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最後に、お願いがあります
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「エマ。悪いんだけど、俺と別れてよ」
トーマスは平然と、それどころか軽薄な笑いまで浮かべて、そう言った。
王宮の片隅、滅多に人も通らない場所。
そこを選んだあたり、彼自身もこれが外聞に悪いことだと分かってはいるのだろう。
三年だ。
三年間、私は王妃になるためだけに、じっと耐え続けてきた。
我儘で冷酷なトーマスに振り回され、周りからは売女と後ろ指をさされ、それでも彼に尽くしたのは。
貧乏な家庭に生まれた身で、私の弟を夢である学者にするためには、王妃になるしか方法がなかったからだ。
それなのに、即位の日の一週間前。
今になって、婚約を破棄しろなど、到底受け入れられない。
「いいの?お前が何を言ったって、俺は国王になる。俺に歯向かってもろくなことにならないよ」
冷たい眼が私を見下ろしていた。
悔しいが、彼の言うことは事実だ。ただの村娘に過ぎない私に、この男をどうにかするだけの力はない。
私の三年間は、何だったのだ。
私は何のために、この男に身体を、魂を売ったのか。
思わず涙がこぼれる。
これで終わりなど、納得できない。
「......最後に」
面倒臭そうに、トーマスが眉を上げる。
「最後に、一つだけお願いを聞いていただけませんか」
桜咲き誇るフーシュ山。
この国のシンボルとも言えるこの山で、最後の夜を過ごす。それが、私がトーマスに提示した条件だった。
「夜桜が綺麗ですよ、王子」
私がそう言っても、トーマスは無言でつまらなさそうにしている。
最初から期待していた訳でもないが、女心などこれっぽっちも理解しようとしない彼に、改めて苛立ちが募る。
「......王子」
「ん?」
「私は、王子にとって良き交際相手でいられたのでしょうか」
それでも、尋ねてしまうのは。
トーマスを好いているからではなく、私がこれまでやってきたことに、果たして意味があったのかを知るためだ。
「そりゃもちろん。僕の彼女たちの中で、一番身体も良かったしね」
彼は目尻をだらしなく下げた。
「でも、パパが君みたいな身分の低い娘との結婚など認めないっていうんだもん、しょうがないよね」
「......そうですか」
しばし、無言の時間が続く。
「王子。最後に、あそこの花を一輪、摘んできてもらえますか」
「うん?」
ようやくこの無駄な時間が終わる、と言いたげにトーマスは顔を上げる。
私の指の先には、暗い夜でも分かるくらいに一面に純白が広がる花畑があった。
「お安い御用さ」
トーマスは歩いていって、その中から一輪、花を摘み取る。
戻ってきた彼は、それを私の手のひらの上に乗せた。
「......ありがとうございます。この花を、王子との日々の思い出とともに、大切にします」
「そうしてくれると助かるよ。今まで、どうもありがとう」
すっきりした表情で、にこっと笑顔を見せるトーマス。
彼はそのまま私の横を通り過ぎ、うーん、と一つ伸びをしながら家路に着いた。
翌朝。
トーマスがいつものように起きると、父親である国王が仁王立ちしてこちらを見下ろしていた。
「......ん、パパ。どうしたの?」
彼は能天気に笑う。
「貴様、昨日の夜どこにいた?」
「なんでそんなこと聞くのさ」
国王の顔が感情を無くしたかのように硬直しているのを見て、トーマスは訝しむ。
父親とは折り合いがあまり良くはなかったが、こんな顔をされる覚えはない。
「......昨夜、お前がフーシュ山に行くのを見た、という者がいてな。勘違いなら、それでいい」
「行ったけど、それが?それより、朝ごはん食べたいんだけど」
トーマスは不思議そうに首を傾げる。
すると、国王の表情がさらに固まった。
「まさか貴様、白い花を摘んではいない、よな?」
彼の声が震えていることに、哀れなトーマスは気づかなかった。
「摘んだよ。前話した、エマちゃんに最後のプレゼント」
