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3章.目論見
36.彼はずっと曖昧な夢を見ている
しおりを挟む……夢を見ていた。
毎日がひもじくて、いつもお腹がすいていて、朝から晩までくたくたになるまで働く夢。
でも、俺にとっては、とても幸せな夢だ。
だけど、俺の大切に思っているその人は、幸せじゃなかった。
いつも自分たちは、不幸だ、不幸だって、口癖のように繰り返して、毎日を過ごすのが辛そうで、全てを憎むような目をしていた。
幸せな毎日だったけど、それだけがとても悲しかったことを覚えている。
「だんなさま、お花はいりませんか? 銅貨一枚です。おじょうさま、お花はいりませんか?」
その日も俺は、街へ出て路上で花売りをしていた。
花と言っても、きれいな花じゃない。土地の痩せた路上に生えていた、雑草のような花だ。
これは商品じゃないのだから、綺麗な花である必要はない。俺はこうして、憐みを買っていただいているにすぎなかった。
「だんなさま――うわぁっ!」
突然、すれ違った男の人に、突き飛ばされた。
花かごが宙を舞って、地面に転がる。慌てて花を拾おうとしても、花は行きかう人々に次々と踏みつぶされていく。
それでも俺は地面に這いつくばって、残った花を必死で拾い集めた。
そのとき、地面に影が映って、見上げる。
俺の大切なその人は、鋭い眼光で俺を突き飛ばした男の人を睨んでいた。
「――こんなみじめな生活は、もうやめよう」
その人は、突然そう言った。
「ダンジョンへ行こう。こんな掃き溜めの生活から、一緒に抜け出そう。ゴフェル」
その人は、この世界の全てを憎むような目をして、吐き捨てるように、そう言った。
***
「う……っ」
意識が浮上する。
ひどい頭痛に頭を声が漏れた。
何だ……? 長い、懐かしい夢を見ていたような気がする。けれど、内容はもう思い出せなかった。
目を開けると、見覚えのない場所だった。
ひんやりと冷たい、無機質な灰色の床と壁。それ以外は何もない。
「……え? 手、が!」
左手が動かせないことに気が付いて、慌てて確認する。
無機質な壁に古びた手錠が埋め込まれていた。その手錠に左手が拘束されている。強く引っ張っても、抜け出せない。
――やばい。何があったんだっけ。
そうだ。市場でカルナさんに襲われて、突然リオが気絶したんだ。
きっと俺はカルナさんにさらわれたんだろう。
「おはよ。スズさま」
突然声をかけられて、びくりと身体が震えた。
部屋の片隅に、誰かが立っていた。
知らない人間だ。気配が薄いせいで全く気が付かなかった。
二十歳前後ぐらいに見えるその人は、肩に届くぐらいの黒髪で、垂れ気味の瞳は血のように赤い。特徴的な下がり眉だ。中性的な顔立ちだけど、声の低さから男性であることが分かった。
「まぁ、もう夜だけどね?」
その人は、薄く笑みを浮かべてそう言った。
「……お前は誰だ?」
「メアっていうんだ。もちろん偽名だけど」
「ここは、どこだ?」
「僕ね、質問ばかりする奴が大嫌いなんだ。少しは自分で考えたらどうかな?」
メアと名乗った男はそう言って、軽蔑するように顔をしかめた。
少し考えて、くちびるを噛む。
……きっと、ここは元にいた国じゃない。顔を上げて、メアを睨んだ。
「――ここは、どこの国だ?」
「へぇ、察しがいいね。ここはあんたの国の隣にある、サリエニティ共和国だよ。これは本当」
メアは、にっこりと笑った。
表情がころころと変わって、まるで子どもみたいだ。それがとても不気味だと思った。
自分の状況を確認する。
拘束されているのは利き手じゃない左手だけ。武器を出して、メアを攻撃することもできるし、召喚もできる。
――とにかく、早く逃げなければ。
そう思って、神経を集中させる。
「――バロン、来い!」
すぐにバロンを召喚しようとした。
けれど、反応がない。驚いて何度も試したけど、バロンは現れなかった。
こ、この緊急時に何やってんだバロンは……! まさか拒否してるんじゃないだろうな!
