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第4章
桐生コージの後悔(4/5)
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安住の家は、タワーマンションの最上階にあった。
聞くところによると、父親が地主の家系で、今はその資産運用で生計を立てているのだという。安住はそこの令嬢というわけだ。
気後れしながら中に通されると、高級そうな造りの玄関が俺を出迎えた。内装もその外観を裏切ることなく瀟酒な雰囲気を漂わせていた。
広々としたリビングに巨大な薄型テレビがあり、その手前にガラス製のローテーブルと革張りのソファが配置されていた。
そのソファの隅に恐縮しながら腰を下ろすと、その隣に安住が座ってきた。なんだか今までになく距離が近いように感じた。
安住は分厚いファイルをテーブルの上に広げた。そこには色々なDVDやブルーレイの円盤が収まっていた。
「どれにします?」
と安住が尋ねてくるのを、俺はぎこちない心地で聞き流していた。
緊張していたのは独特な部屋の空気に呑まれていたからというのもあるが、その時の安住の恰好がノースリーブのブラウスにミニスカートといった、肌の露出が過度なものだったせいでもある。家の中だから油断しているのか知らないが、思春期の男の目には毒でしかなかった。
安住は、リラックスしてください、と俺の膝の上に手を置いた。
びくりと俺が肩を跳ねさせると、彼女は意味ありげに微笑みかけてきて、その手を離した。それから立ち上がってテレビの前まで足を運び、円盤をプライヤーにセットした。
心を落ち着かせようと深呼吸していると、不意に部屋の照明が落ちた。窓はブラインドが下りているため、ほとんど真っ暗になる。安住はまたしても膝が触れ合うくらいの真隣に腰を下ろした。
映画が始まる。知らないタイトルの洋画だった。古い作品であることはSEや舞台装置のちゃちさから推測できた。少し観て、アメリカンマフィアを題材にしたアクション映画だと察知する。テレビだけでなく音響装置もなかなか立派なものを使っているらしく、台詞や効果音の一つひとつが耳元でクリアに聞き取れ、臨場感が凄まじかった。
2時間ほど経ち、エンドロールが流れた。余韻に浸っていたところで部屋が明るくなり、途端に身体が緊張を思い出す。
「どうでしたか?」
安住に感想を訊かれ、俺は素直に面白かったと答えた。
それを受けて安住は満足そうに頷き、
「隠れた名作です」
と言って微笑みを浮かべた。
感想もそこそこに、安住は円盤の詰まったファイルを開く。
「次はどれにしましょうか」
と訊いてくる彼女に、俺は、今のより面白い映画、とぶっきらぼうに注文した。
安住は口元に微笑を張り付けたまま、生意気、と口にした。こちらの心臓をドキリとさせる反応だった。
ファイルから円盤を1枚抜き取り、テレビの前に移動する。ひざまずいてプレイヤーの開閉スイッチを押して円盤を取り出そうとしたが、ついうっかり掴み損ねてしまったらしい、安住の手から円盤がこぼれ、テレビ台と床のあいだの狭い隙間に滑り込んでいった。安住は、ああもうっ、と苛立ちの声を放ってから、テレビ台の下を覗き込むようにその場に四つん這いになった。
その瞬間、思いがけない光景が目に飛び込んできた。
その時、安住は丈の短いスカートを履いていた。そんな恰好で頭を地べたに伏せ、尻を突き出すような体勢を取れば、何が見えてしまうかは火を見るよりも明らかだった。
俺は咄嗟に注意しようと口を開きかけた。だが声が出なかった。
瞬く間に股間が熱を帯び、頭の芯がカッと熱くなった。
見てはいけないと思いつつも、その純白の布地から目が離せなかった。
