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番外編
とうとう打ち上げなのです
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「お前ら、他の先生が試験官の時はもう少し顔の筋肉使えよ。今からテスト受ける人間の表情と真逆過ぎて、集団カンニングでも企んでるんじゃないかと思われるからな」
担任の槇原先生にそう言われて始まった定期テスト最終日は、なんだかあっという間に終わりました。
テスト監督の先生が終了の合図を出すと同時に、みんな安心のため息をついたり近くの席に座る友だちと顔を見合わせて笑いあったりしている。みんな、気が抜けたように笑っている。私も、はふ、と息をついた。
すっかりくつろいだ雰囲気の私たちに、テスト監督の先生と入れ代わりに入ってきた槇原先生が眉尻を下げて笑った。
「はいはい、もう少しで終了だからちょっと集中―――今日はこれで終了だが、来週の終業式までが二学期だからな。目一杯騒ぎ倒して、週明けに学校あるの忘れるなよ。じゃ、解散」
先生が教卓から身体を離すと、みんな一斉に身支度にかかって、教室中に話し声と物音が響いた。
「先生ー。先生は打ち上げ来ないのー?」
男の子から聞かれると、槇原先生は破顔した。
「生徒の楽しい集まりに邪魔する程野暮はしないよ。それに、わたしはこれからテストの採点で忙しいんだ」
笑顔で断る先生に、男の子がえぇーっと残念そうな声をあげて、女の子たちも「ちょっとだけでもダメですか?」とねだるように聞く。
女の子たちの視線に、槇原先生は仕方ないな、というように苦笑した。
「じゃあ、仕事が片づいたら、な」
絶対だよ、待ってるからね、と言いながら教室を出ていくみんなを、先生は微笑みを浮かべて見送ってから、知佳ちゃんに目を向けた。
「水瀬。あとは頼むぞ」
はい、と頷いてから知佳ちゃんは小首を傾げた。
「先生。仕事なので無理にとは言えませんが、できるなら少しでも来てくれませんか?みんな、喜ぶので」
少し目を見開いた槇原先生は、軟らかく破顔して手を振った。
「来てくれるといいね、先生」
知佳ちゃんは小さく頷くと、私たちも行きましょう、と鞄を持った。
初めの知佳ちゃんの挨拶や文化祭委員の裏話はみんなきちんと聞いていたけど、乾杯の賑わいが収まると仲良い人同士集まってそれぞれ話をするようになった。
ビンゴ大会とか手品とかやりたい人は知佳ちゃんに申し出てくださいと打ち上げの詳細を知らせるメールには書いてあって、休み時間に何人か知佳ちゃんの机に集まっていたはずなんだけど。
「近隣の迷惑になるから断らざるを得ないものもあったし、みんな意外にテスト勉強に身が入って出し物の準備が間に合わなかったみたいよ」
「そうなんだ。残念だけど、こういうのも楽しいね。立食パーティーみたいで」
教室の休み時間とやってることは変わらないけど、場所が違うのと軽食や飲み物があるのでだいぶ雰囲気が違う。ちょっと大人みたいでワクワクする。
「みんな制服だから、ちょっと違和感あるけどね………ん?」
わぁっとあがった歓声に、知佳ちゃんが目を見開いて「はぁぁっ!!?」と驚いた。
振り向いた私も、きっと今だらしなく間抜けな顔をしていると思う。
「あ、あれ……何て言うんだっけ……チョコ……タワー……?」
「チョコファウンテン」
短く訂正して首を伸ばして辺りを見渡した知佳ちゃんは、何か小さく叫ぶと、壁から背中を剥がして人をかき分けて進んでいく。
「ちっ、知佳ちゃんっ?あっ、ごめんなさい、通ります。ごめんなさい」
慌てて知佳ちゃんが強引に通った跡を、両サイドに頭を下げながら追いかけた。
上下左右に振りすぎて少しクラっとした頭を抱えて息を落ち着かせていると、目の前で知佳ちゃんが宮本くんに詰め寄っていて、慌てて左腕に飛びついた。
「知佳ちゃんっ、落ち着いてっ」
「止めないで結香っ。よりによって生徒会に所属している人間が、確認も許可も取らずにこんな勝手な振る舞いをするなんてっ。成敗してくれるっ」
「知佳ちゃん、落ち着いてよ~っ」
掴みあったまま騒ぐ私と知佳ちゃんをぶら下げたまま、宮本くんはあははといつものように笑った。
「モメる時も仲良しだなぁ。水瀬と牧野は」
「遺言はそれでいいのね?」
据わった目で見据える知佳ちゃんに、宮本くんは苦笑した。
「いやぁ、いくら水瀬相手でも、冤罪で成敗されるのは困るなぁ」
「冤罪~?」
目で脅しをかける知佳ちゃんと誤解だと訴える宮本くんの頭上から、豪快な笑い声が響いた。
「確かに誤解だ、お嬢さん。これは、君らの担任の先生からのオーダーだからな」
「先生が?」
眉をひそめた知佳ちゃんが、宮本くんから身体を離して左腕にぶら下がる私を下げるように立ち直った。さっきとは違う意味でしがみつく私の腕をポンポンと軽く叩いてくれる。
