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番外編

準備の合間に

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  お店というよりは巨大な倉庫に、車から降りた私は「ほぁ」と呆けた声をだした。
  そんな私に先輩はいつものように、大丈夫か、疲れてないか、と気づかう言葉をかけてくれた。
「だ、大丈夫です!元気ですよっ」
  必死に元気だとアピールすると、そうかと少しだけ破顔する。
「本当です!ほら、こんなに大きくて驚いただけで」
  私の隣に立った先輩は、同じように倉庫を見上げてあぁ、と息をついた。
「確かに、圧巻だな」
「ですよね………………ぁ」
  うん?と振り向いた先輩に、あの、と切り出した。
「先輩。ここって会員にならないとお買い物できないんですよね?」
  前に来たときは夏希さんが会員カードを持っていたから買い物できた。ここは家からだいぶ離れてるから、一度くらいの買い物のためにカードを作るのはもったいない気がする。
  私の心配を察したのか、「安心しろ」と先輩は言った。
「おそらく持っているだろう人物を呼んである」
「?助っ人ですか?」
  つまり助っ人なのかと聞くと、先輩はなぜか少し不機嫌そうに眉を寄せた。
「そういうわけでは無いのだが」
「いやいや。そこは素直に助っ人と呼びましょうよ、夕弦様」
  大樹さん?と呼ぶと「おはようございます、結香様」と今日も快活に挨拶してくれる。
  大樹さんはいつ会ってもにこやかな笑みを絶やさない。そしていつもいきなりするりと現れる。いつも、いつの間にかすぐ近くにいてすごく驚くんだけど、大きな声を出して迷惑になってもいけないから、いつもヒヤヒヤするんだよね。
「夕弦様~?自分で呼んだんだから、姿を見せただけで怒るのはヤメましょうよ~」
  宥めるような声に、先輩はますます眉間のシワを深くした。
「語尾を伸ばすな。それで、来たということは持ってるんだろうな」
「そりゃ持ってますけどね」
  不機嫌そうな先輩をどこか呆れたように眺めた大樹さんは、「にしても」といきなりニヤッと笑った。
「今の言い方、ドラマの犯罪者っぽかったですねぇ。夕弦様、裏手に廻って今の下りもう一度やりません?」
  大樹さんを睨む先輩の眉間のシワがこれでもかと深くなる。
「冗談ですってば」
  やだなぁ、夕弦様ってばもう~。なんて言いながらヒラヒラと手を振る大樹さんに、先輩は大きなため息をついてから私を振り返った。
「カードの件はこれで間に合う。行こう」
  先輩の言葉に「これって」とむくれていた大樹さんは私の視線に気づくと、すぐに笑顔に戻った。
「はい。影山が居りますから大丈夫ですよ、結香様。ごゆるりとお買い物を楽しんでくださいね」
「は……はは、はぃ」
  温和な微笑みを浮かべてスッと頭を下げる姿はいかにも秘書という風格で、さっきまで先輩と気楽に話していた姿に慣れていた私は慌てて返事にどもった。
  ドラマのお嬢様とか女主人だったらスマートに「お願いね」とか一言言えば済むだけの話なのかもしれないけど、私は返事を返すだけで精一杯。しかもその声はちょっと裏返ってしまっている。恥ずかしい。
  勝手に熱くなる頬にいたたまれなくなっていると、大樹さんはニヤッとさっきまで浮かべていた笑顔に戻った。
「大丈夫ですよ、結香様。俺は彼処で朝食にしますから。邪魔なんてしませんから、ゆっくり買い物デートを楽しんでくださいね」
「か!?………は、はいっ」
  デートの言葉の威力に驚いてこくこく頷くと、「いってらっしゃいませー」と大樹さんが元気良く手を振ってくれる。
  この場合は私も振り返すべきなのかな?と悩んでる間に、先輩に身体の向きを変えられ手を引かれて倉庫に入ってしまったのでした。


