Fail 少年少女は興味本位で失敗する

春想亭 桜木春緒

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 次の朝、奈恵は母親より先に起き出してキッチンに居る。
 小麦粉とバターと砂糖とココアを取り出して、分量を見た。
 クッキーを作ろうとしている。とりあえず材料が有る分でそれなりの量は作ることが出来そうだと判断した。
 収納棚を確認したところ、ラッピングに使えそうなビニールパックやリボンをしまってある引き出しを見つけた。母親が、手作りした菓子を友人に持たせることがある。その用意なのだろう。

 あと二日でクリスマス。そういう日なのだ。
 あまり甘すぎるものを好まなそうな圭介のために、(お砂糖は少なめ……)と思っている。
「あら、早起きね」
「うん……。おはよ」
「何作るの?」
「クッキー。……お昼食べたら出かけるね」
「持って行くの?」
「うん。余ったらママにもあげる」
「じゃあ手伝わないと、かな?」
 母の提案で、アールグレイのクッキーも作ることにした。
「お客さんにも出すわね」
 ちょうど良かったわ、と母は奈恵に笑って言う。来客があるというのにお菓子が足りないかもしれないと、起きてから気づいたのだそうだ。
 あれこれと明るい声でしゃべる母の話に相槌を打ちながら、奈恵は生地を整えた。

 焼きあがったクッキーを平皿に載せて、うちわで扇いだ。熱いままパッキングすれば湿気てしまう。
「奈恵が作ったのか?」
少し遅めに起き出して来た父親が、皿の上の一つをつまみ食いする。
「美味いよ」
 と笑った。
 その傍らで、母親が朝食と兼用の昼食のためにオムレツを焼いていた。
 クッキーを包み終えて、身支度を整え終えたのは、出掛ける予定にしていた時間より5分遅い。
「行って来ます!」
 慌てて奈恵は玄関を出る。圭介にもらったシュシュで束ねたポニーテールが弾んで、毛先が奈恵の首筋を撫でた。
 
 何処へ、と言われて、圭介に言われた公園の名前を告げた。
 誰と、と訊かれなかったのが幸いだと思う。
 従兄妹なのだから、もしかしたら会うと言っても不審には思われないのかもしれないが、母の知る限りはさして交流の無い圭介と奈恵が、二人で会うのだと言えば、さすがに首は傾げるだろう。

 両親には、圭介との間に生じている関係について、知られたくないと奈恵は思う。
(だって……、あんなこと)
 電車に乗り込んで、席に座ってバッグを抱え込んでその中に顔を埋めるように奈恵はうつむいて目を閉じた。
 圭介が奈恵にしたこと、奈恵が圭介にしたこと、とても口に出して言えることではない。

 マナーモードにしていた携帯電話が震えている気配がした。
(圭ちゃん……?)
 もう圭介は目的の駅に到着しているのだろうか。そんなことを思って、画面を見た。
「予定変更。ウチの駅まで来て」
 それだけだった。
「わかった」
 そう返信するしか、奈恵の選択肢は無い。

 車窓の外には、冬の柔らかな日差しが降り注いでいる。
 葉の無い木立の様子も綺麗で、公園でのんびりするには良い日和だろう。
 話をしようと圭介が初めて奈恵に言ってくれた。公園で二人で会って、話をして、少し散歩をしようとか、そんなことを奈恵は考えていた。
 もしかしたら地面に座るかもしれないと思って、スカートの下には厚いタイツを穿いている。ざっくりとした編み目の白いオフタートルのニットを着て、スカートは暖かな生地の、ベージュの生地にオレンジと茶のチェック柄。
 奈恵の手持ちの服の中では一番気に入っている組み合わせだった。
 その上に、買ったばかりの白いダウンを羽織った。

 初めてのデートだと、奈恵は思っていた。

 ウチ、と圭介は言っている。
「親、居ない」
 と、追ってメールが来た。そういうことだった。

(なんだ……)
 バッグを抱え込む。落胆を感じている。
 公園のある駅で停車した。ドアが開いて、警告音の後にドアが閉まる。温かい日差し。
 クリスマスの、二日前。
 駅のホームに、お揃いのマフラーをしたカップルが手を繋いで歩いているのが見えた。柔らかな笑顔を向け合って、歩幅を合わせて歩いていく。そんな姿が車窓に流れて消えていった。その傍らには、男の子の腕に女の子が腕を絡ませている二人連れが歩いている。
 あんな風に……、それが、奈恵の憧れだった。

 隣の駅で下車して、改札口までの階段を上がる。ICカードを自動改札機に触れる。ぴこんという音とともにゲートが開いた。
「……」
 目の前に、圭介が少し笑ったような顔をして立っていた。
 すらりとしていて姿勢が良い。顔立ちはテレビで見かけるアイドルの誰かに似ている。
 ベージュのファーが付いたフードの黒いダウンを羽織って、その中に少しスリムなカットソーを着ている。鍛えている体つきに薄い布が沿って見える。少しダメージのあるジーンズを穿いてワークブーツを合わせていた。どうでもいい風情に服を着ているようだが、どこかのモデルのようにも見えるたたずまいだった。
 通り過ぎた高校生くらいの女子とOL風の女性が、圭介をちらりと振り返って行く。
「うち、来たことあったっけ?」
「わかんない……。幼稚園くらいのとき行ったかな」
 奈恵は圭介の背中を追う。ダウンのポケットに両手を突っ込んで、圭介が歩いている。
 視線を落として、奈恵は圭介の膝の裏辺りをずっと見ていた。

「なんか父さんも母さんも、第九を聞きに行くって」
「だいく?」
「ベートーベンのアレ、晴れたる青空……ってやつ。終わるのが六時くらいだって。父さんの会社の昔の上司が合唱に出るんだって二人で行った」
「ふうん……」
 圭介の家は駅を背にして北のほうへ真っ直ぐ、五分くらいのところに有る。並木のある広い通りを歩き、細い道を右に曲がって少しのところだった。
 門扉が白い。左側にガレージがあって、門の中の階段を上ったところに玄関がある。
「あれ、夜光るんだ」
「そうなんだ……」
 向かいの家の、サンタクロースの人形を指差しながら、圭介が言った。
 振り向いてそれを見た奈恵の腕が、玄関の中に引き込まれた。
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