召喚が失敗した俺を見てか、メアのくちびるが弧を描いた。まるで馬鹿にしているような表情だ。
……仕方ない。こんな危ないところに召喚したくないけど、俺がさらわれたとなれば、リオは王宮にどんな罰を受けるか分からない。
「――リオ、来い!」
今度は、リオを召喚しようとした。
けれど、また反応がなくて呼び出せなかった。
「な、なんで……?」
まさか、リオの身に何かおきているのだろうか。
「はぁ、頭が悪いなぁ。見てるだけで、イライラする」
呆れたような声が降ってきて、顔をあげる。
冷たい目で、メアは俺を見下ろしていた。
「どうして移動能力者であるあんたを、能力が使える状態で放置していると思うの? 僕がそんな馬鹿にみえる?」
そう言われて、目を見開いて驚く。慌てて武器召喚を試した。
「……武器が、出ない」
たくさん亜空間内に入れた武器も、取り出すことが出来なかった。
……能力が、使えなくなっている。
「ど、どう、やって……」
「あんたの左手を拘束してる手錠のせいだよ。かなり大昔にね、能力無効化の高レベル能力者が作ったモノなんだって。それで拘束されている限り、能力は作動できない。元々は君の国にあったものらしいけど、カルナがあんたの部下を決める面接のときに、城から盗んできたんだ」
メアの言葉に、心臓がばくばくとうるさくなっていく。
……それじゃ俺は、ここから逃げられないじゃないか。
「あーっスズさま! 目が覚めたんですねぇ。おはようございます~」
聞き覚えのある気だるい声が聞こえて、声のする方を見る。
カルナさんが、ニコニコと笑いながら、ひらひらと手を振っていた。
それからすぐに、悲しそうな表情を浮かべて、しゅんと俯く。
「スズさま、今日はごめんなさい。でもさぁ、スズさまが僕を部下にしてくれないから、仕方なかったんだよ。僕を部下にさえしてくれれば、メアにはつかなかったし、こんなことしなかったのにー」
わけの分からないことを言うカルナさんを見上げて、恐怖で震える身体を抑える。
落ち着くために息を吐いて、口を開いた。
「……カルナさん、お願いです。俺を開放してください」
「だめですよぉ。もうメアと約束しちゃいましたから」
にこにこと嬉しそうに、カルナさんは言った。
だめだ。話が全くできない。する気もないみたいだ。
「……俺と一緒に眠らされた、市場の人たちは無事なんですか?」
「うん、それは大丈夫! 眠っただけだよ~」
「……どうやって、一斉に気絶させたんだ?」
「ああ、それはねぇ、さっきも言ったけど、僕の血液をすんごーく細くしてぇ、メアの能力を乗せたんだぁ」
楽しそうに言われて、眉根を寄せる。
「メアの……能力?」
「対象を眠らせられる能力なんだって! すごいよね、メアって。いくらリオが強くてもさぁ、寝ている間は戦えないもんねぇ?」
そう言ったカルナさんに向かって、メアがギロリと睨んだ。
「……おい、勝手にばらすなよ」
「ごめーん。えへへ、怒られちゃったぁ」
カルナさんは悪びれなく笑う。
へらへらとした表情が、この状況に激しい違和感を醸し出している。
……だめだ、怖い。ここから逃げ出したい。
手錠から出ている鎖を、もう一度強く引っ張ってみる。だけど、やはり手錠はびくともしなかった。
心臓がどんどん早くなる。モーガン様の言葉を思い出して、身体の震えが止まらなかった。
今は、もう夜だと言っていた。つまり俺がさらわれてから、かなり時間が経過している。
早くここから逃げなければ、目の前で俺を連れ去られてしまったリオが、王宮側に何をされるか分からない。殺されてしまうかもしれないんだ。
「……お前らは、何が目的なんだ?」
「は? 本気で聞いてるなら、救えないぐらい馬鹿だね。治癒能力に決まってるだろ?」
メアは吐き捨てるようにそう言って、血のように赤い目で俺を見た。
メアの強い口調に、言葉が詰まる。
落ち着くために小さく息を吐いた。とにかく目的を聞きださなければ、交渉もできない。
「……俺をさらったってことは、誰か治したい人間がいるってことだろ? ならすぐに治す。逃げたりしない。だからそれが終わったら、王宮へ帰してほしい」
「――は?」
メアはまた、馬鹿にしたような表情で俺を見た。理解ができないっていう顔だ。
……なんだ? 別におかしなことは言ってない。むしろ当然の交渉のはずなのに。
メアは俺に見せつけるように、わざとらしくため息を吐いて、手錠につながれている俺の前に立ち、見下ろした。
「この通り、僕は健康そのものだ。それに他人のことなんて、利用できる奴以外はどうでもいいし、助けたいとも思わない」
「……じゃあ、誰かの依頼で俺をさらったってことか?」
「それも違う。この国はね、プレジュ王国みたいに、国ぐるみで治癒能力者を狙ってるわけじゃない。あくまで個人的に、あんたをさらった」
……プレジュ王国。もう一つの国のことだっけ。そっちは国家ぐるみで狙ってるのか。
俺を見下しているメアを見上げる。
メア自身が健康で、治したい人がいないなら、どうして俺を連れ去ったんだろう。意図が分からない。
「じゃあ、なんで俺をさらったんだ? 売り飛ばすためか?」
金銭目的とか、そういうことだろうか?
するとメアは、合点がいったかのように手を叩いて、俺を見て薄く笑いを浮かべた。
「……そうか。もしかしてあんた、知らないんだ? この世界に来たばかりらしいもんね?」
「知らないって、何をだよ」
「はは。質問ばかりする人間は大嫌いだけど、特別に教えてあげる」
壁にもたれて、片手を封じられている俺の前に、メアはしゃがみこんだ。
楽しくて、仕方がない、という表情をしていた。
「――不老不死になれるからだよ」
低い声で、そう告げられる。
「は?」
俺は何を言われたのか理解ができなくて、自然と口から声がこぼれた。
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