  外から見える建物の大きさにも驚きだけど、中に入っても私の口はムダにあんぐりと開いたままだった。
  ものすごく丈夫そうな金属の棚が高く高く置かれていて、その一番上にまで品物がみっちり置かれてある。
  ………あの一番上のもの取るとき、どうするんだろ……?
「結香、何を探しているんだ」
  はしごとか踏み台を探してキョロキョロしていたら、先輩に不思議そうに顔を覗きこまれた。
  ふるふると首を振ると、少し首を傾げた先輩はカートから離した片手を私の頬にサッと滑らせた。
「慣れないだろうが夜用の菓子は結香が探してくれ。早くしないと水瀬が来てしまう」
  知佳ちゃんへのお土産のお支払をしているのは先輩だから、きっと選ぼうと思えば先輩の方が早く適格に選べるはず。でも、食べるのは私たちなんだから自分で選ばないと。
  和菓子のコーナーに、大きないもようかんのタッパーを見つけた。
  知佳ちゃんはいもようかんが好きだし、すごく美味しそうだけど大きなタッパーに八本も入ってる。
  残念だけど、別のを探した方が良いかも。
「先輩。あっちの通路に行っても良いですか?」
「構わんが、それは買わないのか」
  多すぎて食べきれなそうだからと言うと、うん、と少し首を傾げて並んでるパックを眺めていた先輩はサッと手を伸ばすと、けっこう重たかったパックを軽々と持ち上げてカートの中へ入れてしまった。
「先輩?そんなにいっぱいは」
  気にするなと言いながら先輩はカートを押した。
「ここのはどれも容量が大きいんだから、結香たちだけで食べきれるかどうかで考えていたらどれも買えなくなるぞ」
  言いながら品物を覗きこんでいた先輩は真面目な表情で私を振り返ると「どっちが良い?」と聞いた。私が指差したエクレアを取ると満足そうに頷きながらカートに入れて、行くぞと私を促した。


  こんなに大きなカート必要ないんじゃ?と思ったカートも半分くらいがお菓子や飲み物で埋まった。
「こ、こんなに食べきれますかね……?」
  いくら先輩がたくさん食べる人でもお菓子ばかりこんなに食べれないはず。
  でも先輩は「まぁ、なんとかなるだろう」と言いながらカートを押した。
  ただでさえ普通のより大きいのに品物をたくさん積めたカートは動かすのも大変なはずなのに、先輩は難なく押していく。
  少しすれ違うお客さんが減ってきたかなと思ったら、周りは食べ物の棚ではなくなっていた。
  なんで棚に機械がたくさん並べてあるのだろうと首を傾げると、これも売り物なのだと教えてくれた。
  かなり高い棚に飾られてある大きなテレビまで売り物みたい。
「………持って帰るのもだけど、取り付けるの大変そう………」
  ウチでも数年前にテレビを買い替えた。あのとき、接続やアンテナについてお店の人から質問を受けたお父さんもお母さんもパニックになっていたっけ。
  ついため息をつくと、先輩はくすりと笑いながら棚を見上げて「あぁ、あれだ」と呟いた。
「何ですか?それ」
  尋ねると、ニッと微笑んだ先輩はカートに入れる前に箱の正面を私に向けた。
  ゲーム機、と呟くと、そうだと頷く。
「家に在るものと同じ物だ。ソフトは家から持ってきた」
  今夜はゲームをして遊ぶつもりだと言われた。
  快く良いよと言われたけど、元々はお祖父さんの家だから、やっぱり図々しいかもしれない。
「すみません、先輩」
「何がだ」
  謝ると、本当に何を謝っているのか解らない、という表情でキョトンと先輩は首を傾げた。
「今回は細かい物を片付けるのに時間をとられるし、予報では雨だ。外出も難しそうだからな。退屈しないで済む」
「ーーーぁ。そう、ですね」
  さすが先輩。東京で何をするのかをきちんと考えてきたみたい。
  それにひきかえ私ときたら、今夜のことばかり考えていて他の時間をどう過ごすのかを考えてもいなかった。
  情けなさに苦笑いを浮かべる私を「結香?」と先輩は覗きこんだ。
「東京に向かう途中でソフトを買いに寄ろう。結香好みの物があると良いな?」
「ーーーへ?ぁ、私もゲームして良いんですか?」
  顔を上げると、先輩は心から意外だというように目を見開いて「当然だろう?」と言った。
「結香はどんなゲームが良い?」
「えぇと、ですね………」
  昔やったことのあるゲームを挙げたり、私にと買ったゲーム機をお父さんが壊してお姉ちゃんに長時間お説教された話なんかをしていたら、思ったよりもたくさんカートに詰めこんでしまったみたいで。
  電話を受けてやってきた大樹さんは「どっかの島にでも立て籠るんですか?」と目を丸くしたのでした。


