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第八章

最後のピース(一)

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 鎌倉市にある母親の実家は、電車とバスを乗り継いだ比較的緑の多いところだ。
 子どもの頃、自然豊かなこの街を凛太朗は結構気に入っていた。

 典型的な日本家屋の柊家は開放的で過ごしやすく、襖を全て開けると全部屋が繋がる。 
 幼い凛太朗はよくそこで思い切り身体を動かして遊んでいたものだ。

 奥の間に、床の間と仏壇がある。
 そこに今、凛太朗は静かに手を合わせて座っている。
 遺影の中には、懐かしい祖母の顔があった。

「お茶入ったわよ」
「うん。今行く」

 凛太朗は祖母に「じゃ」と軽く声を掛けると、茶の間へと移った。

「こうしていると、まだ生きてるような気がするよ。奥からひょっこり出てきそうだ」
「なぁに? お祖母ちゃんのこと?」
「うん。離れて暮らしてるから全然実感湧かないや。本当にいなくなったのか、どこかに遊びに行ってるだけなのか、全く区別がつかない」
「もう。変なこと言わないの」

 母親が笑いながら、ちゃぶ台の上にガラス細工の湯飲みを置いた。

「麦茶?」

 腰を下ろしながら、凛太朗が訊いた。

「そうよ。他のが良かった?」
「ううん。麦茶がいい」
「へえ。あんたそんなに麦茶好きだったっけ?」
「うん。好きになったんだ」

 冷たい麦茶をひと口飲むと、凛太朗は視線を落とした。

「ねえ、母さん。母さんは、麦茶に塩、入れないんだね」

「え? 塩?」
「そう。飲んだことない? 塩入り麦茶」
「そうねぇ」
 頬杖をつき、母親は暫く考え込む仕草をして見せた。

「ああ、あるわ」
「どこで?」
 凛太朗が身を乗り出して訊ねた。

「あれは……」

 一瞬、ハッと目を見開き口ごもる母親に、凛太朗が畳みかけるように言葉をぶつけた。

「コーポ谷崎でしょ? 瀬谷にあった。当時管理人をやっていた谷崎宗助さんから淹れてもらった。違う?」
「え? どうしたの急に?」
「母さん。教えてよ、本当のことを。僕は幼い頃の記憶がない。父さんの記憶も……。マルの記憶も……」
「マル……?」

「これを見て」

 凛太朗は風呂敷包みを開くと、中の物をちゃぶ台の上に置いた。

「これは……」

「猫の籠だよ。マルの……。これ、僕たちの物だよね? マルって、僕たちが昔飼ってた猫なんでしょ?」
「な……んで、これ……」
「マルはどこに行ったの? 父さんはどうして出て行ったの? 僕たちに……僕に、一体、何があったの?」
「凛太朗……」

 微熱を帯びた風が、大きな日本家屋の中を吹き抜けていった。
 木々の若い緑を纏った香りが、凛太朗とその母親を過去へと誘う。

「僕はもう、大丈夫だよ。何を聞いても驚かない。母さんが思っているより、ずっと大人なんだ」
「凛……」
「辛かったんでしょ? ずっと一人で抱えて。もういいから。ちゃんと、受け止めるから。だから……。聞かせて。マルのこと……。父さんのこと……。そして、僕の失われた過去の話を……」

「うっ……」

 両手を当てた母親の口元から、堪えきれず嗚咽が漏れた。
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