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開店、まで

ブラシ

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 雪さんが、毛玉を吐いた。
 少し暖かくなってきたせいで、毛が抜けているのだろう。
 まあ、毛玉を吐くこと自体は、自然なので、気にしないが問題は、その場所だ。
 狙い澄ましたように、いや狙っているのだろう。
 一番、疲れている時に一番、凹む時に一番、落ち込む時に、踏むような場所に吐いているのだ。
 ぐんにゃりとした、冷たい湿った感触。
 踏んだ足で、被害を広げないように、床を汚さないように、変な恰好で歩くのが、嫌だ。
 脚を上げて、毛玉だと確認するまでの、ドキドキ感が、嫌だ。
 汚れた足を拭いたり洗ったり、靴下とかを脱いでいる瞬間が、嫌だ。
 フローリングの隙間に入り込んだ汚れを拭いているのが、嫌だ。
 毛の生え代わりの時期には一度、お風呂に入れるのもいいようだが、もう少し暖かくなってきてからの方が、風邪のリスクを考える、といいらしい。
 ので、ホームセンターに、ブラシを見に来た。
 他にも、キャンプ用具(屋上キャンプ用のテントは、アニキにすごくコンパクトに畳めるのを教えてもらったので、通販で買う予定)や野菜の苗などを見ながら、だらだらと歩く。
 張りのある実演販売の女性の声が聞こえてきた。
 人垣で、僕が買ったのと同じ人かは分からないが、どよめきが起こっている。
 というか、こんなに人集めてるのって、すごいな。
 違う人か、違う商品なのかな?
 この前の人、初めての客としては、売れているといいな。
 ペットコーナーで、新作のフードを物色したりしながら、ブラシを見た。
 えーと?
 こんなに種類あるんだ。
 ちょっと、茫然とした。
「犬ですか、猫ですか?」
「猫です」
 と答えて振り向く、と店員さんではなく、僕がクルクルカッターを買った実演販売員だった。
「うちも、猫飼ってるんですよ」
 えーと?
 なんだか、この前とは別人のように、自信に満ちているんですけど。
「うちは、短毛な子なので、これ使ってます」
 じゃじゃーん! と効果音がつきそうな感じで、見せてきた。
 さすがは、実演販売員だ。
「これだと、アンダーヘアーが、よくとれるんですよ。春先の毛玉って、中側の毛がたくさん抜けるんですよね」
 えーと?
 若い女性が、昼間に言ってはいけない単語が出てきたような気がする。
「このボタンを押すと、ブラシから毛が取れるです。アンダーヘアーって細かいから、こういう機能がないとブラシに絡んじゃって取れないんですよね」
「・・・もしかして、アンダーコート?」
 動物の毛には、二種類あって、外側のちょっと堅い、雨などから身を守る毛が、オーバーコート。
 その内側で、保温に役立つ柔らかい毛が、アンダーコート。
 暖かくなって抜けるのは、冬に保温で必要だったアンダーコートが主だ。
「あたし、何て言ってました?」
 そんな、いやん。
「ええと、アンダー・・・」
「アンダー?」
「・・・ヘア」
 アニメのように、赤くなっていく販売員。
「い、やーーーー!」
 走っていってしまった。
 ブラシ握ったままだったけど、万引きに間違われないかな?
 まあ、アドバイスは参考になったから、お勧めのそれを買うことにしよう。
 あ、これの売上も、彼女にカウントされればいいのに。

 さて、問題は、雪さんが、素直にブラッシングさせてくれるかだ。
 変に媚びずに、雪さんが、箱になっている時に近づいて、
「ブラッシングするよー」
 と言っただけで、背中から始めた。
 お?
 気持ちよさそうだぞ。
 ごろっと、横に転がったので、側面をやる。
 うわ、抜けるなあ。
 ボタンを押して、取れた毛をまとめて、またブラッシング。
 この毛、フェルトとかにできないかな。
 真っ白で、もったいない。
 お腹を出したので、お腹をブラッシング。
 うわあ、とれるとれる。
 こんなに抜けて、いいの?
 ふわあ、っと逃げていく毛を捕まえながら、ブラッシング。
 また、横になったので、側面。
 ブラッシングしなかったら、これ全部が毛玉になって吐かれたってこと?
 隙を見て、太腿から尻をブラッシング。
 ちょっと嫌そうな顔をしたので、これで終了。
 雪さんが、分身している。
 抜けた毛を手で丸める、とゴルフボールより大きい。
 えええ、大丈夫なの、これ?
 毛づくろいしている雪さんは、なんとなくホッソりしたように見えた。

 これで、もう毛玉に怯えないないですむ、と僕はそろそろ残り少ないアベイ デ ロック・スペシャル ノエルの栓を開けた。

 でも、ブラッシングで毛が抜けやすくなったのか、次の日、おろしたての靴下で、いつもより大量の毛玉を踏んだ。
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