  家にはすでに食器が一揃い置いてある。
  でも、使わないものは他の家に移すというお婆ちゃんの好意に甘えて、取り出しては新聞紙で包む。もっとスピーディーにやりたいけど、調子に乗って割ってしまったらと思うと怖くて怖くて手つきがノロノロとしてしまう。
  ある程度包んだら今度は段ボールに入れる。
  そもそも、絶対にものすごい金額に違いない食器をこんな古新聞でくるんで段ボールに入れるなんて、しても良いものかしら?
  心の中で首を傾げたところで「結香」と呼ばれた。
  テーブルの上に並べて置いた私のスマホが鳴っているらしい。
  急いで折り返すと『………もしもし?』と低い知佳ちゃんの声が聞こえた。
「もしもし、知佳ちゃん?ごめんね、電話もらったのに」
  『ーーー結香。ううん、それは良いんだけど』
  珍しく言葉じりを濁した知佳ちゃんは『はぁ』とため息をついた。
「知佳ちゃん?もしかして、疲れてる?」
  聞いてみると大きなため息と共に『まぁね』と言われた。
「ど、どうしよう……お迎え行く?それとも、ホテルとかでゆっくりしたい?」
  そんなに疲れきった状態で新幹線やバスを乗り継ぐのはないかなと聞いてみると、『どっちもお断りよっ』と知佳ちゃんは怒った声で返した。
  『迎えに行くと言っておいて逆に迷子になるあんたを探す気力なんて、今の私には無いのよ!ちょっと疲れたからって、楽しみにしてた予定崩すなんて真っ平ごめんだからねっ』
  楽しみにしてくれてたなんてかなり嬉しい言葉だけど、そこを聞き返したらすごく怒られるような気がする。
  顔はともかく声で知佳ちゃんにバレないようにスマホを持つ手とは逆の手で口を覆った私に、『もしもし結香?聞いてるのっ』と知佳ちゃんは怒った声を出した。
「ーーーん、聞いてるよ。それで、何時頃こっち着きそう?」
  『それなんだけどね………』
  言い渋ると知佳ちゃんははぁぁっと大きなため息をついて『ごめん、結香』と言った。
「ごめんて?やっぱり来れなそう?」
  そうじゃないんだけど。と知佳ちゃんはため息混じりの声を出した。
  『お父さんがね、どうしても夕食を一緒にしなさいって予約入れちゃったの。だから、そのあとそっちに行くことになっちゃったんだけど……ごめんね、夕御飯、そっちでお世話になることになってたのに』
「…………………………お父さん?」
  知佳ちゃんがお父さんと言うのもその人と食事することを受け入れるというのも信じられなくて、訝しげな声を出してしまった。
  音に気をつけながら片づけを続けていた先輩が、手を止めて心配そうに私を見守ってくれる。
