上 下
65 / 76
第八章

最後のピース(四)

しおりを挟む
「五歳の誕生日だったわ」

 凛太朗の心の影を、母親の言葉が静かにかき混ぜた。

「家族で出かける時にはいつもお留守番だったマルを、あなたが『かわいそうだ』って言ってね。一緒に連れて行けるような籠が欲しいって言ったの」
「猫の籠?」
「あなた、誕生日プレゼントはそれがいいって言うのよ。それであの日、彼が仕事帰りに買って来ることになってね」

「それが五歳の誕生日……」

「雨が降ってたの」

 ふいに窓から湿気を含んだ風が入り込み、母親の束ねられた真っすぐな黒髪を揺らした。

「パパを迎えに行くんだって聞かなくてね。仕方がないから駅まで迎えに行くことにしたの。買ったばかりの青いレインコートを着て、ピカピカの青い長靴を履いてね。あなたとっても嬉しそうだったわ。マルに自慢げに見せてた」

「新しいレインコートと、ピカピカの長靴……」

 映像が、フラッシュのように凛太朗の脳裏に幾つか瞬いた。

「おまけにあなた、マルも連れて行きたいって言いだして……」
「マルも?」
「ええ。新しい籠を早く使いたかったのね。結局私がマルを抱いて行くことになって……。もうかなり大きくなってたから、あなたじゃ無理だった。雨も降ってたし……」
「そうだね」
「それでなんとか出発して……」

 一旦言葉を切り、母親は窓の外に視線を移した。
 日差しは既に消え、細かい雨が木の葉をじっとりと濡らしていた。

「コーポの前に横断歩道があったの」
「信号の所?」
「今は信号があるけど、当時は無かったの。そこで一旦止まって……」

 母親の声が詰まった。

「母さん……」
「ええ。大丈夫よ。ごめんなさい」

 母親は麦茶をひと口飲むと、凛太朗を見つめた。その瞳は、凛太朗を慈しむようでもあり、悲しみを堪えているようでもあった。

「道を渡ろうとしたら、向こうからトラックが見えたの。だからそれを見送ってから渡ろうと思って……。だけどその時、向こうからあの人が歩いてくるのが見えて……。手には大きな荷物を持って……。あなたは『パパ!』って叫んで……」

「それで……?」

「一瞬だったわ。きっとあなたにはトラックが見えてなかったのね。傘をさしていたから……」
「あ……」

 空を舞う青い傘が、凛太朗の脳裏をかすめた。

「あなたは道に飛び出していった。私は必死で叫んだけど、あなたの耳には届いていなかったみたい。私の声がクラクションに消されて……」

 耳をつんざくクラクションの音が聞こえたような気がして、凛太朗は思わず耳を塞いだ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

くろぼし少年スポーツ団

紅葉
ライト文芸
甲子園で選抜高校野球を観戦した幸太は、自分も野球を始めることを決意する。勉強もスポーツも平凡な幸太は、甲子園を夢に見、かつて全国制覇を成したことで有名な地域の少年野球クラブに入る、幸太のチームメイトは親も子も個性的で……。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

つれづれなるおやつ

蒼真まこ
ライト文芸
食べると少しだけ元気になる、日常のおやつはありますか? おやつに癒やされたり、励まされたりする人々の時に切なく、時にほっこりする。そんなおやつの短編集です。 おやつをお供に気楽に楽しんでいただければ嬉しいです。 短編集としてゆるく更新していきたいと思っています。 ヒューマンドラマ系が多くなります。ファンタジー要素は出さない予定です。 各短編の紹介 「だましあいコンビニスイーツ」 甘いものが大好きな春香は日々の疲れをコンビニのスイーツで癒していた。ところがお気に入りのコンビニで会社の上司にそっくりなおじさんと出会って……。スイーツがもたらす不思議な縁の物語。 「兄とソフトクリーム」 泣きじゃくる幼い私をなぐさめるため、お兄ちゃんは私にソフトクリームを食べさせてくれた。ところがその兄と別れることになってしまい……。兄と妹を繋ぐ、甘くて切ない物語。 「甘辛みたらしだんご」 俺が好きなみたらしだんご、彼女の大好物のみたらしだんごとなんか違うぞ? ご当地グルメを絡めた恋人たちの物語。 ※この物語に登場する店名や商品名等は架空のものであり、実在のものとは関係ございません。 ※表紙はフリー画像を使わせていただきました。 ※エブリスタにも掲載しております。

金色の庭を越えて。

碧野葉菜
青春
大物政治家の娘、才色兼備な岸本あゆら。その輝かしい青春時代は、有名外科医の息子、帝清志郎のショッキングな場面に遭遇したことで砕け散る。 人生の岐路に立たされたあゆらに味方をしたのは、極道の息子、野間口志鬼だった。 親友の無念を晴らすため捜査に乗り出す二人だが、清志郎の背景には恐るべき闇の壁があった——。 軽薄そうに見え一途で逞しい志鬼と、気が強いが品性溢れる優しいあゆら。二人は身分の差を越え強く惹かれ合うが… 親が与える子への影響、思春期の歪み。 汚れた大人に挑む、少年少女の青春サスペンスラブストーリー。

猫のランチョンマット

七瀬美織
ライト文芸
 主人公が、個性的な上級生たちや身勝手な大人たちに振り回されながら、世界を広げて成長していく、猫と日常のお話です。榊原彩奈は私立八木橋高校の一年生。家庭の事情で猫と一人暮らし。本人は、平穏な日々を過ごしてるつもりなのだけど……。

【完結】二度目のお別れまであと・・・

衿乃 光希(絵本大賞参加中)
ライト文芸
一年前の夏、大好きな姉が死んだ。溺れた私を助けて。後悔から、姉の代わりになろうと同じ看護科に入学した。 でも授業にはついていけない。そもそも看護には興味がない。 納骨をすると告げられ反対したその日、最愛の姉が幽霊になってあたしの前に現れた――。 仲良し姉妹の絆とお別れの物語 第7回ライト文芸大賞への投票ありがとうございました。71位で最終日を迎えられました。

叶うのならば、もう一度。

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ライト文芸
 今年30になった結奈は、ある日唐突に余命宣告をされた。  混乱する頭で思い悩んだが、そんな彼女を支えたのは優しくて頑固な婚約者の彼だった。  彼と籍を入れ、他愛のない事で笑い合う日々。  病院生活でもそんな幸せな時を過ごせたのは、彼の優しさがあったから。  しかしそんな時間にも限りがあって――?  これは夫婦になっても色褪せない恋情と、別れと、その先のお話。

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

処理中です...