そうそう、と太い声でその人は続けた。
「君らの出し物が出来なそうだから、ただ飲み食いして喋るだけじゃちと物足りないだろうって発注されたんだよ。費用も先生から貰ってるから。だから、そっちの兄さんは無罪だよ」
「そ、そうだったんですか………」
呆然とコック服を着た大きな人を見上げていた知佳ちゃんは、はっと宮本くんを振り返って気まずそうに首を竦めた。
「悪かったわよ。誤解して、掴みかかって」
宮本くんはいつものように笑った。
「いやぁ、成敗されずに済んだんだから、いいよ。でも次に抱きつく時は、もうちょっと色っぽい展開のがいいなぁ」
「はぁっ?ナニを言ってるの、あなたはっ。私は、掴みかかったのよ!抱きついてなんか、ないっ」
はいはい、と言いながらニコニコ笑う宮本くんに、抱きついてない、掴みかかったんだと言い張る知佳ちゃん。
その二人を苦笑しながら見守るコック服の人をつい見上げていると、うん?と見下ろされた。
「あの、もしかして、槇原先生のご兄弟ですか?」
周りにいた友だちが急に何を言っているの?という目で私を見る。コック服の人は目を見開いて私を見ている。
やっちゃったかなと思いながらも見上げていると、参ったな、その人は破顔した。
「まさかバレるとは思わなかったよ。よく解ったね。兄妹じゃなくて、従妹なんだけどね」
みんなが驚く声が次々にあがる。
すごいね、と肩を叩かれて、間違えてなかった安堵で息をついた。
見上げると、目の前の人も穏やかに笑っていて、先生と縁続きだと知られても平気そうだったので、もう一度息をつく。
「いやぁ、さすが茜の妹だ。ぽやっとしてるかと思ったら、してやられたよ」
コック服の人からお姉ちゃんの名前が出てきて目を見開く。
お姉ちゃんの知り合いかな……と首を傾げてから、ふ、と思い出した。
「あ!大食いメニューの人!」
しっかりつきつけてしまってから、慌てて人差し指を後ろに隠したけど、コック服を大きく揺らしてその人は笑う。
「大食いメニューの人って何?」
眉を寄せて首を傾げる知佳ちゃんに、夏休みにここで先輩が大食いメニューの試食をしたことを話した。あのとき、食べた感想を丁寧に聞いてた人だと、さっきになって確信したのだ。
「つまり、大食いファイターの人じゃなくて、作る側だったってことね。でも」
納得したように頷いてから、知佳ちゃんは呆れた目で私を見た。
「案内メールに店の名前書いてあったでしょ。思い出さなかったの?」
「お店の名前覚えてなかったから、解らなかったよ」
たまにしか来ないし、外国語の店名なんてなかなか頭に入らない。
苦笑すると、知佳ちゃんは思い切りため息をついた。実は試食会の前に、先輩の同窓会でちょっとお邪魔したことは黙っておいた方がいいような気がする。
「でも今日実際にここまで歩いてきたんだから、さすがに何か思い出さなかった?」
近くに立っていた女の子に言われて首を傾げて、うーんと唸る。
「あのときは家から歩いたけど、今日は学校からだから道が違うし………それに、時間帯も違うから光の当たり方が全然違うもん」
納得してくれる人もいれば、首を傾げる人もいる。
夏の朝と冬の午後とじゃ、全然景色が違うんだけど、言葉だと説明しづらい。
「牧野ってさ、地図読めないタイプ?」
「え?読めなくはないよ。目的地までちゃんと行けるもん。行き慣れるとたまに道間違えて変なとこ行っちゃうけど」
地図を見ればちゃんと辿り着くんだから、地図は読めてるはず!
胸をはる私を見て、知佳ちゃんは額をおさえてため息をつき、宮本くんは「やっぱりそうかぁ」と何やら頷いていた。
みんなでわいわいチョコレートファウンテンに集まっていると、入り口の方でわっと声があがった。
「槇原先生!来てくれたんだ」
「待ってたよ、先生ー」
賑やかに声をかけるみんなに笑いかけながら、先生はコートを脱いで首を竦めて指の先を擦りながらこちらへ歩いてきて、ほぅ、と息をついた。
「適当にやれとは言ったが、ずいぶん大きいのを出したんだな」
「このくらいやらんと、盛り上がらないだろ」
コック服の人が近くにいたので、先生は眉を寄せた。
「仕事中だろ。ここで何をしている」
「俺たちが縁戚だとバレてな。お前のことについてアレコレ聞かれているんだよ」
はぁ?と訝しげに首を傾げる先生を見て、居たたまれなさに私は身を縮めた。
コック服の人が先生の従兄だということで、みんな次々と質問しだしてしまったのです。
先生の小さい頃はどうだったか。
あの色気だからモテたか。
あの話し方は昔からか。教師用なのか。
彼氏はいるのか。
好きなタイプは。
どうしたらあんな魅力的な人になれるか。
仕事中なのに親戚だからという理由で突然質問責めになってしまったコック服の人には、ものすごく申し訳ないのです。そして、いない所で勝手にあれこれ話題にされた先生にも申し訳なくて。
先生は、ふぅん、とテーブルの上を見渡して少し怒ったような声を出しました。
