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第三章

うちのマル知りませんか?(五)

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「まったく……」

 空のグラスと、こげ茶色の液体で満たされたグラスとを交互に見ながら、凛太朗は「はぁ」とひとつ溜息をついた。

 程なくして「遅くなりましたー!」と小走りで戻って来た柏原愛は、先ほどの秘密の会話など知る由もなく、「わー! 嬉しい!」と美味しそうにグラスの中のウーロン茶を一気に飲み干すと、「ほう」と可愛らしい声を漏らした。

「遅くなってすみません。奥様方の井戸端会議の仲間入りをしていたもので……」

 恥ずかしそうにはにかんだ笑顔を向けられ、凛太朗は思わず視線をずらした。

「そうなんですか。お疲れ様でした。何か収穫はありましたか?」

 グラスの中の氷を回しながら、凛太朗は必死で心を落ち着かせようとした。

「ええ。似たような猫を見かけたっていう方がいらっしゃいました」
「ほんとですか?」

 隣に腰かけた柏原愛の方に顔を向けた凛太朗は、思いの外顔が近いことに驚き、再びグラスに視線を落とした。

 さっきの管理人との会話が頭から離れない。いつも以上に意識してしまっている自分をどう扱ったら良いのかわからず、凛太朗はひたすらグラスを回し続けた。

「ええ。まあ、そうなんですが……」

 そんな凛太朗の苦悩には全く気付くはずもなく、柏原愛は自分のグラスを見つめながら話を続けた。

「その方、声を掛けたらしいのですが、その子、びっくりして逃げちゃったらしいんです。で、それっきり」
「それはいつですか?」
「一昨日のことらしいのです」
「一昨日……ですか……」

 一昨日と言えば、捜索に必要なものをあちこち調達しに回っていた日だ。
 やはりすぐに来てみるべきだった。もしかすると、マルはもう既にこの辺りにはいないのかも知れない。

 凛太朗の後悔の念が通じたのか、柏原愛はことさら明るく微笑むと、凛太朗の顔を覗き込んだ。

「その子がほんとにマルかどうかわかりませんしね。大丈夫です。きっとまだその辺にいますよ」

 本当は泣きたいくらい心配だろうに気丈にも明るく振る舞うこの女性を、今すぐにでも抱き締め慰めてやりたい。
 そんな衝動を必死で抑え、「そうですね。諦めずに頑張りましょう」と凛太朗も負けずに笑顔で答えた。

 空には、今にも降り出しそうな灰色の雲が所々浮かんでいる。

「これ返したら、降らないうちに帰りましょう」

 カラカラと音をさせながらグラスを振ると、凛太朗は勢いよく立ち上がった。
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