不意に安住が振り返る。反射的に彼女から目を逸らした。
どうしましたか、と訊かれたが、どうもしない、と答えるしかなかった。
その時の彼女をちらと覗くと、口元が笑みの形に歪んでいた。
わざとやってるのか、と疑問に思ったが、そんなことを訊ける度胸は持ち合わせていなかった。
プレイヤーに新たな円盤がセットされ、次の映画が始まる。照明が落ち、安住が隣に座る。
どういう映画なんだ、と訊くと、それは観てからのお楽しみ、と曖昧にぼかされた。
今度もタイトルの知らない洋画だった。1本目とは打って変わって最近の映画のようだ。今度も少し観て、どういう内容の映画なのか理解した。超能力者がひとつの街に集められ、そこで激しい殺し合いが繰り広げられるといった粗筋のバトルロワイヤル物だった。開始してから約15分が経つ頃、ひとりの超能力者が命を落とした。その時点ですでに白けた気分が込み上げていた。有り体にいって、つまらなかった。筋書きもキャストも一聞した限りでは申し分ない。こんなに良い素材が揃っているのに、どうしてここまで粗悪な料理に仕上がってしまうのだろうと疑いたくなるほどに出来の悪い映画だった。
安住は本当にこんなものを面白いと思っているのだろうか? そう疑問に思って隣の安住をみると、彼女もちょうど大あくびをかいているところだった。
30分経っても1時間経っても食指を動かされるシーンは訪れず、段々と苛立ちが込み上げてきた。尿意が少しあったため、それを理由に中座することにした。安住に、とめておきましょうか、と訊かれたが、俺は首を横に振った。
トイレを済ませ、部屋に戻ると、画面の中の男女が一糸纏わぬ姿になって絡み合っていた。思わず、えっ、と声が漏れていた。
「いいところで帰ってきましたね」
安住が弾んだ声で言ってくる。
わけがわからぬまま俺は元の席に腰を下ろした。自分が離席している間に別の映画に切り変わったのかと思ったが、その男女は紛れもなく先ほどの映画に出演していた主人公とヒロインだった。
混乱している自分をよそに物語は進んでいく。案の定、男女は深い情交にもつれ始めた。ふたりの舌を絡ませる音が、ヒロインの甘い喘ぎ声が、荒々しい息づかいが、安住家の高性能な音響装置を介して生々しく耳に伝わる。
ヒロインの形のいい乳房を、主人公が口に含んでむしゃぶりつく。ヒロインの口からひときわ大きな嬌声が放たれる。その手は主人公の下半身に伸びている。さすがに性器の描写はなかったが、その手がいかにいやらしく主人公のいちもつを弄くっているかは想像に難くない。
やがてふたりは暗がりに満ちたベッドの上で性行を始めた。枕に横顔を埋めたヒロインが突き出した尻に、膝立ちした主人公の下半身があてがわれる。カメラアングルはやや引いた位置にあり、画面には繋がったふたりの黒いシルエットが映し出されていた。シルエットは絶えず蠢いており、シーツの擦れる音と乱れた呼吸の音と女の悲鳴に似たよがり泣きが古びたモーテルの一室を満たしていた。
街に集められた戦士の中でも彼女はとりわけ最強と称されるほどの実力者だった。そんな彼女がベッドの上で最弱候補のひとりとして数えられていた主人公に犯され、幼い少女のような泣き声を振りまいている。物語の冒頭で、価値観の違いから散々言い争いをしていたふたりが、そんなことをしているのが信じられなかった。
俺は心臓がバクバクと高鳴るのを抑えられなかった。頭の中には混乱の嵐が吹き荒れていた。
隣の安住を見ると、彼女は恍惚とした表情を浮かべて画面に見入っていた。
その横顔は強固な引力を放つ惑星のように忽ち俺の目を釘づけにした。
やがて俺の視線に気づいてか、安住も俺に視線を移した。中空でふたつの視線が交錯する。
安住は目を細めて薄く笑った。それから少し腰を浮かして、拳ひとつ分ほど空いていた距離を詰めてきた。