「おい。バウムクーヘンがないじゃないか」
フルーツとかマシュマロもあったけど、バウムクーヘンが美味しくてみんなで食べてしまったのです。
頬を膨らませる先生を、コック服の人が苦笑して宥める。
「人気があるものが無くなるのは仕方ないだろう」
追加のを持ってきてやるよ、と厨房に戻る背中に、先生が加えて話しかけました。
「煎餅も持って来いよ」
はいはい、と言いながらコック服の人は戻っていく。
「先生、煎餅のチョコがけって旨いの?」
「わたしの趣味では、ないな」
バウムクーヘンで甘くなった口をお煎餅でリフレッシュするのが、先生のお気に入りの食べ方なのだそう。
「煎餅には醤油が塗ってあるんだぞ。更にチョコレートをかけたら不味くなるだけだろう」
お前試しに食べるか?と振られた男の子は勢いよく首を振って拒否する。
だろう?と小首を傾げた先生は、さっきまでコックの人の周りにいた子たちに向かってにっと笑った。
「わたしのことが知りたいというなら、あれじゃなくてわたし本人に聞きに来い」
「え。遠慮なく聞いちゃっていいんですか?」
少し怯えながら聞くと、いいぞ?とどこか面白そうに先生は頷いた。
「別に自分からベラベラ話さなかっただけで、秘密にしたいことは特に無いからな。それに、そのうち何処かからインタビューでも受けるだろうと思っていたから話さなかっただけだ」
先生がそう言うと、みんなが「あ」と口を開けてお互いに顔を見合わせてから、一斉に私を見る。
「え。なに?」
「なに?じゃないでしょーよ」
ため息をつきながら知佳ちゃんが私を見つめた。
「忘れたの?新聞部の今の状況、原因の一つはあんたでしょーが」
「ふぇ?」
部活に入ってない私がなぜ?と一瞬首を傾げたけど、新聞部の一言に、一学期のことを思い出す。
「わ、忘れてた………でも、私だけのせいじゃない、よ?」
「解ってるわよ、だからあとで地味な嫌がらせ受けたんじゃないの」
知佳ちゃんと身体を寄せ合って囁き声で言い合っていると、槇原先生が艶やかな笑い声をたてた。
「何だ何だ?教えてはくれないのか?」
みんなに注目された知佳ちゃんが、小首を傾げて先生を見つめる。
「新聞部が取材に来ない理由は言えるんですけど、一応決着した話だということをご理解頂きたいのですが」
先生はあっさり頷いた。
「じゃ、みんなは新聞部のことについて教えてくれ。その代わり、わたしはみんなの質問に答えよう」
そうして先生を囲むようにしてみんなが話し始めたのです。
なんとか通してもらってやっと人の壁を抜けた私を抱き止めたのは、美紅ちゃんを肩車した先輩だった。
「大丈夫か?」
「だっ、だいじょぉぶ、ですっ……先輩、どうしてここに?」
なんとか返事をした私の顔を見て安心したように笑った先輩だけど、私の質問に答えたのは先輩でも美紅ちゃんでもなかった。
「皆で近くのカラオケに行っていたのさー」
「夏目先輩?」
瞬きをする私の視界に、夏目先輩がにゅっと現れた。
「やほーっ、彼女ちゃん。久しぶりー。やっぱウチの学校の制服は可愛いよねぇ。指定のコートとスカートラインの裾のバランスがなんとも、えぉぶっ?」
「いいか、美紅ちゃん。こういう軽いノリの男には気をつけるんだ。話しかけられたら、大きな声で助けてと叫んで人の多い所に逃げるんだぞ」
私の視界から片手で夏目先輩を押し退けながら、眉をひそめた先輩が注意すると、美紅ちゃんは「わかったぁ」と肩の上で返事をした。
「夕弦酷いっ。久しぶりに会った幼馴染みを不審人物扱いなんてっ」
「そうだぞ、美紅。こういう『可愛い』とおれの『可愛い』は次元が違うからな。こういう薄っぺらい『可愛い』を信用するなよ。そんなのに頼らなくても、美紅は可愛いからな」
「陽まで言い草酷いよっ?」
大げさに仰け反る夏目先輩に、クラスのみんなが笑い出す。
「ほらほら、ここで騒ぐと近隣の迷惑になるだろう。程々に帰りなさい………うん?」
二人のOBが気になって立ち止まっていたみんなを促していた先生が、先輩たちを見て、おぉ、と瞬きした。
「何だ、牧野の迎えか?」
「いえ、偶々通りがかったんですが。でも、打ち上げが終わったのなら連れて帰ってもいいですか?」
先輩が視線で私を指差して聞くと、先生はもちろんだと頷いた。
「あぁ。もう終了したからな。連れて帰ってくれ」
先生に目礼すると、先輩は私の手を握り直して微笑みを浮かべた。
羨ましがるような声や冷やかすような声が周りであがって、槇原先生といつの間にか夏目先輩までそれを抑えている。
「ほらほら、見せ物じゃないぞ。気をつけて帰れ。来週も学校はあるからな。忘れるなよ」
「そうだぞー、馬に蹴られるぞー。それか俺が犬神バージョンで説教しちゃうぞー」
先生に挨拶しながら帰る子がほとんどだったけど、何人かは夏目先輩を取り囲んでいる。
その子たちと少しやり取りしていた夏目先輩が、少し先輩に身体を寄せた。
