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第6章
リビドー・マッチ(2/7)
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居室に戻ると、ベッドの上で折り目正しく正座するカナの姿があった。
「おかえりなさい」
清々しいほどの笑顔で迎えてくる。さっきまで色欲に取り憑かれていたのが嘘のようだ。
俺は唇の片端をつり上げて、ふっと吐息をついた。
「スッキリしたようで何よりだよ」
カナは上機嫌そうに、うふふ、と笑みをこぼす。
「それもセクハラですよ。先輩の方こそ、スッキリされましたか?」
冷蔵庫から未開封のミネラルウォーターを取り出して、椅子に座る。
「するわけないだろ。風呂場でやると、あれが排水溝で詰まるわ浴室中が生臭くなるわでたいへんなんだ」
「なんの話をしてるんです? 私は、汗を流して気持ちよかったですか、と訊いてるんですよ」
カナが呆れたように突っ込みを入れてくる。
それで俺は勘違いに気がつき、顔が熱くなるのを感じた。
「そ、そういう話の流れだっただろうが」
「固いですねえ。……あっ、頭が、ですよ。くれぐれも下品な勘違いはなされないように」
「……お前はどうして俺ごときをからかうのに、そこまで捨て身になれるんだ」
げんなりした顔で尋ねると、カナはくすりと笑みをこぼして答えた。
「だって先輩のリアクション可愛いんだもん。つい加虐心に火が点いちゃうんです」
「ナイーブな男心を弄びやがって」
悪態をついて、ミネラルウォーターをあおる。
冷たい水が火照った体を巡り、少しばかり気分が落ち着きを取り戻す。
「では、私もシャワー浴びてきますね。いっぱい汗かいちゃったんで」
「想像を掻き立てるひと言を残していくのはやめろ」
「……先輩」
カナがため息混じりに呼びかけてくる。
見るとどこか憂いを帯びた眼差しがこちらを見下ろしていた。
「ホントに一発抜いた方がいいと思いますよ。まだまだ先行きは見えないことですし、今はストレスを極力溜めないように努めるべきです。ちょっと気持ち長めにシャワーを浴びてきますから、そのあいだにどうぞ心ゆくまでお抜きになってください」
「…………」
またからかわれているのかと思い声を荒げかけたが、言っていることとは裏腹に彼女の表情が真剣そのものだったので、咄嗟に反論が憚られた。人間、真面目な顔でオナニーを勧められると返す言葉に困るのだと知る。
カナは少し俯いて、躊躇いがちに発言を続けた。
「でも、入浴中はこっち見ないでくださいね。さすがに全裸を見られるのは恥ずかしいので」
「なにを今更カマトトぶってんだ。そんなこと、屁でもないくせに」
そうやって嘲ると、カナの鋭い視線がこちらを射抜いた。
「うら若き乙女に対して何たる言い草ですか」
「言われたくないなら日頃の言動を見直すんだな。ていうか、裸より恥ずかしいもん、散々見せられてきた気もするんだけど」
「それはまあ、そうですけど……。でも、発情させるのと発情されるのとでは全然違いますから」
「何をわけのわからんことを」
「ほら、他人を笑わせるのと他人に笑われるのって、同じ笑いを取ることでもニュアンスが違うじゃないですか。こちらが狙っていない場面で他人の笑いを誘ってしまうのは、なんとなくカッコ悪い気がします。カッコ悪いのは恥ずかしいことです」
そんな説明を受けて釈然としたわけではないが、ここは、そうかい、と温度の低い相槌を返すだけに留めておく。
「その、だからAVとかは、控えてもらえると助かります」
その理由は尋ねるまでもない。テレビの方を向くと浴室が視界の端に見切れるからだ。
俺がシャワーを浴びているあいだは散々テレビの方を見まくっていたくせに、と苦言を呈したくもなるが、まあ許可を求められて拒まなかった手前、今更蒸し返すつもりはない。
「代わりといってはなんですが……これをどうぞ」
躊躇いの素振りを見せつつ、カナは襟元の隙間からガウンの中に手を突っ込んだ。つかの間ゴソゴソと弄って、手を引き抜く。