甘い香りが鼻孔をくすぐり、脳幹がくらりと揺れた。
こちらに視線を預けたまま安住は小首を傾げた。その拍子に横分けだった前髪がはらりと彼女の湿っぽい瞳を覆った。
半開きになっていた唇が、不意に言葉を紡いだ。
「つまらない映画だと思って油断してたでしょ」
虚をつかれ、返答に窮した。
前髪を細い指で搔き上げながら、彼女はさらに続ける。
「それがこの映画の思うつぼでね。魅せたい場面だけをとことん派手に描写して、他はあえてつまらない感じに仕立ててるの。ここぞというシーンを際立たせるためにね」
いつの間にか後輩の口調から敬語が抜け落ちていた。
ふと膝の上に熱を感じた。見ると安住の右手が置かれていた。その手がヘビのように腿の上を這いずり、徐々に股間の辺りをめがけてにじり寄ってくる。
金縛りに遭ったかのように、俺は抵抗できなかった。
もっこりと膨れ上がった股間の手前で彼女の手が動きを止めた。
暗室には今もヒロインの生々しい嬌声が響き渡っている。
「人生もこの映画と同じ。つまらない日常の中に不意に訪れる刺激的な非日常の一幕が〝人生〟という映画に彩りと深みをもたらすの」
安住が耳元で囁く。すぐ真横に彼女の顔があった。
瑞々しくて厚みのある唇が告げる。ねえ先輩、と。
「映画をつくりましょう。私と、とびきり最高の映画を」
そして、熱を帯びた股間に彼女の綺麗な手が重なった。ふふ、と安住は笑う。
「私の音も感じて」
彼女は空いていた左手で俺の手を取り、自分の胸に押し当ててきた。
発育のいい彼女の胸にてのひらが沈む。衣服越しに心音が激しく奏でられているのを感じた。
すでに理性の壁が突き破れそうになっていた。
俺には、カナが――そう、うわごとのように呟きつつも、てのひらは安住の胸の柔らかさを求めていた。
このままここにいては取り返しのつかないことになる。自分の中に残っている冷静な部分がそう強く訴えかけていた。なけなしの理性を働かせて胸から手を剥がそうとするが、安住の僅かな力にも敵わない。
「カナは先輩のことなんか眼中にないです」
安住はさらりと言った。
俺は彼女の目を見返した。湿った瞳の奥に、当惑した男の顔が映っていた。
そんなはずはない。カナは俺のことを好いてくれている。そう反論したかったが、声にならなかった。その直前、安住の右手が優しい手付きで俺の股間をさすり始めていた。
「先輩のことを愛しているのは、この世で私、ただひとりです。同じ花なら、手の届かない場所で咲いてる花より、目の前に咲いている花を愛でてください」
股間を愛撫されながら、甘い声で囁かれ、ついに理性が崩壊した。
安住をソファに押し倒し、上に乗っかる。しばらく瞳を交わらせていると、痺れを切らしたように安住の方から唇を求めてきた。舌を絡ませ合うような、濃厚なキスだった。
その後はたがが外れたように安住の身体を求めていた。安住はされるがままにそれを受け入れ、ひたすら牝の声を居室に響かせた。その声が映画のヒロインのものなのか、安住のものなのか、途中からわからなくなっていた。
※
目が覚めたとき、俺は寝室と思しき部屋のベッドの中にいた。
見憶えのない天井に一瞬だけ当惑したが、自分の腕の中に裸の安住が収まっているのを見て、すぐに全てを思い出した。
童貞を捨てたのだという達成感に似た思いが胸の片隅を漂っていた。でもそれより何より、やってしまった、という後悔が胸の中心部で渦巻いていた。
次に立花に会った時、どういう顔をすればいいのだろう――そんなことばかりが脳内を占めていた。
やがて腕の中の安住が身じろぎする気配があった。
安住は、ふわあ、とあくびして俺の顔を覗き込んできた。
形の良い双つの乳房に、つい目を奪われる。
安住はにこりと微笑み、好きですねえ、と呆れの含んだ声色で言った。