「夕弦、俺、こいつらとカラオケ行くから、ここで抜けるわ」
「解った。程々にしろよ」
了解、と親指を上げた夏目先輩は私たちにもバイバイと手を振って、何人かの男の子たちを連れて来た道を戻っていった。
「こーじおにぃちゃん、またあしょんでねー」
美紅ちゃんが声を張り上げると、夏目先輩は後ろ向きに歩きながら美紅ちゃんに大きく手を振った。
「おぅっ。またデュエットしよーなぁっ」
美紅ちゃんも歌って楽しんだみたい。夏目先輩が気を配ってくれたのかな。
「牧野。牧野は彼氏がいるから大丈夫だと思うが、気をつけて帰れよ」
その場で立ち話をしていた子たちに帰るように言い終わった先生が、私にも声をかけてきた。
「はい。先生、今日はありがとうございました」
忙しいのに来てくれて、とか、チョコレートファウンテンを頼んでおいてくれて、とか具体的なことは言えなかったけど、先生は私に頷くと、先輩の肩と隣にいた美紅ちゃんと陽くんにも笑いかけた。
「バイバイ」
美紅ちゃんは手を振り返して、陽くんはペコリと頭を下げた。
「ばいばい」
「さよなら」
きちんと挨拶をした二人に優しく微笑むと、私と先輩に目で頷いて先生は学校の方角に歩いていく。
「俺たちも帰るか」
先輩がしっかりと握った手に笑顔で頷いて、私たちも歩き出した。
初めてのカラオケが本当に楽しかったようで、美紅ちゃんは夕御飯が終わってもずっと話していた。私も打ち上げの話をしたくて、その日の夜は美紅ちゃんとお姉ちゃんの部屋に入りこんで、遅くまでずっとお喋りしていた。
◆ ほうれんそうって大事 ◆
「夕弦。こんなに旨い朝飯が並んでるんだから、そんな仏頂面するなよ。親不孝者め」
煩いと言う代わりに、味噌汁を啜った。
「バイトから帰って疲れてるというのに、何故俺はお前と向かい合って朝飯を食べてるんだろうな」
「あらご挨拶ね、夕弦くんてば」
気色悪い声を出しながら、光司は卵焼きに箸を伸ばした。
「男手のない進藤家の安全を、俺が一晩しっかりお守りしたというのに」
昨日の夜、俺がバイトに出掛けている間にここに上がり込み、そのまま泊まったのだと言う。ベッド使っちゃってごめんね、という気色悪い一言は一睨みで黙殺した。
「相変わらず調子良く潜り込んだんだな。つまり、勝手に泊まったんだろう」
んーん、と一口で口に入れた卵焼きを咀嚼しながら光司は首を振った。
「勝手じゃないぞ。おばさんはOKしてくれたぞ。向こう戻るまでここに居候してもいいって」
「居候?お前、今度は一体何をやったんだ」
「俺が毎回お袋に怒られてると思うなよ」
一瞬むくれた表情を見せるが、うま煮の椎茸を口に放り込むと満足そうに破顔した。
「俺……ここんちの子になりたい……」
「来る度にそのボケをかますな。何かやって怒られてるわけじゃないのに、何故家に帰らないんだ」
沢庵を噛りながら、光司が大きく嘆息した。
「俺んち、今、家庭解散でさ」
「嘘だろう」
光司の両親の仲睦まじさとおばさんが割と人気がある弁護士であることを知っているだけに思わずそう言うと、ホントホント、と首を振る。
「俺が小さい頃は旅行なんて贅沢出来るかって何処にも行かなかったのにさ、お袋は親父を連れて海外で年越しだと。んで、姉ちゃんはいつの間にかデキてた彼氏とプチ同棲中」
つまり、光司の家は今無人だということだ。一人は寂しいという気持ちは解らなくもないが、寝起きくらいは自分の家でするべきではないのだろうか。空き巣対策の為にも。
そう指摘すると、解ってるけどさ、と光司は更に嘆息した。
「俺だってそのくらいのつもりでいたけどさ。俺の部屋、段ボールだらけにされてたんだぞ。夏に帰って三ヶ月ちょいで物置化とか、酷すぎるだろう?」
な?と涙目で同意を求める光司に、俺までため息が口をついて出た。
「それは同情するが……お前が帰って来るのを知っているのに、おばさんが旅行に行ったり部屋を片付けないままにしたりするのか」
やはり知らず知らずのうちに光司が何かやらかしたのでは、と考えていると、光司はぶつくさと一人ごちた。
「全く……大切な長男の帰京シーズンだと言うのに、連絡無く旅行とは……老後世話になるかもしれない息子になんて仕打ちだ」
そのぼやきに首を傾げ、確認する。
「光司。お前、帰省することは連絡したんだよな?」
うん?と首を傾げた光司はそのまま、うーん、と唸った。
「飲み会のお誘いがラッシュしてたからなぁ。それを全部お付き合いしてから新幹線に飛び乗ったから、そんな暇なかったぞ」
言っとくが酒は飲んでないぞ?と胸を張る光司に、それは今はどうでもいいと首を振る。
「お前……単に、連絡がないからお前が寮で年越しするものだと思って皆それぞれ予定を立てたというだけじゃないか」
考えるように宙を眺めていた光司は、でもなぁ、と口を開いた。
「大事な息子のご帰還だぞ。待って家族皆で正月迎えようとか思うよな。な?」
