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第四章
凛太朗の心の奥(三)
しおりを挟む結局この日も空振りだった。
「まあ、こんな天気ですからね」
「そうですね」
二人は恨めしそうに頭上の雲を見つめた。
時折霧雨になったり晴れ間があったりするものの、天気は一向に回復の兆しが見られず、結局早々に捜索を打ち切った。
今後は情報提供の時間に充てることにして、二人は六時まで事務所で待機することにした。
「電話、来ますかね?」
事務机の端に置かれた飾り気のない電話を見つめ、凛太朗はポツリ呟いた。
「そうですね。来れば良いのですが……。有力情報があるかどうか……」
「ですね」
同時にふうっと息をつき、二人顔を見合わせて笑った。
凛太朗にとっては、もはや電話などどうでも良かった。
今この瞬間が、できるだけ長く続くように。
ただそれだけを願っていた。
ーーなんてこと、柏原愛には口が裂けても言える訳もなく。
凛太朗は小さく頭を振り、邪な思考を無理やり振り払った。
「んぶしゅっ!」
沈黙を破ったのは凛太朗だった。
「大丈夫ですか?」
「すみません。ちょっと冷えたみたいで」
鼻をこすりながら、凛太朗は恥ずかしそうにココアをひと口飲んだ。
「この間も思ったんですけど……」
「何ですか?」
視線を上げると、柏原愛が笑いをこらえる様な表情で凛太朗の顔をじっと見ていた。
「そのくしゃみって……」
「はい」
これから彼女が言わんとすることがわかってしまい、凛太朗はすかさず先手を打った。
「遺伝なんです! 父親の!」
「遺伝?」
「ええ。変でしょう? よく言われます。でも仕方ないんです。どうも父と同じらしいんです。このくしゃみ」
「らしい……?」
「ええ。僕は知らないので」
「え?」
不思議そうに見つめる柏原愛の瞳が、何かを察して少し揺れた。
凛太朗はゆっくりソファに背中を預けると、包み込むような表情で、目の前の僅かに後悔の念が滲んでいる瞳に向かい、優しく語りかけた。
「父は、僕が五歳の時、家を出ました。それきり会っていません。顔も全く覚えていません。僕には、幼い頃の記憶がないんです」
「記憶が?」
「はい。小学校に上がるまでの記憶が、綺麗さっぱり無いのです」
「そんな……」
柏原愛が両手で口を覆った。大きく見開かれた瞳には、確かな動揺が浮かんでいた。
「あの……私……」
「いいんです。別に隠すことでもありませんし。それに、柏原さんには聞いてもらいたいと思っていたので」
「え? なんで……?」
「『なんとなく』です」
悪戯っぽく笑う凛太朗に「もう!」と可愛らしく頬を膨らませると、柏原愛は次の言葉を待つように、ソファに深く座り直した。
「父が出て行った原因はわかりません。母が頑なに言おうとしないので」
「そうなんですか」
「ええ。きっと、僕には知られたくない何かがあるんでしょう」
凛太朗は窓の外に視線を向けた。まだ三時過ぎだというのに、空は少しずつ闇に呑み込まれ始めていた。
いつの間にか勢いを増した雨粒が、大きな音を立てて窓ガラスに襲い掛かって来る。そこにはもう、先程の楽しそうな歌声はすっかり消え失せていた。
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