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番外編

七夕ですか?

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  『七夕をやるんだ』
  その一言を理解するのに少し時間がかかったけど、仕方ないと思う。
  「………えと………七夕って、あの七夕ですか?短冊に願いを書いて、笹に吊るす………」
  『そう。双子も友だちを呼ぶから、結香も友だちを連れて来るといい』
  ウチでは七夕は夜空をチラリと見上げるくらいでお祝いしたことないけど、先輩の家ではきちんとお祝いするらしい。
  ちょっとカルチャーショックだ。
  「せっかくのお祝いなのに、お邪魔じゃないですか?」
  『お祝いというほど豪華でもないし、来てくれた方が助かる』
  助かる?何か手伝いできるのかな?
  「じゃあ、お邪魔します」
  ありがとうと柔らかい声で言ったあと、先輩は少し口調を改めて、私一人で来るようなら迎えに行くから絶対に連絡するように、と言って電話を切った。

  『七夕?あの織姫と彦星の七夕のこと?』
  うん、と答えると知佳ちゃんはへぇと唸った。
  『七夕って、一般家庭で祝うものだっけ?』
  「ウチでは七夕って特にはやってないよ。小さいときには幼稚園とか商店街の笹に短冊吊るしたけど」
  『あぁ、あのウェディングケーキ食べたいとかミルなんとかってなんでボロボロして食べづらいの?とかってヤツね』
  「ひぃぃぃっ?知佳ちゃん、それ小さいときの話だから!忘れてっ」
  知佳ちゃんてば、なんでそんな昔のことまでしっかり覚えてるの~っ。
  『まぁ他に用なんてないからいいけど。私が行って邪魔にならないの?』
  「他にも人呼ぶみたいだから大丈夫だと思う」
  『そう。じゃあ、行くわ』
  「ありがとう、知佳ちゃん!」
  待ち合わせ時間を決めて電話を切って、お姉ちゃんの部屋のドアをノックする。
  返事を聞いてドアを開けると、雑誌から顔を上げたお姉ちゃんがにこぉっと艶やかに笑った。
  「結香、どうしたの?」
  「あのね、お願いがあるの」
  お姉ちゃんの手招きに応じて、部屋に入ってお姉ちゃんの傍に近付いた。


  自分で決めてやったことなんだけど、早くも後悔しています。
  「今さら進藤先輩とラブラブしようが構わないんだから、私をカモフラージュに使うことないと思うのよね」
  「そう言わないでやってよ。知佳ちゃん、似合ってるわよ」
  「そこは茜さんに感謝します。どうせ浴衣姿の需要あるのって結香一人なのに、茜さんまでよく付き合いましたね」
  「こんな機会ないと着ないしねー。うふふ、夕弦くんを驚かせるためなら軽いもんだわ」
  「驚く………速効で喜んで周りお構いなくラブラブモード入りますよ。茜さん、アレ見てなんで平気なんですか」
  「そりゃあ、亀の甲より年の功。経験値ってもんよ。知佳ちゃんもあたしくらいになれば、このくらい目の保養くらいにしか思わなくなるわよ?」
  「アレを保養扱いなんて、さすがですね」
  背後で繰り広げられる知佳ちゃんとお姉ちゃんの会話に、先を急ぐ私の顔はきっと真っ赤になってる。
  一応七夕ということで浴衣を着ようと思ったんだけど、一人では恥ずかしくて。待ち合わせ時間より少し前に家に来た知佳ちゃんにも浴衣を着てもらい。私たち二人分の着付けをしてくれたお姉ちゃんもさっさと浴衣に着替え、三人で先輩の家に行くことになったのです。
  なので、家を出てから二人に盛大にからかわれています。

  うぅぅ………やっぱり普通の格好のが良かった?
  でも、こんな時でないと浴衣着れないし。
  でもやっぱり恥ずかしい……………!