嘆息しながらお浸しを摘まんだ。
「忙しいのも解るが、いつ帰るかくらい連絡しろよ。親不孝者」
光司はむくれながら、ポテトサラダを大量に取り分けた。
担任の槇原先生にそう言われて始まった定期テスト最終日は、なんだかあっという間に終わりました。
テスト監督の先生が終了の合図を出すと同時に、みんな安心のため息をついたり近くの席に座る友だちと顔を見合わせて笑いあったりしている。みんな、気が抜けたように笑っている。私も、はふ、と息をついた。
すっかりくつろいだ雰囲気の私たちに、テスト監督の先生と入れ代わりに入ってきた槇原先生が眉尻を下げて笑った。
「はいはい、もう少しで終了だからちょっと集中―――今日はこれで終了だが、来週の終業式までが二学期だからな。目一杯騒ぎ倒して、週明けに学校あるの忘れるなよ。じゃ、解散」
先生が教卓から身体を離すと、みんな一斉に身支度にかかって、教室中に話し声と物音が響いた。
「先生ー。先生は打ち上げ来ないのー?」
男の子から聞かれると、槇原先生は破顔した。
「生徒の楽しい集まりに邪魔する程野暮はしないよ。それに、わたしはこれからテストの採点で忙しいんだ」
笑顔で断る先生に、男の子がえぇーっと残念そうな声をあげて、女の子たちも「ちょっとだけでもダメですか?」とねだるように聞く。
女の子たちの視線に、槇原先生は仕方ないな、というように苦笑した。
「じゃあ、仕事が片づいたら、な」
絶対だよ、待ってるからね、と言いながら教室を出ていくみんなを、先生は微笑みを浮かべて見送ってから、知佳ちゃんに目を向けた。
「水瀬。あとは頼むぞ」
はい、と頷いてから知佳ちゃんは小首を傾げた。
「先生。仕事なので無理にとは言えませんが、できるなら少しでも来てくれませんか?みんな、喜ぶので」
少し目を見開いた槇原先生は、軟らかく破顔して手を振った。
「来てくれるといいね、先生」
知佳ちゃんは小さく頷くと、私たちも行きましょう、と鞄を持った。
初めの知佳ちゃんの挨拶や文化祭委員の裏話はみんなきちんと聞いていたけど、乾杯の賑わいが収まると仲良い人同士集まってそれぞれ話をするようになった。
ビンゴ大会とか手品とかやりたい人は知佳ちゃんに申し出てくださいと打ち上げの詳細を知らせるメールには書いてあって、休み時間に何人か知佳ちゃんの机に集まっていたはずなんだけど。
「近隣の迷惑になるから断らざるを得ないものもあったし、みんな意外にテスト勉強に身が入って出し物の準備が間に合わなかったみたいよ」
「そうなんだ。残念だけど、こういうのも楽しいね。立食パーティーみたいで」
教室の休み時間とやってることは変わらないけど、場所が違うのと軽食や飲み物があるのでだいぶ雰囲気が違う。ちょっと大人みたいでワクワクする。
「みんな制服だから、ちょっと違和感あるけどね………ん?」
わぁっとあがった歓声に、知佳ちゃんが目を見開いて「はぁぁっ!!?」と驚いた。
振り向いた私も、きっと今だらしなく間抜けな顔をしていると思う。
「あ、あれ……何て言うんだっけ……チョコ……タワー……?」
「チョコファウンテン」
短く訂正して首を伸ばして辺りを見渡した知佳ちゃんは、何か小さく叫ぶと、壁から背中を剥がして人をかき分けて進んでいく。
「ちっ、知佳ちゃんっ?あっ、ごめんなさい、通ります。ごめんなさい」
慌てて知佳ちゃんが強引に通った跡を、両サイドに頭を下げながら追いかけた。
上下左右に振りすぎて少しクラっとした頭を抱えて息を落ち着かせていると、目の前で知佳ちゃんが宮本くんに詰め寄っていて、慌てて左腕に飛びついた。
「知佳ちゃんっ、落ち着いてっ」
「止めないで結香っ。よりによって生徒会に所属している人間が、確認も許可も取らずにこんな勝手な振る舞いをするなんてっ。成敗してくれるっ」
「知佳ちゃん、落ち着いてよ~っ」
掴みあったまま騒ぐ私と知佳ちゃんをぶら下げたまま、宮本くんはあははといつものように笑った。
「モメる時も仲良しだなぁ。水瀬と牧野は」
「遺言はそれでいいのね?」
据わった目で見据える知佳ちゃんに、宮本くんは苦笑した。
「いやぁ、いくら水瀬相手でも、冤罪で成敗されるのは困るなぁ」
「冤罪~?」
目で脅しをかける知佳ちゃんと誤解だと訴える宮本くんの頭上から、豪快な笑い声が響いた。
「確かに誤解だ、お嬢さん。これは、君らの担任の先生からのオーダーだからな」
「先生が?」
眉をひそめた知佳ちゃんが、宮本くんから身体を離して左腕にぶら下がる私を下げるように立ち直った。さっきとは違う意味でしがみつく私の腕をポンポンと軽く叩いてくれる。
そうそう、と太い声でその人は続けた。
「君らの出し物が出来なそうだから、ただ飲み食いして喋るだけじゃちと物足りないだろうって発注されたんだよ。費用も先生から貰ってるから。だから、そっちの兄さんは無罪だよ」
「そ、そうだったんですか………」
