの間にかレオンが滞在する病室の前まで来ていて、部屋にクロエを入れ、備え付けられた給湯室で湯を沸かしてお茶を入れる。
「やっと、解放された気がする」
 静かな声に、クロエは向かいに座ったレオンを見やって目の前に置かれたお茶を見る。
「……お母さまから、ですか?」
「……諸々だな。過去も、母も。この一件で吹っ切れた」
 答えが出るのかと、クロエが表情をこわばらせるのを見て、レオンは手に持っていたカップをローテーブルに置いた。ソーサーとぶつかって澄んだ音を立てたカップの中では紅茶の水面が細かな波紋を描いている。
「隣に座っても?」
 一言断りを入れ、クロエがぎこちなくうなずくのに、レオンは少しだけ表情を緩ませてその隣に座って、髪を撫でた。
「レオンさん?」
 その手がかすかに震えているのにクロエは気づいて、隣に座るレオンを見上げて甘えるように、ゆっくりとその胸に頭を預けた。そして、レオンもふっと笑ってそれを受け止めた。
「やっと、帰ってこれたって、おもう」
 震える手が髪を梳き、肩を抱き、背中をさすり、引き寄せるのをクロエは目を閉じて感じていた。病院にいるからいつもの石鹸の香りはせずにただ、レオンの匂いとぬくもりと、少しだけ痩せたしなやかな体の質感を感じていた。
「怖い思いを、させてしまったね」
 だんだんとクロエの呼吸が引きつれたものに変わっていくのを感じてレオンはただ優しく抱きしめていた。どんな詰りにも、耐えるつもりだった。どんなことを言われても仕方ないと、覚悟は決まっていた。最後の審判を待つそんな気持ちで、レオンはクロエの言葉を待っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...