水霊の贄 孤独な少女は人ならぬ彼へ捧げられた

春想亭 桜木春緒

文字の大きさ
上 下
27 / 32
第四章

俗 一

しおりを挟む
 社殿の脇の建物に宮司は住んでいる。建物は広い。
 祭礼の道具を収めたり、修験者を泊めたりする部屋もある。辰の年の社を建てる材は、宮司の住居と社殿を挟んで反対側の小屋に保管している。
 社の材とともに、みなほを入れた。
「帰って来たとな?」
「さようさ。少しばかり泥や枯葉なんぞ着いていたし、裸足ではあったが、さほど汚れてはいなかった」
 いささか寒気がするような口調で、宮司が工兵衛に言った。
「祭礼に着せた白小袖もな」
 半年も前に着せた小袖が、着用した期間にしては汚れていなかった、ということらしい。なるほど、と工兵衛はうなずいて、それから沈思した。
 この半年ほど、みなほはどうやって生きていたのか。

 御子ヶ池があるのは山塊の麓に近い一角だ。小さな山の形をなしているが、尾根伝いにもっと巨大な山脈に繋がる。その山脈の上に、御子ヶ池の水源であろう龍神湖という湖があった。物見遊山で訪ねられる湖ではない。深山の非常な奥地だ。
 龍神湖は神秘の湖である。神の地を巡る修験者が山に登っても、姿を拝んだという話はきわめて少ない。ほぼ常に、湖を霧が覆う。龍神湖は断崖に囲まれていて、湖水に降りるには相当な苦労を要する。誤って落ちれば、這い上がる岸などない。
 龍神湖の北と南にも山脈が続く。湖より高いところに頂を持つ山もあるが、そこからでも湖の姿はなかなか拝めないという。無論、宮司も工兵衛も龍神湖までは行ったことがない。村人でもそこまで登った者は居ない。山深く足を踏み入れるのは修験者ばかり。山の民との軋轢も恐れていた。
 御子ヶ池のある山塊から先の奥地は、農耕を行わない得体の知れぬ山の民が山脈を跋扈している。
 それらの民の他、人里から逃げた罪人が寄り集まって山賊の集団となっているとも、国主の城の中でも噂があった。
「山の民か、山賊か……。そういう者らに掠われたのであろう。飽きて捨てられたか」
「さてな。しかし、みなほは申しておるぞ。龍彦様の元に居たのだ、とな」
「は! 龍彦様、か」
 辰の年の祭礼では御子ヶ池の精霊である龍彦様に贄を捧げる。
 しかし、本気でその実在を信じるのは、麓六か村の中でも幼児くらいだ。大人も、神らしき、目に見えぬ不思議な存在を少しは信じている。だが実体を伴い、人と関わる事があろうとは、分別のある大人達は誰も信じていない。
「神隠しだ」
「文字通り、そうなるが、実のところは如何なものかな」
「村長よ、おぬしもみなほに会うてみることだ」
「世迷い言を言うくらいだ。正気を失って居るのだろう。まあ、会うには会おう。これからどうしたものかな」
 厄介なことだ、と工兵衛は鼻を鳴らした。会おうとは言ったが、会いたくない。
 神は実在なのか。工兵衛は信じていない。信じていないが、実在の神に会ったとみなほは語ったそうだ。世迷い言と切り捨てたいが、気になる。
 工兵衛と真由が、贄という役目から逃げ、みなほに押し付けた。それを、龍彦という神が知ったか、どうか。