そう言った瞬間、国王がこれまでに見たこともないような苦悶の顔を浮かべ、頭を抱えた。
そこでようやく、トーマスは自分が何かとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと気づく。
「......馬鹿息子が」
「えっ?」
「こっっっっの、馬鹿息子がぁっ!歴史の授業で、一体何を聞いておったんだぁっっ!!」
フーシュ山の花畑は、歴代の国王、それに上級貴族たちが死後安寧の生活を送る場所だと言われている。
彼らは花の一輪一輪になって、日々変わっていく景色を楽しみながら、悠久の時を過ごすのだ。
トーマスは、それを摘んでしまった。
平和な生活を突如として終わらせられた英霊は、無限の闇を彷徨うことになる。
もはや、誤魔化すことはできない。
彼が犯したのは、この国の禁忌。王族だろうと問答無用で死刑に処される、重罪中の重罪だった。
「エマ。俺と結婚しよう」
それから四日後。
即位式を明日に控えた夜、私はブリッツのプロポーズの返事として、指輪をそっと自分の薬指に嵌めた。
複数人と交際していたのは、トーマスだけではなかった。
まさかここまでの仕打ちを受けるとは思っていなかったが、彼にもしものことがあった時のため、私も保険として彼の弟、ブリッツとも同時に交際していたのだ。
トーマスは私をひどくぞんざいに扱っていたため、結局最後まで、最期まで気づくことはなかった。
可哀想だが、私が王妃になるためには、仕方がない。
「......でも、いいの?私は大した身分でもないし」
「大丈夫。兄さんのことがあって、お父様は焦っているから。とにかく何事もなく即位式を終えることで頭がいっぱいさ」
トーマスが起こした大スキャンダルから始まった市民の王族批判の動きは、彼が極刑になっても収まることはなかった。
明日の即位式でも、きっと私たちはとてもアウェイな環境に晒されることになるだろう。
でも、彼なら大丈夫。
トーマスとは違い、私を最後まで大切にしてくれた彼ならきっと、この国を素晴らしい国にしてくれることだろう。
私は、これからも彼を、陰ながらサポートしていくつもりだ。
トーマスは平然と、それどころか軽薄な笑いまで浮かべて、そう言った。
王宮の片隅、滅多に人も通らない場所。
そこを選んだあたり、彼自身もこれが外聞に悪いことだと分かってはいるのだろう。
三年だ。
三年間、私は王妃になるためだけに、じっと耐え続けてきた。
我儘で冷酷なトーマスに振り回され、周りからは売女と後ろ指をさされ、それでも彼に尽くしたのは。
貧乏な家庭に生まれた身で、私の弟を夢である学者にするためには、王妃になるしか方法がなかったからだ。
それなのに、即位の日の一週間前。
今になって、婚約を破棄しろなど、到底受け入れられない。
「いいの?お前が何を言ったって、俺は国王になる。俺に歯向かってもろくなことにならないよ」
冷たい眼が私を見下ろしていた。
悔しいが、彼の言うことは事実だ。ただの村娘に過ぎない私に、この男をどうにかするだけの力はない。
私の三年間は、何だったのだ。
私は何のために、この男に身体を、魂を売ったのか。
思わず涙がこぼれる。
これで終わりなど、納得できない。
「......最後に」
面倒臭そうに、トーマスが眉を上げる。
「最後に、一つだけお願いを聞いていただけませんか」
桜咲き誇るフーシュ山。
この国のシンボルとも言えるこの山で、最後の夜を過ごす。それが、私がトーマスに提示した条件だった。
「夜桜が綺麗ですよ、王子」
私がそう言っても、トーマスは無言でつまらなさそうにしている。
最初から期待していた訳でもないが、女心などこれっぽっちも理解しようとしない彼に、改めて苛立ちが募る。
「......王子」
「ん?」
「私は、王子にとって良き交際相手でいられたのでしょうか」
それでも、尋ねてしまうのは。
トーマスを好いているからではなく、私がこれまでやってきたことに、果たして意味があったのかを知るためだ。
「そりゃもちろん。僕の彼女たちの中で、一番身体も良かったしね」
彼は目尻をだらしなく下げた。