その瞬間、俺は口に含んでいたミネラルウォーターを吹き出しそうになった。
彼女が手にしていたのは、自身が今し方まで身につけていたブラジャーだった。黒いサテンの、レースがあしらわれたそれは見覚えがある。
「汚しても大丈夫です。どうぞお好きなようにお使いになってください」
「あほかっ。はやく仕舞え」
慌てて嗜めるが、カナは尚も手を引っ込めようとしない。頬を朱色に染めながら、上目遣いに釈明してくる。
「これでも、申し訳ないと思ってるんですよ。性交渉を断り続けておきながら、先輩の性的興奮を煽るようなことばかり繰り返して。本当に自分でも悪い女だと思ってます。だから、これはせめてもの罪滅ぼしです。口に含んでも、何に擦り付けても構いません。どんな使い方をしようと絶対に幻滅しないと誓います」
カナがこちらに歩み寄り、机の上にブラを放置する。
「後で聞かせてくださいね。先輩がそれを使って、どんな変態的なことをしたのかを」
楽しみにしてますね――最後にそんなことを言い残して、彼女は踵を返し浴室へと足を運んでいった。
心臓がけたたましいリズムで脈打つのを感じながら、俺はひとまず浴室に背を向けるよう椅子から腰を浮かせ、ベッドの端にスライドさせる。そのあいだも視線はずっとテーブルに置かれた下着に釘付けだった。
女性の下着に対して特別な執着を抱くような性的嗜好は持ち合わせていない。もちろん全くの無関心というわけでもないけれど、あくまで女性が身につけた状態のそれに魅力を感じるのであって、単体で欲情できるものではないと思っている。たとえば下着売り場に陳列されている下着を見て、微塵も劣情を催したりはしない。しかしどういうわけか、今の自分はそんな理屈とは裏腹に、めっぽう興奮していた。
長らく禁欲生活を強いられていることの反動か、あるいは、それが立花カナの所有物であるからか。
ただの布きれじゃないかと頭で理解していても、胸の高鳴りを抑えることは難しかった。
このブラをペニスに巻き付けながらしごけばどんなに気持ちがいいだろう――想像しただけで股間がはち切れんばかりに勃起した。
肌の温もりが残っている今のうちに感触を確かめたい。そんな本能の叫びが幾度となく理性を揺るがし、そのたびにテーブルに手が伸びかけた。だが、寸でのところで躊躇いも生じた。下着を手にしてしまえば、いよいよ理性の歯止めが利かなくなる恐れがある。そうなるとカナの口車に乗せられて自慰行為をしてしまった先日の二の舞だ。途轍もない快楽を得る代わりに、自尊心がズタズタに傷つけられ、強烈な自己嫌悪の波にさらわれてしまう。もしまた同じ目に遭ったら、今度は立ち直れる自信がない。
揺れる理性に追い打ちをかけるように浴室からシャワーの音が聞こえてくる。
俺は歯を食い縛って、膝の上に押しつけるように両手を重ねた。ぎゅっと瞼を閉じて、強引に目の毒から逃れる。どこからか衣擦れの音が聞こえてきたかと思えば、それは自分自身が発する貧乏揺すりの音だった。
――まったく。とんでもない置き土産を残していきやがって。
心の中でぼやいて、もどかしさに膝を叩く。
色々と昔のことを教えてもらったが、未だに立花カナという人間の全体像が掴めないでいる。
過去の体験からセックスにトラウマを抱いていた彼女が、安住ヨシノとの再会後、いかなる変遷を辿って現在の開けっぴろげな貞操感を養うまでに至ったのか。彼女の人間性を網羅するには避けては通れない経歴だが、結局、そこだけは明かされずじまいだった。
明確に拒絶の意思を示されたから無理に問いただそうとは思わなかった。しかし、なんとなく想像はつく。その想像が正しければ、彼女が述懐を躊躇うのも無理はない。
その瞬間、ちくりと胸が痛んだ。つい先刻、白木院タクミという男に犯されて処女を奪われたという話を聞いた時にも味わった痛みだった。その話を聞かされて、はじめは憤りに近い感情が湧いた。立花カナの純潔を汚した男に対する怒りだ。
でも立花カナがどこかの男に抱かれたという事実は、悲しいかな、俺の股間をみなぎらせた。その時になって初めて、俺は自分の性癖が真っ直ぐでないことを思い知ったのだった。