  「ねぇ結香、手土産とか持ってかなくていいの?」
  後ろから声をかけられて、紅い顔で振り返る。
  「そういうのはなくて大丈夫。とにかく来てくれるだけでいいって言われたの」
  「こんな時期外れにわざわざ七夕をやるっていうんだから、まぁ何かあるのかもしれないわね」
  今日も華やかに化粧した目をスッと細めてお姉ちゃんはニッと笑った。
  「何か、って?」
  確かにもうすぐ七月も終わる。七夕はもう過ぎているけど。
  お姉ちゃんは簪を揺らしてフフフッと笑った。
  「行けば解ることよ。夕弦くんが結香を呼ぶってことは、少なくとも危ないことじゃないのは確実だけどね」

  お姉ちゃんも知佳ちゃんも面白がってる。
  先輩の七夕も解らないし、なんかものすごく不安だなぁ………

  楽しそうに七夕のことや先輩の家について想像を膨らませている二人の先を歩きながら、思わず大きなため息をついてしまった。


  自分を呼ぶ声が聞こえた気がして顔を上げると、少し遠くから男の子が駆け寄って来た。
  「陽じゃない、こんなところで何してるの?」
  後ろから声を上げたお姉ちゃんに、陽くんは少し不機嫌そうに頬を膨らませる。
  「兄ちゃんに言われて、迎えに来たんだよ」
  わざわざ迎えに来てくれたんだ!
  「ありがとう、陽くん」
  陽くんはぱっと照れたような表情に一変して頬を指で掻く。
  「近所にお裾分けしに来たついでだから、平気」
  「なぁにぃぃ、その態度!あたしと大違いじゃない!」
  お姉ちゃんがわざとらしくむくれると、ふんっとそっぽを向いた。
  「結香姉ちゃんは兄ちゃんの大事な彼女だから、丁重におもてなしするんですぅ」
  「ほぉぉぉぉう、じゃあ、お兄ちゃんの大事な彼女の姉であるあたしのことも丁重におもてなししなさいよ?」
  社会人のお姉ちゃんと小学生の陽くんが同レベルで言い合いを続けているけど、私は真っ赤になった頬を両手で抑えて内心ジタバタ駆け回っていた。
  「……………結香、今さら『大事な彼女』くらいで悶えないで。ここ、まだ道路だから。帰ってきて」
  知佳ちゃんにため息混じりに袖を引かれ。
  陽くんの案内で先輩の家へ急ぐのでした。


  先輩の家は、意外に静かだった。
  陽くんと萌ちゃんの友だちは午前中に来てしまっていて、あとは私たちだけだったらしい。
  玄関で先輩のお母さんに挨拶をして庭に廻ると、先輩が笹の側で脚立に乗っていた。
  「あ!結香お姉ちゃん、すごく可愛い!」
  脚立を押さえていた萌ちゃんが声を上げたので、先輩がこちらを確認し、脚立から降りてきた。
  「わざわざ、すまないな。来てくれてありがとう。茜さんも、水瀬もゆっくりしていってください」
  ゆっくり私の前まで来ると、穏やかな笑顔で私の顔を覗きこんでからお姉ちゃんと知佳ちゃんに目礼した。
  「こんにちは、先輩。あの、何なさってたんですか?」
  家にいるからか、先輩はいつもより穏やかな表情をしている。
  つい見入っていると、柔らかく微笑んだ。
  「預かった短冊を飾ってたんだ。前はみんな自分で飾りたがったけど、最近じゃ預かっておいて当日まとめて飾り付けることが多くてな」
  見ると、萌ちゃんが抱えている箱には記入済みの短冊がたくさん入っている。
  「こりゃまたすごい量ね………」
  「これでも大分少なくなったの。前は短冊書きたがる子もっといたし、一人で何枚も書く子だっていたし」
  「え。一人一枚じゃないの?」
  「個人宅でやってることですからね。何枚も書いたら自分で飾るくらいしてもらうけど、枚数に制限はないですよ」
  朝から用事を済ます合間に萌ちゃんや陽くんが短冊に紐を通し、先輩が笹に飾り続けているらしい。
  いくら前より少なくなったとはいえ、これは大変。だから手伝いに来いって言ってたのかな?
  「先輩、私も飾るの手伝います!」
  張り切って言うけど、先輩は首を横に振る。
  「いや、来たばかりだしあっちで休みながら短冊書いてくれ」
  先輩が指差す先では、縁側に座ったお母さんがこちらに向かって手を振っていた。
  「短冊書きに来てくれた子どもに食べさせようと、母さんが色々張り切って用意してるんだけど、さすがにみんな長居しなくなってきてな。まぁ、ちょっとでも食べてくれると助かるんだ」
  穏やかながら少し声を小さくして言う。
  「つまり、私たちは食べるために呼ばれたということでしょうか?」
  眼鏡を直しながら知佳ちゃんが聞くと、それだけじゃないんだが、と先輩は軽くため息をついた。
  「無理強いはしないけど、できるだけゆっくりしていってくれると、助かるんだ」
  先輩の言葉に首を傾げながら、私たち三人はお母さんが待つ縁側に近付いた。