するりと全身から力が抜けた。仰向けに寝転がったまま、ぼんやりと天井を見つめる。
その時、パシャリという音と共に閃光が暗室を襲った。見ると安住がスマホを覗いている。青白い光を帯びた彼女の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
なんとなく良い気はしなかったが、苦言を呈する気力が湧かず、ため息だけが口から漏れた。
おもむろにベッドから抜け出して、立ち上がる。身につけているのは靴下とパンツだけという可笑しな恰好だった。
「お帰りですか」
俺から何かしらの気配を嗅ぎ取ったのだろう、安住が先に声をかけてきた。
俺は沈黙を保ち、中空を睨んでいた。
様々な形の謝罪文句が脳内に浮かんでは消えていく。今日のことは忘れてほしい。そんな最低なひと言が放たれる前に、安住は言った。
「ふつつか者ですが、これからよろしくお願いしますね」
えっ、と声を漏らして振り返ると、未だにシーツに包まって横になっている安住の、キョトンとした表情が目に入った。
俺が絶句して立ち尽くしていると、安住は笑みを取り戻して言った。
「魂の契りを交わしたんですもの。私たちのあいだに安っぽい告白なんて不要です」
その時の自分はさぞかし青ざめた顔になっていたことだろう。
退路を絶たれ、もはや頷く以外の選択肢がなかった。
立花カナの太陽のような笑顔が脳内に浮かんだ。
いつまでも沈んでほしくなかった。ずっと自分の頭上で燦々と輝いていてほしかった。その願いはもう叶わない。俺自身が太陽の下を離れてしまったからだ。
絶望に取り憑かれたまま安住家を後にし、次の日を迎えた。本当だったら立花に告白して恋人になるはずだった日だ。
果たして、いつもの電車に立花は現れなかった。安住から全ての事情を聞いたのだろうと察した。
のちに安住から立花が退学したことを報された。その時になって初めて自分が取り返しのつかない罪を犯したのだということを悟ったのだった。
安住の家は、タワーマンションの最上階にあった。
聞くところによると、父親が地主の家系で、今はその資産運用で生計を立てているのだという。安住はそこの令嬢というわけだ。
気後れしながら中に通されると、高級そうな造りの玄関が俺を出迎えた。内装もその外観を裏切ることなく瀟酒な雰囲気を漂わせていた。
広々としたリビングに巨大な薄型テレビがあり、その手前にガラス製のローテーブルと革張りのソファが配置されていた。
そのソファの隅に恐縮しながら腰を下ろすと、その隣に安住が座ってきた。なんだか今までになく距離が近いように感じた。
安住は分厚いファイルをテーブルの上に広げた。そこには色々なDVDやブルーレイの円盤が収まっていた。
「どれにします?」
と安住が尋ねてくるのを、俺はぎこちない心地で聞き流していた。
緊張していたのは独特な部屋の空気に呑まれていたからというのもあるが、その時の安住の恰好がノースリーブのブラウスにミニスカートといった、肌の露出が過度なものだったせいでもある。家の中だから油断しているのか知らないが、思春期の男の目には毒でしかなかった。
安住は、リラックスしてください、と俺の膝の上に手を置いた。
びくりと俺が肩を跳ねさせると、彼女は意味ありげに微笑みかけてきて、その手を離した。それから立ち上がってテレビの前まで足を運び、円盤をプライヤーにセットした。
心を落ち着かせようと深呼吸していると、不意に部屋の照明が落ちた。窓はブラインドが下りているため、ほとんど真っ暗になる。安住はまたしても膝が触れ合うくらいの真隣に腰を下ろした。
映画が始まる。知らないタイトルの洋画だった。古い作品であることはSEや舞台装置のちゃちさから推測できた。少し観て、アメリカンマフィアを題材にしたアクション映画だと察知する。テレビだけでなく音響装置もなかなか立派なものを使っているらしく、台詞や効果音の一つひとつが耳元でクリアに聞き取れ、臨場感が凄まじかった。
