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第六章

再会(四)

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 傘の陰でよくわからないが、年の頃は五十歳前後だろうか。少し癖のある黒髪を短く整え、くっきりとした二重瞼が印象的な、清潔感溢れる中年男性だ。目尻が少し下がっている為か、全体的に優しそうな雰囲気を醸し出している。

「いえ。私は大丈夫です。そちらこそ大丈夫ですか?」
「はい。本当に申し訳ありませんでした」
 凛太朗は深々と頭を下げた。

「良かった。それじゃ」
 軽く会釈をして通り過ぎようとしたその男を「あの」と呼び止めると、凛太朗は自由画帳を男の前に差し出した。

「迷惑ついでにちょっとお尋ねいたしますが、この女性に見覚えはありますでしょうか?」
「はい?」

 雨に濡れないよう気を付けながら、男は自由画帳を受け取ると、それをしげしげと見つめた。

「うーん。見たことないなぁ」
 自由画帳を返しながら、男が答えた。
「そうですか……。わかりました。ありがとうございました」

 トートバッグを広げて自由画帳をしまおうとする凛太朗に、「それ、君が描いたの?」と男が聞いた。

「え? はい」
「そうなんだ。上手いんだね」
「ありがとうございます。昔から、絵は得意なんです」
「そうか……」

 男の目が、懐かしいものでも思い出すかのようにふわりと緩んだ。

「あの……何か?」
「あ、いや、何でもない。すまなかったね。足止めさせて」
「いえ、こちらこそ」

 もう一度お礼を言ってから立ち去ろうとして、凛太朗はふと思い立ち、再び男に向き直った。

「あの、もしこの女性を見かけましたら、こちらにご連絡頂けますか?」

 凛太朗が差し出した名刺を受け取ると、「ひいらぎ……」と、男が一言呟いた。

「ええ。探偵をやっております」
「探偵……さん」
「はい。では、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げ、凛太朗は次のターゲットを探すべく歩き出した。

「んぶしゅっ!」

 雨で冷えたせいか、例の奇妙なくしゃみをひとつすると、凛太朗は鼻をすすった。

「凛太朗……?」

 背後で、小さな声がした。

「え?」
「……なのか?」

 振り返ると、先程のスーツ姿の男が両目をいっぱいに開いて凛太朗を見つめていた。

「あの……?」
「まさか……、本当に……?」

 その声は、雨音にかき消されてしまいそうなほど細く、自信なさげに震えている。

 瞬間。
 時が止まったかのように、全ての音が消えた。

 雨音も、クラクションの騒音も、人のざわめきも、駅のアナウンスも、世界中のありとあらゆる音が消え去り、凛太朗を取り巻く時間の流れが、物凄い速さで逆回転し始めた。

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