  近付くにつれ、お母さんと陽くんの言い合いが大きくなってくる。
  「だから、作りすぎだって」
  「だって、陽はお母さんのシュークリーム好きって言ってたじゃない」
  「でも一度に五個も食べられないよ。小さいときならともかくさ」
  「お友だちも、もっとゆっくりしていってくれればいいのにねぇ」
  「あの空気には耐えられないって」
  陽くんに言われて肩を落としていたお母さんだけど、私たちに気付くと優しく微笑んだ。
  「三人とも、今日はわざわざありがとう。ゆっくりしていってね」
  「ありがとうございます。あの………」
  「結香姉ちゃん、短冊こっちだよ」
  陽くんに手招きされて、縁側から中に上がる。
  小さい方のテーブルにはペンや未使用の短冊が入った箱があり、長机には煮物やら唐揚げ、だし巻き玉子といったおかずの類からシュークリームやクッキー等のお菓子まであった。
  陽くんも一緒にテーブルを囲んで短冊を書きながらも、つい目線は長机にいってしまう。
  「あれ、全部お母さんが作ったんだ」
  短冊を書きながら陽くんがぼそりと言う。
  「全部って、あの料理全部?」
  「料理もだけど、笹に吊るす飾りもほとんどお母さんが用意した」
  長机を埋め尽くす料理やお菓子に飾りまで用意するなんて、お母さんすごい!
  「小料理屋の女将だってここまでやらないわよ。あんたシュークリームくらい食べなさいよ」
  お姉ちゃんが陽くんにジト目を向ける。
  陽くんが作った野菜を貰うお返しに時々お菓子を渡してるからかな、お姉ちゃんは陽くんをすごく可愛がってるみたい。
  「食べてるよ。朝から。ずっと」
  それはいくら美味しくてもキツそう。
  「そこまでキツい思いしてまで七夕を祝ってるの?毎年」
  それまで無言だった知佳ちゃんが短冊を睨み付けたまま問う。
  深いため息をつきながら、陽くんが頭を叩く。
  「こんなイベントやってないと耐えられないんだよ」

  ―――――何に?

  聞く前に陽くんの後ろの襖がスッと開いた。
  初めて見る女の人が、私たちを見て艶やかに微笑んだ。
  「あら、初めて見る顔だね」
  詠うように言う。
  「婆ちゃん。兄ちゃんの彼女と、その姉さんと、友だちだよ」
  陽くんの紹介に合わせて頭を下げながら、私たちは同時に目を丸く見開いた。

  婆ちゃんって先輩のお婆さん?

  全然そんなお年に見えない。
  確かに、着物に合わせて纏め髪に結った髪は真っ白。でも、背筋は伸びてるし肌にも皺なんてない。
  先輩のお母さんも、ウチのお母さんより若いと思うけど、お婆さんもすごく若い。
  「ふふっ、そんなに見つめられちゃあ、夕弦に焼きもち妬かれちゃうわね」
  つい見入っちゃってたみたい。
  「ご、ごめんなさい。あの、牧野結香と申します」
  「こんにちは、夕弦たちの祖母です。よろしくね」
  「婆ちゃん、あっちは?」
  陽くんが顎で隣の部屋に続く襖を指すと、お婆さんは両手を上げてお手上げのポーズをしてみせる。
  「ダメダメ。ありゃもっとかかるよ。隣で見てるのも飽きたから、お茶しに来たのさ」
  顔を出したお母さんに明るくお茶の催促をすると、お婆さんは私たち三人ににこりと笑いかけた。
  「お嬢さんたちも、筆が進まないようならちょいと付き合っておくれな」
  口調はお年寄り風だけど、仕草や笑い方がお姉ちゃんに負けないくらい艶やかで華があって、見つめたまま頷いていた。

