花と散る空の果て

真川紅美

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1章

始まりの地にて

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 そんなことをしながら任務までの空き時間を過ごし、今回は飛空機による撃墜任務ではないため杏は補給船に乗って研究所へと降り立つのだった。

「ここか……」

 杏がいる砦から空を飛んで20分。孤島群の中で一番島と島の間が開いている小さな島に、それはあった。

「……」

 いかにもな白い建物と極端に窓が小さい作りに杏が口を閉じるとポンと背中を叩かれた。

「行くぞ」

 顔を引き締めた連翹に促されてうなずくと、その広い背中を追う。

「来たか」

 エントランスには一人の白衣を着た男が立っていた。ここは禁煙ではないらしく細巻きの煙草をくわえた青灰色の髪をぼさぼさと伸ばした男は白衣のポケットに手を突っ込み歩み寄った。色の入ったレンズの眼鏡の奥に見える瞳は白っぽい。

「ここの管轄を任されている薊だ」
「……連翹だ。こいつは杏」
「……キメラ?」
「ああ。山桜桃梅の後継だ」
「……あの山桜桃梅?」
「ああ。そうだ」
「……。そうか。鱗を見せてもらっても?」
「え? あ。……はい」
「杏」
「……うなじか。いいね。気に入った」
「え?」
「見てみ」

 そういって薊が白衣の下に着ていたシャツの前を開けて胸元を出すとグイッとはだけさせた。

「俺もキメラだ。お前より弱いけどな」
「弱いってわかるの?」
「ああ。鱗の細かさで大体な。魔力の質も関わってくるから言い切れないんだが、大体鱗だけで目安がつく」
「へえ……」

 研究員らしい言葉にぽかんとしていると連翹が嫌そうに顔をしかめて薊を見た。

「御託は良い。対象は?」
「こっちだ」

 かつかつと足音を響かせて歩く薊の後を二人はついていく。廊下はひっそりと静まり返って、強化ガラス越しの研究員も一様に難しい顔をして画面を見つめている。

「ここでは、主にキメラの体機能についての研究をしている。もともとこの研究施設でキメラが合成されたんだが、まだわからないことが多くてな」
「この施設で? そんな古いのか?」
「ああ。まあ、ぼろぼろになって改築したが、場所自体はここで違いない」

 興味を引かれたように連翹が顔を突っ込むのに嬉しそうに薊は笑う。

「その時の設備も、一応地下に隠してある。本当は破壊しなきゃならなかったんだが連中忘れてやがってな」
「後で見せてもらえるか?」
「興味あるのか?」
「そりゃあ、あるだろ。キメラが初めて育ったポットだろ?」
「脳筋かと思ったらなかなか知っているようだな。ああ。それと、初めてのキメラの作り主の机も残っている。さすがに紙は朽ちてしまったが」
「へえ。歴史級じゃねえか」
「ああ。まあ、そんなん忘れてここをただの研究所だと思ってる連中のほうが多いがな」
「……」

 肩をすくめた薊はカツカツと足音を響かせながら歩いていく。杏はきょろきょろとガラスの向こうを気にして、そして、首を傾げた。

「どうした?」
「いや、ここ、前に来た覚えが……」
「……んー、どうだろ。いろんなキメラが来ているからなあ。来ていてもおかしくないと思う」
「本当?」
「ああ」

 煙草を吸う薊をガラス越しに見つけ顔をしかめる研究員に薊はにやにや笑って鼻を鳴らす。

「嫌がられてるじゃないですか」
「廊下と中は空調が違うんだ。廊下でぐらいなら吸ってても構わん。中に入るのもいろいろ着替えがいるからな」
「だとしても廊下にヤニがつく。控えろ薊」