  大丈夫と手を振ると、軽く頷いた先輩ははす向かいの椅子に座って組んだ手の上に顎を乗せた。
「知佳ちゃん?お父さん、て………」
  『あの人じゃないわよ。勿論』
  低い声で言い捨てた知佳ちゃんはふ、と息をついて『社長よ』と言った。
「………………おばさん、もう結婚したの?」
  まだだけど、と答えた知佳ちゃんはまたため息をついた。
  『そう呼べって言うんだもの』
「へぇ………」
  知佳ちゃんの話では、社長はおばさんが一番大切で、知佳ちゃんのことはおばさんの娘だから一応気にかけてるだけだと言ってた。でも、わざわざ東京に来てるときに夕ごはんを一緒に食べようなんて、どうでもいい子には言わないよね?
  ふふふ、とつい笑い声をたてると『何よ?』と知佳ちゃんに怒られた。
  何でもないよ?と何度か言って、やっと知佳ちゃんは『いいけど』となんとか許してくれた。
  『そういうわけで、ちょっと遅れるの。それで、マンションの前まで送るってお父さんが言ってるんだけど、住所を教えても大丈夫か、一応確認しようと思って』
「そうなの?えぇと………」
  ちょっと待ってと知佳ちゃんに言うと、こちらを見守っていた先輩にこそこそと説明する。
  先輩は顎を手から上げると貸せというように片手を広げた。
「もしもし、水瀬。進藤だが。近くに親父さんが居るなら代わってくれ」
  知佳ちゃんにそう言ったあと、少し間を置いてから先輩は「初めまして。進藤夕弦と申します」と落ち着いた声で言った。たぶん、社長さんが代わったんだと解る。
  私服だけど、大人の人と話してるときの先輩は凛々しくていつもよりもっと大人びていて格好良い。
  ほぅ、と息をついて見惚れているうちに先輩は住所の説明を終えたみたいで、「では、お待ちしておりますーーーあぁ、代わる」と耳から離したスマホを私に差し出して「水瀬だ」と言った。
  耳に当てると知佳ちゃんが、遅くなって悪いけど必ず行くから、と言う。
「解った。気をつけて来てね」
  またあとでね、と電話を切ると先輩は先に片づけを再開させていた。
「すみません、先輩。知佳ちゃんの好きそうなものたくさん買ってくれたのに」
  知佳ちゃんもたくさん食べるわけじゃないけど、知佳ちゃんが好きそうなお総菜をいくつか買ってきたのに。
  食べきれなかったらどうしよう?
  自信ないけど、できるだけ私が食べなくちゃと心の中で気合いをいれていると「気にするな」と先輩は言った。
「それより、水瀬が来るまでにもう少し片付けて俺たちも食事にしよう」
  確かに知佳ちゃんが来たときに段ボールが出しっぱなしになっていたらかなり恥ずかしい。
  頷くと急いで台所に戻った。


