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一章
11 誕生日。
しおりを挟む十月の二十三日。
今日は私の誕生日。かっこ仮。
親に捨てられて二年目。
きっと五歳になった。
ハッピーバースデー、ヴェルミ。
皆が朝食をとっている間は、洗濯をした。
これから寒くなる。でも大して気温は低くならない。春と同じ過ごしやすい気温なのだ。吸血鬼なのだから、寒さは苦ではない。でも皆は毛布を欲しがる。
そのために毛布の洗濯をしている。
朝ご飯を食べ終えて、皆が合流して手伝ってくれた。
そわそわとした視線が私に向けられていたが、あの言葉を伝える機会を伺っているのだろう。私は気付かないふりをして、影も使って毛布を干した。
それから割り振られた場所で軽く掃除をする。
終わったら、イサークさんの元に行く。
今日もヴィオさんを連れて行こうとしたが「今日は結構だ」と断られた。何故か双子ちゃんが手を掴んでいる。もう女の子達と約束でもしているようだ。
それならいいや。
私はニーヴェアとアッズーロとチェシャを連れて出た。
このメンツで行くのはいつぶりだろう。
そう言えば、ヴィオさんは仕事に戻らなくてもいいのだろうか。
いつまで居座るのだろう。孤児院を手伝ってくれるからいいけれど。
大人の手が増えることはいいことだろう。
「ヴェルミ……ほらよ」
「?」
家につくなり差し出されたものだから、私は受け取った。
それはナイフ。ホルダー付き。
「今日はナイフで稽古?」
「いや、お前誕生日だろう。やる」
ぶっきらぼうにそう告げられた。
「プレゼント!? ナイフ!? やったぁ!」
誕生日プレゼントにナイフをもらって喜ぶ五歳の幼女。私だ。
よくよく見れば、イサークさんがいつも携えているナイフ。
そのおさがりだとしても、嬉しかった。
「本当にもらってもいいの? ねぇ?」
「あ、ああ」
「やったぁ。いいだろう、アッズーロ、ニーヴェア」
両手を上げて私がはしゃぐものだから、イサークさんはドン引きしている様子。
そこまで引くなよ、師匠。
でもニコニコする私は、二人に自慢をする。
「よかったな」
「ヴェルミ……」
二人も笑顔だ。
なんだその反応。まぁいいけど。
「今日はこのナイフで挑んでいいですか!?」
「お、おう」
だからなんで戸惑っているんだ。師匠。
とりあえず、ナイフで挑む。誕生日でも手加減はしてもらえなくて、叩き潰された。けれど、ナイフをもらったので、ルンルンで孤児院に戻る。
孤児院では何やら騒ぎが起きているようで、離れていても聞こえてきた。
吸血鬼の私の耳だからだろう。
「どうか、どうかっ、助けてくれ!!」
助けを乞う声。エルフの耳でも獣人の耳でも聞き取れたらしい。顔を合わせてから、足を早めて行く。
門の前で膝をついて助けを乞うのは、男の人だった。金髪で身なりのいい服を着ている。
この人、確か……この街の領主じゃなかったっけ。
「ヴェルミ」
対応していただろうフランケン院長が、私だけを呼ぶ。
領主の男の人は、跳ねるように顔を上げて私を振り返った。
「たっ、頼む!! 血を、血を分けてくれ!!」
「えっ、私?」
「む、娘がっ! 娘が大怪我をしたんだ! 頼む! お礼はなんだってするから、血を分けて娘の怪我を治してくれ!!」
吸血鬼の血を求めてきたのか。
他者の傷も治す吸血鬼の血。
「いいですけど」
「本当か!? ありがとう! ありがとう!!」
血を分けるくらい構わない。
怪我はどれほどのものかと尋ねようとしたが、急ぎたいようで腕を掴まれた。
「ここを頼んでもいいですか? ヴィオさん」
「はい、行ってください」
フランケン院長はヴィオさんに子ども達を頼むと、ついてくる。
やっぱり領主だった。街一番のお屋敷に連れていかれた。
使用人が何人か不安げな表情で、むせび泣く母親らしき女性に寄り添っている。彼女も金髪だ。
私はとある部屋に入れられる。
ベッドのそばには、医者らしき老人がいた。医者か。生まれ変わってから、見るのは初めてだ。
血の香りがした。濃厚な血の匂い。その主はベッドに横たわった女の子のものだった。
「あっ」