2時間ほど経ち、エンドロールが流れた。余韻に浸っていたところで部屋が明るくなり、途端に身体が緊張を思い出す。
「どうでしたか?」
安住に感想を訊かれ、俺は素直に面白かったと答えた。
それを受けて安住は満足そうに頷き、
「隠れた名作です」
と言って微笑みを浮かべた。
感想もそこそこに、安住は円盤の詰まったファイルを開く。
「次はどれにしましょうか」
と訊いてくる彼女に、俺は、今のより面白い映画、とぶっきらぼうに注文した。
安住は口元に微笑を張り付けたまま、生意気、と口にした。こちらの心臓をドキリとさせる反応だった。
ファイルから円盤を1枚抜き取り、テレビの前に移動する。ひざまずいてプレイヤーの開閉スイッチを押して円盤を取り出そうとしたが、ついうっかり掴み損ねてしまったらしい、安住の手から円盤がこぼれ、テレビ台と床のあいだの狭い隙間に滑り込んでいった。安住は、ああもうっ、と苛立ちの声を放ってから、テレビ台の下を覗き込むようにその場に四つん這いになった。
その瞬間、思いがけない光景が目に飛び込んできた。
その時、安住は丈の短いスカートを履いていた。そんな恰好で頭を地べたに伏せ、尻を突き出すような体勢を取れば、何が見えてしまうかは火を見るよりも明らかだった。
俺は咄嗟に注意しようと口を開きかけた。だが声が出なかった。
瞬く間に股間が熱を帯び、頭の芯がカッと熱くなった。
見てはいけないと思いつつも、その純白の布地から目が離せなかった。
不意に安住が振り返る。反射的に彼女から目を逸らした。
どうしましたか、と訊かれたが、どうもしない、と答えるしかなかった。
その時の彼女をちらと覗くと、口元が笑みの形に歪んでいた。
わざとやってるのか、と疑問に思ったが、そんなことを訊ける度胸は持ち合わせていなかった。
プレイヤーに新たな円盤がセットされ、次の映画が始まる。照明が落ち、安住が隣に座る。
どういう映画なんだ、と訊くと、それは観てからのお楽しみ、と曖昧にぼかされた。
今度もタイトルの知らない洋画だった。1本目とは打って変わって最近の映画のようだ。今度も少し観て、どういう内容の映画なのか理解した。超能力者がひとつの街に集められ、そこで激しい殺し合いが繰り広げられるといった粗筋のバトルロワイヤル物だった。開始してから約15分が経つ頃、ひとりの超能力者が命を落とした。その時点ですでに白けた気分が込み上げていた。有り体にいって、つまらなかった。筋書きもキャストも一聞した限りでは申し分ない。こんなに良い素材が揃っているのに、どうしてここまで粗悪な料理に仕上がってしまうのだろうと疑いたくなるほどに出来の悪い映画だった。
安住は本当にこんなものを面白いと思っているのだろうか? そう疑問に思って隣の安住をみると、彼女もちょうど大あくびをかいているところだった。
30分経っても1時間経っても食指を動かされるシーンは訪れず、段々と苛立ちが込み上げてきた。尿意が少しあったため、それを理由に中座することにした。安住に、とめておきましょうか、と訊かれたが、俺は首を横に振った。
トイレを済ませ、部屋に戻ると、画面の中の男女が一糸纏わぬ姿になって絡み合っていた。思わず、えっ、と声が漏れていた。
「いいところで帰ってきましたね」
安住が弾んだ声で言ってくる。
わけがわからぬまま俺は元の席に腰を下ろした。自分が離席している間に別の映画に切り変わったのかと思ったが、その男女は紛れもなく先ほどの映画に出演していた主人公とヒロインだった。