居室に戻ると、ベッドの上で折り目正しく正座するカナの姿があった。
「おかえりなさい」
清々しいほどの笑顔で迎えてくる。さっきまで色欲に取り憑かれていたのが嘘のようだ。
俺は唇の片端をつり上げて、ふっと吐息をついた。
「スッキリしたようで何よりだよ」
カナは上機嫌そうに、うふふ、と笑みをこぼす。
「それもセクハラですよ。先輩の方こそ、スッキリされましたか?」
冷蔵庫から未開封のミネラルウォーターを取り出して、椅子に座る。
「するわけないだろ。風呂場でやると、あれが排水溝で詰まるわ浴室中が生臭くなるわでたいへんなんだ」
「なんの話をしてるんです? 私は、汗を流して気持ちよかったですか、と訊いてるんですよ」
カナが呆れたように突っ込みを入れてくる。
それで俺は勘違いに気がつき、顔が熱くなるのを感じた。
「そ、そういう話の流れだっただろうが」
「固いですねえ。……あっ、頭が、ですよ。くれぐれも下品な勘違いはなされないように」
「……お前はどうして俺ごときをからかうのに、そこまで捨て身になれるんだ」
げんなりした顔で尋ねると、カナはくすりと笑みをこぼして答えた。
「だって先輩のリアクション可愛いんだもん。つい加虐心に火が点いちゃうんです」
「ナイーブな男心を弄びやがって」
悪態をついて、ミネラルウォーターをあおる。
冷たい水が火照った体を巡り、少しばかり気分が落ち着きを取り戻す。
「では、私もシャワー浴びてきますね。いっぱい汗かいちゃったんで」
「想像を掻き立てるひと言を残していくのはやめろ」
「……先輩」
カナがため息混じりに呼びかけてくる。
見るとどこか憂いを帯びた眼差しがこちらを見下ろしていた。
「ホントに一発抜いた方がいいと思いますよ。まだまだ先行きは見えないことですし、今はストレスを極力溜めないように努めるべきです。ちょっと気持ち長めにシャワーを浴びてきますから、そのあいだにどうぞ心ゆくまでお抜きになってください」
「…………」
またからかわれているのかと思い声を荒げかけたが、言っていることとは裏腹に彼女の表情が真剣そのものだったので、咄嗟に反論が憚られた。人間、真面目な顔でオナニーを勧められると返す言葉に困るのだと知る。
カナは少し俯いて、躊躇いがちに発言を続けた。
「でも、入浴中はこっち見ないでくださいね。さすがに全裸を見られるのは恥ずかしいので」
「なにを今更カマトトぶってんだ。そんなこと、屁でもないくせに」
そうやって嘲ると、カナの鋭い視線がこちらを射抜いた。
「うら若き乙女に対して何たる言い草ですか」
「言われたくないなら日頃の言動を見直すんだな。ていうか、裸より恥ずかしいもん、散々見せられてきた気もするんだけど」
「それはまあ、そうですけど……。でも、発情させるのと発情されるのとでは全然違いますから」
「何をわけのわからんことを」
「ほら、他人を笑わせるのと他人に笑われるのって、同じ笑いを取ることでもニュアンスが違うじゃないですか。こちらが狙っていない場面で他人の笑いを誘ってしまうのは、なんとなくカッコ悪い気がします。カッコ悪いのは恥ずかしいことです」
そんな説明を受けて釈然としたわけではないが、ここは、そうかい、と温度の低い相槌を返すだけに留めておく。
「その、だからAVとかは、控えてもらえると助かります」
その理由は尋ねるまでもない。テレビの方を向くと浴室が視界の端に見切れるからだ。
俺がシャワーを浴びているあいだは散々テレビの方を見まくっていたくせに、と苦言を呈したくもなるが、まあ許可を求められて拒まなかった手前、今更蒸し返すつもりはない。
「代わりといってはなんですが……これをどうぞ」
躊躇いの素振りを見せつつ、カナは襟元の隙間からガウンの中に手を突っ込んだ。つかの間ゴソゴソと弄って、手を引き抜く。
その瞬間、俺は口に含んでいたミネラルウォーターを吹き出しそうになった。
彼女が手にしていたのは、自身が今し方まで身につけていたブラジャーだった。黒いサテンの、レースがあしらわれたそれは見覚えがある。
