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ある第一王子の話

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「はぁっ……はぁっ……」

 毎日毎日授業漬けだった俺はこのときはじめて王城から抜け出した。
 以前にも親や使用人と共に王城の外には出たことはあったが、王子という立場上、そうやすやすと外に出られるもんじゃない。
 セミが鳴りやまない5歳の夏の出来事だった。
 なんとか郊外までたどり着けたものの、これからどうするかなんて考えもありはしなかった。俺は無計画で郊外まで来てしまったのだ。
 そんなときに目に入ったのが君だった。
 庭で草木と戯れるその姿は妖精かなにかかと見紛うほど幻想的で、なにより美しかった。
 俺は近くに侍女がいるのを無視して、妖精のもとへ向かった。

「あなたはッ……!」

 レースフェルトならば俺の姿を知っていてもおかしくはない。使用人に教養を無償提供することでその界隈では有名なレースフェルトならば侍女が王子の姿を知っているのはもはや当然のことかもしれない。
 だが、主人に言いつけられた使命と王家へ手紙を送るべきかで揺れているのだろう。はたまた、俺が黙って王城を抜けて来たと思っていなかったのかもしれない。
 ただただ唖然としながら俺がラミちゃんへ近づいてゆく様を見ていた。

「ねぇ、君の名前はなに?」
「ん? ラミ・レースフェルトだよ」

 シロツメクサをぶちぶちと凄い勢いで採取しながら至極おっとりとした声と純粋無垢な目で俺の問いに答えるラミちゃん。業者の勢いでした。

「へぇー……。ところでなにやってんの?」
「除草作業」

 頼まれたの?
 確かに五歳児の道楽というか日曜日に庭の草をむしり取る感じの速さだけど……。

「せっかくだから楽しもうよ! 花冠とか作ってさ」
「なにそれ」

 そう言われたので、俺は王城御用達の遊びである花冠を作ってあげた。だって暇なんだもの、王城。
 俺がそこそこな速さで花冠を作っている間に、ラミちゃんは当時の俺にこう尋ねた。

「ねえ、あなたの名前はなんていうの?」
「俺の名前……?」

 社交界デビューが遠く、娘ラブなあの父親は俺の写真――少なくとも最近の――を見せていないらしかった。
 だが、ここでラミちゃんが知っているであろう俺の本名を教えても面白くないだろうと考えた当時の俺は、偽名を名乗ることにした。

「カイだよ」

 まあ、本名から頭二文字取っただけの簡易な偽名だったが。

「カイくん?」

 そう呼んでくれたのに呼応するように、俺はラミちゃんのこともあだ名で呼んだ。

「じゃあ君のこともミーちゃんって呼んでもいいかな?」
「いいよ」

 貴族の娘が見知らぬ男にここまでなれなれしくしても良いのか、とは思ったが、都合がよかったので特に気にしないことにしたのを覚えている。

「出来たよ」

 ちょうど編みあがった花冠をできるだけイケメン風にミーちゃんの頭に乗せる。
 もう妖精通り越して天使だ。ラミちゃんマジ天使。

「よろしければ……。お写真をお撮りしましょうか?」
「「うん!」」

 娘ラブな当主のことだ、きっと庭で遊んでいる愛娘を撮って貰うためにカメラも持たせてあるのだろう。
 そして俺達は二人並んで写真を撮った。

「さてラミ様、そろそろ家の中に向かいましょう」
「ヤダ」

 頭の上の花冠を大切そうに抑えながら即座に侍女の申し出を拒否。
 だが、思ったより驚いていたらしい。普段あまりワガママを言わないのだろうな、さっきの写真で帰って貰えると思っていたのだろうな、と察したときのことだった。

「探しましたよ! 勝手に逃げてどうするおつもりですか!」

 そのときの騎士団員が『王城から』という言葉を付けなくてよかった、と思いながらも、俺は普通にこの少女から離れたくはなかった。

「いやだ! 俺ずっとミーちゃんについてく!」
「ミーちゃん? レースフェルト家のご令嬢ですか? これは大変ご迷惑をおかけいたしました!」

 バッと凄い勢いで頭を下げる騎士団員。恐らく子爵家の出だったと思うので、彼にとっては公爵家に迷惑を掛けることは家の危機と等しいのだろう。この娘に限ってそんなことはないのに。

「さあ、行きますよ」
「ギャ――――! 誘拐される――――――――――!」
「それはあなたの行く末かもしれませんよ……? さあ、早く乗ってください。それか外の世界を知るために僕たちと活動しますか?」

 それは惹かれるモノがあるけど! と欲望を出しながらも、俺はこのまま王城に強制送還されてたまるか、という想いだけを胸にこう叫んだのだった。


「俺、ミーちゃんのこと絶対に迎えに行くから! それまで絶対に待ってて!」


 と。
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