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衝動
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しおりを挟む『元気?』
たった一言送るのに、一体何日かかったのだろう?
僅かに震える指をギュッと手のひらに収め、楓はスマホの画面を見つめた。
夕方のカフェテリアには、バイトや電車の時間調整をする人、誰かと待ち合わせをする人などが、入れ替わり立ち替わり入っては出て行く。
楽しそうな話し声に混じって、あちらこちらから忙しなくキーボードを叩く音が聞こえてくる。レポートでも作成しているのだろうか。その不規則なタップ音を聴きながら、楓は紙コップのコーヒーを啜った。
苦味の強いブラックコーヒーが紙コップの中ほどまでになった頃、ようやくメッセージが既読になった。
「あ!」
思わず声を上げ、楓は慌てて口を塞いだ。
周りを見渡したが、楓に注目する者は一人もいない。ホッと胸を撫で下ろし、再び楓は、スマホに視線を貼り付けた。
しかし、一分が過ぎ、二分が過ぎても、聖からの返信はない。
「もしかして、あたしを避けてる……?」
きっと自分は、見てはいけないものを見てしまったのだろう。
あの状況から察するに、聖と静華は、男女の関係に違いない。
静華との情事のあとを見られ動揺した聖は、思わず楓に乱暴を働いてしまい、そのことを悔やんで……。
そこまで考えて、楓は「違う」と呟いた。
ザワザワと、胸の奥から嫌な予感が湧き上がってくる。
以前、授業で習った言葉が頭を過ぎる。
静華との関係は、今に始まったことではなくて……。
「まさか……。性的……虐待……?」
あの時の聖は、明らかに様子がおかしかった。
虐待され続けてきた子どもは、感情のコントロールがきかなくなることが多い。
前に聖は、セックスが嫌いだと言っていた。
もしも長い間、静華にセックスを強要されていたのだとしたら……?
ぐにゃりと視界が歪むような感覚に見舞われ、楓は両手で目頭を強く押さえた。
「聖……」
口の中で小さく呟くと、楓は荷物をわし掴み、勢いよく立ち上がった。
残りのコーヒーを手洗い場に流し、カップをゴミ箱に投げ入れる。ドアを開けて入ってくる学生の脇を、すいません、と器用にすり抜け、楓は急いで駅へと向かった。
***
聖の部屋の前で、楓は深く深呼吸する。
あの日の光景がフラッシュバックし、自然と身体が震えてくる。
このドアの向こうから再び静華が現れたらと思うと、楓の心は不安でいっぱいになった。
しかし、今更引き返すわけにはいかない。
その時はその時だと腹を括り、楓はインターホンに手を伸ばした。
ボタンを押して暫く待つ。
少しの静寂のあと、プツリと回線の切れる音がした。映像を確認したのだろう。
間もなく、部屋の中から人の動く気配が流れてきた。
躊躇いがちにサムターンが回される。
ゆっくり開いたドアの隙間から、色素の薄い猫っ毛が、様子を伺うようにのっそりと姿を見せた。
「なんで来たんだよ」
聖が、泣いているとも怒っているともつかないような不貞腐れた表情で、ぼそりと呟いた。
「だって……。一応、彼女だから」
ハッとして楓を見つめる琥珀色の瞳が、困ったように歪んだあと、みるみる涙の膜に覆われていく。
「楓……。ごめん……。俺……」
両手で顔を覆うと、聖は背中を丸め、深く頭を下げた。
震える聖の身体を、楓がそっと包みこむ。
「大丈夫だよ……」
癖のある猫っ毛を優しく撫でながら、楓は何度も「大丈夫」と繰り返した……。
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