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第六章
再会(七)
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「随分辛い思いをさせてしまったな。悪かった」
いつしか父親の目にも涙が浮かんでいた。
「お前の気持ちはよくわかる。だけど、残念ながら、父さんにはお前の望みを叶えてやることはできない」
「どうして?」
「だって、母さんは何も言わないんだろう?」
「そうだけど……」
「だったら、父さんが話すことは何もない」
「なんで……」
「凛太朗。お前には申し訳ないと思っている。本当にすまなかった。だけどこれは、父さんと母さん二人の問題なんだ。だから、母さんがまだ話せないというのなら、父さんも話せない。頼む。わかってくれ」
「二人の問題って……。それじゃあ僕は……。僕の気持ちは……」
「すまない。凛太朗。謝っても謝り切れないよ」
哀切この上ないその男は、深く首を垂れた。テーブルに、幾つも涙の粒が落ちた。
「だけど、これだけは覚えていてほしい」
凛太朗に向けられたその顔は、涙でぐっしょり濡れていた。
「父さんと母さんは、決して嫌いになって別れた訳じゃないんだ。仕方がなかったんだ。あの時はそうするしか道はなかった。そうすることでしか、お互いを守ることができなかった。お前を……家族を……守りたかったんだ。これが、大切な家族を守る為に出した唯一の結論だったんだ」
「そんなの納得できないよ。お願いだから、ちゃんとわかるように説明してよ。僕はもう子どもじゃないんだ。どんな事実を突きつけられても、全部受け止める覚悟ができてる。だから……」
「悪い。凛太朗。父さんもできることなら話してやりたい。だけど、できないんだ」
「何故?」
「それは、私だけの問題じゃないからだ。母さんが話さないってことは、まだその段階じゃないってことだ」
「何がなんだか、さっぱりわからないよ」
「凛太朗」
涙で濡れた瞳に愛しさを蓄え、父親が息子を見つめた。
「今はまだ、母さんも気持ちの整理がつかないんだと思う。だけど、時期がきたら必ずお前に真実を語る日がくるだろう。だから、その時まで待っていてくれないか?」
「時期って?」
「それは父さんにもわからない。今父さんが言えるのはここまでだ。だけどこれだけは言わせてくれ。私は……、私たちは、ずっとお前を愛している。お前は、私たち夫婦の宝だ。それだけは変わらない。これからもずっと……」
「父さん……」
再び流れる涙は、先程とは違った暖かさをもって凛太朗の心の奥深くに染み込んでいった。
『愛している』――そのひと言が、長い間すっぽりと抜け落ちていた凛太朗の心の隙間を、優しく穏やかに埋めていった。
歩道を親子連れが通り過ぎていった。
青いレインコートを着た五歳くらいの男の子が、隣を歩く父親に何かを一生懸命伝えようとしている。それを父親が、いかにも大切なものを見るかのような目で見つめている。
青いレインコートの男の子と、幼い頃の凛太朗の影が重なった。
「わかった。信じるよ。二人のこと」
「ありがとう」
凛太朗とよく似た二重の目が、嬉しそうに皺を寄せながら弧を描いた。
いつしか父親の目にも涙が浮かんでいた。
「お前の気持ちはよくわかる。だけど、残念ながら、父さんにはお前の望みを叶えてやることはできない」
「どうして?」
「だって、母さんは何も言わないんだろう?」
「そうだけど……」
「だったら、父さんが話すことは何もない」
「なんで……」
「凛太朗。お前には申し訳ないと思っている。本当にすまなかった。だけどこれは、父さんと母さん二人の問題なんだ。だから、母さんがまだ話せないというのなら、父さんも話せない。頼む。わかってくれ」
「二人の問題って……。それじゃあ僕は……。僕の気持ちは……」
「すまない。凛太朗。謝っても謝り切れないよ」
哀切この上ないその男は、深く首を垂れた。テーブルに、幾つも涙の粒が落ちた。
「だけど、これだけは覚えていてほしい」
凛太朗に向けられたその顔は、涙でぐっしょり濡れていた。
「父さんと母さんは、決して嫌いになって別れた訳じゃないんだ。仕方がなかったんだ。あの時はそうするしか道はなかった。そうすることでしか、お互いを守ることができなかった。お前を……家族を……守りたかったんだ。これが、大切な家族を守る為に出した唯一の結論だったんだ」
「そんなの納得できないよ。お願いだから、ちゃんとわかるように説明してよ。僕はもう子どもじゃないんだ。どんな事実を突きつけられても、全部受け止める覚悟ができてる。だから……」
「悪い。凛太朗。父さんもできることなら話してやりたい。だけど、できないんだ」
「何故?」
「それは、私だけの問題じゃないからだ。母さんが話さないってことは、まだその段階じゃないってことだ」
「何がなんだか、さっぱりわからないよ」
「凛太朗」
涙で濡れた瞳に愛しさを蓄え、父親が息子を見つめた。
「今はまだ、母さんも気持ちの整理がつかないんだと思う。だけど、時期がきたら必ずお前に真実を語る日がくるだろう。だから、その時まで待っていてくれないか?」
「時期って?」
「それは父さんにもわからない。今父さんが言えるのはここまでだ。だけどこれだけは言わせてくれ。私は……、私たちは、ずっとお前を愛している。お前は、私たち夫婦の宝だ。それだけは変わらない。これからもずっと……」
「父さん……」
再び流れる涙は、先程とは違った暖かさをもって凛太朗の心の奥深くに染み込んでいった。
『愛している』――そのひと言が、長い間すっぽりと抜け落ちていた凛太朗の心の隙間を、優しく穏やかに埋めていった。
歩道を親子連れが通り過ぎていった。
青いレインコートを着た五歳くらいの男の子が、隣を歩く父親に何かを一生懸命伝えようとしている。それを父親が、いかにも大切なものを見るかのような目で見つめている。
青いレインコートの男の子と、幼い頃の凛太朗の影が重なった。
「わかった。信じるよ。二人のこと」
「ありがとう」
凛太朗とよく似た二重の目が、嬉しそうに皺を寄せながら弧を描いた。
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