  知佳ちゃんが来る前にご飯は済ませておきたい。
  ある程度片づけたところで、まだ片づけできてない物も棚に元々納められていた物もそれぞれ段ボールに詰めて、空いてる部屋に入れることにした。
  私たちは使わないけど品物としてはきっとすごく良いものだと思うのに、先輩は詰め終わった箱に次々「不要」と書いたシールを貼っていく。
  わざわざ手書きのシールを用意してきたことにも驚いたけど、高級品の詰まった段ボールにためらうことなく不要シールを貼る度胸に、なぜか私の方がドキドキする。
「結香?疲れたか?」
  ハラハラしながら不用品の段ボールを見つめていると、先輩に心配されてしまった。
  ふるふると首を振ると一瞬そうか?と首を傾げた先輩が、そろそろ箱を仕舞ってご飯しようと言った。
「これから片付ける物は風呂の隣の小部屋に、影山に処理してもらう分は玄関近くの空き部屋に入れておこう。重い物は俺が運ぶから結香は軽い箱を運んでくれ」
  言うなり先輩は不用品の段ボールをヒョイヒョイと担ぐとスタスタとリビングを出てしまう。
  先輩にばかり運ばせるわけにいかない。
  急いで重たそうな箱を持ち上げたけど、さりげなく選り分けられていたようで、どれを持ってもそんなに重たくなかった。
「い………いつの間にっ………!!?」
「結香、どうした?」
  運び終わった先輩が台所で手を洗いながら心配そうにこちらを見ている。
「重い箱が残っていたか?なら」
「大丈夫です!大丈夫っ」
  慌てて箱を持って立ち上がると、少し首を傾げて私を見ていた先輩は冷蔵庫を開けた。
  急いで箱を片づけてご飯作りの手伝いをしないと。
「これはシールがついてない、だから、お風呂の隣」
  先輩は小部屋と言っていたけど、他の部屋がうんと広いだけで普通の大きさはあると思う。
  これを小部屋と言っちゃうんだから、やっぱり先輩の金銭感覚って少しお金持ちなのかもしれない。
  私が荷物を持って来ることを考えてなのか、珍しくドアが開いたままになっていた。
「ウチだったら開き戸が開いてたら通れないんだから、廊下の段階でかなり広いんだよねぇ………ぅん?ぇえええええっ!!?」
  先輩が運んだ段ボールだけかと思った部屋の真ん中にあるものを見つけて、気づいたときには両手で頬を支えて叫び声を出していた。
  足の指がちょぴっと痛い気もする。
  でも落としたときに変な音はしなかったからきっと大丈夫、それより!
  驚いて気が急いてたから、先輩が台所から出て来る前に「先輩っ」とカウンターに飛びついていた。
  走ってきた私に驚くでも咎めるでもなく、先輩はミトンを脱ぎながら「どうした、結香」となぜかものすごく冷静に聞いた。
「どうしたって、どうしたって!どうしてここにあの卵イスがあるんですかっ」
  「卵椅子」とおうむ返しに呟いた先輩は視線を宙に彷徨わせてなるほどと呟いた。
「確かにあれは卵の形をしている。結香は旨いこと名付けるな」
「そこはどうでも良くてっ」
  その場で足踏みをする私に「まぁ、落ち着け」と先輩は制するように片手を上げた。
「あれはな、ウチの両親からの引っ越し祝いだ」
「ひ。引っ越し祝い?」
  まだ引っ越してないのにあんな大きくて高額な物を貰っても良いの?
  声が出なくて口をハクハクさせる私に構わず、先輩は顎に手を当てて考えるようなポーズをとった。
「それとも婚約祝いだったかな」
  そこはどっちでも良いのです。
  声に出す気力が出なくてカウンターに突っ伏す私に、まぁいいか、と先輩は呟いた。
「名目は忘れたが、とりあえずウチの両親からだ」
「それはすごくよく解ったんですけど、なぜ卵イスが………」
  突っ伏したまま顔を上げると、早くもご飯作りを再開していた先輩は、ふと手を止めて「見た方が早いか」と手を拭きながら台所から出てきた。
  スポーツバッグの中から出した何かをひょいとこっちに放る。
「わ、わ、わ………っと……へっ」
  慌てながらだけど無事キャッチできたことに安心したのも束の間、手の中にあるものに奇妙な声を出してしまった。
「これっ、これ!通帳じゃないですかっ」
  貴重品を投げるなんて、と怒る私を見ても先輩は全然動じることなく、いいから中を見てみろ、と促した。
  ちょっと古ぼけた表紙を見ると先輩の名前が書いてあって少しホッとしたけど、それでもヒトの通帳を見るなんて気が引ける。
  通帳を持ったまま立ち尽くしていると、先輩は解るから取り返した通帳を開いて、ほら、と言った。
「見てみろ。俺が子どもの頃から預金してるだろう」
  確かに日付けを見るとかなり前のものだった。
  確認したと頷くと先輩は通帳を畳んで、これはな、と言った。
「俺が独り立ちする時の為に、両親が昔から貯めていた金だそうだ」
  スポーツバッグの中に通帳を戻した先輩は、とりあえず飯にしよう、とすっかり放置されていた段ボールをまとめてあっさり運ぶと固まる私をダイニングテーブルに運んだ。


