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第一章
不思議な依頼人(九)
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「お時間大丈夫ですか?」
時計の針は、既に八時を回っていた。
「ええ。大丈夫です」
こんな時間まで初対面の女性を引き留めているのは、いささか非常識ではないのかと不安になったが、本人は大丈夫だと言う。
そこで、今後の段取りを話すべく、凛太朗は窓際にあるデスクから手帳を取って来ると、そのままキッチンへと向かった。
「ココアでいいですか?」
「いえ、お構いなく」
「僕が飲みたいんですよ。だからお付き合いください」
凛太朗が照れ笑いすると、柏原愛も「それなら……」と喜んで承諾してくれた。
「頭使うときは、甘いものが欲しくなるんです。なので仕事中はココアと決めているんです」
先程とは違うマグカップにココアを淹れ、凛太朗はまた柏原愛の向かいに腰かけた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
先程のカップは、いかにも遊び心が満載のカラフルでポップな柄だったが、今度は白一色のシンプルなカップだ。寛ぎ用と仕事用とを使い分けているところに、凛太朗のこだわりが伺える。
ココアを一口飲んだ後、「それでは、少しお話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」 凛太朗は、仕事モードに突入した。
「まず、柏原さんの、今日の足取りからお伺いします」
事務的な口調と共に手帳の白いページを開くと、凛太朗はそこに長い縦線を引いた。どうやらタイムテーブルの様だ。
「見に行かれた物件の場所と、着いた時間を教えて頂けますか?」
柏原愛は軽く目を瞑り、こめかみに人差し指を当てた。今日一日の行動を思い出しているのだろう。しばらくすると静かに目を開け、ポツリポツリと話し始めた。
「場所は、ここから歩いて十分くらいの、公園に面したマンションです」
「ああ、大きな桜の木がある公園?」
「そう、そこです」
「そういえば、近くにクリーム色のマンションがあったような……」
「それです、それ!」
柏原愛の大きな瞳が輝いた。
「なるほど。場所はわかりました。では、何時頃そこに着かれたんですか?」
「ええっとぉ……」
「だいたいでいいですよ」
「はい……。多分、二時か三時だったと思います」
「二時か三時っと……」
凛太朗は、タイムテーブルに時間を書き込んだ。
「それじゃあ、マルちゃんが逃げ出したのはその辺りってことになりますか?」
視線を上げると、不安そうな柏原愛の瞳がそこにあった。
「そう……ですね。そうなります」
凛太朗の胸がチクリと痛んだ。
自分はただ彼女と一緒にいたいという理由だけで、この仕事を引き受けた。彼女の気も知らずに。彼女は今、愛猫とはぐれて、とてつもなく不安な気持ちを抱えているに違いない。そんな気持ちを、自分は全く知ろうとしなかった。
それはきっと、心のどこかで、「たかが猫」という思いがあるからなのだ。だからさっきも、「保護」ではなく、「捕獲」などという言葉が自然に飛び出したのではないだろうか。
そしてそれは、自身が定めた、「誠意をもって業務にあたること」の項目に背いているのではないか。
時計の針は、既に八時を回っていた。
「ええ。大丈夫です」
こんな時間まで初対面の女性を引き留めているのは、いささか非常識ではないのかと不安になったが、本人は大丈夫だと言う。
そこで、今後の段取りを話すべく、凛太朗は窓際にあるデスクから手帳を取って来ると、そのままキッチンへと向かった。
「ココアでいいですか?」
「いえ、お構いなく」
「僕が飲みたいんですよ。だからお付き合いください」
凛太朗が照れ笑いすると、柏原愛も「それなら……」と喜んで承諾してくれた。
「頭使うときは、甘いものが欲しくなるんです。なので仕事中はココアと決めているんです」
先程とは違うマグカップにココアを淹れ、凛太朗はまた柏原愛の向かいに腰かけた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
先程のカップは、いかにも遊び心が満載のカラフルでポップな柄だったが、今度は白一色のシンプルなカップだ。寛ぎ用と仕事用とを使い分けているところに、凛太朗のこだわりが伺える。
ココアを一口飲んだ後、「それでは、少しお話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」 凛太朗は、仕事モードに突入した。
「まず、柏原さんの、今日の足取りからお伺いします」
事務的な口調と共に手帳の白いページを開くと、凛太朗はそこに長い縦線を引いた。どうやらタイムテーブルの様だ。
「見に行かれた物件の場所と、着いた時間を教えて頂けますか?」
柏原愛は軽く目を瞑り、こめかみに人差し指を当てた。今日一日の行動を思い出しているのだろう。しばらくすると静かに目を開け、ポツリポツリと話し始めた。
「場所は、ここから歩いて十分くらいの、公園に面したマンションです」
「ああ、大きな桜の木がある公園?」
「そう、そこです」
「そういえば、近くにクリーム色のマンションがあったような……」
「それです、それ!」
柏原愛の大きな瞳が輝いた。
「なるほど。場所はわかりました。では、何時頃そこに着かれたんですか?」
「ええっとぉ……」
「だいたいでいいですよ」
「はい……。多分、二時か三時だったと思います」
「二時か三時っと……」
凛太朗は、タイムテーブルに時間を書き込んだ。
「それじゃあ、マルちゃんが逃げ出したのはその辺りってことになりますか?」
視線を上げると、不安そうな柏原愛の瞳がそこにあった。
「そう……ですね。そうなります」
凛太朗の胸がチクリと痛んだ。
自分はただ彼女と一緒にいたいという理由だけで、この仕事を引き受けた。彼女の気も知らずに。彼女は今、愛猫とはぐれて、とてつもなく不安な気持ちを抱えているに違いない。そんな気持ちを、自分は全く知ろうとしなかった。
それはきっと、心のどこかで、「たかが猫」という思いがあるからなのだ。だからさっきも、「保護」ではなく、「捕獲」などという言葉が自然に飛び出したのではないだろうか。
そしてそれは、自身が定めた、「誠意をもって業務にあたること」の項目に背いているのではないか。
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