雪蛍

紫水晶羅

文字の大きさ
上 下
15 / 86
近づく距離

綾音の髪

しおりを挟む
 蛍太がナポリタンを食べにきた日から、二週間が経った。
 やはり営業だったのかと、綾音は一人肩を落とした。

 最後の客を見送った店内に、静けさが落ちる。
 真っ黒な窓ガラスに映った自分の顔が、いやにくたびれていた。
「髪、切ろうかな?」
 綾音はサイドの髪を指で摘んだ。ショートボブだった髪は、顎のラインを優に超えていた。

「なんか言ったか?」
 厨房の片付けをしていた優吾が、作業したまま声をかける。
「うん。明日の休み、美容院行ってこようかと思って」
 だいぶ伸びたから、とブラインドを下ろしながら綾音が答えた。

 少しの沈黙のあと、「伸ばさねぇのか?」遠慮がちの優吾の声が、明るさを落とした店内に小さく響いた。
「えっ?」
 思わず綾音が振り向く。いつの間にか作業の手を止めていた優吾が、カウンターからこちらを覗いていた。
「ずっと長かったろ? もう伸ばさねぇのか?」
「あ……」
 一瞬口ごもった後、「だって」綾音は続けた。
「長いと面倒くさいんだもん」
 いろいろあんのよ女子は、と綾音はおどけた顔で笑った。

「あいつが死んでからだろ?」
「え?」
「あいつが……。皇が、長い髪が好きだったから……」
「ちがっ……!」
「長い髪を見ると、あいつを思い出すんじゃ……」
「やめてっ!」
「いい加減、前に進めよ! じゃないと俺は……!」
 優吾が口をつぐみ、目を伏せる。カウンターに置かれた両の拳が、きつく握られ小刻みに震えた。

 大きく一つ深呼吸したあと、「安心して。優吾たち家族には迷惑かけないようにするから」綾音はくるりと向きを変え、再びブラインドを下ろし始めた。
「んなこと誰も言ってねぇだろ!」
 優吾の声が、綾音の強張った背に弾かれる。
 行き先を失った言葉が、夜の静寂に呑まれて消えた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

処理中です...