混乱している自分をよそに物語は進んでいく。案の定、男女は深い情交にもつれ始めた。ふたりの舌を絡ませる音が、ヒロインの甘い喘ぎ声が、荒々しい息づかいが、安住家の高性能な音響装置を介して生々しく耳に伝わる。
ヒロインの形のいい乳房を、主人公が口に含んでむしゃぶりつく。ヒロインの口からひときわ大きな嬌声が放たれる。その手は主人公の下半身に伸びている。さすがに性器の描写はなかったが、その手がいかにいやらしく主人公のいちもつを弄くっているかは想像に難くない。
やがてふたりは暗がりに満ちたベッドの上で性行を始めた。枕に横顔を埋めたヒロインが突き出した尻に、膝立ちした主人公の下半身があてがわれる。カメラアングルはやや引いた位置にあり、画面には繋がったふたりの黒いシルエットが映し出されていた。シルエットは絶えず蠢いており、シーツの擦れる音と乱れた呼吸の音と女の悲鳴に似たよがり泣きが古びたモーテルの一室を満たしていた。
街に集められた戦士の中でも彼女はとりわけ最強と称されるほどの実力者だった。そんな彼女がベッドの上で最弱候補のひとりとして数えられていた主人公に犯され、幼い少女のような泣き声を振りまいている。物語の冒頭で、価値観の違いから散々言い争いをしていたふたりが、そんなことをしているのが信じられなかった。
俺は心臓がバクバクと高鳴るのを抑えられなかった。頭の中には混乱の嵐が吹き荒れていた。
隣の安住を見ると、彼女は恍惚とした表情を浮かべて画面に見入っていた。
その横顔は強固な引力を放つ惑星のように忽ち俺の目を釘づけにした。
やがて俺の視線に気づいてか、安住も俺に視線を移した。中空でふたつの視線が交錯する。
安住は目を細めて薄く笑った。それから少し腰を浮かして、拳ひとつ分ほど空いていた距離を詰めてきた。
甘い香りが鼻孔をくすぐり、脳幹がくらりと揺れた。
こちらに視線を預けたまま安住は小首を傾げた。その拍子に横分けだった前髪がはらりと彼女の湿っぽい瞳を覆った。
半開きになっていた唇が、不意に言葉を紡いだ。
「つまらない映画だと思って油断してたでしょ」
虚をつかれ、返答に窮した。
前髪を細い指で搔き上げながら、彼女はさらに続ける。
「それがこの映画の思うつぼでね。魅せたい場面だけをとことん派手に描写して、他はあえてつまらない感じに仕立ててるの。ここぞというシーンを際立たせるためにね」
いつの間にか後輩の口調から敬語が抜け落ちていた。
ふと膝の上に熱を感じた。見ると安住の右手が置かれていた。その手がヘビのように腿の上を這いずり、徐々に股間の辺りをめがけてにじり寄ってくる。
金縛りに遭ったかのように、俺は抵抗できなかった。
もっこりと膨れ上がった股間の手前で彼女の手が動きを止めた。
暗室には今もヒロインの生々しい嬌声が響き渡っている。
「人生もこの映画と同じ。つまらない日常の中に不意に訪れる刺激的な非日常の一幕が〝人生〟という映画に彩りと深みをもたらすの」
安住が耳元で囁く。すぐ真横に彼女の顔があった。
瑞々しくて厚みのある唇が告げる。ねえ先輩、と。
「映画をつくりましょう。私と、とびきり最高の映画を」
そして、熱を帯びた股間に彼女の綺麗な手が重なった。ふふ、と安住は笑う。
「私の音も感じて」
彼女は空いていた左手で俺の手を取り、自分の胸に押し当ててきた。
発育のいい彼女の胸にてのひらが沈む。衣服越しに心音が激しく奏でられているのを感じた。
すでに理性の壁が突き破れそうになっていた。
俺には、カナが――そう、うわごとのように呟きつつも、てのひらは安住の胸の柔らかさを求めていた。
このままここにいては取り返しのつかないことになる。自分の中に残っている冷静な部分がそう強く訴えかけていた。なけなしの理性を働かせて胸から手を剥がそうとするが、安住の僅かな力にも敵わない。
「カナは先輩のことなんか眼中にないです」
安住はさらりと言った。