呆然とコック服を着た大きな人を見上げていた知佳ちゃんは、はっと宮本くんを振り返って気まずそうに首を竦めた。
「悪かったわよ。誤解して、掴みかかって」
宮本くんはいつものように笑った。
「いやぁ、成敗されずに済んだんだから、いいよ。でも次に抱きつく時は、もうちょっと色っぽい展開のがいいなぁ」
「はぁっ?ナニを言ってるの、あなたはっ。私は、掴みかかったのよ!抱きついてなんか、ないっ」
はいはい、と言いながらニコニコ笑う宮本くんに、抱きついてない、掴みかかったんだと言い張る知佳ちゃん。
その二人を苦笑しながら見守るコック服の人をつい見上げていると、うん?と見下ろされた。
「あの、もしかして、槇原先生のご兄弟ですか?」
周りにいた友だちが急に何を言っているの?という目で私を見る。コック服の人は目を見開いて私を見ている。
やっちゃったかなと思いながらも見上げていると、参ったな、その人は破顔した。
「まさかバレるとは思わなかったよ。よく解ったね。兄妹じゃなくて、従妹なんだけどね」
みんなが驚く声が次々にあがる。
すごいね、と肩を叩かれて、間違えてなかった安堵で息をついた。
見上げると、目の前の人も穏やかに笑っていて、先生と縁続きだと知られても平気そうだったので、もう一度息をつく。
「いやぁ、さすが茜の妹だ。ぽやっとしてるかと思ったら、してやられたよ」
コック服の人からお姉ちゃんの名前が出てきて目を見開く。
お姉ちゃんの知り合いかな……と首を傾げてから、ふ、と思い出した。
「あ!大食いメニューの人!」
しっかりつきつけてしまってから、慌てて人差し指を後ろに隠したけど、コック服を大きく揺らしてその人は笑う。
「大食いメニューの人って何?」
眉を寄せて首を傾げる知佳ちゃんに、夏休みにここで先輩が大食いメニューの試食をしたことを話した。あのとき、食べた感想を丁寧に聞いてた人だと、さっきになって確信したのだ。
「つまり、大食いファイターの人じゃなくて、作る側だったってことね。でも」
納得したように頷いてから、知佳ちゃんは呆れた目で私を見た。
「案内メールに店の名前書いてあったでしょ。思い出さなかったの?」
「お店の名前覚えてなかったから、解らなかったよ」
たまにしか来ないし、外国語の店名なんてなかなか頭に入らない。
苦笑すると、知佳ちゃんは思い切りため息をついた。実は試食会の前に、先輩の同窓会でちょっとお邪魔したことは黙っておいた方がいいような気がする。
「でも今日実際にここまで歩いてきたんだから、さすがに何か思い出さなかった?」
近くに立っていた女の子に言われて首を傾げて、うーんと唸る。
「あのときは家から歩いたけど、今日は学校からだから道が違うし………それに、時間帯も違うから光の当たり方が全然違うもん」
納得してくれる人もいれば、首を傾げる人もいる。
夏の朝と冬の午後とじゃ、全然景色が違うんだけど、言葉だと説明しづらい。
「牧野ってさ、地図読めないタイプ?」
「え?読めなくはないよ。目的地までちゃんと行けるもん。行き慣れるとたまに道間違えて変なとこ行っちゃうけど」
地図を見ればちゃんと辿り着くんだから、地図は読めてるはず!
胸をはる私を見て、知佳ちゃんは額をおさえてため息をつき、宮本くんは「やっぱりそうかぁ」と何やら頷いていた。
みんなでわいわいチョコレートファウンテンに集まっていると、入り口の方でわっと声があがった。
「槇原先生!来てくれたんだ」
「待ってたよ、先生ー」
賑やかに声をかけるみんなに笑いかけながら、先生はコートを脱いで首を竦めて指の先を擦りながらこちらへ歩いてきて、ほぅ、と息をついた。
「適当にやれとは言ったが、ずいぶん大きいのを出したんだな」
「このくらいやらんと、盛り上がらないだろ」
コック服の人が近くにいたので、先生は眉を寄せた。
「仕事中だろ。ここで何をしている」
「俺たちが縁戚だとバレてな。お前のことについてアレコレ聞かれているんだよ」
はぁ?と訝しげに首を傾げる先生を見て、居たたまれなさに私は身を縮めた。
コック服の人が先生の従兄だということで、みんな次々と質問しだしてしまったのです。
先生の小さい頃はどうだったか。
あの色気だからモテたか。
あの話し方は昔からか。教師用なのか。
彼氏はいるのか。
好きなタイプは。
どうしたらあんな魅力的な人になれるか。
仕事中なのに親戚だからという理由で突然質問責めになってしまったコック服の人には、ものすごく申し訳ないのです。そして、いない所で勝手にあれこれ話題にされた先生にも申し訳なくて。
先生は、ふぅん、とテーブルの上を見渡して少し怒ったような声を出しました。
「おい。バウムクーヘンがないじゃないか」
フルーツとかマシュマロもあったけど、バウムクーヘンが美味しくてみんなで食べてしまったのです。
頬を膨らませる先生を、コック服の人が苦笑して宥める。
「人気があるものが無くなるのは仕方ないだろう」