  お婆さんはかなりフランクな方で、話上手聞き上手な方だった。
  「夕弦の祖母だから年寄りなのは認めるけどね。どうもお婆さんて呼ばれるのは好きじゃないのさ。お婆ちゃんて呼んどくれ」
  そんな風に言って、私たちの―――というか、私と先輩の話を聞きたがった。
  ウジウジ迷ってるうちに手紙を入れ忘れた件では、そういうものよね、と頷いてくれて、陽くんが最初のチョコを食べたところでは、間の悪いこと、と笑い転げた。
  孫のことだからお婆さん…じゃないお婆ちゃんが聞きたがる気持ちは解るけど、私のことでもあるから、私は麦茶のコップを握りしめたまま固まっていた。
  「夕弦のためにわざわざ着飾ってまでこんな面倒なことに付き合ってくれるなんて、ありがたいことだねぇ」
  目尻に溜まった涙を指で拭いながら、お婆ちゃんは笑った。
  「面倒なことって、この七夕のことですか?」
  知佳ちゃんが聞くと、お婆ちゃんがため息をついた。
  「というより、頑固者二人の睨み合いに付き合いきれなくて、こうやって七夕を祝うことになったんだけどね」
  私たち三人が首を傾げる傍らで、お婆ちゃんは「話してないのかい?」と陽くんに小さな声で聞いた。
  「おれたちはよく解らないから、説明しようがないよ」
  「そうだねぇ。始まった時は、あんたたちはまだ赤ん坊だったからねぇ」
  頭に暖かい重みが乗ったかと思うと、私の隣に先輩がどかりと座った。
  「おや。笹はもう終わったのかい?」
  「一旦休憩。短冊はまだあるし、暑い」
  少し疲れたような声で言う。
  見ると、萌ちゃんは扇風機にあたりながら団扇を使っていた。
  空いたコップ二つに麦茶を注ぎ、一つを先輩に渡す。もう一つはお姉ちゃんが萌ちゃんのところに持っていった。
  ありがとう、と笑うと一気に飲んでしまった。
  お代わりを注いでいると、お婆ちゃんがくふふっと笑った。
  「こりゃあ、結香ちゃんがからかわれるワケだよ。夕弦、ちょっとは手加減したらどうだい?」
  「してるけど」

  な、なんでだろ。みんななんでそんな生温い目でこっちを見るの?
  手加減………最初に私が戸惑ったからだよね。
  手加減抜きになったら、私、どうなっちゃうの?
  というか、先輩はなんで平気なの?

  「………うん、解ったから、麦茶置こう」
  知佳ちゃんが私から麦茶を取り上げて長机に置く。
  ………なんでそんな深いため息をつくのかな。
  「わざわざおめかししてまで来てくれたのに、事情を話してないってのはどういうことだい?」
  お婆ちゃんが先輩の目を覗きこむ。
  先輩は動じることなくパウンドケーキを咀嚼する。
  「長い話になるから、今日話そうと思ったんだよ」
  お婆ちゃんは納得したようだ。
  「確かにねぇ。遡って言えば、始まりの始まりはあんたが生まれる前のことだからね。なら、あたしから話始めた方が良さそうだね」
  苦笑すると、恥ずかしい話なんだけどね、と話始めた。

  「元々はウチの人と息子―――夕弦たちの父親が喧嘩別れしたことが良くなくてね」
  私たちの表情を見て察したのか、大丈夫大丈夫と手を振りながら続ける。
  「殴り合いとかはなかったんだけどね。喧嘩の原因も大学卒業後の進路だから。ウチの人はどこか企業にお勤めさせるつもりだったんだけど、息子はさっさと警察学校入っちゃったもんだから」
  お婆ちゃんがお茶で喉を湿らせる間に、知佳ちゃんが「進藤先輩のお父さんって警察官なんですか」と私越しに尋ね、先輩が頷く。
  「まぁ無事に警察官になれたんだからいいと思うんだけどね。ウチの人も息子も頑固なものだから、顔を合わすことはあっても黙りで。そしたら今度は『嫁見つけたから結婚する』ってさっさと結婚してこの家で暮らし始めちゃったのよ」
  「進藤先輩ってお父さんに似たんですね」
  そうか?と先輩は首を捻る。
  知佳ちゃん………先輩を見る目が厳しくなってるよ?
  「そうねぇ、夕弦は髪や目の色は母親似だけど目付きや仕草は年々息子に似てくるわね」
  お婆ちゃんは先輩を繁々と眺めてから、話を再開した。
  「結婚まで相談なくされたものだから、ウチの人へそを曲げちゃってねぇ。息子も忙しくなったし顔を合わせること自体なくなったの。夕弦が生まれても事態は変わらなくてね」
  呆れたような声が、次第に怒りを孕んでいく。
  「あたしはたまにお邪魔してたんだけどね。咲さん―――夕弦たちのお母さんはその頃既に両親を亡くされてたし、息子が仕事でいない分手伝いの一つでもと思って。咲さんはあたしがいつ訪ねても歓迎してくれてねぇ。自分があの二人の喧嘩の原因になったんだって自分を責めるのよ―――あたしはもう腹が立ってね」
  長机に置いた手がわなわなと震えてますよ、お婆ちゃん。
  「陽と萌が生まれて咲さんが落ち着いた頃に、首根っこ引っ付かんでここに連れてきたのよ。ちょうど息子も家にいたんだけど………あの頑固共ときたら向かい合って座りこんだまま黙りで何時間も何時間も………っ!」
  「お、お婆ちゃん!シュークリーム!お、美味しいですよ!」
  そのうち暴れだしそうな気迫に思わずシュークリームのお皿を差し出す。
  お婆ちゃんは一瞬きょとんとシュークリームを見て、ふわっと微笑んでシュークリームを一つ取った。
  「咲さんのシュークリームね。陽は小さい時は偏食が酷くてね。お菓子ばかり食べたがるものだから、咲さんは一生懸命野菜の入ったお菓子を作ってたわね」
  懐かしそうに目を細めるお婆ちゃん。
  「あんた………シュークリーム食べなさいよ」とお姉ちゃんがジト目で言い「朝からもう四つ食べたんだって」と陽くんが顔を赤らめる。
  「それで、お二人の喧嘩と七夕がどう関係するんですか?」
  シュークリームを食べ終わるタイミングを見計らって知佳ちゃんが促す。
  「頑固者共は動かない。落ち着いたとはいえ咲さんはまだそんなに動ける状態でもなくて。あたしと夕弦で陽と萌の世話をしてたんだけど、二人の睨み合いで雰囲気悪くてね。そんな中、夕弦が折り紙で七夕の飾りを作り始めたのさ」