 みなほのかつての住まいは疾うに壊してしまった。あの不吉な小屋を無くすことは、村人のほぼ全てが賛成した。
 改めてみなほを放り込んでおく小屋でも建てるべきだろうか。それも面倒だ。
「このままここで預かってくれぬか」
「さて、いかがしたものかな。今のところはまだ、みなほが帰って来たことを知る者は多くない。だが知る者が増えたらどうなるか。特に担い手の者達はな」
「ああ、そうであったな」
「一時はみなほを死なせたかと疑った。村の者らからも冷たい目で見られた。楽しみにしていただろうにな」
 贄を運ぶ輿の担い手は、村の屈強な若者達であった。
 祭礼の後に、御下がりを頂くことを楽しみに、担い手を買って出た男達である。欲望で身体をはち切れんばかりに膨らませながら、祭礼の翌朝に贄を迎えに行ったのだ。
 しかし、みなほは消えていた。
 御下がり、と称してみなほを犯すことを楽しみにしていた男達である。鼻先にぶら下げられた甘い餌を、味わう前に不意に取り上げられたようなものだ。その上、村に帰ってみればいわれのない疑いで辛く当たられた。
「みなほを、恨んではいまいか?」
「馬鹿め。そんなことで恨むなど、玩具を取り上げられた幼子かよ。皆、子供ではないぞ」
「あいつらは図体が立派なだけの馬鹿なガキだ。みなほを預かるとのは、奴らに何をされるか解らんと言うことだ。儂だとて、面倒はごめんだ」
 工兵衛も宮司の危惧は解る。だが工兵衛だとて面倒はごめんである。みなほを引き取れば、面倒が付いてくる。神社に置き去りにしておきたかった。
「上の屋敷の方が人が多かろう。ここでは見張りもままならぬ」
「しかしここの方が人の出入りが少ない。屋敷よりはまだ村人から離れている。密かに匿っておくには、宮の方が好都合ではあるまいか」
 宮司が返事をためらう。工兵衛の言うことももっともだ。
 工兵衛も宮司も、みなほを隠しておきたい。そこは同意なのである。今さら、あの不要で不吉な娘がどうして帰ってきたのか、知りたくもない。
「気になることはある」
「なんぞ?」
「おぬし、貝合わせというものをしっているか? 古の都人の遊びで、ずっと以前に、やんごとなきお屋敷で見たことがある」
 宮司は神事などの用で、若い頃は雅な土地に出入りしていたこともある。工兵衛は貝合わせなどは知らなかった。
 貝は全て同じように見えて、その実、対になる貝殻しかぴったりとは合わない。片側の貝を並べたのち、別のところから貝殻を出して、合う貝を多く集めた者が勝ちという遊びだ。一対になる貝殻の中には、同じ絵が描かれている。
「その貝をな、みなほが持っている。えらく上等な貝で、美しい絵が描かれていた。龍彦様のお屋敷で遊んだとか」
「はっ……」
 みなほは山にいた山賊に囚われていたものと工兵衛は想像していた。いよいよそれと定まった気がした。雅な品を盗み取るような、羽振りの良い賊に捕まったのだ、と笑いたかった。
 しかし宮司の口調と顔つきが神妙で、笑えなかった。
「贄になる前とはずいぶんと顔つきが変わったぞ」
「それはそうだろう」
 以前は、誰とも口をきいてもらえず、蓬髪を揺らしてふらふらしていただけの娘だ。それが贄になるために身を磨き、そして男を身体で知った。乙女が男を知って顔つきが変わるなど、よくあることだ。
「男を知ると女は強気になるものだ」
「みなほに会ってみるが良い。儂の言うことが解るぞ」
「何ぞ、神秘を感じたか? だとしたら畏れ多い。やはり儂は、会えぬよ。怖や」
 真由のために、勝手にみなほを贄に為した。
 その上、みなほの住まいをもう壊してしまった。それ以前に、みなほの両親の代から村中で彼らを忌み嫌い、疎外してきた。
 村人がなすそれらのことを、村長として工兵衛は咎めることもなかった。むしろ、最もみなほたちの家族を嫌っていたともいえる。
「嘘を言っているようにも見えぬ」
「正気を失って、夢を本当と思って語り出す者はよく居る」
「前よりさかしく見えるぞ」
 正気なら、なおさら会いたくはない。その気持ちを、工兵衛は宮司には言わない。
「見張りが要るならこちらから差し出す。何とか、内密にしばらく預かってくれぬか」
 いずれ隠して引き取るように用意をすると約し、工兵衛は宮司にみなほを押しつけることに成功した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

処理中です...