追加のを持ってきてやるよ、と厨房に戻る背中に、先生が加えて話しかけました。
「煎餅も持って来いよ」
はいはい、と言いながらコック服の人は戻っていく。
「先生、煎餅のチョコがけって旨いの?」
「わたしの趣味では、ないな」
バウムクーヘンで甘くなった口をお煎餅でリフレッシュするのが、先生のお気に入りの食べ方なのだそう。
「煎餅には醤油が塗ってあるんだぞ。更にチョコレートをかけたら不味くなるだけだろう」
お前試しに食べるか?と振られた男の子は勢いよく首を振って拒否する。
だろう?と小首を傾げた先生は、さっきまでコックの人の周りにいた子たちに向かってにっと笑った。
「わたしのことが知りたいというなら、あれじゃなくてわたし本人に聞きに来い」
「え。遠慮なく聞いちゃっていいんですか?」
少し怯えながら聞くと、いいぞ?とどこか面白そうに先生は頷いた。
「別に自分からベラベラ話さなかっただけで、秘密にしたいことは特に無いからな。それに、そのうち何処かからインタビューでも受けるだろうと思っていたから話さなかっただけだ」
先生がそう言うと、みんなが「あ」と口を開けてお互いに顔を見合わせてから、一斉に私を見る。
「え。なに?」
「なに?じゃないでしょーよ」
ため息をつきながら知佳ちゃんが私を見つめた。
「忘れたの?新聞部の今の状況、原因の一つはあんたでしょーが」
「ふぇ?」
部活に入ってない私がなぜ?と一瞬首を傾げたけど、新聞部の一言に、一学期のことを思い出す。
「わ、忘れてた………でも、私だけのせいじゃない、よ?」
「解ってるわよ、だからあとで地味な嫌がらせ受けたんじゃないの」
知佳ちゃんと身体を寄せ合って囁き声で言い合っていると、槇原先生が艶やかな笑い声をたてた。
「何だ何だ?教えてはくれないのか?」
みんなに注目された知佳ちゃんが、小首を傾げて先生を見つめる。
「新聞部が取材に来ない理由は言えるんですけど、一応決着した話だということをご理解頂きたいのですが」
先生はあっさり頷いた。
「じゃ、みんなは新聞部のことについて教えてくれ。その代わり、わたしはみんなの質問に答えよう」
そうして先生を囲むようにしてみんなが話し始めたのです。
なんとか通してもらってやっと人の壁を抜けた私を抱き止めたのは、美紅ちゃんを肩車した先輩だった。
「大丈夫か?」
「だっ、だいじょぉぶ、ですっ……先輩、どうしてここに?」
なんとか返事をした私の顔を見て安心したように笑った先輩だけど、私の質問に答えたのは先輩でも美紅ちゃんでもなかった。
「皆で近くのカラオケに行っていたのさー」
「夏目先輩?」
瞬きをする私の視界に、夏目先輩がにゅっと現れた。
「やほーっ、彼女ちゃん。久しぶりー。やっぱウチの学校の制服は可愛いよねぇ。指定のコートとスカートラインの裾のバランスがなんとも、えぉぶっ?」
「いいか、美紅ちゃん。こういう軽いノリの男には気をつけるんだ。話しかけられたら、大きな声で助けてと叫んで人の多い所に逃げるんだぞ」
私の視界から片手で夏目先輩を押し退けながら、眉をひそめた先輩が注意すると、美紅ちゃんは「わかったぁ」と肩の上で返事をした。
「夕弦酷いっ。久しぶりに会った幼馴染みを不審人物扱いなんてっ」
「そうだぞ、美紅。こういう『可愛い』とおれの『可愛い』は次元が違うからな。こういう薄っぺらい『可愛い』を信用するなよ。そんなのに頼らなくても、美紅は可愛いからな」
「陽まで言い草酷いよっ?」
大げさに仰け反る夏目先輩に、クラスのみんなが笑い出す。
「ほらほら、ここで騒ぐと近隣の迷惑になるだろう。程々に帰りなさい………うん?」
二人のOBが気になって立ち止まっていたみんなを促していた先生が、先輩たちを見て、おぉ、と瞬きした。
「何だ、牧野の迎えか?」
「いえ、偶々通りがかったんですが。でも、打ち上げが終わったのなら連れて帰ってもいいですか?」
先輩が視線で私を指差して聞くと、先生はもちろんだと頷いた。
「あぁ。もう終了したからな。連れて帰ってくれ」
先生に目礼すると、先輩は私の手を握り直して微笑みを浮かべた。
羨ましがるような声や冷やかすような声が周りであがって、槇原先生といつの間にか夏目先輩までそれを抑えている。
「ほらほら、見せ物じゃないぞ。気をつけて帰れ。来週も学校はあるからな。忘れるなよ」
「そうだぞー、馬に蹴られるぞー。それか俺が犬神バージョンで説教しちゃうぞー」
先生に挨拶しながら帰る子がほとんどだったけど、何人かは夏目先輩を取り囲んでいる。
その子たちと少しやり取りしていた夏目先輩が、少し先輩に身体を寄せた。
「夕弦、俺、こいつらとカラオケ行くから、ここで抜けるわ」
「解った。程々にしろよ」
了解、と親指を上げた夏目先輩は私たちにもバイバイと手を振って、何人かの男の子たちを連れて来た道を戻っていった。
「こーじおにぃちゃん、またあしょんでねー」