  折り紙を折る子どもの先輩………絶対可愛いよね。でも、しっかりしてそうだし、優しそうだから、その頃からモテてそう………

  「結香。やっと七夕の件だから。帰ってきて」
  知佳ちゃんの声に二、三回瞬きをする。
  お婆ちゃんは私に頷いてみせると、話を続ける。
  「何してるの?って聞いたら、『こうでもしてないと無理』って答えられたのよ。あの空気に耐えられなかったのよねぇ………あたしと咲さんも一緒に飾りを作ってね。どうせだからって短冊を書かせたら、『父さんがしゃべりますように』『じいちゃんがしゃべりますように』って書いたのよ」
  話してるうちに可笑しくなったのか、クックッと笑いながら続ける。
  「もう可笑しくて。あたしも咲さんも笑っちゃったわよ。そんなわけで、年に一度ウチの人をここに連れてくるときはここの家は七夕をお祝いすることになったってわけ」
  説明を終えたお婆ちゃんはにこりと笑ってお茶を飲む。
  時期外れの七夕を祝う理由は解ったけど。
  「………つまり、今、夕弦くんのお父さんとお祖父さんが睨み合ってるっこと?」
  訝しげにお姉ちゃんが呟くと、お婆ちゃん、先輩、陽くんと萌ちゃんが揃って頷く。
  「…………………………いつから?」
  「今日は特に用事もなかったし、咲さんも構わないって言ってくれたからねぇ………十時前にはお邪魔して、それからずっとじゃないかい?」
  ということは、五時間近く睨み合ってるってこと?
  「さすがに昼御飯挟んでまで睨み合うとは思わなかったよ」
  「だよね。空気悪いから友だちもすぐ帰っちゃうし」
  「咲さんにせっかく用意してもらってるのに、申し訳ないわね」
  萌ちゃんが頬を膨らませると、お婆ちゃんが首を竦める。
  「毎年毎年疲れない?」
  知佳ちゃんが呆れたように聞く。
  「私たちは七夕をやるようになった理由ははっきりとは知らなかったけど、物心ついた時からこんなもんだし、慣れちゃった」
  「友だち呼んだりおかずやお菓子食べるのはキツいけど、まぁこんなもんだよ」
  「慣れって怖いわね………」 
  きっぱり答える萌ちゃんと陽くんに、お姉ちゃんがため息をついた。

  残ったおかずやお菓子を台所に運んで長机を拭いてから、改めて短冊を書くことになった。
  「まだ飾ってない短冊たくさんあるのに、私たちの分増やしちゃっていいんですかね?」
  ラップをかけた皿を先輩に渡す。
  「俺たちの分もこれからだし、構わないだろ」
  冷蔵庫に片付けると、二人で和室に戻る。
  知佳ちゃんは猛然と短冊を立て続けに書いている。
  「知佳ちゃん、そんなに願いがあるの?」
  「純粋な願いとは言えないけど、書いてるとスッキリするわ」
  ふと床に散らばった短冊が目に入る。

