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第一章

不思議な依頼人(二)

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 凛太朗はひとつ深呼吸をしてから、施錠をするため玄関に向かった。
 サムターンを横に倒し、チェーンを掛けた、その瞬間。

ーーピンポーン。

 突如、チャイムが大きく鳴り響く。
 凛太朗は思わず後ろに飛び退すさった。

「は、はいっ」

 およそ探偵には似つかわしくない取り乱しように苦笑しながら、凛太朗は用心深くドアスコープを覗いた。

 マンション内の細い通路に、一人の若い女性が立っている。

 年の頃は、凛太朗と同じくらいだろうか。大きな瞳が不安そうに微動しながら、せわしなく動き回っている。
 美人というより、可愛らしい印象だ。
 ダークブラウンのセミロングヘアは軽くウエーブがかかり、表情に柔らかさを加えている。
 いまだ動揺しきりの凛太朗は、ドアスコープの中のその女性にしばし見惚れた。

 全く、探偵にはあるまじき行動の数々。まだまだ修行することが山ほどあるのは、一目瞭然だ。

 ようやくハッと我にかえると、凛太朗はドア越しに「はい」と恐る恐る声を掛けた。

「すみません。私、……ともう……。実は、……が……てしまって、……」
「あ! ちょっと待って!」

 ドア越しなので、全く声が聞き取れない。   
 そこでまた凛太朗は、更に大きなミスを重ねることとなった。
 なんと凛太朗は、あろうことかサムターンを回し、ご丁寧にチェーンまで外し、大きくドアを開け放ったのだ。

 これは、探偵にとって致命傷となり得る重大な過失だ。
 もし相手が凶悪な犯罪者だったらどうなる事か。言わずもがなである。

 これも男の性なのだろうか。女性に弱いのは、凛太朗も例外ではない。
 ましてや、この様な可愛らしい女性が瞳を潤ませて不安そうに立っているのを見てしまったら、大概の男性は、彼と同じ行動をとってしまうのではなかろうか。

 だがしかし、凛太朗は探偵だ。そこはプロとして、細心の注意を図るべきだった。
 この場合、まずは一度部屋に戻り、インターホンの画面を確認するのが正解だろう。

 幸い彼女が凶悪犯のたぐいではなかったのが、せめてもの救いだ。

 開け放たれたドアの向こうに佇んでいたのは、目の覚めるような真っ白なワンピースにハチミツ色のロングカーディガンを羽織った、小柄な女性だった。

 ドアスコープ越しに見た時よりも更に大きく輝いて見える瞳が、琥珀のように神秘的な光を蓄え、凛太朗の両目を捉えた。

 まるで心の奥底に眠っている何かを引きずり出されるような感覚を覚え、凛太朗は暫くドアノブを掴んだまま立ちすくんでいた。

「あの……」

 沈黙を破ったのは女性だった。
「私、柏原かしわばらあいと申します」
「かしわばら……さん?」
「はい。こちら、ひいらぎ探偵事務所さんでよろしかったですよ……ね」

 凛太朗の挙動不審な姿に一抹の不安を覚えたのか、柏原愛と名乗るその女性は、凛太朗の顔と表札を交互に見た。

「あ……、はい。申し遅れました。私、ひいらぎ探偵事務所所長、柊凛太朗と申します」

 ようやくいつもの調子を取り戻した凛太朗は、慌てて自己紹介をした。
 実に先が思いやられる。

「あ、所長さん……」

 疑いの眼差しを隠そうともせず、その女性は、凛太朗の姿を上から下までまじまじと眺めると、再び視線を上げ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

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