俺は彼女の目を見返した。湿った瞳の奥に、当惑した男の顔が映っていた。
そんなはずはない。カナは俺のことを好いてくれている。そう反論したかったが、声にならなかった。その直前、安住の右手が優しい手付きで俺の股間をさすり始めていた。
「先輩のことを愛しているのは、この世で私、ただひとりです。同じ花なら、手の届かない場所で咲いてる花より、目の前に咲いている花を愛でてください」
股間を愛撫されながら、甘い声で囁かれ、ついに理性が崩壊した。
安住をソファに押し倒し、上に乗っかる。しばらく瞳を交わらせていると、痺れを切らしたように安住の方から唇を求めてきた。舌を絡ませ合うような、濃厚なキスだった。
その後はたがが外れたように安住の身体を求めていた。安住はされるがままにそれを受け入れ、ひたすら牝の声を居室に響かせた。その声が映画のヒロインのものなのか、安住のものなのか、途中からわからなくなっていた。
※
目が覚めたとき、俺は寝室と思しき部屋のベッドの中にいた。
見憶えのない天井に一瞬だけ当惑したが、自分の腕の中に裸の安住が収まっているのを見て、すぐに全てを思い出した。
童貞を捨てたのだという達成感に似た思いが胸の片隅を漂っていた。でもそれより何より、やってしまった、という後悔が胸の中心部で渦巻いていた。
次に立花に会った時、どういう顔をすればいいのだろう――そんなことばかりが脳内を占めていた。
やがて腕の中の安住が身じろぎする気配があった。
安住は、ふわあ、とあくびして俺の顔を覗き込んできた。
形の良い双つの乳房に、つい目を奪われる。
安住はにこりと微笑み、好きですねえ、と呆れの含んだ声色で言った。
するりと全身から力が抜けた。仰向けに寝転がったまま、ぼんやりと天井を見つめる。
その時、パシャリという音と共に閃光が暗室を襲った。見ると安住がスマホを覗いている。青白い光を帯びた彼女の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
なんとなく良い気はしなかったが、苦言を呈する気力が湧かず、ため息だけが口から漏れた。
おもむろにベッドから抜け出して、立ち上がる。身につけているのは靴下とパンツだけという可笑しな恰好だった。
「お帰りですか」
俺から何かしらの気配を嗅ぎ取ったのだろう、安住が先に声をかけてきた。
俺は沈黙を保ち、中空を睨んでいた。
様々な形の謝罪文句が脳内に浮かんでは消えていく。今日のことは忘れてほしい。そんな最低なひと言が放たれる前に、安住は言った。
「ふつつか者ですが、これからよろしくお願いしますね」
えっ、と声を漏らして振り返ると、未だにシーツに包まって横になっている安住の、キョトンとした表情が目に入った。
俺が絶句して立ち尽くしていると、安住は笑みを取り戻して言った。
「魂の契りを交わしたんですもの。私たちのあいだに安っぽい告白なんて不要です」
その時の自分はさぞかし青ざめた顔になっていたことだろう。
退路を絶たれ、もはや頷く以外の選択肢がなかった。
立花カナの太陽のような笑顔が脳内に浮かんだ。
いつまでも沈んでほしくなかった。ずっと自分の頭上で燦々と輝いていてほしかった。その願いはもう叶わない。俺自身が太陽の下を離れてしまったからだ。
絶望に取り憑かれたまま安住家を後にし、次の日を迎えた。本当だったら立花に告白して恋人になるはずだった日だ。
果たして、いつもの電車に立花は現れなかった。安住から全ての事情を聞いたのだろうと察した。
のちに安住から立花が退学したことを報された。その時になって初めて自分が取り返しのつかない罪を犯したのだということを悟ったのだった。
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