  生徒会長がもう少し無茶振りしないマトモな人間になりますように
  副会長が女性関係で仕事滞らせませんように
  副会長に天罰下りますように
  会計が毎回計算間違いしませんように
  庶務長の会長崇拝が治りますように

  ………知佳ちゃんが辛辣になったワケ、なんとなく解る気がする………
  「崇拝って治すモノなの?」
  「お姉ちゃん、ツッコむとこソコなの?」
  短冊を拾っていると、知佳ちゃんがガバッ!と身を起こす。
  「あんなのに心酔して尽くして他者にもそれを強要するなんて、病気よ!病気!でなければ布教!」
  私たちのやり取りをお婆ちゃんはカラカラと笑って聞いている。
  「あんたがいた高校は面白いところだったんだねぇ」
  「俺がいた時は、生徒会のメンバーが個性的なんて聞いたことないが」
  「あの人たちは外面はいいんです………」
  首を傾げる先輩に、知佳ちゃんはがっくりと肩を落とす。
  「知佳姉ちゃんのも紐通して吊るそうよ」
  陽くんが知佳ちゃんに手招きする。
  「自分で書いといてナンだけど、これ一緒に吊るしたら呪われない?」
  知佳ちゃんは自分の短冊を睨み付けて渋っているけど、陽くんは平気平気と知佳ちゃんを呼んで一緒に紐を通し始めた。
  「結香たちも書いたら?」
  お姉ちゃんが立ち上がりながら声をかけた。
  「お姉ちゃんは?」
  「もう書いたわ。どうせだから笹につけてくる」
  「浴衣だと危なくないですか?」
  先輩が心配すると、平気よと手を振って、手伝うと言った萌ちゃんとお婆ちゃんと一緒に庭へ行ってしまった。
  先輩と並んで座る。

  そういえば、願い事考えてなかったよ………
  こういうのって、何書くか悩むんだよね。
  進路のこと?必死な感じが恥ずかしいかな。
  日常的なこと?………子どもの頃と変わらない願いで結局恥ずかしいんじゃない?
  せ、先輩のこと………見られたら絶対に恥ずかしくなるから!

  「結香も、好きなだけ書いていいんだぞ」
  先輩が白紙の短冊を束を指差す。固まってたから、勘違いさせちゃったみたい。
  「いえ、あの…何書いていいのか解らなくて。ごめんなさい」
  納得したように微笑むと、優しく頭を撫でてくれる。
  「謝らなくていい。俺も同じだ」
  「先輩もですか?」
  ペンを指先で回しながら軽くため息をつく。
  「毎年のことだからな。書くことなくなる………どうした?」
  先輩の手をじーっと見つめる私に、先輩が首を傾げる。
  「凄いです!それ、どうやるんですか?」
  先輩を見上げると、少し上体を反らされた。
  「ペン回しか?こう持って、こう………」
  先輩の手を見ながら真似てやってみるけど、全然上手く出来ない。
  悔しい。
  「そんなに必死にやらなくても………」
  「だって、出来たら格好いいじゃないですか!……………ん?」
  先輩を見上げた視界の端に黒い影を見て、正面に向き直り―――――
  「ふぁぁぁっ?」
  いつの間にかちょこんと座っていたお爺さんに驚いて、妙な声を出してしまった。
  ちょっとひっくり返りそうになったけど、先輩が支えてくれたお蔭で無様にコケずに済んだ。
  「祖父さん、結香を驚かせないでくれ」
  先輩が素っ気なく言うと、私を見つめていたお爺さんはじろりと視線を先輩に移す。
  「夕弦、この娘は」
  「俺の彼女だ」
  先輩の目がスッと細くなった。
  「お前も勝手に伴侶を決めおって」
  「祖父さんの許可がいるのか」
  「結香ちゃんにまで八つ当りするなら、あたしが黙ってませんよ」
  先輩が低い声を出すと同時にお婆ちゃんが部屋に戻ってきた。座りながらお爺さんを見る目は鋭い。
  「八つ当り、だと?」
  「あなた、咲さんはどうしました?」
  あたしに代わってあなたたちを見守ってたはずですよ、と目をさらに細めると、お爺さんはふんっと鼻を鳴らした。
  「儂は知らん」
  お婆ちゃんはわざとらしいため息をついた。
  「毎年毎年訪ねておいて口もきかない。食事まで用意してくれる咲さんにありがとうも言わない。さらに結香ちゃんにまでケチをつけようとする。あなた何様ですか」
  「儂は好き好んで来たわけじゃ」
  黙らっしゃい!とお婆ちゃんが遮る。
  私が怒られてるわけじゃないけど、ぴくっと背筋を伸ばし、目元に涙が溜まる。
  先輩が大丈夫と背を擦ってくれて、ホッと息をついた。
  「あなたたちが喧嘩するのは勝手になさい。でも、それに咲さんや孫たち、ましてや結香ちゃんまで付き合わせるのは、大人として誉めれることですか!儂なんて言いたいなら、子供っぽい真似はお止めなさい!………あなたもですよ」
  ギロリと睨む先には、先輩のお父さんが立っている。先にお姉ちゃんたちの所に行ったのか、短冊の箱を持っている。
  「そもそもあなたが警察学校に入る時、結婚すると決めた時に怒鳴り合いでも殴り合いでもして決着つけとかないから、こういう面倒くさいことになるんです。毎年この人に付き合って休みをとるくらいなら、さっさと決着つけなさい」
  厳しく言うと、お婆ちゃんは私に向き直る。
  「結香ちゃん、咲さんも。ウチの人が失礼な態度をとってごめんなさい」
  指をついて深々と頭を下げられ、私は意味なく手を振り視線を彷徨わせる。いつの間にかお母さんも部屋にいたみたいで、私と同じように慌てていた。
  「いえ!えと、私は今お会いしたばかりで。失礼な態度とか………あ!私もまだ自己紹介してなくて、ペン回しをしてて………そう!ペン回し!お婆ちゃん、できますか?」
  勢いのままペンをお婆ちゃんに差し出した体勢で固まる。