  元々知佳ちゃんが夕ごはん前に来るつもりで準備していたので、二人の晩ごはんというにはかなり豪勢な品数になってしまった。そしてほとんどを先輩が作ったから、色もカラフルでちょっとパーティーみたいになっている。
  女子としてちょっと情けない、と肩を落とす私を「早く食べないと水瀬が来てしまうぞ」と先輩が促した。
「ウチの両親が駆け落ちに近い形で結婚したことは知っているか?」
  サラダを食べ始めるのを見届けて、先輩がそう切り出した。
  そういえばそんな話を聞いたような、と頷くと、じゃあ、と先輩もサラダを刺した。
「祖父母もそうだという話は?」
  私が答える前に「父方の祖父母だが」と付け加えたのは、以前私が他の人とごっちゃにしたせいだと思う。
  どうだったっけ?と首を傾げていると「聞いた話だが」と先輩は前置きした。
「両親の場合は親父が母さんの生家に転がり込む形であまり騒がれなかったが、祖父母の場合は周囲をかなり混乱させた、正当な駆け落ちだったらしい」
「………………駆け落ちに正当とそうじゃないのってあるんですか?」
  何と返事すれば良いのか悩んだ末に出たまぬけな質問に「さぁ」と先輩は首を傾げた。
「駆け落ちをこの目で見ていないから解らん」
「そうですよねぇ」
  少し食事を続ける音だけが続いて、「それで」と先輩がまた話し始めた。
「いくら駆け落ちの末に産まれたとはいえ、自分も近い形を取ることになるとは親父も想定外だったらしい」
  確かに、最初から親に反対される結婚をするつもりだっていう人はなかなかいないと思う。
  でも、よけいな一言で邪魔しちゃいけないから小さく頷くだけにした。
「子どもが、俺が産まれた時に多少気になったらしい。もしかしたら、俺も親の同意を得る前に結婚するかもしれない」
  結婚じゃなくても、ある日突然親元を飛び出すような選択をするかもしれない。
  真っ赤でちっちゃい、産まれたばかりの先輩を見てお父さんはそんな心配をしたらしい。
「母さんにも、子どもには先々の為にある程度の金を用意してやりたいと考える事情があった。それで、こうして少しずつ貯めていたらしい」
  陽くんたちが産まれた前後や、ちょっと事情があって振り込みができないときもあったけど、少しずつ少しずつ貯めていてくれたらしい。
「ありがたい、ですね」
  私の短い感想を笑わずに、うん、と先輩は頷いた。
  どういうお金かは解ったけど、その手帳をもう先輩が持っている理由は?と聞くと「高跳びされる前に渡しておこう、だそうだ」と先輩はあっさり答えた。