覚えがある。花畑で威張っていたツインテールの女の子。領主の娘だったのか。通りで威張っていたわけだ。
右目ごと頭を包帯で手当てされていた。包帯には血が滲んでいる。
大袈裟じゃなくて、大怪我をしたようだ。
「何があったんですか?」
「階段から落ちてっ……打ち所が悪かった……早く、早く血を頼む! 失明してしまうってっ!」
「はい」
領主を宥めるように頷いて見せて、ベッドの隣に移動する。
医者に目配せをすれば、慎重な手付きで包帯を取り除いた。
「そう言えば、娘さんに“孤児だから一緒に遊びたくない”って言われました」
私は意地悪を口にする。
祈るように両手を握り締めていた領主は、私を見て青ざめた。
孤児について何を吹き込んだかは知らないけれど。
「まぁ今日は私の誕生日なので、いいことをします」
微笑んで見せる。
腰に携えたナイフを抜き取って、自分の掌を切り付けた。
鋭い痛み。切れ味は抜群ってことだ。
何か尖ったものにでもぶつけてしまったのだろう。想像以上に酷い怪我に、血をぼたぼたと垂らす。
少し様子見をしていれば、みるみるうちに傷が癒えた。
血は十分だったようだ。
「回復しましたよ」
「おお! ありがとう!! ありがとう!! ありがとう!!! セリーヌ!」
領主は何度も涙ながらにお礼を言うと、自分の妻を呼ぶ。
飛び込むように入ってきた女性は、領主にすがり付く。
「もう治った、治ったんだ」と領主は抱き締めた。
セリーヌさんは泣き崩れる。それを支えて、領主は娘の隣に連れていった。私は退いてあげる。
両親と娘。それを眺めて、私は何も考えないようにした。
何も感じないようにしたのだ。
子どもを大切にする両親。
愛されている娘。
何も思ってはいけない。
背中に触れる大きすぎる掌の温もりの意味も、考えることは放棄した。
「近くに吸血鬼がいて幸運でしたね」
医者が言う。
吸血鬼の生き血だけが、治癒をもたらす。
彼女が失明を免れたのは、本当に吸血鬼の私がいたからだ。
「ありがとうっ!! そうだ、お礼を」
「お礼なら孤児院にお願いします」
お金ならいくらあっても困らない。
そうだ、小麦粉を買ってもらって、パンケーキを作ってあげようか。
それなら、子ども達が喜ぶ。むしろ大喜びするだろう。
「ああ! お礼を渡す! 治療費だ!」
フランケン院長にあとは任せて、私は先にお屋敷を出た。
少ししてお金をもらったであろうフランケン院長も出てくる。
「いんちょー。小麦粉買ってください。パンケーキを作って皆に食べさせたら喜ぶでしょう?」
「……ああ、そうだな。そうしよう」
優しい眼差しをして、フランケン院長は私の頭を撫でて小麦粉を買ってくれた。
またもやルンルンな足取りで、孤児院に戻る。
「「ヴェルミー!!」」
「「「誕生日おめでとう!!」」」
孤児院の扉を開けば、子ども達がわっと驚かせてきた。
「ありがとう」
別に驚いていない私は、お礼を言う。
「ヴェルミにプレゼントがあるの!!」
双子ちゃんに両腕を掴まれて、引っ張られる。
また花冠だろうか。そのためにヴィオさんと花畑に行った、と推測した。
子ども達を掻き分けるように廊下を進むと、最後にヴィオさん。
そのヴィオさんはドレスを持って、笑みで私を見下ろした。
「「「じゃあーん、ドレス!」」」
「……本気?」
女の子達の満面の笑みには悪いけれど、真顔になってヴィオさんを見上げる。
気付くことなく、ヴィオさんは笑みで差し出す。
ドレスはフリルがあしらっているものだった。色は淡い赤。胸元に大きな真っ赤なリボン。
女物の服なんて、寝間着だけで十分だ。時折捲れるけれど、寝やすいから気に入ってはいる。
でも普段は男物でいい。年中長い袖のワイシャツとズボンでいいのだ。
あとは帽子でも被れば、日光で弱ることを免れる。
帽子が欲しかった。日頃から帽子が欲しいと言っていればよかった。
「わぁーい、どれすだぁー」
女の子達を泣かさないために、喜んだふりをする。
(ぶふっ!! 棒読み!! にゃはははっ!!)
チェシャの笑い声が、頭の中で木霊した。
縛って吊るしてやろうか。化け猫。
ナイフをもらった時を再現するように、両手を上げて喜びを示す。
バンザーイ。
「着てみて! ヴェルミ!」
「えっ」
着るの? 今ぁ?