「でも、パパが君みたいな身分の低い娘との結婚など認めないっていうんだもん、しょうがないよね」
「......そうですか」
しばし、無言の時間が続く。
「王子。最後に、あそこの花を一輪、摘んできてもらえますか」
「うん?」
ようやくこの無駄な時間が終わる、と言いたげにトーマスは顔を上げる。
私の指の先には、暗い夜でも分かるくらいに一面に純白が広がる花畑があった。
「お安い御用さ」
トーマスは歩いていって、その中から一輪、花を摘み取る。
戻ってきた彼は、それを私の手のひらの上に乗せた。
「......ありがとうございます。この花を、王子との日々の思い出とともに、大切にします」
「そうしてくれると助かるよ。今まで、どうもありがとう」
すっきりした表情で、にこっと笑顔を見せるトーマス。
彼はそのまま私の横を通り過ぎ、うーん、と一つ伸びをしながら家路に着いた。
翌朝。
トーマスがいつものように起きると、父親である国王が仁王立ちしてこちらを見下ろしていた。
「......ん、パパ。どうしたの?」
彼は能天気に笑う。
「貴様、昨日の夜どこにいた?」
「なんでそんなこと聞くのさ」
国王の顔が感情を無くしたかのように硬直しているのを見て、トーマスは訝しむ。
父親とは折り合いがあまり良くはなかったが、こんな顔をされる覚えはない。
「......昨夜、お前がフーシュ山に行くのを見た、という者がいてな。勘違いなら、それでいい」
「行ったけど、それが?それより、朝ごはん食べたいんだけど」
トーマスは不思議そうに首を傾げる。
すると、国王の表情がさらに固まった。
「まさか貴様、白い花を摘んではいない、よな?」
彼の声が震えていることに、哀れなトーマスは気づかなかった。
「摘んだよ。前話した、エマちゃんに最後のプレゼント」
そう言った瞬間、国王がこれまでに見たこともないような苦悶の顔を浮かべ、頭を抱えた。
そこでようやく、トーマスは自分が何かとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと気づく。
「......馬鹿息子が」
「えっ?」
「こっっっっの、馬鹿息子がぁっ!歴史の授業で、一体何を聞いておったんだぁっっ!!」
フーシュ山の花畑は、歴代の国王、それに上級貴族たちが死後安寧の生活を送る場所だと言われている。
彼らは花の一輪一輪になって、日々変わっていく景色を楽しみながら、悠久の時を過ごすのだ。
トーマスは、それを摘んでしまった。
平和な生活を突如として終わらせられた英霊は、無限の闇を彷徨うことになる。
もはや、誤魔化すことはできない。
彼が犯したのは、この国の禁忌。王族だろうと問答無用で死刑に処される、重罪中の重罪だった。
「エマ。俺と結婚しよう」
それから四日後。
即位式を明日に控えた夜、私はブリッツのプロポーズの返事として、指輪をそっと自分の薬指に嵌めた。
複数人と交際していたのは、トーマスだけではなかった。
まさかここまでの仕打ちを受けるとは思っていなかったが、彼にもしものことがあった時のため、私も保険として彼の弟、ブリッツとも同時に交際していたのだ。
トーマスは私をひどくぞんざいに扱っていたため、結局最後まで、最期まで気づくことはなかった。
可哀想だが、私が王妃になるためには、仕方がない。
「......でも、いいの?私は大した身分でもないし」
「大丈夫。兄さんのことがあって、お父様は焦っているから。とにかく何事もなく即位式を終えることで頭がいっぱいさ」
トーマスが起こした大スキャンダルから始まった市民の王族批判の動きは、彼が極刑になっても収まることはなかった。
明日の即位式でも、きっと私たちはとてもアウェイな環境に晒されることになるだろう。
でも、彼なら大丈夫。
トーマスとは違い、私を最後まで大切にしてくれた彼ならきっと、この国を素晴らしい国にしてくれることだろう。
私は、これからも彼を、陰ながらサポートしていくつもりだ。
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