  なんかトチ狂ったぁぁぁぁ!
  なにペン回しって!もっと上手いこと言えないかなぁ、私!

  固まった体勢で目元に涙を浮かべダラダラ冷や汗を流していると、お婆ちゃんが小さく吹き出した。
  私の差し出したペンを取ると、悪戯めいた目をする。
  「ペン回しねぇ。女学生の時は隠れてやったもんだけど、今でもできるかしらね」
  何回かやってみて、「あら、意外にできるものね」とクルクル回してる。
  「お婆ちゃんすごい!私にも教えて!」
  「いいよー。ほら、こっちおいでな」
  かくして。
  目を輝かせた萌ちゃんがお婆ちゃんの隣に座り、陽くんと知佳ちゃんがペン回し対決をし、ペン回しが出来ない私とお母さんにはそれぞれ先輩とお父さんが教え、なぜかお爺さんとお姉ちゃんが一緒にペン回しをするというよく解らない流れになってしまったのです。

  萌ちゃんはすぐにマスターし、お母さんは何回かに一回は成功するようになったけど、私のペンは一向に回る気配を見せません。
  「うぅぅぅぅ~っ」
  「別に出来なくてもいいと思うんだが………」
  苦笑する先輩をキッと見上げる。
  「ダメです!私だけ出来ないとか情けないじゃないですか!」
  悔しがる私と宥める先輩を笑って眺めながらみんなはお茶の用意をする。
  渋々ペンを片付けながら、ふと向かいに座ったお爺さんがまた私を繁々と見ていることに気がついた。

  うぅっ。不器用な子とか往生際が悪いとか思われたかも……………

  恥ずかしくて俯いていると、お茶を運んできたお婆ちゃんがはんっと笑った。
  「あなた、さっきの失礼な態度を謝りもしないのに、結香ちゃんに構ってもらいたいとか過ぎた願望およしなさいな」
  「なっ!儂はっ!」
  「さっきから結香ちゃんを見すぎですよ。そのうち夕弦に目で射殺されますよ」
  どもるお爺さんに構わずお婆ちゃんは手際よくお茶を配る。
  ふと先輩を見上げると、さっきと同じくらい鋭い目でお爺さんを睨んでいる。
  慌てて裾を引っ張ると、こちらを向いてニーッコリと笑う。

  私に怒ってるわけじゃないみたいだけど。
  ……………その笑顔はコワいです、先輩!