「でもパンケーキの材料を買ったんだ。ドレスを汚しちゃ嫌だから、また今度にしよう」
「いや、パンケーキはオレが作ろう。それくらい出来る」
ヴィオさん、空気読んで。
パンケーキと聞いて、皆が大喜びした。予想通り。でもドレスを着ることに、期待の眼差しが向けられるのは予想外だ。
げんなりする私の背中を押して、女子部屋へと向かう女の子達。
ドアを閉じれば、ナイフを取り上げられてワイシャツもズボンも脱がされた。そしてドレスを上から被せられる。袖に腕を通せば、後ろでコルセットらしき紐を引っ張られて、ウエストをきつくされた。
それから問答無用で髪ゴムを取られて、髪は下される。肩につくほどの長さの白銀の髪は、毛先がくるんとなっていた。
ゴシゴシとブラシで整えられても、癖っ毛なので直らない。
女の子達は着せ替えごっこに満足したようで。
「「「かわいいー!!!」」」
私を真正面から見ては、声を重ねた。
ちょっと大きい気がする。一番合いそうなサイズを選んだのだろう。
(ヴェルミ、綺麗)
チェシャ、見えているの?
次はリビングに移動した皆に披露するために、背中を押された。
フリルのスカートが廊下につきそう。
そんな心配をしている間に、リビングに到着した。
当然注目を集める。今日の主役なのだから仕方ない。諦めた。
「「「……」」」
男の子達は私を見て、絶句をしている。
言葉を失っているじゃないか。
私が普段男の子の格好していたのに、急にドレスを着たから違和感が拭えないのだろう。
「あのね。嘘でもここは」
「……綺麗だ」
「そう、ニーヴェアみたいに褒める。覚えておきなさいよ」
ニーヴェアが、ポツリと零す。
女の子にモテたかったら、先ずは褒める!
「本当に似合っていて可愛らしいよ、ヴェルミ」
片膝をついて私と目を合わせて微笑むヴィオさん。
三回回ってワンを言わせてやろうと思ったけど、やめてやる。
「これ、ヴィオさんが買ってくれたんですよね?」
「ああ、だけど選んでくれたのは女の子達だ」
「「そう!」」
「ありがとうございます。皆もありがとう」
ヴィオさんに一礼してから、女の子達にもお礼を伝えた。
まだ言葉を失っている男の子達を見て、気付く。
「フランケン院長とアッズーロは?」
「狩りに行った。今日は大物狙いだそうだ」
ヴィオさんから聞いてから、一時間くらいして院長とアッズーロが戻った。
立派な角を生やした鹿。アッズーロが仕留めたらしい。
「どうだ、ヴェルミ」
アッズーロは褒めてとまた頭を差し出したが、女の子達に割って入られて止められる。
「ドレスがよごれるからだめ!」とのことだ。
アッズーロが女の子達を邪魔そうに見てから、突破しようとしたが、五人の女の子達に押し退けられた。唸るアッズーロを、フランケン院長が宥める。
私は淡い赤のドレスを着たまま、椅子に座って、真っ赤な血を飲んだ。
皆が笑顔で、私を見つめる。真っ直ぐに目を合わせているのは、ヴィオさんくらいなもの。
そして、パンケーキ。私は一枚だけもらうことにした。
久しぶりのパンケーキ、まぁまぁ美味い。
わいわいする食卓を眺めていれば、お風呂の時間。
きついドレスが、脱げてホッとした。
ゆるゆるの寝間着のワンピースを着て、ベッドに行く。
窓を見上げれば、にんまりと笑っているような三日月が浮いていた。
ぽけーと眺めていれば、就寝の時間。灯りは消された。
それでもぽけーと三日月を見上げていれば、皆が寝静まった頃に勝手に影が伸び始める。そこからヌッと猫耳をつけた男が出てきた。
黒猫の化け猫、チェシャ。
「誕生日おめでとう、ヴェルミ」
「ん」
私はそれだけ。たったそれだけ応えた。
傾いて見えなくなってしまった三日月を見つめるために、窓辺に移動してまた見つめる。意味は特にない。
チェシャはまだいる。私のそばに来たかと思えば、両腕で私を包み込んだ。
「オレは特別な言葉を贈るよ」
そう囁いた。
「生まれてきてくれてありがとう」
ジンと染み渡るように、心を揺さぶる。
バッと振り返れば、黒猫になって影の中に溶けて消えた。
「……」
顔を歪ませて睨むように影を見つめていたけれど、やがて逸らす。
外に顔を向けて、何も考えないように心がける。
頬を何かつたったけれど、なかったように拭った。
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