美紅ちゃんが声を張り上げると、夏目先輩は後ろ向きに歩きながら美紅ちゃんに大きく手を振った。
「おぅっ。またデュエットしよーなぁっ」
美紅ちゃんも歌って楽しんだみたい。夏目先輩が気を配ってくれたのかな。
「牧野。牧野は彼氏がいるから大丈夫だと思うが、気をつけて帰れよ」
その場で立ち話をしていた子たちに帰るように言い終わった先生が、私にも声をかけてきた。
「はい。先生、今日はありがとうございました」
忙しいのに来てくれて、とか、チョコレートファウンテンを頼んでおいてくれて、とか具体的なことは言えなかったけど、先生は私に頷くと、先輩の肩と隣にいた美紅ちゃんと陽くんにも笑いかけた。
「バイバイ」
美紅ちゃんは手を振り返して、陽くんはペコリと頭を下げた。
「ばいばい」
「さよなら」
きちんと挨拶をした二人に優しく微笑むと、私と先輩に目で頷いて先生は学校の方角に歩いていく。
「俺たちも帰るか」
先輩がしっかりと握った手に笑顔で頷いて、私たちも歩き出した。
初めてのカラオケが本当に楽しかったようで、美紅ちゃんは夕御飯が終わってもずっと話していた。私も打ち上げの話をしたくて、その日の夜は美紅ちゃんとお姉ちゃんの部屋に入りこんで、遅くまでずっとお喋りしていた。
◆ ほうれんそうって大事 ◆
「夕弦。こんなに旨い朝飯が並んでるんだから、そんな仏頂面するなよ。親不孝者め」
煩いと言う代わりに、味噌汁を啜った。
「バイトから帰って疲れてるというのに、何故俺はお前と向かい合って朝飯を食べてるんだろうな」
「あらご挨拶ね、夕弦くんてば」
気色悪い声を出しながら、光司は卵焼きに箸を伸ばした。
「男手のない進藤家の安全を、俺が一晩しっかりお守りしたというのに」
昨日の夜、俺がバイトに出掛けている間にここに上がり込み、そのまま泊まったのだと言う。ベッド使っちゃってごめんね、という気色悪い一言は一睨みで黙殺した。
「相変わらず調子良く潜り込んだんだな。つまり、勝手に泊まったんだろう」
んーん、と一口で口に入れた卵焼きを咀嚼しながら光司は首を振った。
「勝手じゃないぞ。おばさんはOKしてくれたぞ。向こう戻るまでここに居候してもいいって」
「居候?お前、今度は一体何をやったんだ」
「俺が毎回お袋に怒られてると思うなよ」
一瞬むくれた表情を見せるが、うま煮の椎茸を口に放り込むと満足そうに破顔した。
「俺……ここんちの子になりたい……」
「来る度にそのボケをかますな。何かやって怒られてるわけじゃないのに、何故家に帰らないんだ」
沢庵を噛りながら、光司が大きく嘆息した。
「俺んち、今、家庭解散でさ」
「嘘だろう」
光司の両親の仲睦まじさとおばさんが割と人気がある弁護士であることを知っているだけに思わずそう言うと、ホントホント、と首を振る。
「俺が小さい頃は旅行なんて贅沢出来るかって何処にも行かなかったのにさ、お袋は親父を連れて海外で年越しだと。んで、姉ちゃんはいつの間にかデキてた彼氏とプチ同棲中」
つまり、光司の家は今無人だということだ。一人は寂しいという気持ちは解らなくもないが、寝起きくらいは自分の家でするべきではないのだろうか。空き巣対策の為にも。
そう指摘すると、解ってるけどさ、と光司は更に嘆息した。
「俺だってそのくらいのつもりでいたけどさ。俺の部屋、段ボールだらけにされてたんだぞ。夏に帰って三ヶ月ちょいで物置化とか、酷すぎるだろう?」
な?と涙目で同意を求める光司に、俺までため息が口をついて出た。
「それは同情するが……お前が帰って来るのを知っているのに、おばさんが旅行に行ったり部屋を片付けないままにしたりするのか」
やはり知らず知らずのうちに光司が何かやらかしたのでは、と考えていると、光司はぶつくさと一人ごちた。
「全く……大切な長男の帰京シーズンだと言うのに、連絡無く旅行とは……老後世話になるかもしれない息子になんて仕打ちだ」
そのぼやきに首を傾げ、確認する。
「光司。お前、帰省することは連絡したんだよな?」
うん?と首を傾げた光司はそのまま、うーん、と唸った。
「飲み会のお誘いがラッシュしてたからなぁ。それを全部お付き合いしてから新幹線に飛び乗ったから、そんな暇なかったぞ」
言っとくが酒は飲んでないぞ?と胸を張る光司に、それは今はどうでもいいと首を振る。
「お前……単に、連絡がないからお前が寮で年越しするものだと思って皆それぞれ予定を立てたというだけじゃないか」
考えるように宙を眺めていた光司は、でもなぁ、と口を開いた。
「大事な息子のご帰還だぞ。待って家族皆で正月迎えようとか思うよな。な?」
嘆息しながらお浸しを摘まんだ。
「忙しいのも解るが、いつ帰るかくらい連絡しろよ。親不孝者」
光司はむくれながら、ポテトサラダを大量に取り分けた。
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