 低い女の声に振り返ると、肉感的な体付きの黒髪黒目白い肌の女が体にぴったりとしたライダーズジャケットを身にまとった姿でそこにいた。

「お、梅擬。どうした?」
「どこかの混ざりものがヤニまみれになっている間、事態は切迫してきた」
「……どういう風に?」

 ぐっと低く抑えた声になった薊がすっと表情を変えて煙草を握りつぶして消してポケットにしまう。

「……梅擬。説明を」
「ここに派遣されたのは連翹と……」
「躑躅指導官下の杏です」
「……こっちもキメラか。実力は?」

 ため息交じりのその反応に杏がすっと目を細めて一歩下がった。

「自分で判断してください。私から言うことではない」

 静かにつぶやいた杏の表情が消えたのを見て梅擬が目を瞠る。聞き覚えのある言葉に山桜桃梅の同期であり梅擬の同期でもある連翹も驚いたように杏を見ていた。

「そこにいるヤニまみれよりは自覚あるか。上は?」
「上?」
「指導官は躑躅だが、お前に技術を叩きこんだのは誰だ? てことだ。普通、躑躅のことを言うんだが……」
「君にまとわりついている匂いは躑躅じゃない。どこか、緑の匂いがする」

 静かな梅擬の指摘に首を傾げながら、杏は唇の端をかんだ。

「山桜桃梅」
「……なに?」
「私に技術を叩きこんだのは山桜桃梅です。本来であれば、山桜桃梅下で飛空機にて撃墜任務についているはずでした。私の適性は風。まだ経験は浅い物の、連翹さんの部隊の下につき、風使いといわれています」
「……」

 冷静なその言葉に、梅擬が顔をひきつらせて連翹を見た。連翹は静かにうなずいて杏の肩を抱いた。

「ってことだ。俺も認めている。あんまりがん飛ばすな梅擬」
「……」

 それ以上突っかかるなら俺が相手するぞ。と剣呑に目を細める連翹に梅擬は深くため息をついた。

「それはすまなんだ。私の下にはそのヤニまみれの混じり物しかいなかったものでな。今回の任務は?」
「俺の合成した強化薬の奪還阻止。その部屋まで案内するところだった」
「……もう始まっているぞ。とっとと部屋に向かえ。バカキメラ」

 そういった梅擬は、首を傾げている薊を突き飛ばして走らせる。そのあとを続くように指で差した梅擬は連翹と杏の後ろを走りだした。

「もう侵攻が?」
「ああ。ゴミのように散っている。連中もそれなりに展開させているらしい。手数が足りなくなるぞ」
「……くそ」

 詳しいことを聞いた連翹が舌打ちをするのに杏はすっと目を細めた。茴香から聞いた話を思い出して奥歯をかみしめた。

「梅擬さん」
「なんだ?」
「飛空機できましたか?」
「ああ。でも、爆撃用じゃ……」
「今からでも遅くない。私、乗って着ていいですか?」
「おい」
「……」

 立ち止まった連翹と梅擬に杏も立ち止まって二人を見上げる。

「少しでも足しになりますよね?」

 静かな声に、二人は目配せをして、すぐに首を横に振った。

「だめだ」
「お前ひとり行ったところ変わらん。連中が入っていることを考えてここを手厚くした方がまだいい」
「でも……」
「いいんだ。外は見捨てろ。大事なものは何だ? 杏。守るべきものは?」

 連翹が杏に視線を合わせて問いかけるのに、杏は唇の端を噛んでうつむいた。

「仲間を守りたいと思うのはだれもいっしょだ。俺だってすぐ外に言って連中ぶっ殺していきたい。だが、それよりもここにある強化薬が奪われることのほうが、後々厄介になる」
「……」

 静かにつぶやいた連翹に杏がぐっと喉を鳴らすのに、梅擬がその背中を叩いた。

「行くぞ。風使いであれば、部屋に侵入して来ようとする連中を気づくことができるだろう」

 自分のなすべきことを考えろ。とつぶやく梅擬の手の冷たさに、杏は奥歯をかみしめる梅擬にうなずいて、先で待つ薊を見る。

「話はまとまったかい?」
「ああ」
「うん」
「じゃ、行くよ」

 そういって走り出した薊の後に再びついていき、研究所の奥深く、地下へと下る階段を駆け下りていく。

「あー、飛びたいっ」
「始祖じゃねえんだから無理だろ!」
「そーだけど!」

 駆けおりる足がもつれそうになるのを手すりにつかまってこらえながら薊がわめく。

「喚いている元気があるなら大丈夫だ」
「えーと、飛びますか?」
「えっ?」

 一番後ろを走っている杏がそう声をかけるのに三人が振り返った。その様子に言うより早いと手を動かして周りの風を集めた杏が四人分浮かして階段を滑るように移動させていく。