「汚しても大丈夫です。どうぞお好きなようにお使いになってください」
「あほかっ。はやく仕舞え」
慌てて嗜めるが、カナは尚も手を引っ込めようとしない。頬を朱色に染めながら、上目遣いに釈明してくる。
「これでも、申し訳ないと思ってるんですよ。性交渉を断り続けておきながら、先輩の性的興奮を煽るようなことばかり繰り返して。本当に自分でも悪い女だと思ってます。だから、これはせめてもの罪滅ぼしです。口に含んでも、何に擦り付けても構いません。どんな使い方をしようと絶対に幻滅しないと誓います」
カナがこちらに歩み寄り、机の上にブラを放置する。
「後で聞かせてくださいね。先輩がそれを使って、どんな変態的なことをしたのかを」
楽しみにしてますね――最後にそんなことを言い残して、彼女は踵を返し浴室へと足を運んでいった。
心臓がけたたましいリズムで脈打つのを感じながら、俺はひとまず浴室に背を向けるよう椅子から腰を浮かせ、ベッドの端にスライドさせる。そのあいだも視線はずっとテーブルに置かれた下着に釘付けだった。
女性の下着に対して特別な執着を抱くような性的嗜好は持ち合わせていない。もちろん全くの無関心というわけでもないけれど、あくまで女性が身につけた状態のそれに魅力を感じるのであって、単体で欲情できるものではないと思っている。たとえば下着売り場に陳列されている下着を見て、微塵も劣情を催したりはしない。しかしどういうわけか、今の自分はそんな理屈とは裏腹に、めっぽう興奮していた。
長らく禁欲生活を強いられていることの反動か、あるいは、それが立花カナの所有物であるからか。
ただの布きれじゃないかと頭で理解していても、胸の高鳴りを抑えることは難しかった。
このブラをペニスに巻き付けながらしごけばどんなに気持ちがいいだろう――想像しただけで股間がはち切れんばかりに勃起した。
肌の温もりが残っている今のうちに感触を確かめたい。そんな本能の叫びが幾度となく理性を揺るがし、そのたびにテーブルに手が伸びかけた。だが、寸でのところで躊躇いも生じた。下着を手にしてしまえば、いよいよ理性の歯止めが利かなくなる恐れがある。そうなるとカナの口車に乗せられて自慰行為をしてしまった先日の二の舞だ。途轍もない快楽を得る代わりに、自尊心がズタズタに傷つけられ、強烈な自己嫌悪の波にさらわれてしまう。もしまた同じ目に遭ったら、今度は立ち直れる自信がない。
揺れる理性に追い打ちをかけるように浴室からシャワーの音が聞こえてくる。
俺は歯を食い縛って、膝の上に押しつけるように両手を重ねた。ぎゅっと瞼を閉じて、強引に目の毒から逃れる。どこからか衣擦れの音が聞こえてきたかと思えば、それは自分自身が発する貧乏揺すりの音だった。
――まったく。とんでもない置き土産を残していきやがって。
心の中でぼやいて、もどかしさに膝を叩く。
色々と昔のことを教えてもらったが、未だに立花カナという人間の全体像が掴めないでいる。
過去の体験からセックスにトラウマを抱いていた彼女が、安住ヨシノとの再会後、いかなる変遷を辿って現在の開けっぴろげな貞操感を養うまでに至ったのか。彼女の人間性を網羅するには避けては通れない経歴だが、結局、そこだけは明かされずじまいだった。
明確に拒絶の意思を示されたから無理に問いただそうとは思わなかった。しかし、なんとなく想像はつく。その想像が正しければ、彼女が述懐を躊躇うのも無理はない。
その瞬間、ちくりと胸が痛んだ。つい先刻、白木院タクミという男に犯されて処女を奪われたという話を聞いた時にも味わった痛みだった。その話を聞かされて、はじめは憤りに近い感情が湧いた。立花カナの純潔を汚した男に対する怒りだ。
でも立花カナがどこかの男に抱かれたという事実は、悲しいかな、俺の股間をみなぎらせた。その時になって初めて、俺は自分の性癖が真っ直ぐでないことを思い知ったのだった。
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