  渡しそびれちゃう前に渡しておこう、って意味だよね?
  ………先輩の引っ越し先、お祖父さんのマンションって決まってるのに、急ぐ必要あったのかなぁ………?
  それに、高跳びって………お父さん。先輩は犯人じゃありませんよ………?

「………そ。それで、卵イスなんですけど」
  問題の卵イスに話題を戻すと、おかわりをよそっていた先輩は頷いた。
「祖父母からは家や食洗機等を譲って貰っただろう。金だけじゃ味気無いと言い出してな。何か無いのかと煩いから、以前結香が気に入っていたと教えたら本当に買ってきたんだ」
  説明を終えた先輩は悠々とおかわりをよそっている。
  けど。

  煩いってそんなはっきり言わなくても………
  そして、なぜそこで卵イスを思い出しちゃうんですか、先輩………
  そんでもって、なぜ簡単に買っちゃうんですか、お父さん………

  呆けてちょっと遠い目をしちゃってる私とは違って、先輩は山のような料理を次々と平らげている。
「結香。早く食べないと水瀬が来てしまうぞ」
  口に合わないかと気づかわれて慌ててフォークの上に乗せたままだったラザニアを口に入れる。
  さすが先輩。ものすごく美味しい。
  だけど。
「………先輩。ラザニアの材料なんて買ってましたっけ?」
  ふるふると首を振った先輩は、昼間に大量に買い込んだ中の惣菜から作ったと説明した。
  ラザニアはロールキャベツから、スープは炒め物から、と説明する先輩に、もう少し料理の勉強を頑張ろうと思ったのでした。




  ◆ 宮本受難の日 ◆

  俺が風呂から出ると、結香が辿々しくインターホンでやり取りをしていた。
「水瀬が来たのか」
  腰を抱き寄せながら聞くと、結香は「ひゃわぁっ?」と可愛らしく悲鳴を上げた。
  その手から溢れ落ちた受話器を受け止め、もしもしと出るとやはり相手はコンシェルジュで、水瀬らしき少女と少年が来ているが通しても良いかと尋ねてきた。
  結香がパネルの操作に不慣れな為に来客が通れないということもあったが、事前に伝えていた内容と違うので通しても良いものかコンシェルジュが危ぶんだらしい。
  『話している様子を見るに、若奥様のご友人であることは間違いないと思うのですが』
  直に俺が下りていくと告げて行ってくると結香を見下ろすと、結香は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「先輩、お風呂上がったばかりなのに……湯冷めしちゃいます」
  自分が下りると言いかねない結香を抱き締める。
「直ぐ戻るから、結香は片付いてるか確認をしておいてくれ」
  後ろ髪を弄りながら、な?と顔を覗き込むと頬から首の付け根まで真っ紅に染まる。
  はふはふと息継ぎするのを返事と取り、腕をほどいてさっさと家を出た。


  そうだろうと踏んでいたが、やはり未知の少年は宮本だった。
「やっぱコンシェルジュなんていうからには、そこらの大家とは違うんでしょ?どこら辺が違うんスか?」
  恐縮しつつ頭を抱えている水瀬とは対照的に、コンシェルジュと仲良く茶を飲んでいる。
「あれ。進藤先輩」
  いち早く俺に気づいた宮本は夜でも普通にヘラリと愛想笑いを浮かべた。
「わざわざ来てもらってすみません。不審者です」
「余計なこと言わないのっ」
  堪えかねたのか宮本の腕を叩いた水瀬が俺に向かって頭を下げる。
  確認するように視線を送ってきたコンシェルジュに頷いてみせると、二人を手招きした。


「本当にもう………すみません」
  この一言に始まり、エレベーターに乗ってからも水瀬の謝罪と愚痴は尽きなかった。
  疲れもあるのか、嘆息も多い。
  とぼとぼと水瀬が溢す隣で宮本はさっきまでの饒舌を引っ込めて二人分の荷物を持って立っていた。
「俺たちも夕食は済ませたから良いが、宮本も泊まっていくのか」
  話しかけられると思っていなかったのか、へ、と一瞬呆けた宮本がいやいや、と手を振った。
「俺はその辺のビジネスホテルにでも泊まりますよ。男一人、どうにでもなりますって」
  あくまで水瀬の荷物を運ぶ為だけに着いてきていると主張する宮本の横顔を、水瀬が心配そうに見上げている。
「リビングで俺と雑魚寝になるが、それでも良いなら泊まっていけ」
  嘆息して言うと、案の定宮本は遠慮する。
  ドアの前に着くと、俺は振り返って「いいから泊まっていけ」と宮本を睨んだ。
「結香が心配する」
  なぜか一瞬微妙な表情を浮かべた宮本は、「じゃあ、まぁ………はい」と承諾したようだった。