「ナイス。杏」
「始祖相当の魔力か! こりゃ面白い固体だ!」
「……」

 はしゃぐ薊に梅擬が無言で拳を突きこむ。コントロールを間違わないように集中している杏には何も聞こえていない。

「無理するな杏」
「大丈夫です。ここですね」
「ああ。よくやってくれたね」

 階段を折り終えて、水密扉を開けて二枚目の生体認証付きの扉を開けて、網膜認証、そしてIDカードを通して数々の扉を開けた薊が大きく息を呑んだ。

「え?」
「……」

 薊が立ち止まったのに連翹、梅擬の気配が引き締まる。その後ろで杏も息を詰まらせて腰を落とした。

「遅かったな」
「っ……!」

 聞き覚えのある声が欠けられた直後、三人が音もなくなぎ倒されて杏の視界に部屋の中が入る。そこに立っていたのは一人の男。

「……お前は……っ」
「あ……。あ、ああ……」

 アンプルが入った箱を手に、そこに立っていたのは、黒髪の男。
 邪魔にならない程度に切られた髪はぼさぼさで艶はなく、切れ長の目の奥にある瞳は錫色で、全体に整った顔立ちの男。
 痩せただろうか。記憶にあるものよりずっと鋭い印象を持たせる顔に、杏は震える膝で前に進み、引き連れた息を繰り返す。

「ゆ、ゆすら……山桜桃梅……さ……?」

 息も絶え絶えな杏の様子に山桜桃梅は、驚いた表情を収めて、すっと表情を引き締めると杏に手を伸ばした。

「眠れ」

 静かな声に杏は息を呑み、次に襲ってきた圧にぐっと体に力を入れて抗った。

「……ゆすら……うめ……さ……」
「……」

 ゆるぎない表情を浮かべた山桜桃梅がさらに圧を強めるのに杏は唇をかみしめて、にらむ。

「どうして……わたしを、おいていったんですかっ!」

 ふり絞られた声は、掠れながらも悲痛な色を秘めていた。その声を聞いても山桜桃梅は表情を変えることなく仕上げのようにぐっとこぶしを握った。

「くああっ」

 体を一気に締め上げられ、一瞬、目の前が白くなる。山桜桃梅にはそれだけの時間で十分だったようだ。

 杏が気がついたときには通風孔を閉めていた金網が空いていて、それを追うべく地面を蹴って通風孔へ飛び込む。山桜桃梅の通った後はすぐに見つけられた。埃がなくなってきれいになっているのだ。これでは出た時ほこりまみれのモップと同じじゃないかと思いながら、きれいな跡を追って外へ出る。

「……山桜桃梅ぇ!」

 叫ぶように、飛空機に乗り込む山桜桃梅を追って杏は駆けだした。その時だった。
 ひゅん、と音を立てて杏の腕に何かがかすめた。

「っつ」

 痛みに一瞬足がぶれるが、それを堪えて踏み出す。だがその足から力が抜けた。

「……さらば」

 感情を押し殺した静かな声で言い残す山桜桃梅は表情を見せないように正面を向いてハッチを閉めて飛び立つ。

「……っ」

 閉じる意識の中、杏は横目を使って何を投げられたかを確認して顔をしかめた。
 杏も装備している、魔力持ちの動きを封じるスローイングダガーだ。手を伸ばして、体を延ばして、近くに刺さったそれを取って握りしめた。

 それがやっとだった。

 がくりと力を失って真っ暗になる視界に杏は悔しさに喉を鳴らして頭を地面へと預けるのだった。
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