  「身内にも容赦ないとか、さすが進藤先輩よね」
  いつの間にか私の隣でお茶を啜ってる知佳ちゃんに、私は思わず渇いた笑いをするしかなかった。


  お茶をしたり笹に短冊を吊るしたりしているうちに、お夕飯までご馳走になってしまった。さすがにそこまではと思って断ろうとしたけど、作り置きしたものだから大丈夫と勧められて結局ご馳走になってしまったのです。
  帰りは先輩が送ってくれることになりました。
  三人でいても、みんな浴衣の女の子だから危ないとの理由で。先に知佳ちゃんの家を廻るのでいつもより少し遠回りです。
  「嬉しそうだな。どうした?」
  あ。ニヤけているのが解っちゃったみたい。
  「いえ。えと…夕御飯までご馳走になって、お菓子まで頂いて良かったんでしょうか………」
  「大量に残ってた料理が片付いて助かったんだから、そのお礼とでも思ってくれればいい」
  先輩はあっさり言うけど、先輩とお父さんがいれば料理が余るなんてなかったんじゃないかな。
  「それに、結香のお蔭で助かった」
  「ふぇ?」
  私?お手伝いも出来てないのに?
  先輩は柔らかく微笑んだ。
  「結香がいてくれたから、親父と祖父さんが一緒の席で食事できたんだ。ありがとう」
  「わ、私は何もしてないですよ?」
  私は必死に言い募るけど、先輩は取り合わずににこにこ笑って髪を撫で続けた。
  「あーあ、相変わらずの無自覚ですね」
  「さすがあたしの妹!」
  「進藤先輩も茜さんも相変わらずですね………」
  前方でそんなやり取りがされてたけど、そこを気にする余裕はなかった。


  ◆ 後日談・ある夜の電話 ◆

  『なんだ、今年の七夕やっちまったのかぁ』
  光司が電話の向こうで大袈裟に残念がっている。そういえば、こいつは毎年平気で長居してたな。
  「あれに出たがる人間はお前くらいだぞ」
  『お前の婆ちゃんみたいにずっと見てるのは出来ないけどさぁ、でっかいお前の親父さんとちまっとした爺さんがただ押し黙って睨み合ってるんだぜ。面白いだろ?』
  あの図のどこに面白い要素があるんだ。
  『今回は長丁場だったんだろ?二人の間に碁盤でも置いてやりゃあ、今時な絵になったろうに。残念!』
  こいつの心臓はどうなってるんだ………
  「そんなことよくやるな………」
  『いつもは二人の真ん中にお菓子一つ乗せた皿を置くんだけどさ。今はやっぱり碁盤だろ?シュールさは減るけどな!』
  ………もう実践してたのか………
  『婆ちゃんは喜んでたぞ?毎回あとでお小遣いくれたし』
  思わず大きなため息をつく。
  「婆さん、そういうノリ好きだからな」
  『お前も見習うといいぞ。でも彼女ちゃんのお蔭で進藤家の冷戦も終わるのかぁ………俺としては残念だけど、良かったんじゃね?』
  「あぁ」
  本当にそうだ。
  結香は解ってないが、結香の自然な姿に俺たち家族みんなが癒された。親父と祖父さんに気を遣い疲れた母さんも婆さんも。振り回されてささくれだってた双子も。当の親父と祖父さんさえ、結香に安らぎを感じてたと思う。
  今日は結局口をきかなかったが、それもそのうちなんとかなると思えたのは大きな一歩だ。
  面白くはないが。
  『彼女ちゃんのお蔭で雰囲気良くなったんだから、妬いてやるなよ?』
  「……………解ってる」
  渋々返事を返すと、光司は明るい調子に戻る。
  『そんな歴史的瞬間に立ち会えないなんて、夏目光司一生の不覚!』
  「大袈裟だな」
  『そんなことないぞ?』
  電話だから見えないが、チチチッと指を振ってる図が目に浮かぶ。
  『彼女ちゃんの浴衣姿!それにメロメロになる進藤家一同!これを見ないでどうするんだ!』
  「………………………………………」
  『いいよなぁ、浴衣!日本人で良かった………お前、ちゃんと写メ撮ったんだよな?』
  「お前には絶対見せない」
  『いーじゃん、減るモンじゃないし!』
  「減る!お前冬まで帰ってくるな!」
  『冬かぁ………クリスマスコーデだな!楽しみだぁ………』
  「楽しみにするな!もういい!お前卒業までそっちにいてそのまま山へ行け!」
  『あら夕弦くん、いけずぅぅ~』
  少し大きい声を出したのが災いしたのか。
  しばらく家族には「七夕お疲れ様」と同情的な目で労られた。
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