  本当に宮本が来たことで驚いた結香だったが、水瀬が珍しく疲れきった様子だったので荷物を預かったり風呂を勧めたりと大わらわになった。
  結香がまだ風呂を済ませていなかったことで、二人で先にどうぞと言い合っている。
「あれ、止めなくていいんすか」
  ゲームを選んでいるといつの間にか宮本が後ろに座っていた。
「今口を出してもロクに聞こえない。もう少し騒いで疲れたら二人まとめて入れば良い」
  それともお前が先に入ったらどうだと提案するが、自分は最後で良いと疲れたように嘆息された。


  物音が静かになったと思ったら宮本が戻ってきた。
  勧めた通り、結局女二人で入ることにしたらしい。
  伝言してくれたことに礼を言うと、宮本は軽く首を振って床に座った。
「とりあえず落ち着いてやれやれっすね」
  そうだなと頷くと、「進藤先輩もゲームやるんすね」と言われるので、まぁなと返すとゲームの音だけが響いた。
  ゲーム音の合間に背後から欠伸が聞こえる。
「寝るなら風呂に入ってからにしろ」
  忠告すると、薄目を開けた宮本は関節を動かしながら結香たちはもう風呂を出たのかと聞いてきた。
  まだだと答えると、まったく、と嘆息混じりの欠伸をした。
「広すぎる風呂は水道代の無駄だとか言ってたクセにしっかり堪能してるんだから、知佳のヤツ」
  大きく伸びをすると、俺に向かって何か話せと催促してきた。
「何か、とは」
「何でも。話してないとマジで寝そうで」
  ふむ、と唸った俺は「今日は」と口を開いた。
「水瀬の部屋選びを手伝ったのか」
「そっすよ」
  もう一度欠伸をした宮本は軽く足を広げてストレッチを始めた。
「手伝ったっつーか。セキュリティのしっかりしたとこに入れたい社長と学生アパートを想定してた知佳との親子喧嘩をずっと見てただけなんですけどね」
  そんなものを丸一日間近で見て平気だったのかと問えば、「まぁ、割と」と答えるのだからやはり宮本は大した根性だ。
「社長のことは、あくまで母親の結婚相手と割り切ってる風の知佳が実の父親以上に懐いてポンポン言い合いしてるのも楽しいし。それに、雑誌やテレビじゃ通信業界の寵児とか呼ばれてる人が娘可愛さに暴走してるの見るのも楽しかったッスよ」
  正式な入籍や御披露目は俺たちと同じように水瀬の卒業等を待ってのことだろうが、家ではすっかり親子として過ごしているらしい。
「水瀬は可愛がられているんだな」
  結香が聞いたら安心するだろうと聞くと、そりゃそうッスよ、と多少ははっきりした声で返ってきた。
「セキュリティは一応社長令嬢になっちゃうんだから仕方ないにしても、風呂に毎日温泉運ぼうと手配しようとする辺りは親バカでしょ」
  宮本に対しても、早くも父親として牽制しているらしい。
「自分の付き合いは棚に上げて、学生のうちは手を繋ぐだけにしろとか進路も決まってないのに嫁に貰えると思うなとか、もう………男親の相手って大変ッスよ………進藤先輩は」
  言いかけた宮本は何故か俺を一瞬見詰めて重々しく息をついた。
「進藤先輩の場合は……お姉さんのが関門ッスか」
  まぁな、と頷くとあーぁと大きく嘆息して仰向けに転がった。
  まだ寝るなよと言うと、ほいほいと割としっかりした声で返事が返ってきた。その体勢のまま、「いつまで入ってんのかなぁ、あいつらは」とぼやく。
「なんならお前もやるか?」
  対戦でもすれば眠気も飛ぶだろうと誘ってみると「いいんすか」と言いながら起き上がってきた。
「俺、割と強いッスよ」
  確かに宮本は強敵だった。
  白熱するあまり、呆れ返った水瀬に宮本はしこたま叱られたのだった。
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